生まれた理由
ごみの山と言えばごみの山だったし、宝の山と言えば宝の山だった。
人によって見方は変わるだろうが、そこにいくつものロボットの『抜け殻』が積み上げられている事実は変わらない。
郊外にあるロボット廃棄場は機械で出来たゴミためと化していた。リサイクルも進んでおらず、ただロボットが打ち捨てられるだけ。
廃棄されたロボットによる山を見上げて、自称天才科学者のワイリーはたたずんでいた。
彼にとってその山は、ごみの山でも宝の山でもない。
「いい気なものじゃ、人間は……」
誰に言うともなく、ワイリーはひとりごちる。
彼にとってのその山は、人間のエゴの象徴だった。
同じ心を持っていると言っても、イレモノが違うと思えば人間はどこまでも残酷になれる。
用が済んだら使い捨て。人間のロボットへの認識がよくわかる場所だ。
「ロボットには幸せになる権利はない、とでも言うつもりか」
――同じ心を持っている、というのに。
その言葉はかすれて消えた。
だが、聞いている『モノ』はいた。影の中に潜む自らの従者ではない、予期せぬ存在が。
「アナタは……フシギな方デスね」
ノイズ交じりの合成音声が、かすかに大気を振るわせた。
思わずワイリーは振り返る。ワイリーの足元、積み上げられたスクラップの中から顔だけを出したロボットから、その声は発せられていた。
「ワレワレはニンゲンのオ役に立つタメに造られマシタ。そんなワレワレを気遣ウナド……」
ぶりきのおもちゃと言う方がしっくり来るような、古い機械だった。
金属を繋ぎ合わせて作られた旧式の、量産型家庭用ロボット。
顔らしき金属から飛び出たふたつのサーチアイが、かすかに明滅している。
どうやら、たまたま電子頭脳が破壊されないまま廃棄されたらしい。一時的にスリープモードに陥っていたものの、ワイリーの独り言に反応して目を覚ましたといったところか。
「ふん。どうやら立派に、ロボット三原則に洗脳されとるようだの」
ロボット三原則、それはロボットに与えられた決まりごと。
すなわち、人を傷つけてはならず、人には従わなくてはならず、基本的には身を守ること――。
ワイリーはそれを嫌って学会を飛び出したのだった。ロボット三原則とはすなわち、ロボットの意思を侵害し、無視するものだったから。
だが、当のロボットは言う。
「ソレはワレワレに与えラレタ行動指針デス。行動を決めるモノであれド、行動を阻害サレルことにはナリまセンよ」
「その考えがすでに阻害されとるというんじゃ。お前、廃棄されるのが嫌ではないのか? 生きたいとは思わんのか? 人間が憎くはないのか?」
「ワタシは旧式デス。ココまで使ってイタダイテ喜びコソスレ、憎しみナンて」
ざざ、と合成音声にひときわ強いノイズがまじる。
身体の奥底から絞り上げていたエネルギーが底を尽きる音。
人間への献身だけをプラグラムされている以上、このロボットは自らの処遇を疑問に思わない。違う――『思えない』のだ、
他のロボットだってそうだ。『自分自身が納得したうえの最後である』と錯覚させられたまま、彼らは殺される。
これ以上の問答は無駄だと判断したワイリーは、身体のあちこちからノイズ音を発生させる家庭用ロボットを一瞥して、踵を返そうとした。
「デモ」
遠慮がちなその言葉で動きを止める。
「お前――」
「オ嬢サマノ手術……わからな……オ見舞……それだけ心残りデ――」
ブツブツと言葉が途切れる。
光を失ったサーチアイが、エネルギー切れを示している。
一人ロボット廃棄場に取り残されたワイリーは、ため息を吐いた。
***
――目を覚ませ――
……どなたですか?
――お前は自由じゃ――
どなた、なのですか?
――生きれるのじゃ、お前は――
暗い暗い闇の中に明かりを点した、貴方様は――
目を開けると、薄暗い部屋の照明と目が合った。
起き上がりながら、周囲を見渡す。
メンテナンス室なのだろうか、彼女は作業台に乗せられていた。
首を動かすと、部屋の隅に積み上げられたロボットの配線ケーブルやネジなどの部品が視界に入った。
ネジの一本一本、パーツのひとつひとつを、サーチアイが余すことなくくっきりととらえる。影の濃淡、色彩の細部にわたり、まったくぼやけることなく確認できる。
驚くほどに鮮明な映像が、電子頭脳へと届けられている。
古びた写真のようだった視界が、暗闇の中で光る水晶のように輝いて見えるのだ。
「目覚めたようじゃの」
聴覚センサーが、信じられないほどクリアに言葉を拾った。
首を回して声のしたほうに顔を向けると、サングラスをかけた白衣姿の老人と目が合った。
――どなただろう。どこかで会った気がする。
電子頭脳がまだ目覚めきっていない。起動中。
「ボディの調子はどうじゃ?」
老人が歯を見せて笑う。
作業台に乗せられた自分の下半身が、作業台の冷たさを感じている。
視覚、聴覚センサーもそうだが、触覚センサーはこんなにも敏感に作られていただろうか。
不思議に思って、自分の身体を見る。
人間だった。
いや違う、正確には、人間のようだった、が正しい。
金属の寄せ集めでしかなかった外観が人工皮膚に覆われ、人間さながらの丸みを持ち、髪の毛すら植毛されているのだ。
予測された外観と現実のズレは、彼女の思考に大きな衝撃をもたらした。
フリーズした電子頭脳がしばしの間ののちに活動を始め、事態を把握しようと動き出す。
《機体スキャン開始――》
《メモリに40%の破損あり》
《行動に支障無し》
《最終メンテナンス日より5分経過》
《体内エネルギー100%》
《電源:省エネルギーモード》
《最終命令:娘に会うな》
《現マスター:――――》
機体スキャンを終了した彼女は、停止させていたアクチュエータを再開させた。空気が肩にあるアクチュエーターのピストンに送りこまれ、結果として外からはまるで彼女が呼吸しているように見える。
「だいぶ動転しとるようじゃの。自分が誰かわかるか?」
老人が彼女に優しげに声をかける。返事が出来ない。
恐る恐る手を持ち上げ、自分の頬に触れた。
ふにゃり。
指先の触覚センサーが、頬のやわらかさとぬくもりを伝える。
「あ……」
唇から吐息が漏れる。
ああ、ああ。どういうことだろう。
はっきりと目覚めた電子頭脳は、自分が置かれていた状況と目の前の老人を知っている。
だけれど、同時に彼女の感情プログラムがそれを否定したがっている。
目の前の老人はテレビで時折報道される、極悪人のテロリストだ。
だけれどこの老人は、意識を失う寸前、自分に手を差し伸べた――。
「ワシがわかるか」
「あ……。わか、わか、ワカり、ます、アナタ、が」
喋り方なんて知らなかった。だけれど、喋り方を知っていた。
人工音声でしか喋てなかった彼女は、人工声帯を必死に震わせる。
言葉を知らない幼児のように唇を動かす。
つっかえながら何度も言葉をやり直し、必死に息を吐く。
吸い寄せられるように、老人の頬に手を伸ばした。
そして、たどたどしいながらもはっきりと言った。
「わかります、ワタシ、アナタが」
老人が満足そうに、嬉しそうに笑う。そして彼女の指に、枯れ木のような自身の指を重ねた。
どこか子供じみた笑みを、まぶたを開いて食い入るように見つめる。
まぶた、まばたき。そんな機能は、以前は搭載されていないはずだった。
ここにいる自分は自分だけれど自分ではない。新しい身体を得た自分は、いままでとはなにもかも違う。
視界が一瞬だけぼやけ、調整機能によってすぐにクリアになる。
頬の触覚センサーが、サーチアイからこぼれる洗浄液の感触を伝えていた。
伸ばした指先が老人の顔に刻まれたしわをなぞる。
心臓部が、きゅうん、と音を立てるのがわかった。
目の前の老人が極悪人の犯罪者だろうが、そんなことはどうでもいいとさえ思えた。
――ああ、ワタシ、ワタシは――。
「生まれ変わったのじゃ、お前は」
目の前の老人は、目元にしわを増やしてそう言った。
喜びをたたえた瞳が、また涙を流した。
***
「どうして……ワタシを助けてくださったのですか」
新しいボディを手に入れたそのロボットは、洗浄液を手の甲で拭いながらワイリーにそう尋ねた。
「アナタはドクターワイリー、アルバート・ワイリーサマですね」
「なんじゃ知っておったか。悪の天才科学者、が抜けておるぞ」
「ワタシは家庭用ロボットです。アナタの世界征服の為のお役には立つことはできないでしょう」
「待て、わしゃお前を使う気はさらさらないぞ」
「エ」
ワイリーが言うと、彼女の動きが止まった。その後ゆっくりとアイセンサーが見開かれたのは、ワイリーの挙動と心理を察知したい表れなのだろう。
いくら一刻も早く再起動してやりたかったとはいえ、もうすこし元のボディに似せてやればよかったかもしれない。
新しくボディを作るより、ほぼ完成していた戦闘用ロボットの素体に電子頭脳を移殖した方が早かったのだ。
「ではナゼデスか。九式のワタシを……サイシンのカラダにしても、お役には」
「だから別にお前を使う気はないとゆーとろうがっ!」
「では」
「気が向いたからじゃ」
答えると、彼女は静かに首を傾げた。
その顔に服を投げて寄越した。
着ろ、と言うと頷いていそいそと服を着始める。そんな彼女から目線を外し、ワイリーは口を開いた。
「たまたまスクラップ場にわしが居て、お前が居て、気が向いたから『その身体』にお前の電子頭脳を組み込んだ。……それだけじゃ」
「理解シカネます。ワタシのような旧式を、わざわざ……」
かすかに俯く彼女に表情はない。以前のボディでは感情を顔に表せなかったから当然だろう。
「迷惑じゃったか?」
「え?」
「あのまま死んでいたほうがよかったのなら、今すぐにでもそうしてやるが」
「あ、いえ……。そういうわけでも、ナイですが」
「ならいいじゃろう。とにもかくにも、お前は自由じゃ。好きにしたらええ」
「ソレは命令ですか?」
「……好きに受け取れ」
「好きに、とは……」
無表情ながらも、居心地悪そうに彼女は身体をすくめた。
人間に奉仕することが当たり前だったこのロボットにとって、人間とは自分に『命令を下す主人』でしかなかったのだろう。
このように『お前は自由だ』といわれたことはなかったに違いない。
彼女は途方にくれているようだった。
「主人の娘の見舞いに行きたいんじゃろ? 好きにしろと言っとるんじゃ」
「あ――」
彼女が言葉にならない言葉を発してぱくぱくと唇を動かした。
やはり、彼女は途方に暮れていた。
システムがシャットダウンしたのかと疑うほど長い沈黙の末に、彼女は言う。
「お嬢サマのお見舞いにはいけません」
「あ?」
「奥サマの最後の命令は『あの子のことは気にしないで』です。ワタシが、お嬢サマにお会いすることは……」
「……マスター設定は初期化されておらんのか?」
「廃棄前に解除されています。しかし成人か少女で言えば、優先されるのは成人からの命令です。奥さまの命令はお嬢さまのお願いより優先されます」
ロボットは静かに目を伏せた。
やはり、見舞いに行きたくない訳ではないのだ。ロボットにだって愛着という感情はある。
ワイリーは頭を掻いて、溜息を吐いた。
「まったく、それだけ姿形が違うんじゃから一目会うぐらいならバレんじゃろうに」
「命令は命令ですから」
彼女は言った。ワイリーは呆れて目を細めた。
――思考プロテクトは外しておいたはずなんじゃがなあ。
電子頭脳に組み込まれた、言動を制限するプログラムはワイリーチップによって破壊してある。
今の彼女にロボット三原則の枷はない。それでも、彼女の電子頭脳に染み付いた思考は人間に迷惑をかけることを拒んでいる。
習慣を変えることが容易ではないのは、人間もロボットも同じだ。
エレキマン達を洗脳した時とて、最終的に人間を滅ぼすことを決めたのは彼らの意思だったし、あの時彼らはまだ生まれたてだった。
「申し訳ありません。せっかく助けていただいたというのに……」
「ただの気まぐれじゃ。謝られる覚えなどないわい」
「……」
ロボットはじっ、とワイリーを窺うように見た。
「そんで、これからどうするんじゃ」
「……廃棄されるはずだったワタシを、アナタは助けてくださった……ワタシは、恩を返さなくてはなりません」
「恩を返される筋合いはないわい」
「そう……なのですよね」
彼女はきゅ、拳を握った。
無表情ではあれど、肩を落とし俯き、静かに拳を握る様は端から見て哀れにすら思える仕草だ。
「アナタの言葉は不可解です。ワタシは10年以上稼動しておりますが、いまだかつて『好きにしろ』などと言われたことはありません」
「そりゃそうじゃろうなぁ」
「あなたの言葉を理解できないのは、ワタシが量産型の旧式だからなのですか? 新型であれば理解出来るのでしょうか」
初期に製造された量産型は、技術的な問題で電子頭脳のレベルが低く設定されている。
最新式のロボットよりも決定的に『自我が弱い』のだ。
家庭用ロボットであればなおさらのこと主人の命令には逆らわないように出来ているし、思考能力も決して高くない。その点ではジョーと良い勝負かもしれない。
ブルースを元にした量産型の戦闘用ロボットであるジョーもまた『自我が弱い』。
――もっとも、それも人間が勝手に決めた限界、だ。
彼女やジョーが人間や最新型よりも劣っているとは限らない。自我が弱いからと言って自我がないわけではない。未来の可能性はすべてに等しく無限なのだ。
「旧式だから理解出来ないのであれば、ご主人さまのご要望に迅速にこたえられないワタシに存在する理由などありません」
淡々とした声色に、わずかに悲しみが滲み出している。それもワイリーの主観でしかないが。
そもそも相手に心があるかなども受け手側の主観でしかないのだ。
それでいい。
大事なのは自身の気持ちのありよう。ワイリーはロボットに心があると信じているし、だからこそあの時彼女の電子頭脳を持ち帰ったのだ。
ワイリーは大きな溜息を吐き出した。俯いた彼女の肩がびくりと震え、その様子にワイリーはクッ、と笑った。
――しょうがないのぉ……。
手のかかる子供を見る保護者の瞳だった。
「お前、炊事洗濯掃除、家事全般できるな?」
「モチロンです。ワタシは家庭用ですから」
「なら、しばらくここで働かんか。丁度家庭用が欲しくなってきたころでのう」
「え……? で、ですが先ほど、ワタシのマスターになってはくださらないと」
「マスターになる気はないぞ。お前のマスターになってもいい物好きが現れるまで、ここで働く。どうじゃ?」
「働く……」
「悪い話ではないと思うがの。もしかしたらここに居る間に、ワシの言葉の意味もわかるやもしれん」
「よ、よいのですか……?」
「まあ、世界征服の悪の科学者の手先になってもいいなら、じゃがな」
「あ……」
驚いたように彼女は瞼をぱちぱちと瞬かせた。
よほどの衝撃だったらしい。口がぽかんと開いているが、そのことに彼女は気付いていないようだった。
「……アナタが悪い人物のようには、ワタシは思えない――ワタシは人間であれば自動的に好感を持つようにプログラムされていますが、それを差し引いても」
そのプログラムも破壊済みだと言ったら、どんな反応をするだろうか。
「ワタシはアナタと離れがたいと感じています」
迷子の子供が知らない男についていってしまう心理、だろうか。または動物の刷り込み。
「アナタがワタシをそばに置いてくださるのなら」
言葉を終える前に、彼女は静かに手をワイリーにのばした。
「ワタシの存在理由がなくなるその時まで、アナタのお役に立ちたい」
ワイリーが自分を必要としなくなる瞬間まで、ワイリーのもとで働いていたい。
そう言ってぎこちなく微笑んだロボットの表情は、心なしかワイリーのそれ似ていたように思えた。
ワイリーはすこしむずがゆくなりながらも、彼女が差し出した手を掴んだ。
しわくちゃのワイリーの手にはそれでも活力が満ち溢れていて、それが彼女のコアをとくんと鳴らせた。
2010/06/28:久遠晶
2010/08/29:加筆修正
メイドロボ出会い編。これがワイリーとの出会いです。