肩の重みと失ったもの



 私になにか出来ただろうか。
 部屋の座卓に突っ伏して、私は溜息を吐く。
 自らが複製品だと気付いてしまった彼は、最後の瞬間なにを考えていたのだろう。
 ――私に、なにか出来たのだろうか。
 あの時私はロールちゃんと共にエレキマンたちと脱獄し、彼と対峙した。だけど何もできなかった。
 そもそも対峙ともいえない。
 私と彼はろくな会話すらしていないのだから。
 エレキマンたちの背中に隠れ、私はただ戦いを眺めることしか出来なかったのだ。
 自分が複製品だと気付いて絶望する彼を、ロックマンを殺そうとした彼を、――ロックマンをかばって地面に倒れるロールちゃんを、私は見ていることしか出来なかったのだ。
 ロールちゃんの治療するコサックさんを、手伝うカリンカちゃんを、呆然とする彼を……見ていることしか出来なかったのだ。

 私はなにも出来なかった。
 瓦礫の山の撤去を手伝うことも、彼の捜索を手伝うことも。
 なにも、出来なかった。
 文字通り、なにも。

「人間って非力……」

 いいや違う、私が無力なだけだ。
 昔も今も――私に出来ることはなにもない。
 ずっと頬を押し付けていた座卓は、その場所だけぬくく、蒸れてきている。
 眠れないからと作ったホットココアが冷めて来ている。もう飲む気にはなれなかった。
 こんこん、と背後から扉を叩く音がした。扉を叩く位置から身長を推し量るに、ライト博士やロックではないだろう。
 時計を見れば時刻は夜中の一時を指している。
 こんな夜更けに、誰がなんの用だろう。

「起きてるわよ」

 振り返って扉を開ける気にはなれなかった。
 ややあって扉が開く音がする。
 来訪者はなにも言わない。

「……どうしたの」

 机に突っ伏したままでそう訪ねる。
 来訪者はやはりなにも言わず、ただ、私の背後に腰掛ける。そういう空気の動きだ。
 仕方なしに座卓から顔を引き剥がす。

「ねえ、なにが――。っ」

 振り返ろうとした時に肩に冷たいものが当たり、思わず呼吸が止まった。
 稲妻の形をしたアンテナが視界の隅に入る。
 エレキマンが、私の肩口に顔を押し付けているのだ。
 ヘルメットの冷たさと同時に、唇からの排気で肩の辺りがじわりと蒸れていく。

「え……レキ、マン?」
「……すこしだけ」

 ――すこしだけ、ここにいさせてくれ。
 蚊が鳴くほどに小さな声が、わずかに私の鼓膜をふるわせた。
 エレキマンはか細く長い長い息を吐き出し、そして空気を吸い込んでいく。
 排熱の為の呼吸は、同時に人間らしさを表現する為の呼吸でもある。唇から吸い込んだ空気が肩のアクチュエータに送られ、ピストン運動によってエレキマンの肩がゆっくりと動く。まるで呼吸で肺が膨らむように。
 ひとりきりの静寂は消えて、エレキマンの駆動音が私の世界になる。

 そうだった、忘れていた。

 私がなにも出来なかったのと同じように、エレキマンもまた――。
 いいや、その無力感は、最初から闘えない私よりも戦えるエレキマンやカットマンたちの方が――同じロボットの方が――強く、重くのしかかっているのだろう。
 少なくとも、こうして真夜中に誰かの部屋に来て、肩を貸してくれと言うぐらいには。
 だけれどエレキマンは形だけは私に身体を預けているものの、その実体重は一切かけていない。

 もちろん、百キロを超える全体重をかけたら私が潰れてしまうから、というのもあるのだろう。
 だけれどそれ以上に、彼に対してなにも出来なかったという感情が私に寄りかからせることを躊躇わせている。
 そう思うと、余計に泣きたくなるのだ。

 エレキマンの拠り所になれるほど、私は強くない――それをまざまざと突きつけられた気がする。

「……おなか、暖めて」

 だらりと垂れ下がる両手を引き寄せて、おなかに手を回させる。
 エレキマンはすこしだけためらった後、指をうごめかせて、私のおなかの前で手を組んだ。
 胸部を守る装甲の冷たさが背中に押し付けられて、やがてじんわりと私の体温とまざりあっていく。

「『あいつ』は」
「うん」
「あの時、笑っていたよな」
「……うん」
「あいつは……満足、だったんだろうか」

 その問いに正解は存在しない。答えを示してくれる彼は、もうこの世にいない。
 あの状況――新宿に再び姿を現した彼の元に辿り着いた時点で、彼は過負荷によるオーバーヒート寸前だった。コサック博士ですらどうにもならないと言ったあの状況で、彼の為に私たちが出来たことはなにもなかったのだ。

 それでも、ありえたかもしれない未来を想像してしまう。
 一緒に笑いあえたかもしれない彼。一緒に笑って、泣いて、怒ったりして、ロックと築いてきた信頼と同じように、彼とも関係を築けたのかもしれないのに。
 もう彼はどこにもいない。
 だけど、それでも。

「きっと……満足だったんだと思う」

 そう思いたい。
 上空に飛び上がりながらこちらを見て、ゆるりと微笑んだ――最後の瞬間に見せた彼の表情が網膜に焼き付いている。
 爆発音にも負けないほどの叫びは、彼に届いたのだろうか。
 その問いの答えを持つ存在はどこにもいない。そう思うと、酷く泣きたくなるのだ。
 ふうと、溜息を吐いた。
 装甲越しの駆動音を感じたくて、私は目を閉じる。
 肩にかかる重みが、控えめに増していく。
 私は強くはないけれど、出来るかぎりエレキマンの重みを受け止めようと思った。
 やがて、部屋の中に水音が響き始めた。





2010/06/08:久遠晶
2010/09/16:文章修正
『史上最強の敵』のその後のssです。
 ブルースはコピーを「あの瞬間、本物のロックマンだった」と言い、シャドーマンは冷徹さすら感じられるブルースの態度に怒りをあらわにし、ロックマンはロールちゃんの前で泣き崩れました。
 ヒロインはなにも出来ない自分に対する無力感を抱き、エレキマンはなにも「出来なかった」と自責の念を抱く。
 あの状況じゃどうにもならなかった、ってわかっててもどうにも考えてしまうことってあると思うんです。

 まあとかなんとか言ってますが、ミもフタもない言い方をするとヒロインの肩に顔を埋めるエレキマンが書きたかっただけですサーセン。
 地の文でヒロインは「エレキマンを支えられるほど強くない」って言ってるけど、そんなことないよ! かっこつけなエレキマンがわざわざ部屋にやってきて頭埋めるぐらいには信頼されてるんだよ! ってのを書きたかったのです。