無力なぬくもり



 定期的なメンテナンスは重要事項のひとつだ。ロボットの体は強堅であるけれどとてもデリケートで、些細な異常も見逃してはならない。
 工業用であればこそ、定期的なメンテナンスによる情報収集は欠かせない。彼らが積み重ねた情報は、後世の糧となるのだから。

 指定された時間の五分前に扉が開く。メンテナンスルームに入ってくるのはエレキマンだ。
 なれた様子で作業台に横たわるエレキマンに、わたしは笑って声をかける。

「どう? 調子は」
「かわりない。お前の方はちゃんと寝ているか」
「おかげさまで」
「あまり無理をするなよ」
「ありがと」

 労る言葉に苦笑してしまう。働き者には言われたくない言葉だ。
 エレキマンは人と寄り添い、共に仕事をすることを前提に作られた工業用ロボットだ。純粋にわたしを心配してくれているのだろうと思う。
 端末から伸ばしたコードをエレキマンに繋いでいく。肩を覆うカバーを開いて、奥に差し込んで。ゆっくりゆっくり、ひとつひとつの作業を丁寧に。
 流れていく時間が惜しい。かなうならこのまま時間が止まってほしいと、わたしは本気でそう思う。
 不意にエレキマンがわたしの手を掴んだ。大きくてグリップのついたハンドパーツに包まれて、驚いてしまう。
「お前、それどうした」
「え、ああ、この手? ちょっと色々あってね」
「……痛いだろう。大丈夫か」

 包帯で巻かれた腕をさする。このところ反ライト博士の過激派に窓を割られることが多い。
 エレキマンはひどく心配そうに眉を寄せる。エレキマンはなにも悪くないのに、申し訳なさそうな表情をする。

「やはり、ここを離れたようが」 「大丈夫よ。わたし好きでやってるんだから。ライト博士が居ない今、わたしがここを守らないと」
「あまり根を詰めないでくれ。お前になにかあったら、俺たちはどうすればいい? ライト博士に申し訳が立たない」
「大丈夫。もう少し認めてよ?」
「心配してるんだ」

 真剣な声でエレキマンは言う。無機物で構成された体なのに、驚くほどその表情は人間的だ。むっつりとため息を吐くくちびるに胸が跳ねるのがわかった。
 息を小さくして、エレキマンのしぐさに集中してしまう。

はまだまだ子供だし。なにかあったら……」
「ありがとう」

 とうの昔に成人している人間にかける言葉じゃない、とわたしはぼんやり思う。
 エレキマンを含む、ドクターライト研究所の面々とは十年以上の付き合いだ。
 出会った当時わたしは中学生で、エレキマンを困らせてばかりだった。その頃の印象が抜けていないしく、今のいまだに子供扱いされてばかりだ。

 心配の言葉はありがたいけれど、同時に不満のタネでもあった。
 端末のパネルを操作し、メンテナンス開始の音声を聞きながらため息をつく。
 すぐそばにいるロボットは人間の嘆きや悲しみには敏感なのに、色恋にはまったくもって鈍感だ。
 気づいてもらえないことは救いなのか嘆きなのか、わたしにはわからない。
 だけど時間は残酷だ。それだけははっきりしている。

「お前は頑張ってるよ」

 不意にかけられた言葉に、パネル操作の手を止めた。作業台に横たわるエレキマンは、顔を傾けてわたしを見上げている。きゅっと心臓が痛くなる。
 子供の頃からくすぶり続けていた感情が恋だと知ったのは、驚くべきことにほんの数ヵ月前の話だ。
 気づいた瞬間に燃え上がった熱情が、わたしの胸を焦がす。その痛みに知らぬふりを突き通すことは大変だ。

「なにが?」

 声が震えそうになった。
 エレキマンは静かにわたしを見上げ、その瞳にわたしを映している。
 人間よりも綺麗なカメラアイの光彩を見ると、どうしてこうも泣きたくなってしまうんだろう。

「頑張ってるよ、充分。お前は」

 淡々とした声音で、静かに言い聞かせるようにエレキマンは言う。
 充分頑張ってる、なんて。それをエレキマンが言うのか。
 身も心も凍るようだ。指先が凍え喉がかわいていく。それなのに心臓だけは煮えたぎるように熱い。

 ロボット法の改正を、わたしは止められなかった。
 いまも旧式ロボットは廃棄され最新型に取って替わり、『暴走』したロボットは抗うように都市の破壊を続ける。
 いまも昔も、わたしは無力だ。
 かつて人間を滅ぼそうとした、もう一人のロックはこの現状を見たらなにを思うだろう。やはり人間にバスターを向けるのだろうか。いっそそれでいい、と思う。わたしごとこんな世界壊してくれと、そんなことすら思う。

「お前はよくやってくれてるよ」
「……なにも、できてないわ。わたしなんて、なにも」
「そうやって俺たちのことを案じてれるだけで、俺たちは嬉しい」

 エレキマンはきゅっと口の端を持ち上げ、天井の灯りへと視線を映した。眉をひそめた苦笑はため息となって部屋に沈んでいく。
 わたしはエレキマンの、人工的に作られた横顔を見つめる。
 子供のころから人間に興味なんてなかった。わたしが心惹かれるものはいつだってブリキのおもちゃで、機械仕掛けのロボットだった。
 遠い遠いあの日は、いつだって簡単に思い出せる。崩壊する街並みのなかで、人々を守るために立ち上がるエレキマンの背中を見てから――わたしが心惹かれるものはエレキマンだけだ。

 幼い初恋の、甘い憧憬。そう、あれは恋だ。今までもずっと続く、甘ったるくて切ない思い。

「わたし、エレキマンが好きよ」
「……ん、」
「なにが起きても、どうなっても好きだよ」
「ありがとう」

 エレキマンは微笑むけれど、真意を理解していないことは明白だった。
 それきりお互い黙り込み、メンテナンス処理を終えてケーブルを外していく。ゆっくりゆっくり、ひとつずつ丁寧に。
 ケーブルを外し終わり、上体を起こしたエレキマンが声をかける。

「そういえば」
「ん?」
「歯の調子はどう?」
「あー……そろそろ、かもしれない」
「口開けて」

 エレキマンはためらったのちにゆっくり口を開いた。
 エレキマンたちDRNは、E缶だけでなくネジなどの金属を体内に摂取することでもエネルギーを生成できる。セラミカルチタン製の歯は丈夫だけれど、やはり定期的に経過の確認が必要になる。
 メンテナンスルーム備え付けのゴム手袋をはめて、エレキマンのうわくちびるを持ち上げる。前歯には目立ったヒビや傷はなし。
 ペンライトをつけて内部を照らすと、歯医者になった気分になる。

「早く終わらせてくれ」

 口をモゴモゴ動かしてエレキマンが言う。
 ロボットは人間以上に、内部をさらけ出すことへの抵抗が強い。
 頭部は電子頭脳や視覚センサーと言った重要な器官が密集する箇所だ。口のなかはより繊細だからか、胸部を開くよりも抵抗があるようなのだ。

「うん、大丈夫じゃない?」
「一応研磨しといてくれないか」
「珍しいね。いつもいやがるのに」
「やったほうがいいことはわかってるからな」
「じゃあ、もう一度横になって」
「ああ」
「膝枕でやったげよっか」
「じゃあそうしろ」
「え」

 冗談をすんなりと受け入れられて戸惑う。
 膝枕。
 昔はよくそうして歯を研磨したものだけど、わたしが大人になってからはめっきりなくなった。昔からわたしが膝枕したがる度に嫌がっていたエレキマンが、どうして今回に限って。

「たまには昔みたいにな」
「ま、まぁいいけど……」

 かっこつけた性格のエレキマンにしては珍しい。困惑しながら、わたしは作業台に乗り上げた。正座した膝の上にエレキマンが頭部を乗せる。

「重たくないか」
「そりゃ重たい」
「だろうな」

 ロボットは頭だけでも30キロはあるのだ。昔はエレキマンの頭を膝で挟んで、膝枕と言い張っていたものだ。
 ゴーグルとマスクを装着して、電動歯ブラシのような形をした研磨機材を取り出す。細かいモーター音をあげるそれを、エレキマンの口のなかに差し込んでいく。
 くちびるをもちあげて、一本一本歯を研磨して磨く。まさしく人間で言うところの歯みがきだけど、それ以上に危険な作業だ。
 セラミカルチタンの破片が万が一目に当たったり、手元が狂えば大変なことになる。
 目をつむってわたしに身を委ねるエレキマンは怖くないのだろうか。
 歯医者に委ねる時ですら、わたしは医療ミスを気にしてハラハラしてしまうのに。

 エレキマンの口のなかはいつみても美しい。ライト博士の技巧はこうした目に見えない箇所でもフルに発揮され、人間の咥内を再現している。
 ロボット界に携わるひとりの人間として、いつ見ても感嘆のため息が出てしまう。同時に心臓が跳ねるのは、相手がエレキマンだからだ。
 視線の角度を変えようと体を動かすと、エレキマンの頭のアンテナが服に刺さった。胸を押すような感触にドキッとしてしまう。
 思わず狂いかけた手元をどうにか修正。奥歯まで研磨を終えて、機械を止めて息をつく。
 いつのまにか足がしびれかけていた。

「終わったよ。あとは潤滑油ちゃんと塗っといてね」
「それもやってくれ」
「へ? それぐらい自分でやりなさいよ」
「たまにはいいだろ」
「なんか、今日どうしたの? 普段と違うよ」
「それはお前だろ」

 エレキマンが起き上がったので、重みから解放されたわたしは作業台から床におりようとした。爪先がつく寸前に、エレキマンがわたしの腕を掴む。腰に手を回されて、わたしは作業台に座るエレキマンに抱き上げられる。

「お前がおかしいんだ。ここんとこ、ずっと最近」
「ワケわかんないよ、それ」

 膝に座らされたわたしはいてもたってもいられず身をよじる。だけれどエレキマンの体はびくりともしない。ロボットのパワーに人間が叶うわけがないと知っているのに、わたしは必死になって抵抗してしまう。

「なにも怖がらなくていい」
「離してよ、わたし、これやだ」
「昔は喜んでただろ」
「子供扱いしないで!!」

 自分の叫びが耳をつんざくようだった。室内に音が反響し、しんと音が消える。
 わたしが子供だったのは10年前の話だ。とじ込もって作業する目的で造られた工業用ロボットが時間の流れに疎いことは知っているけど、けど。これだけはあんまりだと思った。二十歳を過ぎて久しい女が膝に乗って嬉しがると思っているんだろうか。恋人でもないのに。
 ――恋人でもないのに!

「わたしはもうあの頃とは違うよ、エレキマン。もうね、何もかもが違うの。違っちゃったの。わたし」


 ぼろぼろと涙がこぼれる。手首を掴むエレキマンの指の力はどんどんと強くなってわたしを拘束する。

「わたしじゃエレキマンたちを守れないの」

 いつのまにかエレキマンに抱き締められ、その胸元にすがっていた。
 これからの時間が怖い。時が過ぎた時、わたしのそばにエレキマンはいるだろうか。
 エレキマンのような古い工業用ロボットは、蓄積された情報が次世代の糧になるとの判断で廃棄を免れている。だけど後期DRNが暴れ回りライト博士が投獄された現状では、いつライトマンたちの廃棄が決定されるかわからない。
 所有者の問題ではない。政府がそうと決定したら、もう拒否権はないのだ。
 そうなるのが怖い。
 DRNのみんなが居なくなった世界で、わたしは生きていけるだろうか。DRNを見殺しにして生きていくなんて、許されるはずがない。

「まだ廃棄が決定した訳じゃないだろ。俺たちも昔……暴走して廃棄決定が下されたこともあった。それでも今ここで生きてる。大丈夫だよ」

 背中を撫でるエレキマンの手は大きい。体も、人間のそれとは違う強健さと頼り甲斐を誇っている。それなのに安心できない。
 一番不安なのは当人だろうに、どうしてわたしが泣いているんだ。あやすような手つきに申し訳なくなる。
 いままでずっと、わたしは自分が死んでも彼らは生きていくと思っていた。そうではないことを科学者のわたしはよく知っているはずなのに、気づかないふりをしていたのだ。
 彼ら以外の、誰かのパートナーであったロボットはいまこの瞬間も廃棄されていく。ロボットの安寧は、この世界にないのだ。
 だからだ。
 だから情緒不安定になる。

 エレキマンはなにも言わず、ただ泣きじゃくるわたしの背中をさする。わたしの涙はエレキマンのプロテクターを伝い、エレキマンの太ももを濡らした。
 わたしは百キロを越えるエレキマンの体を支えることができない。対するエレキマンはわたしの体を膝にのせ、悠々と全体重を支えている。
 わたしが憧れ、愛おしいと思ったその差が、いまはただ恨めしかった。





2014/12/19:久遠晶
2017/05/26:若干修正。  実は携帯サイトにずっと置いてあったものなんですが、ブックを作ったあと作品一覧にリンクをつなげ忘れていたアホです。ごめんなさい。自分も完全に存在を忘れていて、発見した時すごくびっくりしたし新鮮でした……(笑)。  自由にコメントなど書いていただけると嬉しいです~