ささやかな幸せと初恋


 さまざまな場面で、日常に幸せは落ちている。
 ほんのすこしの、ささやかなもの。
 だけど確かに尊い。そう思う。
 たとえば――

「今日もお勤め、お疲れ様です」

 エレキマンをねぎらう、花屋の少女の笑顔。
 ささやかだが確かに尊いと、そう思う。
 燃料が少なくなり、休息とエネルギー補給を訴える身体が心持ち軽くなる。
 人の好意というのは素晴らしく、尊いものだろう。
 彼女が笑う。彼女がほほ笑む。
 彼女が愛でる花は、それだけで輝きが一層と増す気がした。
 そう。
 それは確かに尊いものなのだ。
 だが。だが――。
 その笑顔がちらついて、日常生活に支障がでるのは、どうなのだろう――。
 エレキマンは頭を抱える。


   ***


「エレキマン……それって、恋なんじゃないのかな?」
「なんだと? 故意だと。故意でこんなことをするものか」

 しごく真面目な顔での返答に、ライト家に滞在中のカリンカは大きなため息をつく。
 夕食時、リビングでカリンカはロールたちの作る夕食を待っている。
 カリンカの言葉に、エレキマンは不機嫌そうな瞳で隣に座るカリンカを見つめた。そんな表情をされても、カリンカの考えは変わらない。

「その人のこと考えて日常生活もままならない、なんて絶対恋だと思うけどなぁ――」
「だから、故意でそんなことをするほど俺はバグってない。ちゃんと定期メンテナンスだって受けてるんだ」
「……コイ、って、恋愛の「コイ」だよ?」
「は?」

 エレキマンの顔がまぬけな形で硬直する。カリンカは、ロボットの表情の変化を見るたび感嘆のため息が出そうになる。
 ロボットという素敵なものと、それを生みだす父やライト博士に対する尊敬の念が止まらない。以前の確執を経て、カリンカはロボットが大好きな女の子に成長していた。
 一方のエレキマンは、カリンカの唐突な言葉に脱力と不機嫌のためいきを吐きだした。

「カリンカ……お前な、俺はロボットだぞ。恋などするものか」
「でも、心があるんでしょ?」
「まあ、そうだが」
「心があるんだったら、恋のひとつもして当然だと思うけど」
「お前……いまノンセクシャルの人間にケンカを売ったぞ」
「のんせくしゃる?」
「恒常的に恋愛感情を抱かない人間の……すまん、なんでもない」
「よくわからないけど、じゃあ、訂正するわね。『心があるんだから、恋をする可能性もたくさんある』、恋をするのは本人の性格にもよると思うけど、ロボットが恋をしても不思議じゃないよ!」

 ずいっ、とカリンカがエレキマンと距離と詰める。反射的にエレキマンのけぞるのだが、それ以上にカリンカが身体を近づけ、密着する。
 カリンカの顔をアイセンサーいっぱいに映したエレキマンが眉を寄せた。

「……なんでそんなに嬉しそうなんだお前」
「えー、だって、そりゃもう」

 カリンカは今年で14歳、一般的に異性や恋というものに関心がでてくる時期だ。
 本人は「お父様のようなロボット博士になる」とクラスメイトには見向きもしないが、人知れず胸中にくすぶる憧れがある。

「すうっごく、楽しそうなんだもの!」

 本心だった。自分より頭のいいエレキマンになにかを教えてあげられたことが嬉しかったし、それが自分にとっても未知な――憧れの分野であればなおさらだ。
 たとえエレキマンが恥ずかしがってカリンカの協力を嫌がったとしても、それを押しのけて手助けするのが自分の役目だとカリンカは強く思ったのだ。
 対するエレキマンは、この時になってようやく自分の相談相手が間違っていたことを理解した。いや、そもそもカリンカに話したのは相談ですらなく感情の吐露で、カリンカに話しているという自覚すらなかった。要するに愚痴を垂れ流していた。
 そして――それが「弱み」や「弱点」の吐露になると理解する理性が働いていなかったということだ。


   ***


「はあ……」

 憂いを秘めたエレキマンの視線の先には花屋。『彼女』がいる花屋だ。
 そして彼の手には、遊園地のチケットが二枚握られている。
 カリンカから事情をきいたロールから無理やり握らされたものだ。
『これで、その子デートに誘ってくるの! いいわね!』
 二人からずびし、と勢いよく指をさされ、断る暇もなかった。

 ――というか、これって「コイ」なのか。

 エレキマンにはよくわからない。多分違う、という気がする。恋であってたまるか、と反発する思いもある。
 カリンカの憶測を必死に否定するエレキマンの脳裏に、彼女の笑顔が再生された。
 瞬間、胸を包む幸せな気持ち。
 誰の笑顔を思い出しても活力の源になる。だが、彼女のそれはすこし感覚が違うような気がした。

 ――コイ、なんだろうか。

 エレキマンにはわからない。だが、彼女に遊園地のチケットを渡せば、答えがわかるような気がする。
 だからエレキマンはロールたちに言われるまま花屋に向かい、そのガラス戸を開けた。

「いらっしゃいませ――あら」

 エレキマンの姿を確認すると、彼女――が柔らかく微笑んだ。店の内と外を彩る花たちに、その笑顔はよく映える。

「なにかお探しですか?」
「えっ――は、はい」

 そうだった。店内に入るということは要するにそういうことだ。
 エレキマンはあわてて答える。

「……すまない、花を買おうと思っていたんだが、なにを買えばいいのか……」
「プレゼント用ですか? 予算を教えていただければ、こちらで見つくろいますよ」
「ええと……そう、知り合いの娘に、プレゼントしたくて」
「入学祝いですね。それでしたら、この花などはいかがでしょう?」

 エレキマンの脳裏に、の顔が浮かんだ。博士の家に下宿している、将来有望な少女だ。
 の入学祝いをしていなかったと思い出す。花束などちょっとキザすぎる気がするが、きっと喜んでくれるだろう。
 に言われるがまま花の種類を見繕う。

「じゃあ……それを。お願いします」
「はいっ。よろこんでくれるといいですね」

 にっこりと笑うに、エレキマンは心が洗われるようだった。これだけで来た甲斐があった、と遊園地に誘うことを忘れそうになる。
 その時エレキマンのアンテナが背後からの邪悪な視線をキャッチした。
 振り返ると、ガラス窓の向こう側に、電柱の影に隠れるカリンカとロールの姿があった。

 ――あいつらっ!

 あれで隠れているつもりなのだろうか。エレキマンはうっと息をのんだ。
 カリンカとロールの眼光が痛い。戦闘能力はエレキマンのほうが上のはずだが、そういった数値を超越したものを二人は放っていた。このまま誘わずに帰ったらスクラップにされそうだ。
 なにも知らぬが花束をかわいらしくラッピングしている。エレキマンはカリンカたちに後押しされる形で、居住まいを正した。

「あの――」

 声をかけようとした瞬間、ガラス戸が開いてベルがからからと鳴り響いた。
 花束をラッピングしていたが、顔を上げる。

「あら、ジョーさん! おはようございますっ」

 開け放しのガラスドアから不気味な単眼が顔を出している。
 赤いボディーとあやしく光るひとつ目。見覚えがあった。エレキマンは思わずいきりたつ。

「なぜワイリーロボの貴様が、ここに!?」
「っ!? ……! ……!?」

 エレキマンの姿を認めると、ジョーはおおげさに肩をびくつかせて硬直した。
 仕草の意味するところは『お前こそなんでこんなところにいるんだ』か。
 身構えるエレキマンを知ってか知らずか、はラッピング作業をしながらジョーに会釈をする。

 背中に両手を隠したジョーが店内に入ると、おずおずとに近づいていく。
 思わずエレキマンはを守るように横に手を伸ばした。
 単眼が表情なくエレキマンを睨み、それからすっとを見つめる。

 は見据えられた視線に首をかしげてから、あっと口をあけ、店員としての言葉を喋ろうとした。

「ごめんなさい。ジョーさん。いま手が離せないので、少々お待ちいただけると――ぉ?」

 言葉をさえぎって、ジョーはの胸元に薔薇を差し出した。
 茎に、二枚の紙切れが添えられている。
 遊園地のチケット。
 エレキマンが一目でわかったのは、自分の手のなかに同じものがあったからだ。

「え……遊園地? チケット? 二人で? 私とジョーさんですか?」

 驚いて単語をつらねながら、チケットを受け取るにジョーがこくこくと頷く。音声機能がない分、身ぶりは大げさだ。
 は手の中のチケットと薔薇を困惑気に見つめる。
 両手を組んで祈るようなしぐさをするジョーに、エレキマンはすべてを理解した。
 この単眼の量産型ロボットも、に思いを寄せているのだ。

「ジョーさんって戦闘用ロボットなのに、遊んでていいんですか? ワイリーさんはご存じなのかなぁ」
「戦闘用って知ってるのに、そんな軽い反応でいいんですか……」
「確かに、花屋にくる戦闘用ってところからしてつっこみどころ満載ですね。なんだかステキなシチュエーションです」

 怯える様子がないどころか、どこまでも外れた回答にエレキマンは脱力しそうになった。そして、気が遠くなる思いだった。
 頭を抱えたのは、ライバルがいたからではない。存外、がまんざらでもなさそうだったからだ。

「っ……!さん、俺も――」
「うーん……仕事が……」

 自分もチケットを出そうとしたエレキマンは、控えめな呟きにうっと言葉を詰まらせた。
 仕事。
 すっかり忘れていたが、は勤務中だ。
 そんな時に仕事の手を止めさせ――現に今、花束のラッピング作業は停滞している――デートの誘いをする。それはよくないことだと思った。
 なにより、客と従業員だ。決して対等な関係ではない。
 そう思いいたってを見返してみれば、眉間にういたシワが、客からの無理な要望をどうやって断ろうかと思案しているように見える。
 だがその考えは次の言葉で裏切られた。

「この日確か開いていたと思います。ちょっとシフト確認しないとなんともですけど、多分大丈夫ですよ」
「なにっ!?」
「どうかしましたか?」

 完全に予想外の反応だった。
 思わず口からでたうめきに、が首を傾げた。その後ろで、表情なくジョーがほくそ笑んでいるように思える。

「……あ! ラッピング、まだでしたね。申し訳ありません、もうすこしお待ちください」

 そういう意味の言葉ではなかった。が、なにも言えず、エレキマンはうめきを押し殺していた……。


   ***


「もう!なにやってんのよエレキマンたら!」
「ここからじゃ声が聞こえないよ」

 なにもできないエレキマンに、物陰に隠れるロールとカリンカがやじをとばす。
 二人の位置からでは、店内が見えるだけで、詳しい会話も身ぶりも伝わってこない。かろうじてジョーと三人で話していることが見て取れるのみだ。
 届かないとわかっていてもエレキマンにエールを送る様子が、ある通行人の目にとまった。
 ライト博士に下宿中の学生、だ。
 は彼女たちの背中に忍び寄り、声をかけた。

「なにやってんの、キミタチ」
「うわあ! 、びっくりしたじゃない」
「ばれちゃうよ! も隠れて!」

 カリンカがの手首を掴んで電柱の影に引きずり込む。とはいえ完全にはみ出しているが。
 が困惑げに二人を見る。

「電柱の影に隠れて、どうしたの。すごい不審者になってるけど」
「実はエレキマンが……」
「はあ? 遊園地デートに? あのエレキマンを? 行かせると。きっもちわるぅ」

 ロールが簡単に事情を説明するとが表情を変えた。嫌そうに眉根を寄せるに、カリンカが苦笑する。

「さすがに口悪いよ、
「だって、エレキマンって遊園地いくと性格変わるじゃん。ギャップがキモいっていうか」

 おぞましいものを思い出したかのように、は肩をさすった。
 とはいえ興味はあるらしく、その場を離れる気配も二人を止める様子もない。
 花屋の店内に見える、赤と黒のボディを見つめる。

「そもそもバイト中に誘う、ねぇ……。ぜんぜんうまく行ってる感じじゃないけど」
「そうなのよ……なんかジョーと三人で話しているみたいなんだけど。私たちどうにもできないし」
「ふーん。でも楽しそーじゃん。ヨッシャ」
「あ、ちょっと!」

 にかっと笑うと、は二人の制止も気にせず歩きだした。向かう先は当然――。


   ***


「はい、ラッピングできました。お待たせしましたー」
「え、ええ……ありがとうございます」

 ひきつった笑みで代金を払いながら、エレキマンは必死にいまやるべきことを探していた。
 このままではデートに誘えなかっただけではなく、とジョーがデートすることになってしまう。
 そんな時、カラカラと店先のベルが鳴った。

「こんちゃー。遊びに来てやったよー」
「あ、ちゃん! いらっしゃい」
「え? ……知り合いなのか、

 突然の知り合いの来訪に、エレキマンがたじろいだ。質問するとが頷く。

「とーぜん。おんなじガッコの友達だよ」
ちゃんはエレキマンさんとお知り合いなの?」
「うん。ほら、私今ライト博士の家に下宿してるでしょ?」
「あぁ、なるほど。いつも話してるよね」

 納得したようにが手を打った。
 エレキマンは二人の仲のいい会話を聞きながら、なんとなく嬉しくなった。
 好きな人と意外なところでつながりがあると、なぜだか面映ゆい気分になってしまうものだ。

ちゃんはなにかお花買いに来たの?」
「いやあ、知り合いの顔が見えたから来ただけなんだけどさ」

 知り合い、とエレキマンとの関係を強調しながら、はエレキマンに身体を近づけた。
 背中に隠していたエレキマンの手を、が掴む。そして、抵抗もおかまいなしに、手の中のものをもぎとる。
 エレキマンが声をあげる間もなく、に向かってとびきりの笑顔をむけた。

「遊園地のチケット当たったんだ! 一緒に行かない? 女同士二人でさ!」
「おいっ!?」
「なにエレキマン。エレキマンも遊園地行きたいの?でもチケット二枚だからなぁ~」

 慌てたエレキマンにわざとらしく困った顔をしながら、は目配せをした。
 味方に背中から撃たれた気分に陥ったエレキマンは、その仕草ですぐに思い至った。
 協力してくれているのだ。
 店の外のロールに話を聞いたのだろうか。

 のプランはおそらくこうだろう。
 まず、友人であるが、この場で遊園地の誘いを取りつける。当日は適当に嘘をついて約束を反故にし、エレキマンを代理に立てる。そうして、過程はともあれエレキマンはと遊園地で遊ぶ。
 エレキマンがのほうを見ると、はぐっと親指を立てて頷いた。
 なんていい友人なんだ、とエレキマンは感動が胸に湧き上がってくるのを感じる。

 ――すまん。感謝する。
 ――いいよ。いつもお世話になってるもん。

 目と目で通じ合うエレキマンと
 無言で友情を深めていると、が困ったようにジョーのほうを見た。

「えっとね、いま、ジョーさんからも同じ日に誘われてて…どちらのチケットも、有効期限が来週の日曜日までなんだね……どうしよう」
「はあ? ……そういうことか」

 察したがジョーを見て顔をしかめた。ジョーがムッとしたのが、かすかに持ちあがった肩でわかる。
 はさりげなくエレキマンの後ろに隠れた。ワイリーロボの戦闘用ロボットにいい印象がないのは、当然のことだろう。

「あっ!そうだ……」
「どうしました、さん」
「あのですね、これ、同じ遊園地のチケットなんです。有効期限も一緒で、来週の日曜日まで。ジョーさんとちゃんからお誘いされたのも来週の日曜日です」
「うん」
「わたしはジョーさんとちゃん、どちらも断れないです。叶うならどちらとも行きたい……それで、エレキマンさんも遊園地行きたいんですよね?」
「え、ええ……まあ」

 雲行きが妖しくなってきた――とは、その場にいた以外の全員が思っただろう。
 その予感とはうらはらに、はほがらかな笑みを浮かべた。

「どうせなら、わたしたち四人で遊園地行きませんか? ジョーさんとエレキマンさんと、ちゃんと私で!」
「な……!?」
「なんですって!?」
「……!?」

 予想はしていたものの、三人は三者三様に声を荒げた。

「ねえダメですか? いいプランだと思ったんですけど……」

 う、と三人は同時に身じろぎした。
 エレキマンはジョーと顔を見合わせる。
 とのデート、それはお互いの悲願だったはずだ。二人きりがいい、とごねることは簡単なようで難しい。

「私は、別にいいけど……」
「まあ、俺も……」
「いいんですか!? ジョーさんも? やったぁ! それじゃあ来週、よろしくおねがいしますっ」

 が嬉しそうに笑った。 
 エレキマンはジョーと顔を見合わせながら、これでよかったんだろうかと思いながら愛想笑いを浮かべのだった――。


   ***


 紆余曲折あり、望んだ形ではなかったが、「との予定をこぎつける」ことには成功したエレキマン。
 いよいよへの恋心を否定するのが難しくなり、エレキマンは吹っ切れた。
 この日の夜、エレキマンはの部屋まで赴き、改めて協力を願い出た。「恋をした。どうすれば相手に好きになってもらえるか、教えてくれ」と……。
 遊園地で、いかにしての好感度をあげるか。好きになってもらえるか――。このデートはジョーとの闘いでもある。
 エレキマンにはと言う協力者もいる。その戦いは、エレキマンが優勢になるはずだった。
 だが遊園地にはもちろん、あのワイリーロボたちが……。

 果たして女神はどちらに微笑むのか? エレキマンとジョーの恋の行方は?

 次回!「ささやかな幸せと初恋・後編」こうご期待!





2013/5/17:久遠晶
2016/11/07:大幅な文章修正
全く読み返してなかったから、ここまで文章がめちゃめちゃな編集になってるとは思いませんでした。長らく失礼致しました……。