プロポーズ

 露伴先生のよびだしはいつだって急だ。
 突然取材旅行に行ったっきり何ヵ月も音沙汰がないと思えば、いきなり電話で「僕だ。今すぐどこそこに出掛けるぞ」などと、こちらの予定などお構いなしに命令をしてくる。
 そしてその呼び出しは露伴先生に言わせれば、デートなんかではなくれっきとした取材であるらしい。
『僕がきみとデートォ? 冗談じゃない。どうしてこの僕が、きみのために貴重な時間を使ってやらなきゃいけないんだ?』
 そう言ってざーとらしく肩をすくめる癖に、私の時間が露伴先生によって浪費されていくことにはなんの疑問もないらしい。

「ねぇ、露伴先生」
「ん……」

 お腹に回された露伴先生の腕をぱちぺち叩いても、生返事しか返ってこない。
 露伴先生の自宅に到着するなり手首を捕まれて、引きずりこむようにベッドに押し倒された。かといって露伴先生はなにをするでもなく、ひたすらに私を抱き締めている。
 普段なら目を輝かせて「太ったんじゃないか?」とか「きみ、すこし汗くさいぞ。来る前にシャワーぐらい浴びたらどうだ」などと、さんざっぱら嫌味を言ってくるのにそれがない。
 言い訳がましい「これは取材のために必要なんだ」っていう説明もない。

「どうしたの、先生。これも取材ってやつ? 暑いから、クーラーでもつけていただけるとありがたいんですけど……」
「……ん」

 また生返事。
 ダメだ……。これは、なにを話しかけても無駄なパターンだ。

「クーラー、つけますよ? いいですね?」
「ああ……」

 ほんとに聞こえてるのかな。
 スタンドを発現させてエアコンを操作させる。後で怒られたら、思いきりみぞおち突いてやろ。

「なにかあったんですか」

 返事の代わりに、鼻先を首筋に押し付けられた。
 露伴先生がこうなることは久しぶりだ。自分の漫画への不安や恐怖が限界点を迎えた時にだけ見せる、露伴先生の弱い部分。
 でも露伴先生はルーブル美術館まで取材に行っていた直後だ。刺激を受けてハイになりこそすれ、不安になることがあるだろうか。
 パリでスタンド使いに襲われたとか。いいや、先生が生きている以上作品のネタになるし、やっぱり落ち込まないと思う。
 露伴先生はなにも答えてくれない。
 だから、私は黙ってされるがままでいるしかない。

 抱き締められながらまんじりともせずにいるのは嫌いじゃない。動けないのは辛いけど、漫画製作にかかりきりになって放置されるよりはマシだと思うし、暇つぶしの方法なんていくらでもあるんだ。
 露伴先生と知りあってから暇潰しの仕方ばかりうまくなっている気がする。


「なんですかやぶからぼうに、フルネーム呼んじゃって」

 下らない名前だな、なんて言われたら張っ倒すことを決める。
 露伴先生はもう一度口のなかで私の名前を呟く。私に対する呼び掛けというより、ある種の確認のようだった。

 露伴先生はもぞもぞと身体を離す。肩を掴んで私を仰向けにして、その上に覆い被さる。
 この体勢はいつまで経っても慣れない。思わず息を止めて顔をそらすと、顎を掴まれて引き寄せられる。
 でも、キスはされなかった。吐息がまざりあうほど顔を寄せたまま、露伴先生は私を見ている。

「きみは……」
「な……に」

 声が掠れる。
 いまだかつて、ここまで力強く見つめられたことがあっただろうか。ぶしつけにじろじろと値踏みされることは何度もあったけど、いまの露伴先生の目はそれだけではない。
 私を見透かそうとする瞳の奥が、熱に浮かされたように濡れて揺らめいている。

「きみは本当に……カワイクないな」

 睦言を囁くような声色で、しみじみと呟かれた言葉。
 殴ってやろうと拳に力をこめたのにそうしなかったのは、露伴先生の声に嘲りがなかったからだ。

「顔立ちは平凡、髪と肌は綺麗だがボケッと間抜け面で、10人中10人が振り返らない女だ。振り返るとしたら、それはきみが間抜けにもハンカチを落としたからであって、美しいからじゃあない。漫画では絶対に背景のモブ以上にはなれないな」
「……やっぱり殴ろうかな」

 でもその気力も失せていく。
 真剣な目でぼろくそにけなされて泣かない女の子なんていないよ。
 これでもかわいくなるために結構頑張ってるんだから、せめて努力は汲んでくれてもいいと思う。
 露伴先生が漫画のことで辛くなって、それで私を呼び出したのだとしても。ここまで女としての尊厳を破壊されて黙っていられるほど私は大人じゃない。

「結婚するか? 僕たち」
「はぁ? い、いやですけど」

 胸板を押し退けようとした瞬間に脈絡なく言われて、つい否定が口を突いて出た。
のくせに……ずいぶんと生意気じゃあないか……」

 コンマ一秒での拒絶に、もしかしなくとも露伴先生は気分を害したようだった。
 悲しむより先に怒るところが露伴先生だなぁ――としみじみ思うのだけど、待って、露伴先生はいまなんと言ったの?
 結婚? 誰が? 私と? 露伴先生?
 ははは、まさかァーッ!
 と笑い飛ばせなかったのは、噛み殺さんばかりに露伴先生が私を睨んでいるからだ。
 露伴先生は、胸板を押す私の手首をベッドに縫い止めた。力いっぱい握りしめられて、猛烈に痛い。

「この僕がせっかくきみをもらってやると言ってるのに、そのありがたい申し出を蹴るって言うんだな」
「いや、だって、突然ですもん。それに私22歳だよ? 露伴先生は27歳で結婚適齢期かもしれないけど、私はまだ遊び盛りの新社会人でしかないんですからね」
「きみ、将来結婚できると思ってるのか? その顔と性格で?」
「私、恋人いますよ。私は露伴先生の単なるアシスタントですし、問題ないでしょ?」

 目を見て言うと、露伴先生が青ざめた。手を掴む腕に力がなくなり、呆然した瞳で私を見つめる。

「う、嘘だろ……」
「嘘です」
「……。きみ、よほどこの岸辺露伴をコケにしたいようだな……」

 露伴先生は大きくため息を吐き出すと、私の胸にぼすりと顔をうずめた。
 心底ほっとしたのか、顔をあげる気配がない。
 私の貧相な身体に顔をうずめて楽しいんですかねぇ。以前言われたことを思い出して悲しくなってくる。

「それで、いきなり結婚なんて言い出してどうしたんです? どうせ漫画でそういうシーンでも書くんでしょうけど、いくらアシスタントって言っても漫画のためにバツイチになるのはイヤです」
「……漫画のためじゃない。最近、ちょっとノスタルジイにひたる出来事があってな……。きみと『そうなっても』いい、という気分になったんだ。今日だけの気まぐれだがな」

 顔をあげて虚空を見つめる露伴先生は、その『ノスタルジイにひたる出来事』を回想しているのだろうか。
 とするなら、本当にこれはプロポーズなんだろうか。
 その前の批判は、どう考えてもプロポーズの雰囲気はなかったと思うけど。

「露伴先生、私の17歳の誕生日のときのこと覚えてますか?」
「え?」
「なんでもしてやるって言われて、じゃあキスしてくださいってねだったときですよ」
「……覚えてない」

 嘘だな。
 頬がすこし赤いの、ばればれですよ露伴先生。
 顔をそむけても、この距離じゃあごかませない。

「ヘブンズドアーで『岸辺露伴にキスをする』なーんて書いてくれましたよね、先生。あの時は恥ずかしかったなぁ」
「知らないな、そんなの!」
「キスさせたあとのセリフは『心がこもってないな』でしたっけ? 自分でさせておいてひどかったですよねぇ」
「う、」
「はじめて露伴先生の家に泊まりに行った時には、『いざ出陣!!』って時に漫画のネタが降ってきたとかなんとかで、結局一晩中放置かますし」
「……なにが言いたいんだ、きみは」
「先生は自分勝手だなーって」

 露伴先生は怒ったような困ったような、複雑な表情で私の言葉を待っている。

 露伴先生とは15歳の時に知り合って、そこから7年間もの付き合いだ。その間、ろくな目にあっていない。
 漫画を描く為に生きていて、漫画のためなら他人がどうなろうが心なんて痛まない人だ。振りまわされるのは当然と言えるし、まともな対応を期待するほうが間違ってる。
 それでも一緒にいるのは、なんだかんだで露伴先生が心地いいからだろう。
 取材であって、デートじゃあない。そう言いつつも私を連れていくところは決まって遊園地や水族館などのデートスポットだし、迷子になるといけないから――と言い訳がましく引き寄せる露伴先生の耳は赤く染まっているのだ。
 本当に素直じゃない人。
 かわいいなぁ、かわいくないなぁ、面倒な人だなあ、という気持ちがきれいに三等分で混ざりあってひとつになったのが露伴先生への気持ちだ。

「でも、結婚は嫌だっていうのも本音だね。苦労させられそうだもん。これ以上は身が持ちませんよ」
「……この僕が、きみで妥協してやると言ってるのに」
「露伴先生が私で妥協できても、私は先生で妥協できまへーん」

 わざと間が抜けた声を出して、私は露伴先生の肩を押した。
 露伴先生の体をすり抜けて起き上がると、私は帰り支度を整える。

「……

 迷子の子供のような表情で名前を呼ぶ表情を見てると笑いが込み上げてきた。なんて面白い人なんだろう、露伴先生は。
 自分勝手で唯我独尊、そんな露伴先生が私は嫌いじゃない。

「先生で妥協できる年齢になったら、もう一度言ってよ。そうだなぁ……あと五年ぐらい?」

 自然と頬が持ち上がる。
 私はどんな目をしていたんだろうか。目を見開いた露伴先生が、ぼかんと口を開けて私を見つめた。だけど間抜け面は、すぐにニヤリとした意地悪いものになる。

「五年もしたらきみの唯一の武器である若さがなくなっちまってるぜ」
「その頃になったら露伴先生の唯一の長所である人気漫画家って地位もなくなってますよ」
「言ってくれるな。年下のくせに生意気なやつだ」

 露伴先生は喉の奥で笑う。私の冗談にも怒る様子はない。呆れたように笑いながら髪をかきあげる露伴先生を尻目に、私はバックを掴んで翻った。

「おいしいもの食べに行こうよ、先生。五年経って人気と財産がなくなる前に、ちょっとは私に投資してよね」
「投資ってのは、将来性がある人間にするもんだぜ。きみにそれがあるかい?」
「将来性大有りじゃない。未来のお嫁さん候補だよ?」
「……心臓に悪いこと言うな、馬鹿。押し倒されたいのか」

 露伴先生は脱力の溜め息を吐いて顔を覆った。すがるように服の裾を掴もうとする指をかわす。

 あくまで候補であってお嫁さんではないですよ。あなたを旦那にするかしないかは五年後の私次第だけど、今んとこその気はないんですからね――。

 くだらないことを喋りつつ露伴先生を急き立て、出掛ける身支度を整えさせる。
 五年後の私たちがどうなってるのかはわからないけど、その頃には素直になってるといいなぁ。……お互いに。
 なんて他人事のように考えながら、私はけたけたと笑った。
 露伴先生も笑った。
 そうやって、私たちの時間は過ぎて行く。





2013/5/11:久遠晶
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