岸辺露伴大先生
「お前の書く小説は本当にリアリティがないな」
先日出版した文庫本をテーブルの上にぽふんと置いて、露伴先生は心底あきれ果てたように私を見下した。
挨拶もなしに、アポすらなしに人の家に上がり込んでおいて、まったく不遜な物言いだ。わたしはマグカップに紅茶をそそぐ手を止め、ぱちぱちとまばたきを繰り返してしまう。
リアリティがない、といわれても、リアリティが必要になる話を書いていないんだから仕方ない。批評を受け止める受け止めない以前の問題で、露伴先生の指摘は的はずれだ。
言われた言葉をそっちのけてわたしの胸にはある疑問が浮上する。
「先生、どんな顔で私のBL本読んだんですか」
「そう、男同士の……つまりアナルセックスなんだから慣らす前に腸内洗浄が必要になるだろ? もうちょっと取材したまえ。それに極道の描写もな……」
「読者層的にそういうリアルは要らないんですよ。もうちょっと勉強したまえ」
言葉を返すと、露伴先生は眉をへしまげて私を睨んだ。の癖に生意気だ、という心の声がありありと聞こえる。
文庫本にちらりと視線を落とす。新人のイラストレーターさんが描いたきらびやかな男ふたりが、いがみあうようにしながら抱き合っている。帯広告には作中の口説き文句が引用されていて、正直レジに持っていくのにすこし勇気がいる表紙だった。
露伴先生は、そういう人の目は気にしなさそうだ。いつも通りしれっとした顔をして買ったのだろう……。
「感想はそれだけ? わたしも、依頼じゃなきゃ書きませんでしたよ…………あなたに読まれるならね………」
「きみみたいな駆け出しが読者を選り好みする気かい」
「男同士のうふんあはんを知り合いの男に読まれたあげくに面と向かってリアリティがないって言われる身にもなってください!」
「書いたものを恥ずかしがる感覚はぼくにはわからないな」
こいつセクハラで訴えてやろうか。
照れているのはわたしだけらしい。作中の恋愛描写を指して『こういうふうに口説かれたいのか』などと揶揄してこないだけ、露伴先生はましだ。やはり本人も作家だからだろうか、作者と作品を分けて考えてくれるのはありがたい。
「ドキッ?男だらけの花園~魅惑の極道編~というタイトルも気に食わん。作品のテーマがブレる」
「それは編集がつけたもので……うん? 作品のテーマ?」
「男同士の恋愛で隠れちゃいるが、被虐待児童の問題にも切り込んでるだろ。君が本当に書きたかったのは主人公たちの恋愛じゃなくて、ライバルキャラの生育環境だったんじゃないかい」
「……よく読み込んだんですね。わからないようにしたつもりなのに」
「濡れ場の違和感よりも、そこが一番胸に残ったからね。だがやり方が気にくわないな。主人公の過去にしてしまえば作品の完成度も上がったろう」
それはできなかった。
あくまでエンターテイメントだから、あまり重たい話や社会的な提唱が主軸になると売れない。それが編集の意向で、逆らえなかった。
わたしにできたのは、本当に書きたかったテーマを分散させて混ぜ込むことだけだ。伝わる人には伝わるように、読み込もうとしてくれる人には届くように、細かく、さりげなく問題提起を入れ込む。
「それで『どっちつかずの話』になってるんだから、きみの技量が見えるってものだ」
結果として完成度が低くなっていることはわかっていた。これは、書き手としてのわがままだ。本当なら、無理にこの件に固執せず別の場所で発表するべきテーマ。
露伴先生の指摘はもっともだと思う。的確で、痛い場所を突いてくる。
「それかいっそライバルと主人公をカップリングにさせるかだな」
「それも考えたんですけど、編集の意向で」
「出版社の意向に振り回される立場は厄介だな」
人気作家はあれを書けこれはダメだと言われたこともないんだろう。私は苦笑した。これきりで、次のチャンスがなくなるかもしれない恐怖も、きっと感じたことがないのだろう。
一人の作家として、嫉妬してしまう。
それでもこの人のはっきりとした物言いを、私は嫌いではなかった。人間性はともかく、この人は私よりもずっと高みにいる大先生だ。
2015/06/15:久遠晶
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