恋人スケッチ
白い息を吐き出しながらすれ違う人たちはみんな幸せそうに微笑んでいる。夜の暗い道を明るく照らすイルミネーションが、なんとも言えず綺麗だ。
「別れよう」
でも恋人のその言葉で時間が止まった。
他の人たちが待ち合わせの相手を見つけて「メリークリスマス」とはにかむ声が、遠くに聞こえる。
「え、えーと」
「だって、付き合って半年経つのに手つなぐ以上のことさせねぇし。ガキのままごとかっつーんだよ。女としての魅力がないっつーか」
私がなにも反応出来ない間に彼は私への不満をぶちまけ、すでに出来たという新しい彼女がどんなに女として素晴らしいかを語る。
私にも落ち度があるからこそこういう結末になったはず。そう思うと怒りや悲しみよりも先に、申し訳なさで涙が出てくる。
人前でみっともなく泣くようなことはしたくない。私は何度もまばたきして、拳を握りしめて涙をこらえる。
「そ、そっか……至らないところばっかりでごめんね。いままでありがとう、それじゃあ、お幸せに――」
言葉が途中で止まったのは、彼の背後に見知った顔を見つけたからだ。
無理やり作った笑みが、今までになくひきつったものになってしまうのが自分でわかった。
視線の移動に気付いた彼が後ろを振り返って、背後に立つ顔見知りの距離の近さにうわっと距離を取った。
「な、なんだよお前……!」
「なに、知り合いを見つけたと思ったら、ずいぶん面白そうな会話をしているのでね。僕のことは気にせず続けてくれ」
「コイツ、オマエの知り合いかよ?」
「う……ま、まあそんなとこ……」
曖昧にはぐらかす。
顔見知り――露伴先生は視線を泳がせる私にフンと鼻を鳴らして、すぐそばのベンチにどっかと座りこんだ。
スケッチブックを広げると、おもむろに鉛筆を走らせ始める。
彼にはなにをしているのかわかっていないようだが、私にはすぐにわかった。
私たちをスケッチしているのだ。
露伴先生を見つめる私と彼の間に困惑げな沈黙が走る。
どうすればいいのかわからずにうろたえていると、露伴先生は鉛筆を止めて私たちを見た。
「どうした。早く続けてくれよ。今後の漫画の資料にさせてもらうからさ」
「なッ! おい、俺たちを描いてんのか、それ!」
「そう言ってるだろ。なに、邪魔はしないから早く続けてくれよ。くん」
露伴先生が顎をしゃくって続きを催促する。
邪魔もしないもなにも、私には言えることはないのだ。
早くここから立ち去ってしまいたいが、露伴先生と彼に見つめられて言葉に詰まる。
拳を握って俯く私を、露伴先生が鼻で笑う。
「ほう。の場合はそういう反応をとるのか。不満も言えず、惨めだな。それで元恋人はどんな醜い表情をするんだ?」
「言わせておけば……! おい、勝手に描くなよ!」
「……勝手なのは貴様のほうだ」
鉛筆をもつ手を彼に捕まれた露伴先生が、地を這うような低い声をしぼりだした。
いつも通りの不遜げな表情こそ浮かべているものの、瞳に獰猛な獣のような怒りが宿っている。
その形相に、彼はぞっとして気圧されたようだった。露伴先生の腕を掴んでいた手を離し、数歩後ずさる。露伴先生はそんな彼に鼻を鳴らし、悠然と立ち上った。
「いいか、コイツはぼくのアシスタントだ。つまりぼくのものだ。ぼく以外が批判することは許さん! それを貴様は、言うにことかいて『ガキ臭くてドジで女らしさのかけらもない間抜けのバカ野郎』!? 言ってくれるもんだなぁ!」
「そ、そこまで言われてません」
「うるさい! きみは黙ってろ!!」
怒鳴りつけられ、びくっと身体がすくんだ。道の往来での激しい怒声に、通行人が立ち止まって私たちを見やる。
傍からはとんでもない修羅場に見えることだろう。あながち間違ってはいない。
噛みつかんばかりの剣幕でまくしたてる露伴先生。私はその様子を、立ちすくんで見つめていることしかできない。
「まあ、正しいさ。確かにはガキ臭いしドジだし女らしさのかけらもなければこらえ性もないし間抜けのバカ野郎で文句ばっかりの可愛くない女だよ。だがな」
露伴先生はそこでいったん言葉をとめた。
キスが出来るんじゃないかってぐらい彼に詰め寄る露伴先生の表情は、私の位置からじゃあ確認できない。
でも、声の迫力からして、表情は容易に推測できる。
「―――――なんだよ。このどうしようもない間抜け女は、それだけで価値がある。貴様みたいなセンスの悪い凡人にはわからんだろうがな」
最初の囁きは、ぼそぼそして聞き取れなかった。
だけど、その後の言葉からすると、一応は褒めてくれたみたいだ。
彼は露伴先生の迫力に圧倒されていて、息もできなくなっている。
フン! と鼻を鳴らすと、露伴先生が私に向き直った。彼に向けていた不機嫌そうな獰猛な瞳が、今度は私に向けられた。
「だいたい、! きみもきみだ!」
「えっ!」
指をずびしと突きつけられ、思わず『気をつけ』の姿勢になってしまう。
「付き合い始めたころは有頂天になってたからさぞいい男なのかと思っていたが、外見も内面もとんだクズじゃないか! 常々審美眼のないドサンピンだと思っていたが、ここまでとは思わなかったぞ!」
「ご、ごめんなさい」
「ごめんなさいで済んだら警察もなにも要らないんだよ!! ああもう、そもそも今日ぼくはきみと二人で取材に行く気だったんだ、それをきみが恋人がデートだなんだっていう勝手な理由で断ったくせにこんなクソッタレに言いように罵倒されてるなんて僕に対する侮辱だぞ今日は厄日だよ本当にな!!」
一息にまくしたてた露伴先生はぜいぜいと肩で息をすると、つかつかと私に歩み寄った。
殴られそうな勢いに思わず目をつむる。だけど予想していた衝撃は来なくて、代わりに手首を掴まれた。
露伴先生の指が凍えるほど冷たくて身がすくんだ。真冬に指を出してスケッチしていたんだから、当然だ。
「もういい。行くぞ」
「お、おい、どこいくんだよ!! センスないだのクソッタレだの散々人のこと罵りやがって――ヒッ」
露伴先生がぎろりと睨むと、彼は肩をはね上げた。いまの露伴先生なら目だけで猛獣を殺せそうだ。
私が睨まれてもそうなるとわかっているのに、居心地悪そうに地面に視線を落として道を開ける彼がひどく情けなく思えた。つい先ほどまで彼の隣に収まっていたことが信じられない。
露伴先生はそんな彼をわずらわしげに一瞥すると、私の手首を引っ張って足早に歩きだした。
氷のような指が、私を押さえつけて離さない。
露伴先生に連れられるまま、人混みを抜け、道端のイルミネーションを通りすぎていく。
どこまで行く気なんだろう。どこに行く気なんだろう。
「せ、せんせい、指、痛い……」
露伴先生はわたしの言葉を無視して、握りしめる力を強くした。
わたしを掴む冷たい指が暖かくなるにしたがって、我慢していたものが溢れだしてくる。
「うっ……うう……」
「……泣くなよ! あんな野郎にフラれたぐらいで」
「ごめ、なさ」
露伴先生の声はかすれていた。さっき、大声で怒鳴っていたからだ。
手首を引っ張られながら、もう片方の手で涙をぬぐう。止めようと思っても嗚咽は止められない。
しゃくりあげながら露伴先生にくっついていく。この光景は、他の人からはどう見えてるんだろう。
「~~ッ本当にきみを見ているとイライラする! 泣くんだったら、ぼくのことで泣けよ!!」
不意に露伴先生が立ち止まって、私のほうを振り返った。突然だったので、私はあやうく露伴先生の体に突撃しそうになってしまった。
「きみはぼくのアシスタントだろ。なら、くだらないことに囚われるんじゃない」
眉をしかめ、表情を歪めている露伴先生の気分は最悪だ。私のために怒ってくれていると思うと、また私の目から涙がこぼれる。
この人は泣いてる人間の慰めかたなんて知らないんだろう。普段横暴だからこそ、不器用な優しさが骨身に染みる。
「ろ……はん、先生ぇ~~」
「だ、だから泣くなって言ってるだろ……!」
「ごめんなざい、わたじ……!」
たまらなくなって胸に抱きつくと、露伴先生の体がはねあがるのがわかった。
往来でやることじゃない、そもそも付き合ってない人に抱きつくのはよくない。わかっちゃいるけど止められない。
「わだじ、ろばんぜんぜいにいっじょうづいでぎまぶ」
「おい、何言ってるんだよ? 全然聞き取れないぞ」
「わだじ、いっじょー露伴先生にづいで行ぎまず!! わがまま言われでもいままでいじょーにできるがぎりこたえまずッ!!」
「……きみな」
鼻声で濁音だらけになりながら叫ぶと、呆れたようなため息が聞こえた。
背中に腕が回されて、ぎこちなく撫でられる。
頭を胸に押し付けられて、鼻水がすこしコートに着いてしまった。慌てて身を離そうとするも、露伴先生の腕がさせてくれない。
「……コート、後でクリーニング代もらうからな。それまではこうしていてやる」
先ほどすさまじい剣幕で怒鳴っていたような人とは思えないほど柔らかい声だった。
寒さと緊張で強張っていた肩から、とろけるように力が抜けていくのがわかる。
どうせ後でお金払うならと思って、私は泣きながら露伴先生の胸板に頬をすりよせた。
フラれたばかりだというのに、移り気だと思われるだろうか。それでも、たどたどしく背中を撫でる手つきが心地よかったことは否定できない事実だった。
***
思いきって髪をばっさりと切り落とした。
頭がすっきりすると、心の奥の部分にも風が吹き抜けるようなさわやかな気分になる。
目のクマを化粧で隠せばそれでもう、表面的には元通りの私になった。
「もしもし? 露伴先生? 今お仕事中……じゃあないですよね、電話に出るってことは。今から会いません?」
「……ずいぶんと急だな」
「先生と違って五分で来い! なんて要求しないだけ親切ですよ」
携帯電話越しにくぐもったため息が聞こえた。
そういえば自分から露伴先生の電話に掛けるのは、コレが初めてだ。ガラになく緊張して声が上擦りそうになる。
努めて平静を装って、電話に声をかける。
「ご予定があるんでしたら、別に構いませんよ。大した用事があるわけじゃあないですから」
「……いいよ、行ってやればいいんだろ。どこに行けばいい」
「ホント!? じゃあ、カフェ・ドゥ・マゴまで来ていただければっ」
「15分で行く。間抜け面で待ってろ」
ブツリと電話が切れた。
そっけない物言いだけど、クリスマスの一件を気遣ってくれていることはわかる。
結構、心配させてしまったのかもしれない。
短気な露伴先生と言えど、あんなふうな剣幕で怒鳴っているところは初めて見た。それも私のために、だ。申し訳ないけど嬉しいというのが本当のところだ。
カフェ・ドゥ・マゴの窓際席で紅茶を飲みながら待っていると、ややあって露伴先生がやってきた。
クリスマスの時とは違うコートを着ているのは、クリーニング中ってことなのだろう。
「いきなり呼び出したのに、来てくれてありがとう。露伴先生」
「ちょうど取材がてら散策に出ようと思ってたからな。それで、何の用だ」
「臨時収入がはいったので、この前のお礼もかねてごちそうできたらなって。おごりますんで好きなもの食べてくださいよ」
「きみにおごられるほど落ちぶれちゃいないさ。あ、ダージリンのストレートを頼む」
「かしこまりました~」
「遠慮しなくってもいいのに……」
「貧乏人がムリしなくていいぜ。クリーニング代でいっぱいいっぱいだろ」
クリーニング代でせちがらくなるほど、落ちぶれちゃいない。失礼な。
悪態をつきながら紅茶を注文する露伴先生にため息を吐いた。
なんとなく、露伴先生が私との距離感をはかりはぐねている気配がする。嫌味にいつものパンチ力がないのだ。
露伴先生の視線が胸元に集中してて、居心地が悪い。いやらしい意味ではなくて、単にここ数ヶ月常に身につけていたペンダントをしていないからいぶかしんでいるのだ。
私の視線に気づくと、居心地悪そうに息を吐く。ごまかすように露伴先生は口を開いた。
「……失恋したから髪を切るなんて安直だな」
「スッキリしたかったんですよぅ。似合ってます?」
「65点」
「……びっみょー。お世辞でもいいから褒めてよ、露伴先生」
「ま、前のヘンに伸ばした髪よりはいいんじゃないか、その髪形」
露伴先生は運ばれてきた紅茶に口をつけながら、私から目をそらした。
目もとが赤くなっているのは、寒い街中を歩いてきたばかりだから……それだけではないはず。いや、ないはずだ。そう思いたい自分がいることに呆れる。
露伴先生の紅潮した肌に背中を押されるカタチになりながら、私は口を開く。
「じゃ、これからはずっとこの髪形でいますね」
「……人に言われて変えるなんて、主体性がない証拠だ」
「私に主体性があったら、とっくに露伴先生と喧嘩別れしてますよ。柔軟な思考、と言ってください」
眉をひそめる露伴先生の表情は、照れてるってことだろう。都合にいいように解釈して、私は曖昧に笑う。
胸元をさぐろうとしたら空気をかすめるだけだった。
無意識の所作はすぐには変わらない。露伴先生はキュッと目を細めた。
「いつもつけてた趣味の悪いペンダントは、つけてないのか」
「さっき質屋に売っぱらってきました。しばらくは胸元の軽さを満喫しますよ。男性からの贈り物はこりごりです」
胸元をさぐりながら笑うと、露伴先生は不機嫌そうに息を吐くと眉根を寄せた。
なにか、怒らせることを言っただろうか。
回想してみるも心当たりはない。
むすっとする露伴先生に居たたまれなくなって、私は慌てて話題を変える。
「そ、そうだ! 今さらですけど、クリスマスプレゼントがあるんですよ。これ、よかったらどーぞっ」
「これ、日本未発売のDVDじゃないか。しかもプレミア限定版……と、さらにアイリーンの画集か!」
「露伴先生、お金持ってるからなに差し上げれば喜んでくれるのかなって毎度悩みますよ。今回のはどーですっ?」
「……まあまあだな」
そう言う口元は緩んでいる。かなりガッチリハートを掴めたみたいだ。机の下でガッツポーズ。
「だが、あいにくなんだがぼくのほうはプレゼントを用意してなくてね」
「わかってますよ、それぐらい。年末でお仕事もお忙しいですしね」
「……だが」
露伴先生は鞄の中身をあさった。そう言えば、普段カメラとスケッチブックと筆記用具しか持ち歩かない露伴先生が、珍しく鞄を持っている。
鞄から取り出した黒いケースを、先生は乱暴に机の上の放り投げた。
手元まで滑ってきたのは、シルバーのペンダントだった。
「どうしたんですか、これ。すごく綺麗」
「女キャラの装飾品の参考の為に買ったんだが、欲しいならやってもいいぜ」
「す、素直に受け取りにくい言い方をしますねーっ」
「胸が軽いままで居たいなら、無理に受け取れとは言わないがな」
露伴先生は鼻を鳴らした。無意識のうちに胸元を撫でる手を睨んで、紅茶に口をつける。
もしかしてさっき不機嫌になったのは、男性からの贈り物はこりごりなんて言ったからなのかな。
とすると、私に渡す気で買ってくれたのかな。この深読みが正しいか自信がない。
深読みがあってたらいいな、と思ってしまう私がいるのは確かだ。
「……露伴先生、ペンダントを異性に贈る意味ってわかってるんですか?」
「あぁ、束縛したいってヤツか。ま、相手が常に身につけるものをプレゼントするって時には、本来の意味はともかくとしても贈る側には少なからず恋愛感情だとかが絡んでいるものだよな」
「やっぱり知識としては頭に入ってるんですね」
「なんだ? きみを束縛させてくれ、なーんて言ってほしいのかい」
露伴先生が意地悪く笑う。
意識している自分が馬鹿らしくなって、私はごまかすように紅茶に口をつけた。
「贈り物の意味で言うならピアスなんかが面白いぜ。魔除けの意味があるんだが、恋人同士が二対のピアスをひとつずつ耳に着ける場合は、意味合いがちょっと違う」
「どういう話なんですか?」
「男は『愛する女を自分の勇気と誇りに賭けて守る』って意味を込めてピアスを左側に、女は『その思いに応える』って意味を込めて右側にピアスをつけるのさ」
「へえ! ロマンチックですね。男性が左で女性が右なのには意味があるんですか?」
「男女で並ぶと、男は左側で女は右側になるだろ」
「あぁ、なるほど。面白いですねー」
「もっともぼくたちの場合は、自然にぼくが右側できみが左側になることが多いから、ピアスもそうすべきなんだろうがね」
「ああ、それもそうですね。……え?」
ケーキを食べる手をとめて露伴先生を見やる。
その瞳は笑っていなかった。
「欲しくなったら言え。気が向けば片方やるよ」
先生の耳元で、Gペンのカタチをしたピアスが揺れる。
それは――それって。
困惑する私がなにも言えないでいると、露伴先生の視線が私をすり抜けた。
私の後ろに視線をやって、露伴先生は苦虫をかみつぶした表情になる。
「? 後ろに何か……?」
「振り向くな!」
先生の制止はすこし遅かった。私は見てしまった。
背後の窓越しに楽しそうに街を歩く「彼」がいた。
傍らには知らない女の子が寄りそっている。かわいい女の子は私とは対照的に派手な格好で、彼の好みを如実に表しているようだった。
ぼんやりと観察していると、露伴先生がため息を吐く。
「……忘れろ。あんなクソッタレのことなんか――」
「ごめんなさい、すこしの間失礼します」
「おい、くん!?」
露伴先生の隣をすり抜けてカフェを出る。
間抜け面の彼につかつかと歩み寄ると、途中で気付いた彼はうげっと心底焦ったような表情をした。私を見たからじゃない、私で露伴先生を連想したからだろう。
にっこり笑うとすこしだけほっとしたように彼が笑った。傍らの彼女は、怪訝な目で私を見つめている。
生まれて初めて他人の頬を叩いた。
「ッ……いきなり何しやがる!」
「触らないで。お呼びじゃないのよクソ野郎」
彼の手をはねのけてヒールで思いきり足の甲を踏みつける。
痛みに叫ぶ彼を放置して、くるりと踵を返して颯爽と歩き去る。前を向いて、後ろなんて気にも留めない。
カフェで待つ露伴先生のところに戻ると、先生は目を丸くして驚いていた。
「……きみにあんな度胸があるとはな」
「やる時はやります、というところですかね。漫画の参考にしてもいいですよ、今の私の顔」
「あぁ、『吹っ切れた女の顔』として、最高にイイ表情をしてるぜ」
相手が康一くんならいざ知らず、露伴先生が素直に私を褒めることはあまりない。
思わず照れ笑い。よっぽどすがすがしい表情だったんだろうか。
彼に会ったことで、ふと思い出すことがあった。疑問をそのままにしておくのがすわり悪くて、私は口を開く。
「そういえば、あの時、『どうしようもない間抜け女はそれだけで価値がある』って言ってましたけど、なんのことなの?」
「あ、あぁ、それは――」
「それは?」
「……イタリア料理を作るのがうまい」
「ウソでしょ。私イタリア料理ロクに作れませんよ」
「自分で考えろ、それぐらい。気が向いたら教えてやる」
憮然として目をそらす露伴先生は面白くない。
でもまーいいやって思った。
窓を見ると、かわいらしい鳥が飛んでいて目を奪われる。最初はスズメかなにかかと思ったけど、それにしてはスリムだ。
赤い目をした褐色の羽根に白いお腹……どこかで見た気がする。図鑑だ。
「えッ!? あれヒメクイナじゃないですか!?」
「ヒメク……ドイツの? ほ、本当だ! なんで日本にいるんだ! 写真――いやスケッチだ!!」
露伴先生は即座にスケッチブックを開き、窓の外を凝視しながら手元を見ずに鉛筆を走らせる。
私も持ち歩いているデジカメに納めようと躍起になる。と、邪魔だ、と言われ押しのけられた。
ドイツ沿岸に分布し、冬にはインドに飛び立つ渡り鳥はしばらくするとその体を青空に溶かして行ってしまった。
「あー、飛んで行っちゃった! でもすごいですね。日本にも北海道とかには来るらしいですけど、まさか杜王町になー」
「温暖化の影響かもな。しかし、まさか杜王町でスケッチ出来る日が来るとは……! でかしたぞ、くん!」
「やりましたね。今日はいい日ですね、ホントに!」
「……こういうところだ」
「え? なにが?」
「なんでもない」
首をかしげるも、教えてくれないので諦める。
スケッチブックを覗きこむと、描いたばかりのヒメクイナの横に、私の泣きそうな顔があった。
クリスマスの時のものだろう。彼のスケッチもある。
「なんか……私、すごい容赦なく緻密にぶさいくに描かれてますね」
「そりゃそういう表情だったからな」
「描き直してくださいよ。消してとは言いませんから、隣に今の私のすっきり笑顔描いてください」
「やだね」
「えぇ、ケチ」
ふてくされながら、すこしぬるくなった紅茶を飲む。先生が机に置いたペンダントが視界にはいって、思わず手に取る。
そういえば、ペンダントの話の最中だった。
「そうだ! さっきの続きですけど。このペンダント、ありがたくいただきますね。いいですか?」
「構わないぜ。だが、いいのかい? 男からの贈り物はコリゴリなんだろ」
「だって、私は先生のものなんでしょう? ならペンダントがあってもなくても一緒です」
表情が動きそうになるのをこらえて、さらっと気軽に言ってやる。
「そんで、そのピアスは頼まれても欲しがりませんから。私、ピアス穴開けるのイヤなんで」
言いながら紅茶を一気に飲み干す。
顔が熱いのは紅茶の熱さのせいです――ってふうを装おうとしたけど、紅茶はすっかり冷めてしまっていたので無意味だった。
呆気にとられていた露伴先生が苦笑する。
「きみって、本当素直じゃないよな」
「先生に言われたくはないなぁ」
頬杖を突いた露伴先生が、私の胸に下がるペンダントを見て満足そうに笑った。
「ま、きみは一生僕についてくるみたいだし、ならピアスがあってもなくても一緒だもんな」
紅茶を飲む手が止まる。
そう言えば、勢いに任せてそんなことを口走った気がする。
「……もしかして、先にプロポーズしたのって私?」
「なんだ、アレはプロポーズだったのか?」
フラれた五分後に他人にプロポーズなんて、なかなか手が早いじゃないか。
そう言って鼻で笑う露伴先生に思わず赤面して舌打ち。
でも、露伴先生のそういうところも嫌いじゃないんだから、つくづく私ってイカレてる。
二人して見つめ合って、耐えきれずに腹を抱えて笑う。
恋とか愛とか男とかはしばらくコリゴリ。そう思うし、フリーになったばっかりだっていうのに、早くも胸に空いた穴が埋まりつつあるのも事実だった。
悔しいし簡単な女って思われたくないから露伴先生が折れるまでは言ってはやらないけど!
2013/5/30:久遠晶
もしいいね!と思っていただけましたら送っていただけると励みになります!