生まれた理由 共通意識
身体が熱い、頭が痛い。
額に冷たいものを乗せられ、その気持ちよさにワイリーはゆっくりと瞼を開いた。
「か」
「あ……申し訳ありません、起こしてしまいましたか?」
「構わん」
ワイリーは寝室のベッドで寝かされていた。着ていた衣服は寝巻きにかわっていて、額には冷却シートが乗せられている。
ぼんやりとした意識の中で、ゆっくりとワイリーは状況を把握した。
「お前が……ここまで運んだのか」
「はい。ゆっくりお休みになってください、ワイリーさま」
「冗談じゃないぞ……ワシにはロボット製作が」
「今のような状態では、お仕事にも身がはいりませんよ」
起き上がろうとした身体を両手で布団に戻される。
悔しいが、正論。
動く気力もなかった――に止められずとも、立ち上がって一歩踏み出した時点で膝をついていたことだろう。ワイリーは溜息をひとつ吐いて、そのまま身体の力を抜いた。
はそんなワイリーを、じっと見ている。用があるならすぐに動けるように待機している。
「……そんなにじろじろ見るな。もういい、素直に休んでやるから、仕事に戻れ」
「はい。ワイリーさまの体調が回復されましたら。それとも、スネークマンさま方に看病されたほうがよろしいですか?」
ぞくっ、という悪寒と共に、意識を失う寸前の攻防が思い出される。
くすり、とは笑った。
「それは……」
「でしょう? 看病させてください。ワタシはロボットですので、風邪もうつりません」
ですからワタシに任せてください。胸に手を当てて微笑むは、有無を言わせない口調だ。
にじっと見つめられ、もう一度ワイリーは溜息を吐いた。
「仕方ないの。お前に機能停止されるわけにもいかんわい」
「人間のお役に立てなければ、ワタシに価値はありませんから」
「熱烈な脅し文句だわい、まったく――」
その時、ワイリーはの顎元の人工皮膚がかすかに破れていることに気付いた。見れば、エプロンの胸元もかすかに切れている。
ワイリーの視線に気付くと、はかすかに表情を変えた。
「……実はまだこのボディに慣れていなくて、よく身体を物にぶつけてしまうのです」
「……ワシも、改造なしに電子頭脳を違うボディに移殖したのは初めてじゃからのう」
「行動に支障はありません。ワイリーサマはお休みになってください」
ひんやりとしたハンドパーツがワイリーの頬に当てられる。冷たさが心地よい。
仕方ないな、という言葉はワイリーの口の中で消えて、言葉にはならなかった。
「わかったから作り笑いは――しなくて……」
かろうじてその言葉だけを残して、ワイリーは再び意識の底へと落ちていった。
***
「つくりわらい……」
ワイリーが目を閉じた後、はぽつりと呟いた。
確かに作り笑いだった。嘘をつこうとしたわけではなくて、人間は笑顔に安心するから、家庭用ロボットの責務として笑みを浮かべた。
だが人間は笑顔に安心するからこそ、作り笑いに抵抗があるのも確かだ。
それにいまのボディに慣れていないから、キモチワルイ笑い方になっていたかもしれない。
「不快にさせてしまったのなら、申し訳ありません」
そう謝罪したところで、眠っているワイリーからの返事はない。
重ねられたワイリーの手から抜け出そうとして、思いのほかワイリーの指の力が強いことに驚いた。
『目の前が真っ暗で、なんにも見えないの』
『居なくならないで』
『眠るまでわたしのそばにいてくれる?』
主人の娘の見舞いに行った時、泣きながら懇願されたのはいつのことか。
もう、は主人の娘に会うことは出来ない。そういう命令を受けている。
心の中で苦笑して、は人工筋肉の緊張を解いた。
「ずっとそばに、いますから」
そばにいてほしいのはワイリーではなく、自分ではないかと思いながら―-は目を閉じた。
いつかできるであろう新しいマスターに命令されれば、この誓いも破ってしまうのだと、理解していながら。
***
ワイリーの自室の扉に背を預け、彼――メタルマンはアイセンサーを閉じ、聴覚に意識を傾けていた。
なにかしでかしたら、すぐさまメタルブレードでぶった切ってやるつもりであったのだが。
存外、あの得体の知れぬ家庭用ロボットはワイリーと、そしてナンバーズに対して真摯であった。
ナンバーズに指示を飛ばし、真剣にワイリーを介抱する姿はなるほど確かに『家庭用ロボット』そのものだ。
ワイリー基地には不要と思っていたの存在も価値あるものに思えてくる。
……不本意だが。
――ずっとそばに、いますから。
扉越しに聞こえた言葉。
ワイリー博士のことを『仮の主人』としか思っていないくせに、いい気なものだ。メタルマンは思う。
嫌味の言葉ならいくらでも出てくる。
それでも、やはりはワイリーに真摯なのだ。そして、ナンバーズに対して。
ワイリーを部屋に寝かせた後、はメタルマンにこう言った。
『ワイリーサマの風邪は、体調管理を任されていたワタシに責任があります。ですが、ワイリーサマの体調が回復するまでは、どうか』
責任を取って首をはねられるのは覚悟している。だが、主人の安否がはっきりするまでは死にきれない。
自分の命が終わることに恐怖はないようだった。あるのかもしれないが、メタルマンには知覚できない。
旧式の電子頭脳と最新のボディのアンバランスさ。それは、彼女に感情と呼べるものが存在しないのか、それとも単に表情に出ないだけなのかどうかの判断を悩ませる。
――そんなことはどうだっていいんだ。
感情があろうがなかろうが、どうだっていい。
に感情があったところで、家庭用であるの思考を理解出来るわけではないし、理解する気も必要性もない。
問題なのは、現状で彼女が必要である、という一点のみだった。
***
「これで……認めたわけではないからな」
数日後――メタルマンは忌々しげにに言った。ワイリーの体調はすっかり回復し、新しい世界征服計画を練るのにいそしんでいる。
はぱちぱちとアイセンサーを瞬かせた。
「首をはねないのですか?」
「……俺たちは博士の世界征服計画で忙しいんだ、ひまな家庭用と違ってな。だが、勘違いするなよ」
そう言って、メタルマンはいつかのようにの首を掴んで壁に押し付けた。だが、前回と違ってさほど力はこもっていなかったし、壁に勢いよくたたきつけたわけではなかった。
だがその手加減は戦闘用ロボットが行うものなので、やはりには苦しい。
このまま首をぶち折りたい気もしてくるが、メタルマンはそれを堪える。
『アレもアレで必要なんじゃ。……言っておくが、殺すことは許さんぞ』
ワイリーに鋭い目で命令されたら、従わないわけにはいかない。
まさかの顎元の人工皮膚が切れていただけで、自分がに危害を加えたことが看破されるなんて。
ワイリーの観察眼の高さに、畏敬の念を強くすると同時にメタルマンは恨んだ。
いっそ、この家庭用ロボットがフォルテあたりの怒りを買い、そのまま破壊されてしまえばいいのに。
破壊願望を抱くだけなら自由だ――といわんばかりに、メタルマンはそんなことを考える。
「俺は貴様を認めない。人間に仕える家庭用なんざ、俺たちには不快の象徴なんだ。そこをよく理解しておけ」
そう睨みをきかせると、は首を絞められながらも不服そうな表情をした。
「ですが……そうはおっしゃいますけど、ワイリーサマも人間ですよ」
「ワイリー博士は『特別』だ!」
あんな低俗な連中と一緒にするな――という意味をこめ、メタルマンは喉を締め上げる力を強くしてから、を壁に押し付けるようにして手を離した。
は咳き込みながら床に座り込んで呼吸を整える。しかし、やはり前回ほど呼吸は荒くなってはいない。
首を絞める力は弱くなっている。強くなっているのは、メタルマンのへの拒否反応だけだ。
座ったままメタルマンを見上げたは微笑んでいた。ような気がした。表情こそないのに、メタルマンはどうしてかそう思った。
首を絞めた人間に笑う。不気味だ。
「ワイリーサマは特別ですか。そうですね。ワタシにとっても、ワイリーサマは『特別』です」
メタルマンはアイセンサーを開いた。
戦闘用ロボットと家庭用ロボット。人間に害なす者と、人間を助ける者。
その二人に共通のものなどないし、お互いに相手を理解してしまうことは、自分の存在理由の崩壊に繋がる。
――そうであるはずなのだが、はこともなげにメタルマンに同調の意を示した。
共有できる認識など、存在するはずがない。
そう思っていたが。
メタルマンがワイリーに抱く敬慕の念をも感じているとするならば、あるいは。
そう思えてしまったことが、メタルマン自身に、なによりの衝撃をもたらした。
「メタルマンさま……?」
「……ッ!! だが、それでも俺は貴様を認めない。家庭用なんぞ、断じて認めてなるものか!!」
「っ!」
叫びながらも、やはりの首を絞める力は、前回よりもずっと弱かった。
それが命令ゆえか、心境の変化は置いておくにしても。
2011/5/8:久遠晶
なんでかメタルマンが首絞め魔になった。
「共通意識」はこれでおしまいです。全部見てくださった方、ありがとうございます!