岸辺露伴と映画デート


 はじめて男の人に抱きしめられた。
 その人の体はかたくて熱くて、胸がどきどきしたのを覚えている。容赦なく覆いかぶさってのしかかられて、すこし体が苦しくなった。

 ――きみは僕のアシスタントだ。勝手に知らん男のところに行くのは許さん。僕を優先しろ。いいな――

 耳元で言われた言葉。
 抵抗できなかったのは、ひとえに私の体に加筆された【岸辺露伴の取材に協力する】という一文のせいだ。

 はぁ……とため息を吐く。
 本当に、なんで付き合ってもない男の人からこんな理不尽な束縛を受けなきゃいけないかなぁ。
 言われた時はとっさに「はい」と答えてしまったけど、冷静に考えたら首をかしげざるを得ない。



 天気は快晴、さわやかな風が吹き抜けて私の頬を撫でる。
 実に気持ちのいい朝なのに、なんだか気分が重い。
 先日露伴先生に付けられたキスマークがようやっと薄くなり、どうにか登校できるようになったっていうのに。
 路傍の石を蹴っ飛ばしていると、後ろから私に駆け寄る足音がする。

「オハヨウ、さん! いい朝だね。最近休んでいたけど、体調は大丈夫?」
「あ、康一くん! ……なんてことしてくれたのよ、きみ」
「え? ぼく、なにかしました?」

 唐突な私の文句に、康一くんは焦った顔をした。
 しらばっくれちゃって。康一くんのせいで、私がどんな目にあったか。

「露伴先生に、私が告白されたこと喋ったでしょ。内緒にしてって約束したのにひどいよ」
「え……露伴先生、なにか言ってた?」
「取材に行く時間が減るから、そういうのはダメだ……みたいな感じのことを」

 場面が想像できたのか、康一くんは「露伴先生……」とつぶやいて目を細めた。
 がっくりとうなだれたかと思うと、康一くんは心底申し訳なさそうな表情で私を見る。

「勝手に喋ってごめんね。でも、最近さんがあんまり露伴先生に振り回されてるもんだから、見てられなくって……」
「それで話したの? 告白されたこと?」
「うん。さんにもさんの予定や時間があるんだからあんまり振り回さないでください、って言ったんだ」
「露伴先生、どういう反応してた?」
「『それはくんにすまないことをしていたな。謝っておくよ』って言ってた。妙に素直だから怪しいとは思っていたけど……」

 まさかそんなことを言っていたなんて、と康一くんはまたうなだれた。
 心底私を思っての進言だったらしい。考えてみれば、康一くんがなにも考えずに誰かに秘密を喋るはずがない。
 すこしでも疑ってしまった自分が恥ずかしくて申し訳ない。

「康一くん、顔をあげてよ。ありがとね、心配してくれて」
さん……」
「私ね、案外露伴先生のことは嫌いじゃないんだ。取材についていくとおもしろいしね。だから大丈夫だよ。ありがとう」
さん……本当に大丈夫?」
「もちろん」
「変なこと書き込まれたりしてない?」
「いっそ『岸辺露伴に恋をする』とか書き込んでくれたら、ムカッ腹立たなくていいかもなとは思うけど」
「それは、笑えないよ。さん」

 康一くんは苦笑した。
 これで納得してくれたみたいだ。もう一度、ごめんね、と私に頭を下げる康一くんはちょっと可愛かった。


 露伴先生のことを案外嫌いじゃない、というのは本当。取材についていくとおもしろい、というのも本当。
 じゃあ露伴先生のことが好きか? そりゃあ尊敬している部分もあるし、好きか嫌いかではいえば好きだ。
 では、露伴先生と付き合いたいか? それはない。

 好きではあるけど、付き合いたくはない――そんな人に抱きしめられていろいろ触られたあげく、キスマークをつけられる。って絶対異常事態だよなぁ。騙されたとは言え、ひとりで男の人の家に行く私が悪いのかな。

 取材以上の意味はないことはわかっている。わかっちゃいるけど、だからこそ私の清らかさってものがどんどん目減りしていくような感覚に襲われるのだ。
 私、ため息しっぱなし。
 後日、康一くんは私に遊園地のチケットを二枚くれた。お父さんが仕事のツテで安く貰い受けたものらしい。
 由花子ちゃんとは予定が噛み合わず、恋人がいる身としては他の女の子を誘うこともできない。かといって男の人と二人きりで遊園地ははばかられる……。
 そう言った理由で、二枚のチケットを持て余しているらしい。

「仗助くんか億泰くんに譲ろうかと思ってたんだけど。お詫びのシルシってことで受け取ってよ」
「いいの!? 気にしなくていいのに……ありがたくいただくね。ありがとう、康一くん」

 拝みながらチケットをいただいたのが数日前の話。とはいえ、一緒に行くような男の子もいないんだけど。
 女友達でも誘うかなぁ。
 ぼんやりと考えながら、カフェ・ドゥ・マゴのテラスで、向かい側の席に座る幼馴染――仗助くんを見る。
 仗助くんは私の視線に気付くと、首を傾げた。

「どうした? なんかついてるか~?」
「かっこいいなーって」
「おう、髪形バッチリだろ」
「髪形バッチリだね。おはようからおやすみまで、仗助くんは髪形バッチリだよ」
「寝る時は流石にリーゼントじゃないぜぇ。風呂入るしな」
「仗助くんは水に入ってもリーゼントのよーな気がするよ」

 くだらない会話でクスクス笑いあう。
 幼馴染みなだけあって、仗助くんとは肩肘張らずに話せる。しかし今日の仗助くんはどこかおかしい。すこし緊張した面持ちで、テラスから見える景色を横目で見ながらうわずった声を出す。

「そういやお前、最近うわのそらのことが多いけどよぉ~ッ」
「ちょっと色々考えることが多くて」
「まさか、恋煩いかぁ?」
「そーんなわけがない。むしろ恋したいくらいだよ。由花子ちゃんが羨ましい……」
「康一はいい男だからな~っ。それはともかく、もなんか悩みあるんだったら相談しろよな」
「ありがとう」

 茶化しつつも、真剣に心配してくれているのだとわかる。
 最近はぼんやり気味の私を心配して、今回カフェドウマゴに誘ってくれたのは仗助くんだ。
 まったくいい友達を持ったものだと思う。仗助くんは優しくて頼りになって、とにかく好きだ。強欲な一面もあれど、髪型にさえ文句をつけなければ温厚な幼なじみは、私の自慢だ。
 仗助くんはカフェ自慢のカプチーノを飲みながら、上目遣いに私を見つめる。

「お前よぉ、来週の日曜日ヒマか?」
「ん……今のところ予定はないよ。どうしたの?」
「よかったら一緒に映画館行かね? アクションでも見に行こうぜーっ」
「いいね! 他には誰かいるの?」
「億泰たちでも誘うか……って言いたいところなんだけどよ。明日カップル割のある日なんだわ。んで、友達割のある日になるともう見たい映画が公開終了しちまってるっていう」
「つまり、私をカノジョってことにして、カップルの割引をせしめようと?」
「今月キツイんだよ、俺……財布のひもがどーにもゆるくなっちまって」

 頼むっ! とテーブルに手をついて手を頼みこまれる。テーブルにリーゼントの先がこすれかねない勢いに思わず気圧される。
 不良にここまで頭を下げられることって、当然だけどなかなかない。幼馴染みだから気にしないけど。
 さっきの『恋患いか?』は、この為の前振りというか、確認だったらしい。
 私に好きな人や彼氏がいたら、こんなこと頼めないもんね。

「仗助くんにはファンの子がいるじゃない」
「それも考えたけど、マズイだろ~なんかもてあそんでる感じになるしよ」
「それで幼馴染みの私ってこと? でも、仗助くんいいの? 私が相手で?」
「好きな女いねーのわかってんだろ。息抜きしようぜ、息抜き」
「うん! ありがとう仗助くん! ぜひ、一緒に行こ――」
「駄目だ」

 後ろからかかった低い顔に、私は肩をすくませた。
 ゼンマイじかけの人形のように、キリキリと首を動かす。
 逆光のなか、静電気のようなピリピリとした気配をまとった露伴先生が私を睨んでいた。
「ろ、露伴先生……なんでいるの?」
「出かけてたら、たまたま君らのバカ面が見えたからな。邪魔するぜ。ストレートティ一ひとつ」

 許可なく私の隣にどっかと座り込むと、我が物顔でウェイターを呼びつける。

「ダメっつーのは、どういうことっスか?」

 仗助くんがムッと眉をはねあげて尋ねた。私は、特に悪いことをしていたはずではないのにただ青ざめるばかりだ。
 露伴先生は仗助くんをチラリと一瞥して言う。

「その日は先約がある。僕の取材があるからな」
「えっ、そんな予定ありましたっけ」
「今決めた」

 思わず仗助くんと二人で唖然とする。
 仗助くんと私は互いに顔を見合わせて、
 ――今、コイツなんつった?
 ――いま決めた、っておっしゃった……。
 ――あ、やっぱ幻聴じゃないのね……。
 ――幻聴じゃなかったね。アハハ……あほか!
 と目で会話する。
 苦笑いしか出ない。

「ええと、その、露伴先生……取材の日にちをずらしていただくことはできませんか?」
「ほう。きみは僕のアシスタントだってのに、生意気にも僕の予定を変えようとするのか。ダメだ」
「お一人で行っていただくっていうのは……イエ、なんでもないです」

 睨まれて萎縮する。不機嫌な時の露伴先生は攻撃性を隠そうともしないから苦手だ。

「そもそもくん。僕はこの前、勝手に知らん男のところへ行くのは許さんと言ったはずだよな」
「う……じょ、仗助くんは共通の知り合いだし……」
「お、おい。露伴先生とって付き合ってるのかよ!?」
「付き合ってる? 僕とくんが?」

 あわてた様子の仗助くんに、露伴先生は鼻で笑った。

「この岸辺露伴が、平々凡々・漫画のモブ以下の個性しかないくんとォ~? 冗談もほどほどにしていただきたいものだね……フン!」
「付き合ってもない男が、そんなふーに束縛してもいいって思ってるんスか?」
「彼女は僕のアシスタントなんだから当然だ」

 理由になっていない理由に、仗助くんが返す言葉を失う。
 わかる
 私も絶句したもの……。
 仗助くんが絶句し、私が考え込んでいる間に、ウェイターさんが紅茶を運んできた。
 露伴先生は優雅な仕草で華やかな匂いを楽しみながら、鋭い目で言う。

「彼女は僕の取材に同行する義務がある。映画観たいなら、一人で行けよ」
「おい、こんな言い方されてムカつかねーのかよ」
「ん、うん……」

 私は歯切れ悪く曖昧に苦笑した。
 露伴先生の言葉にイチイチ反応していたら身が持たない。露伴先生とうまくやっていくコツは、露伴先生の言葉の八割を受け流してスルーすること……だと思う。

 私よりも私のことで怒ってくれる仗助くんがありがたくもあり、すこし困ってしまう。
 この温厚な幼馴染は、自分に向けられた害意は寛大に受け流す。しかし身内が理不尽な害意にさらされることには許せないタチだ。
 他人からの害意ってものにイマイチ鈍感らしい私は、仗助くんに助けられることもあれば、首を傾げてしまうこともある。
 今回、私はどう感じればいいのかわからない。

 映画館には行きたいが、露伴先生を怒らせたくもない。先着順、ということで露伴先生が納得してくれればすべて丸く収まるのだ。

 露伴先生に退いてもらおうと思って口を開こうとした時、露伴先生がいきなり顔を寄せてきた。
 フンフンとぶしつけに鼻を鳴らしてニヤリと笑う。

「僕の言いつけ通り、石鹸、前のヤツに戻したんだな。いい心がけだ」
「ろ、露伴先生ッ!? こ、こんなところで誤解を招く発言は――」
「事実だろ。匂いが前に戻ってる」

 親密げに髪をすくって、確認するように鼻を寄せる露伴先生。
 突然のことに私を顔を赤くしてうろたえるばかりだ。

 仗助くんは、そんな私を見てどう思ったろう。慌てて違うの、と言い訳するも、返って誤解をまねいてる気がする。
 必死になって弁解する私に、露伴先生は眉根を寄せている。
 このままだと、その他もろもろ話されたくないことを喋られかねない。露伴先生が新たな言葉を吐き出す前に、露伴先生の手首を掴んでテラスの隅の観葉植物の影へと連れ込んだ。
 ここなら仗助くんにも他のお客さんにも会話が聞こえない。

「い、い、いきなりなに言い出すんですかッ! 完全に誤解されるじゃないですか!!」
「事実だろ」
「じ、事実ですけど! いや、石鹸もとに戻したのは肌に合わなかっただけですけど!」
「そもそも誤解だなんだって言うけど、仗助と誤解されるのはいいのかよ」
「仗助くんは幼馴染みです! それに、年上の人とふしだらな関係にあるって誤解されるのと、幼馴染みと付き合ってるって誤解されるのとじゃあ全然違います!」
「ふしだらって……」
「ああ、だめだ、付き合ってないひとにキスマークつけられたり身体触られてるほうがよっぽどふしだらな気がしてきた……」

 いや、議論の余地もなくそっちよほうがよりふしだらだと思う。
 なんだかどっと疲れて、頭が痛くなってきた。うなだれる私に、露伴先生は不機嫌顔だ。

「取材だろ。それをふしだらとか言うなよ」
「……突っ込む気力もないです。私」
「とにかく、仗助と映画はナシだ」
「ああもうわかりましたよぉ。じゃ、日にちズラしてもらいます」
「待てよ」

 席で待つ仗助くんのところに戻ろうとすると、手首を掴まれる。振り返ると、露伴先生はいたく心底嫌そうに眉根を寄せていた。

「なんでそうなるんだ」
「え、だって露伴先生が取材行くからって……」
「僕は仗助と会うなって言ってるんだよ。日にちをズラしても意味がないだろ」

 手首を離してほしくて腕を振ると、逆に強く握りしめられた。ギリギリと締め上げられて痛い。

「……露伴先生って私のことが好きなの? 付き合ってるならともかく、ただのお知り合いにそんなこと言われる義理はありません」
「きみは僕の――」
「アシスタントなんですよね。でも、そういう問題じゃあないです」
「……

 諌めるようなあきれるような、それでいて懇願するような声で名前を呼ばれた。
 手首を掴む露伴先生の指がじっとりと汗をもつ。
 私に毅然とした意思があることを悟ったのか、露伴先生は押し黙った。ただ困り果てたように眉を下げて私を見つめる。

 思わずため息がもれた。プライドか高くて不器用で、他人の迷惑を考えないくせにそれが理由で他人が離れていくのは嫌だなんて。
 仕方のない人。まあ、そんなところが露伴先生の欠点であり魅力なのかもしれない。

「再来週。空いてますか露伴先生」
「……ん? まあ予定はないが」

 唐突な言葉に驚いたんだろう。素直に予定を教える露伴先生は戸惑った表情だ。

「遊園地のチケットあるんですよ。再来週一緒に行きません?」 
「それは――」
「取材ですよ、しゅ、ざ、い! 露伴先生ごときが私とデートしようなんて、身分不相応ってもんだぜ……フン!」

 露伴先生の口調を真似て嘲り笑ってみる。
 手首を掴む手の甲を思いきりねじりあげると、大袈裟にうめいた露伴先生が手を離した。
 本当に「岸辺露伴に攻撃できない」って文字、消してくれてたんだね。こういうところで嘘はつかない人なんだなぁ。
 不誠実なのか誠実なのか、わからない人だ。単純に自分の欲望に素直で好奇心に生きる人と言うのが正しいのか。

「仗助くーん、露伴先生説得したから映画一緒にいこっ」
「おっマジか! よっしゃあ、よく露伴に勝った!」
「お、おい――」
「久々のデートだね仗助くん!」

 私がにこやかに言うと、仗助くんは面食らった顔をした。私の背後――多分露伴先生――に視線をやると、すべてを把握したようにニヤリと笑う。

「おお! バッチリ髪型決めてくぜっ。お前も気合いいれろよ!」
「仗助くんはいつでもかっこいいよ。うん、バッチリおめかししてくから期待してね!」

 ざーとらしいやりとりを交わしながら、仗助くんとくすくす笑う。
 ふらふらと席に戻ってきた露伴先生の顔は赤くて、すこし疲れた顔をしていた。

「あとで覚えてろよ」

 絞り出した言葉はどちらに向けての言葉だろう。
 年長者のお怒りの言葉に、不良リーゼントの幼馴染みは「やっちまったかな?」なんて肩をすくめて、学校成績的に優等生な私は反逆の成功に笑いをこらえた。

「ここ露伴先生のおごりだって」
「ヨッシャーゴチになりますッ!!」
「おい! ……本当に後で覚えてろよ」

 ああ、露伴先生といると本当に楽しい。
 腹が立つことも多いけど、こんな気分にさせてくれるならいくらでも露伴先生に付き合います。
 男女交際は『だが断る』ですけどね。





2013/5/27:久遠晶
タイトルでデートの話だと思った方ごめんなさい。いいタイトル思い付かなかった。
ヒロイン勝利の巻。
友人に見せたら「糖度高いね」とのお言葉をいただいてちょっと驚きました。
 もしいいね!と思っていただけましたら送っていただけると励みになります!
萌えたよ このキャラの夢もっと読みたい! 誤字あったよ 続編希望