山岸由花子は共に浮き立つ
岸辺の存在が気になりだしたのは一ヶ月ほど前のことだ。
放課後の体育館裏で彼女を待ち構えながら、山岸由花子はぼんやりと考える。
隣のクラスの広瀬康一を目で探すうち、由花子はの存在を知り、そして鼻についた。
自身はスタンド使いではないものの、の兄はスタンド使いの漫画家であり、その縁があって仗助や億泰とも交流が深い。康一とも浅からぬ縁だ。
康一とが親しいと知った当初由花子は振られたばかりであり、由花子が康一の交友関係に口を出す筋合いはなかった。だから我慢していた。
なにより康一との間に恋愛感情がない、と理解できたからだ。
だが今は違う。
由花子は康一の恋人であり、男女間の行き過ぎた友情には口を出す権利がある。
以前のように、聞く耳持たずに他者を泥棒猫扱いする気はない。ただ穏便に『わかってもらう』だけだ。恋人のすぐそばでじゃれつかれるのがどれほど嫌なものなのかを説明し、距離をとってもらうようお願いするだけだ。
しばらく空を見上げて待っていると、が小走りで体育館裏にやってきた。そのドス黒い瞳が初めて由花子を直視し、丸くなる。
「こんにちは。ええと、確か隣のクラスの由花子さんですよね……。どういったご用件でしょうか」
「単刀直入に言うわね」
「はい」
「康一くんのことどう思っているの?」
「はあ」
は間の抜けた言葉を出した。この分では由花子の意図を察しては居ないだろう。由花子は唇をなめ、続ける。
「言葉が悪かったわね。その、私と康一くんが付き合いだしたことは……」
「知ってます。仗助さんたちと一緒に、康一さんから顛末を聞きました。末永くお幸せでいるようお祈り申し上げます」
「あ、あら?」
恭しくそう言うと、は深々と頭を下げた。
由花子は毒気を抜かれてうろたえてしまう。今回が会話するのははじめてだが、思っていたよりもいい子なのかもしれない。
康一の友達なのだから、そりゃあ悪い人間ではないはずだ。と考え始めたところではっと我に返る。ぶんぶんと首を振って気を取り直した。
「あまり康一くんに近づかないでほしいの」
「はあ……はあ。近づきすぎてますでしょうか」
「しらばっくれないで。見たのよ。この前の帰り」
「この前?」
首をかしげたあと、はああと手を打ち合わせた。
三日ほど前、と康一が一緒に帰っている現場を見てしまった。単なる下校風景なら由花子もとやかく言わないが、その日は雨で――ふたりは相合傘をしていた。
思い出すだけで目元がびくりと脈打つ。胸から怒りがこみあげ、ぐつぐつとマグマが煮えたぎる。
澄ました表情は限界だった。仮面は決壊して本心が土石流のようにあふれ出す。
「どーしてッ! この私が付き合ってからは康一くんとキスもしてないのにッ! 単なる友達のアンタが仲睦まじく相合傘なんかしちゃってるのよッ!!」
「は――はぁ」
「それだけじゃないわッ! あんた、ふらついたふりして康一くんに寄りかかったでしょうッ!! 腕抱きしめて媚売って!! ビチグソ女の泥棒猫のくせにッ!!」
ひとしきり叫んで肩で息をする。思いのたけをぶちまけたら感情が冷静になった。
なんて下品な言葉を言ってしまったのだとはっとする。由花子は怒りっぽい自分を好きではないが、そうさせたのは相手なのだから自分は悪くないと思う程度には利己的な人間である。
は俯いていた。太陽がの顔に影を作り、その奥のどす黒い瞳が深刻みを増した。
「仮に私が泥棒猫だったとして、山岸さんは――」
「な、なによ」
先ほどのぼんやり顔とは違う。
チャンネルが切り替わったかのような変化に由花子はうろたえる。
さんさんと照りつけていた太陽に雲がかかって薄暗くなり、周囲でカラスが泣き喚く。
「私ごときに康一さんがなびくようなだらしのない男性と言いたいんですね?」
「は?」
眉をしかめる由花子に、が一歩踏み出した。そのままズンズンと歩を進め由花子に近づいてくる。
その迫力に、とっさは由花子もラブ・デラックスを発動させた。髪の毛がうねる。
「なによ。あんたなんかに康一くんがなびくなんて、あるわけないじゃない」
「じゃあどうして私に近づくななんていうんですか? 康一さんがそんな人じゃないと確信してるのに私に牽制をかけてくるということはそういうことですよ。あなたは私が怖いんです。康一くんが取られやしないかと。それは康一くんに対する明確な侮辱ではないですか」
「そ、そんなわけあるわけないでしょうッ! あんたなんかにッ!」
「そんなわけあるわけないんですから自信もってください。山岸さん」
ぱし、とが由花子の手をとった。冷たさが皮膚にしみり、反射的にラブ・デラックスで跳ね除けようとしていた由花子の身体から力が抜ける。
「あなたは素敵なかたで、康一さんも素敵なひとです。昔色々あったそうですから不安な気持ちもわかります。だけど、大丈夫ですよ」
「あんた……なんなの。なんなのよ……」
由花子の力ない呟きに、はくすっと笑った。頬を歪ませたぎこちない笑みは、彼女が普段笑うような人間でないことを示している。
――こんな女に康一くんと相合傘の先をこされたなんてあんまりだわ。
由花子は確かにそう思った。
目の前のどす黒い目をした少女はスタイルだってよくなければ表情もかたくて、ホラー映画の悪霊のような不気味な雰囲気さえある。あまり友達にはなりたくないタイプだ。実際、が女子に囲まれているところはみた事がない。隣のクラスだからだろうか。
――こんな女より、私のほうが綺麗だし美しいわ。
見下すでもなく、冷静に判断する由花子がいる。それを見下しと言うのならばそうなのだろう。
「おはなしぐらいなら聞きますよ。愚痴とか、のろけとか」
由花子の心中を知ってか知らずか、は由花子を気遣う言葉を吐き出した。
それがいやで、由花子はから目をそらした。
「私、山岸由花子……あなたは?」
こんな女! と思うのに、掴まれた掌の冷たさは不思議と心地よかった。
胸をしゅわしゅわと溶かすような冷たさに身を任せて、由花子はにはにかんでいた。
「それでね、その時の康一くんがほーんとかっこよくって……!」
「山岸さんって意外にマシンガントークですね……」
学生たちの憩いの場、カフェ・ドウ・マゴでと共にパフェを食べる。太陽の光がおりるテラス席は明るく暖かだ。
康一への熱い思いを吐き出していると、は話を聞きながら驚いたように目を開いた。
のパフェはあらかたなくなっているが、由花子のパフェはあまり進んでいない。話に熱中していたからだ。
「意外に、ってなによ」
「もっとおしとやかなイメージでした」
「私がおしとやかじゃないですって」
「体育館裏で眼輪筋ぴくぴくさせてたときは特におしとやかではありませんでしたよ」
「う……そりゃああんたが、」
冷静に指摘され、うっと言葉に詰まる。言い訳がてら悪態のひとつでも吐こうと思ったものの、言葉が出てこない。
気まずくなってを見やると、どす黒い目と視線があった。
思わずくすりと吹き出してしまう。
「……あんただって、イメージどおりってわけじゃあないわよ」
「そうですか?」
「もっと引っ込み思案なイメージだったわ」
話しかけないかぎり喋らない、無口で引っ込み思案な少女。それが、康一を眺めている時に一緒に視界にはいっていたのイメージだった。
だからこそ穏やかで温厚な康一と仲良くなり、も康一に惚れてしまったのだと思った。
だが実際は違ったようだ。
はアイスティーを飲みながら、んん、と視線を宙に飛ばして考え込む。
「引っ込み思案……ってわけじゃあないかな。怖いものはあんまりないです」
「なにが怖いの?」
「虹村センパイとか怖いかな」
「虹村……形兆?」
はこくんと頷いた。
あまり話したことはないが、形兆は由花子をスタンド使いにした人間で、その点だけで言うなら由花子の恩人だ。
「でも、一緒のところをよく見かけるけど……あッ! もしかして、あなた虹村形兆が好きなの?」
「はい?」
恋の予感に由花子はずいっと身を乗り出した。困惑気に瞳をまたたかせるしぐさに思わず顔がにやつく。
「ね、ね、言ってみなさいよ。虹村形兆のどこがいいの!?」
「えっと、その、あの、誤解です……恋とかなんとか、私にはまだ早、」
「歯切れ悪いってことは恋よ。つい目で追うでしょ、虹村形兆のこと!」
「そりゃ大きいから目立つし話しかけもしますけど……」
「じゃあ恋よ」
大真面目に、自信満々に言い切る由花子にはあきれた表情をした。唇が動かない代わりに、は視線で物を言う。
あからさまな溜息も由花子は気にしない。パフェにぱくつき、お澄まし顔で笑いかける。
「なにかあったら相談乗るわよ。恋と決まったらがつっといっちゃいなさいがつっと」
「恋って決めてません」
「あんたって強情ねー」
「山岸さんに言われたくはないかな……」
ははあ、と困ったようにぎこちなく笑った。ぎこちなくとも、笑って見せればぐっと愛らしくなる。
もったいない。
なんとなく、のことを放っておけない自分に気付いた。
は一般的な聞き上手と呼ばれる類ではないが、全霊を傾けて話を聞いてくれる。静かに頷いて聴いてくれるのが、こと情熱的すぎる由花子の性質とは反していて、そこが妙に心地よかった。
じっと見つめていると、が首をかしげる。その拍子に、の背後の影に見知った影を見つけた。
「あっ、虹村形兆」
「え?」
が振り返る。
形兆が気付いて、と由花子を見やって会釈した。はぎこちなく手を振り返す。
この程度の出会いで終わらせていてはもったいない。由花子は形兆にこちらに来いと合図する。
「や、山岸さん」
「いいじゃない、別に」
「珍しい組み合わせだな……どうした?」
「があなたに用事だって。あ、私はもう帰るから」
やってきた形兆ににっこり笑う。小銭を机の上に出して、が止める前にさっと退散する。
店内を通って出入り口から外に出た。太陽がぶわっと由花子のうえから舞い降りてくる。
なんとなくいいことをした気になって、由花子の唇は自然と弧を描いていた。
三日前相合傘を見てしまったときの怒りは既になく、かわりにすっきりとした爽快感が胸にあった。
***
「……で、用ってなんだよ」
先ほどまで由花子が座っていた椅子にどっかと座り込んで、形兆はを見やった。
はいつも通りのどす黒い瞳で形兆を見つめながら、困ったように肩をすくめた。
「特にありません。……その、山岸さんにはよからぬ勘違いをされてしまったようで」
「勘違いィ?」
首をかしげながらの飲んでいるアイスティーに手を伸ばす。
「私が虹村センパイに惚れてるって」
「んぐ……ッ!!」
飲み込もうとした瞬間の発言に噴出しそうになってむせ返る。ごほごほと咳き込むと、慌てて紙ナプキンを渡されて恨めしくなる。
の瞳に羞恥心はなかった。
「いき、なり、どうし、たんだ」
「虹村センパイには嫌われたくないなって言ったら、恋じゃないのか、と。おかしな人ですね山岸さんは」
「お前にゃあ言われたかないと思うぜ~ッ……」
首をかしげたの髪が、さらりと揺れる。
それをみていると胸がむずむずした。
「……お前は俺に嫌われたくないのか?」
「ええ、とても」
「嫌われたくなければ付き合えって言ったらどうする」
「ご同伴できる範囲であれば付き合いますよ。スーパーの買出しですか?」
「俺がバカだった」
あからさまに溜息をつくと、困った顔で首を傾げられる。
とんでもない人間にとんでもない感情を抱いてしまったと、改めて思う。
形兆が手を伸ばすと、はそっと頭を形兆のほうに差し出してきた。頭を撫でられるの感情は形兆にはわからない。
俯いた表情は髪の毛で見えない。だが、通常通りの黒くにごりきった目をしていて、顔にはなんの感慨も浮かんでいないのだろう。
心も、いつも通り冷え切っているはずだ。
――それでも、形兆に嫌われたくないとは言う。
理由はわかりきっている。好意ゆえではない。
「……クッ」
思わず、喉の奥で笑みが漏れる。
のよどんだ胸のうちなどわかりきっているのに、一挙一動に一喜一憂してしまう自分に自嘲する。
「好きなもん頼め、おごってやるよ」
「ご機嫌ですか、虹村センパイ」
が真っ黒な目に形兆を捉えて首をかしげた。心なしかその様子は嬉しそうで、形兆も目を細める。
今リストカットをねだられたら、ほいほいと切ってやれるだろう。そんな自分に嫌悪感がわかなくもないが、上機嫌には変わりなかった。
2013/8/29:久遠晶
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