好意の証明
それは唐突だった。「これ、あげる」
非戦闘要員――アルエットに挨拶もなしにそう言われた。
自分に向かってのばされた手にはちいさなEクリスタルが握られていて、アルエットの言葉がEクリスタルを指しているのは明白だった。
「え……わたしに、ですか?」
エルピスは思わずそう尋ねてしまった。
サイバーエルフとなる前も、なった後も、非戦闘要員との接触はきわめてまれだった。特にこのアルエットという少女型民間レプリロイドから怖がられている自覚はある。
いつも、目が合うとびくりと身体をすくませぬいぐるみに顔をうずめる少女が、なぜか今日に限ってはわざわざ自分にEクリスタルを差し出している。
なにか著しい心境の変化でもあったのかと思ったが、おどおどした様子で自分を見るそのまなざしはいつも通りだ。
「いつもの配給からすこしずつ我慢したやつだから、少ないけど……」
「えーっと、お気持ちは嬉しいんですが、いったいどうして?」
悪い意味でもいい意味でも、アルエットになにかした記憶はない。
アルエットの行動が不可解だった。
アルエットはぬいぐるみに顔をうずめて、おどおどとエルピスを見た。
「……バレンタイン、だから。みんなにくばってるの……」
「バレンタイン?」
聞きなれない単語だった。思わず眉にしわが寄るエルピスだったが、それを見たアルエットがびくりと身体をすくませる。
しまった、怖がらせた――反射的に舌打ちをしそうになるもどうにか耐える。
なんとかしてアルエットの緊張をほぐしたいと思うのだが、そう思えば思うほどに適切と思しき反応は出てこない。
う、とかあー、などとうめきながら、とりあえず差し出されたEクリスタルを受け取る。
するとアルエットはやはりおどおどした瞳でエルピスを見た。
思わず息がつまる。
「じゃ、じゃあ……!」
「あっありがとうございます!」
逃げるように踵を返し、ぱたぱたと駆けていく背中に声をかける。
廊下は静かに! と言った注意は浮かばず、あのちいさな少女が転んでしまわないかということが心配になった。
「なんだったんでしょうね。いったい」
呟くも答えはない。
その後、レジスタンスベースの廊下を移動していると、エルピスはこちら側に歩いてくるピックと目があった。
ピックには荷物整理を用事を頼んでいたはずだ。それが終了したという知らせは入ってない。
またか、とエルピスは思った。
「ピックさん、頼んでいた用事は終わったんですか? こんなところでなにをしているんです」
「あぁ? 相変わらず小言がうるさいねぇ。こんな日ぐらい、オイラのサボリ癖を見逃してくれてもいいんじゃない?」
「こんな日……ぐらい?」
言っている意味がわからなくて、エルピスは首をかしげた。
ネオ・アルカディアの人間にとってならばともかく、レジスタンスにとっては日にちというものは時間の経過を告げるものでしかない。
たとえばシエルの誕生日などであれば、確かにその日は特別な日になるだろう。
だが、今日はシエルの誕生日ではないはずだ。
もしかして、『バレンタイン』というものと関連があるのかもしれない。だが、ピックはエルピスへの疑問に回答を示さなかった。
「なにって――いんや」
言葉を途中で止め、ピックは笑う。人を小馬鹿にするような、ピック特有のいやな笑みだ。
「教えるのはやめとくよ、あとで誰かに聞きな。――あぁ、あと、これやるよ。ロシニョルからアンタに渡すよう頼まれたのさ。サイバーエルフには必要だろ?」
「えっ、このEクリスタルを? サイバーエルフには必要と言っても、わたしは育ち
ませんよ。むしろレプリロイドであるあなたのほうが」
「いいからいいから。ケチったもんだから量が少ないけど、文句言わないでくれよ」
「え? は、はあ……ありがとうございます」
半ば押しきられる形で、エルピスはピックからEクリスタルを受け取った。
ピックは頭をかきながらせかせかと廊下を歩いて行く。
渡された少量のEクリスタルが、エルピスの手の中できらりと光る。
***
アルエットとピック。二人から渡されたEクリスタルを両手に持ちながらエルピスがエレベーターを待っていると、やってきたエレベーターからオトリッシュが出てきた。
オトリッシュは相変わらず陰気な顔をしている。
「ああ、エルピスさん。こんにちは。これどうぞ」
「え? Eクリスタル……あなたもですか?」
「量が少ないのは勘弁してくださいね、相手がわたしじゃ嬉しくないかもしれませんが……」
「そんなことはありませんが……どうしたんですか?」
「いつもお世話になってますから……それじゃ、わたしは荷物運びがあるので……」
オトリッシュはぺこりと一礼をすると、そのまま歩いて行く。
『バレンタイン』と、Eクリスタルを渡してくる理由を追及しようとしてエルピスは振り返るが、次の瞬間硬質のなにかに顔面を強打された。
「ぐはっ!!」
「オッシャーホールイン・ワーン!!」
思わず顔面を押さえるエルピスの足元で、コロコロとEクリスタルが音を立てる。 指の隙間から廊下の突き当りでメナートが喜んでいるのが視界に入る。どうやらEクリスタルを全力で投げられたらしい。突然のことに回避もなにも出来たものではなかった。油断していた。
ちなみにオトリッシュはすぐそばの部屋に入ったため、廊下にいるのはメナートとエルピスのみだ。
「きっれいに顔面にはいったなぁ! どうだ、俺のコントロール技術は!」
「ぐぐぐ……」
「うは、すっげー顔!」
エルピスはサイバーエルフとはいえ、元はレプリロイドだ。さほどの痛みはない。だが、精神的な屈辱感は格別だった。
だが相手は子供。激怒するのも大人げない。
「……危険ですよ、わたしだったからよかったものの……っ」
「そりゃあ、エルピス相手じゃなきゃやんねーよ」
カチン。怒っていいか。
エルピスの怒りの表情に、メナートはまた笑う。
「まあ、どうせだからそのEクリスタルはやるよ。笑わせてくれた礼ってヤツだ」
「……そうですね、これほどの元気があるのであれば、毎日の配給をおさえても動けますよね。しばらく朝・昼・夕のEクリスタルを1/3に減らすよう言っておきましょう」
「おいっそりゃねーぜエルピス!」
Eクリスタルを拾うと、エルピスはエレベーターに入り、メナートがなにか言う前に「閉」のボタンを押した。
***
四階についたエルピスが廊下を歩きだすと、今度はイロンデルがやってきた。
「やあエルピス! 君は知っているかい? 今日はとってもいい日なんだよ!」
「それ、ピックさんも言ってましたね。いったいなんなんですか……?」
エルピスの返答はすこしだけ投げやりだ。メナートの件が尾を引いている。
「ぼくは知っているよ、今日はバレンタインって言って、大切な人に感謝を伝える日なんだ!」
「そうなんですか? どおりで、オトリッシュさんとかが……」
「詳しくは指令室にいるシエルに聞くといいよ。というわけで、これをあげるよ」
「え、あ、いやっ……ああっちょ、待ってください! ――行ってしまった……」
相変わらず騒がしい人だ……とエルピスは思ったが、悪い気はしない。
――感謝、か。それをわたしが受け取っていいのだろうか……。
もちろん嬉しい気持ちはあるが、自分がしでかしたことと、しでかしそうになったことを考えると抵抗がある。
ため息を飲み込んで、エルピスはイロンデルが言うとおり司令室へ向かった。もとより司令室には用事があるのだ。
その途中、エルピスはメンテナンスルームの前でロシニョルを見つけた。
「ロシニョルさん」
「おや、エルピスさんじゃないか」
ロシニョルはエルピスが抱えたEクリスタルの山を見て、くすりと笑う。
「その様子じゃ、もらう相手には困ってないみたいだね」
「ははは……おかげさまで。どうやら、今日はバレンタインという日らしいですね。でも、すぐにお返しできるものを持っていないので、申し訳ないです」
「いいんだよ。アンタが笑ってくれれば、それが礼さ」
思わず照れ笑いがもれた。いたずらっぽく笑うロシニョルの表情がむずがゆい。
迷いはあるが、嬉しいものは嬉しいのだ、やはり。
「ロシニョルさんもありがとうございます」
「え? なにがだい?」
「ピックさんから、ロシニョルさんからのEクリスタルをいただきました。いつもありがとうございます」
「え、あたしはピックにエルピスの分を渡してくれなんて言ってないよ?」
「えっ? ですが……」
エルピスは怪訝な顔をするが、ロシニョルは事情を察したように豪快に笑い始めた。
「あっはっは! そういうことかい! ったく、ピックのやつは……普段はこ憎たらしいのに、こういうところが憎めないんだよねえ」
エルピスの背中をばんばんと叩くロシニョルは嬉しそうだ。笑いのあまり涙すらこぼしそうな勢いのまま(といってもレプリロイドは涙しないが)、ロシニョルは取り出したEクリスタルをエルピスに押し付ける。
「もうピックから私のぶんはもらってるみたいだから、これはピックのぶんってことでいいよ。あはは、今日は本当にいい日だねえ!」
「ええっ、あの、ロシニョルさんっ?」
やはりロシニョルは笑ったままで、廊下の向こうへと行ってしまう。
途中でロシニョルとすれ違ったイブーは笑顔のロシニョルに急に背中をたたかれ、なにがなにやらわからない様子だ。
「やあ、エルピスさん……ロシニョルさんはどうしたんだい? とてもうれしかったけど」
「いやあ……それが私にも……あ」
「うん?」
「そういうことですか、もしかして?」
「え、え、? なにかあったの?」
「えーと、内緒です」
頭によぎった考えは、なぜだか他人に言う気にはなれなかった。
自分だけの秘密にして、胸にとどめて楽しんでおきたい――そう思ったのだ。
イブ―はすこしだけ不服な顔をして、それからくすっと笑った。
「まあ、エルピスさんが楽しいならいいんだけどね。そうそう、はい!」
「ええっ、あなたもですか? うれしいんですが、色々な人からもらいすぎてどうしようって感じですよ。これ、はたして私の食事の何カ月分になるんでしょうか」
「ああ、サイバーエルフはそんなにEクリスタルを補充しなくてもいいもんね。うらやましいなぁ」
「うーん、レプリロイドからサイバーエルフになった身としては実体のある身体がこいしいんですけどねぇ」
「そういうものかい?」
「そういうものですよ。サイバーエルフって色々ふべんですよー。この前が高い位置にある本をとれずに四苦八苦してたんですが、サイバーエルフですから手伝えなかったんですよね。レプリロイドでしたらその時本をとって渡せたのに」
「あらら……それは、確かに」
ふたりでくすりと笑う。
「もう十分もらいすぎてるって感じだけど、ボク、ダイエット中だからさ。エルピスさん、もらってくれない?」
「ええっ? あの、すみません、なにもお返しもできないですけど」
「大丈夫さ、ホワイトデーっていうお返しの日もあるみたいだから。まあ、ボクにお返しはいらないよ。もらってもらわないと、困るからさ」
「でも、あの、レプリロイドは太りませんよ」
「気持ちだよ、気持ち!」
そうして、また、Eクリスタルを押し付けられる。
すでにサイバーエルフであるエルピスには重すぎるほどの量がエルピスの両手には抱えられている。しかしなぜだかその重みがありがたく、エルピスは困ったように笑うことしかできなかった。
***
「それで、シエルには会ったの?」
「ちょっとゼロさんとたてこんだ話をしているようだったので、ひとまずあなたの部屋にお邪魔させていただきました」
「そう」
端末と向き合うは、短く返事をした。
シエルがゼロと会話をしている。だから遠慮した。
そんなエルピスの言葉に、すこしばかりの居心地の悪さを感じているのかもしれない。
司令室に行くのをやめた後、エルピスは理由もなくの部屋に来ていた。
部屋の主はエルピスに背中を向け、端末を操作してなにやら作業をしている。さきほどからエルピスが一方的に今日の出来事をの背中に向かって語りかけている状況だ。 からの相槌はほぼないに等しかったが、作業をしながらでもエルピスの話は聞いていたらしい。
「それにしても、素敵な風習ですよね」
「バレンタインとは通常、女性が男性にチョコレートを贈る日、とされる。たとえ嫌いなやつであっても 女性はなかば強制的に『男に義理チョコを贈ること』を余儀なくされ、男はホワイトデーになかば強制的に『女にプレゼントを返さなくてはならない』。面倒な話だわ。女性差別の男性差別よ」
「そ、そうですか……」
ネオ・アルカディアにいた時、色々と苦労したらしい。
「でも、好きな人に心ばかりのお礼をする日という、シエルの解釈は素敵だと思う」
カタカタと端末を操作しながらの言葉。
が微笑んでいるのが、声色からでもわかった。
「ええ、本当にそう思います。でも、残念ながら今、やみなさんに渡せるものがないんですよね。……私がお礼をする日は、ずいぶん先になってしまいそうです」
「別に私はいらないわ。それにEクリスタルなんてもらっても使わないし」
「じゃあ、なにがいいんですか」
「チョコレートは、嫌いじゃないけど……まあ、このご時世にそれを言ってもね」
「なるべく物資以外のもので」
「特にない。私がほしいのは私の研究の成果だわ」
「……尽くし甲斐のない女性ですね、モテませんよ?」
「あなたにそれを言われても」
それはそうだ。思わず苦笑する。
不意にが振りかえった。
「で、司令官殿はこんなところで気持ちの催促?」
「えっ、ああすみません、そういうわけじゃ」
「思うんだけど、しょせん、このなかじゃEクリスタルの交換になるだろうし、それなら渡さなくても一緒じゃない?」
「気持ちがこもっていればただの交換でも、ありがたいじゃないですか」
「そうかしら。ホントに気持ちがあるなら、もっと特別な物を贈ろうと思うわよね。でも、物資もないし、仕方ないからEクリスタルの贈り物。それは理解できる。でもわざわざ交換するのが意味がわからないのよ」
「……」
「交換なんてプラスマイナスゼロでなんの利益にならないじゃない。物を贈るなら、一方的にやるべきじゃない? 返すのなんてめんどくさいだろうし」
「あなたって人は……。ほんっとに、ロマンとは縁遠い人ですね」
「司令官殿はロマンチックなものがお好き?」
「人並みには……」
人並みにそういったものへの憧れはあるつもりだ。
エルピスがシエルに思いを告げるために考えていたプランは、正義の一撃作戦に成功しレプリロイドの未来を勝ち取り、英雄となった自分がシエルにそれをささげるといったものだった。
「……」
「――ごめんなさい。どうやら傷跡をえぐってしまったみたいね」
「いえ……すみません」
当時のことは考えるにいたたまれない。
「まあ、そういったものへの憧れは総じて分不相応なものになりがちですから。それでも、ロマンや夢は必要だと思いますけどね」
「それを夢だと自覚しているなら?」
「いいえ、それを現実へと変える努力をするなら、です。……わたしが言うのも、非常に説得力がないのですが……あはははははは」
「ある意味で非常に説得力がある気もするけど……」
「とにかく、自分の弱さを認めたうえで、努力することが大事ということですね」
そう、シエルのことはあきらめたが、シエルにずっと笑顔でいてほしい――そんな努力をあきらめることはしたくない。
だからと言って、思い人が自分には向けたことのない笑顔で、自分には向けないであろう特別な思いをこめたものをプレゼントする様子というのは――なかなかに精神にくる、ものだ。
呼吸が止まり、冷たいものを背筋にあてられた感覚。
二人の空間が暖かであればあるほどこちらの頭が冷めていく感覚というのは、決して心地よいものではない。
その感覚を忘れたくての元へ来た、と言っても嘘ではない。とにかくなにか話をして気をまぎらわせたかった。
「……そんなにシエルが好きなの?」
考えにふけっていると、唐突な質問をなげかけられる。思わずアイセンサーを開いた。
不安げな表情は、エルピスのことを心配してのものだろう。
「まあ、そうですね。シエルさんの気持ちを知っても、簡単には消えてくれません」
「――そう」
陰りのある表情は失せ、彼女は興味を失ったように端末に向き直った。
カタカタと端末を操作する音が響く。
エルピスはなにも言わずに、ただその後ろ姿を見ていた。
「エルピスにだったら、こんな日じゃなくてもエルピスのためだけに特別なものを贈り続けるのに」
「えっ? なにか言いました?」
「計算がうまくいかないだけ」
「そうですか。珍しいですね、あなたが」
「人をスーパーコンピューターと思わないでね」
呟かれた言葉。
その意味をエルピスが知る日は遠い。
後日エルピスは自室にて特大のEクリスタルが置いているのを発見するのだが、結局贈り主は名乗り出ることはなかったという。
2011/5/15:久遠晶