その思いは、いつしか芽吹く?


 昔は会議などで忙しくて、エルピスはいつもレジスタンスベース内を歩き回っていた。
 特に司令官就任前後のエルピスは色々なことを抱えすぎていた。……それに気付いていたのになにも出来なかった私も私だ。
 そんなエルピスもサイバーエルフとなった今は、前よりもずっとこちらに素を出して、弱音とかを吐いてくれるようになった。
 だけれど……。

「シエル。前回の記録についてなんだが」
「ああゼロ、それなら――」

 シエルが取り出した小さな端末に映し出されるデータとにらめっこしながら会話を進めていくゼロ。
 データに夢中になりながら話していくうちにシエルとゼロの肩がくっついた。
 そのことふたりは気付かない。ゼロは気付いているのかもしれないけど、些末なことだと気にとめていないのだろう。
 シエルは気付いてないんだと思う。他の人に許す距離より、ゼロとの距離はほんのすこしだけ近いことに。

 私がエルピスを不安になるときは、こんなときだ。


   ***


 乾いた風が、プログラムの塊と化した身体を撫でる。
 その感覚は以前とはすこし違っていて、それがエルピスはほんのすこしだけむずがゆい。
 本来なら、ゼロに暴走した自分を止めてもらえたその時に、自分はその生を閉じるはずだった。
 それがサイバーエルフとして生きながらえ、もう二度と会うことのないと思ったシエルと会えた。レジスタンスのメンバーとしてまた受け入れられたのだ。

 そのことを思うと、いつもエルピスはむずがゆくなるのだ。

 エルピスはレジスタンスベース上空に浮かんでいた。
 サイバーエルフは鳥型レプリロイドのように上空まで浮かび上がることができる。
 荒野の地平線の先はかすんで見えない。

「こんなところにいたの、エルピス」


 真下からの声にエルピスは首を動かした。
 エレベーターから出てきたが、太陽光に手をかざしながらこちらを見上げている。
 は空から降りてくるエルピスに笑いかけた。

「そんな高くに上がってどうしたの」
「ああ、ちょっと風に当たっていたもので」
「その身体、宙に受けて楽しそう。いつも浮いてるし肩こりとかなくってうらやましい」
「レプリロイドもそうですけど……。それで、なにかご用ですか?」
「たまたま空を見上げたらエルピスがいたから。お話できないかと思って。風に当たるなら、私の話しを聞きながら当たらない?」
「フフ、構いませんよ」

 がにっこり笑い、それにつられてエルピスも笑った。
 こういう時、やはりエルピスの胸はむずがゆくなる。
 セイギのイチゲキ作戦で自分以外の作戦参加者を死なせ、シエル以外の人間すべてを滅ぼそうとした。その自分に、以前と変わらない笑顔を向けられると、どうしても。
 やはり、プログラム体の胸はむずがゆい。
 しかし、それと同時に罪悪感が胸中を支配する。

 は人間なのだ。
 ダークエルフの力に魅せられ、暴走した自分が殺そうとした『人間』なのだ。
 エルピスは、『シエル以外の人間すべて』を滅ぼそうとした。……その言葉には、人間であるも含まれていた。

(そんなわたしにも、は変わらず笑いかけてくれる)

 ゼロが自分の暴走を止めてくれて、本当によかった――そう思う。同時に、自分が生きていていいのかとも思う。
 エルピスの心は複雑だった。
 生存への安堵、同時に罪悪感。それに死なせた部下達に報いる為に、全力でレジスタンス活動にあたらねばという思いもある。

「――ってわけで、ほんと、人間相手にプロレスしかけてくるとか勘弁してって感じ! いくら子供型って言っても――エルピス?」

 自分は理性的なレプリロイドだと自負していたつもりだった。
 それが、功を急いだすえに――あのような結果になった。当時は焦っていた気などなかったが、思い返すとそういうことになるのだろう。
 奥底に封じ込めていた劣等感があの一件であふれ出し、自分を取り戻したあともエルピスを苛む。
 罪悪感が胸を突き刺すのだ。

「エルピス」

 それに……。

「エルピス!」

 荒げた声で名前を呼ばれ、エルピスの意識は現実世界へと戻ってきた。
 目の前にはしかめっつらをしたがいる。

「私の話し聞いていた?」

 まったく聞いていなかった。
 言葉につまるエルピスには溜息をついた。

「う……すみません、ちょっと考え事をしてしまって」
「……あまり根をつめないほうがいい」
「え?」
「そんな表情してたら、嫌でもわかる」

 自分の表情の変化にすらわからなかったのか、とは困った顔をした。

「……過ぎたことは忘れたらとは言わない。けど、思い出して嫌になることは吐き出すとか、そういうことをしたほうがいい」
「別に、そんな深刻なことを考えていたわけでは」
「エルピスが考えたら、なんでも深刻になる」

 言葉を途中で切って捨てられる。
 ……そんなにも悩み多き人に思われているのだろうか。多分に誇張されている気がする。
 自分の罪を悔いるのは当然のことだ。
 エルピスの心中を読み取ったのか、は眉をひそめた。

「自分がそう考えるのは当然だとエルピスが思っていても、実際当然だろうけど、はたから見ると深刻で不安」
「え?」
「悩んでるエルピスが、すっごく心配になる」
「ああ……ご安心ください、もうあのようなことは」
「っ、エルピスがモテない理由よくわかった」
「すみま……せん」

 どギツい一言を舌打ちと共に言われる。エルピスはうめくしかない。

「エルピスがうちひしがれたミミズみたいな表情してるとこっちまで大変」
「うちひしがれたミミズの表情を見たことがあるのですか?」
「無理して笑えとは言ってない。けど、エルピスは笑ってるのが一番」

 エルピスの疑問は全力でスルーされた。
 は眉をひそめ、心配そうにエルピスを見ている。
 自分にそんな表情を向けてくれることに安堵と嬉しさを感じると同時に、申し訳なくもある。
 申し訳なさを感じたといえば、は怒るだろうか。

「……心配せずとも、シエルさんたちから離れるために、ここに来たわけではありません。……いや、多少はありますが」
「え?」
「ここに来た理由が『たまたま』でないことぐらい、知っていますよ」

 シエルとゼロの前から姿を消した自分を心配して、がすこしでもエルピスの気が晴れるようにとくだらない話しを聞かせていることは知っていた。
 は驚いたと同時に気まずげな顔をした。
 そんなを心配させまいと、エルピスはできる限り笑う。

「もうシエルさんは諦めました。だから安心してください」
「……え?」
「嫌でも諦めがつきます。わたしはゼロくんにはかなわない」

 肉体としてもそうだが、なにより心の強さが……。
 シエルへの恋心はなくならないが、自分よりもゼロのほうがシエルを幸せにできるのだと――そう思う。

「だから、もういいのです」
「っそんなことない!」

 から全力の否定が飛んできた。

「わ、私、エルピスが好き!」

 エルピスは目を見開いた。の言葉は唐突だった。

「エルピスは周りの変化にすぐ気付いてすごく気を回す。そのせいで苦労しょいこむとこ不安、ためこみ癖とか心配、色々と考えすぎるし、人間だったら頭ハゲてそうだけど、そんなとこすっごく好き。それに、すごく一途で尽くし屋なところ……友達甲斐ある。でも悪い女に騙されやしないか心配。けど、そういうとこすっごくいいなって思う」
「すべて最終的に心配に繋がってる気がするのですが……」
「エルピス、ちょっと、こう……こうと考えるとがーって行っちゃうところとかある。視野が狭い。けどそういうので母性くすぐられる人は絶対いるよ! だから、ゼロにはかなわないなんてことない!」
「そんな、……」
「だって、放っておけない感じ、ゼロはエルピスに絶対かなわない!!」

 感動だいなし。

 叫ぶように言う
 フォローされているのか、バカにされているのか……すこし判断に苦しむ。
 それでも悪感情はないことはわかる。
 の表情は必死だった。肩で息をしている。

「だから、……ああ、なんて言えばいいのかわからないっ。けど……!」

 はもどかしげに頭を掻いた。

「けど、エルピスのこととても大切に思ってること、わかっててほしい」

 感情が言葉にならない。そんな様子だった。
 本気で困って、どうにかして自分を励まそうとするに、エルピスは思わず笑ってしまった。
 そんなエルピスに、は自分の言葉を冗談に思われたと感じたらしい。
 むっとするに、エルピスはかつての自分のホログラムを作り出した。
 太陽の光に揺らめき、溶け込むように現れたホログラムで、に向かって笑いかける。

「ありがとうございます。あなたに友人と思っていただけて、コウエイです」

 エルピスはホログラムを動かし、の頬に触れた。
 ……と言っても実体などないから、見せ掛けだけだ。エルピスにもにも、感触はない。

「わたしにとっても、あなたは大切……です」

 最大限の礼だった。
 エルピスにとってもは、気の置けない大切な友人だった。

 そして、大切な――仲間。
 仲間と思っていいのだろうか。
 とんでもないことををしでかしかけた自分が、レジスタンスのメンバーにいてもいいのだろうか……そんな不安は消えてなくならない。
 だけれど、シエルやは再会し自分に「おかえり」と言ってくれたから。
 エルピスは胸のむずがゆさに任せ、嬉しそうにはにかんだ。
 シエルやたちに、仲間と言ってもらえることが嬉しかった。

「そんなあなたに心配をかけてしまっていたこと、反省しなければいけませんね。わたしは――?」

 ぽかん、と口を開けて硬直しているに問いかけるも反応はない。
 エルピスはホログラムの身体での顔を覗き込んだ。

?」
「え……わわっ」

 慌ててが後ずさる。
 エルピスとしてはかなり傷つく動作なのだが――の頬は何故か赤くなっていた。
 ホログラムが触れた頬に自分の手を重ね、困ったようにエルピスを見上げる。

「?? …………? も、もしかして照れてます?」
「っっ……エルピスの女ったらし!! ばか~!」

 エルピスが尋ねると、辛抱たまらないといった様子のは全速力で逃げていってしまう。

 その場に取り残されたエルピスは、しばし硬直したあと、首を傾げた。
 ……意味がわからない。
 は照れていたが、自分はに言われたことをそのまま返しただけだ。
 確かに女性に使う表現ではなかったが――先に言ってきたのは向こうだろう。
 自分の言葉が女たらしになるのなら、の言葉は男たらしになってしまう。

(なんなんだ、あの人は……?)

 エルピスはの反応に戸惑っていた。
 ……わけがわからない。
 自分は友情以上の好意をもたれているのでは、という推測を首を振って流す。ゼロならはともかく、相手は自分だ。
 しかし……推測を流しても、胸はほんのすこしだけむずがゆいままだ。
 考えてみれば、シエルにはどんなにアプローチしても気付いてもらえなかった。
 だからだろうか。自分の発言に照れて、驚くの反応が新鮮で、嬉しいと思うのは。
 恥ずかしがるは、ありていに言って可愛かった。

(エルピスは笑ってるのが一番……か)

 むずむずする胸を押さえ、エルピスはすこしだけはにかんだ。
 困ったものだ。だが、悪い気はしない。
 形式番号、TK31。自らつけた名をエルピス。
 胸にうずく感情が芽吹き、彼が名前をつける日も近い。





2010/11/22:久遠晶
 エルピスがシエルをふっきるまでの道程をちょろっと書いてみました。
 照れる夢ヒロインに照れるエルピスが書けたので満足です!
 みんながもっとエルピスを好きになる祝福をかけておきましたので、気が向いたときにでも私にエルピスさんください。マジに。