衝動、あるいは理性


 意味がわからない。
 は思った。とても思った。すごく思った。
 というか、そもそも考えが止まった。なにを考えていたのか、すべて飛んだ。考えが飛んだことにも気付かない。
 それぐらい、エルピスの言葉は衝撃的だった。

 たっぷり10秒かけて硬直状態から抜けたは(それでもゼロたちよりはよほど早い)眉間に手をやって、すこし待ってとエルピスに手の平を向けた。

「ごめんっ……意味がわからない」
「ですから、妊娠したんです」

 エルピスはけろりとして言った。
 いやだから。

「待って……い、一応聞くわね。誰が?」
「わたしです」
「誰の?」
「いやだなぁ、あなたのに決まってるじゃないですか。さんっ」
 エルピスはにっこり言った。すっごく嬉しそうだった。

 ――正直でオチだと思うのだがそんなの関係ねぇ――

「……っえ、ええええええええ!!!?」

 より一寸遅れて硬直から解放されたレジスタンスメンバーが、そう叫んだ。

「えっ、エルピスさま……ど、どうなさってしまったのですか!」
「いえですから妊娠です」
「正気かいエルピス!」
「いたって正気ですとも」
「セイギのイチゲキ作戦が失敗したせいでネジが飛んじゃったの!?」
「シエルさんその節はすみませんでした」
「シグマウイルスにやられたか!」
「ゼロくんそれシリーズ違います」
「エルピス、もしや新しい武器の実験台になってもらったせいで回路が」
「だーかーらっ! 人工頭脳の異常じゃないですって」

 一同の怒涛のラッシュに耐え切れなくなったエルピスが叫んだ。

「ですから、私は本当に妊娠したんですっ!」
「……シエル、レプリロイドって子供つくれんの」

 、一応科学者シエルに聞いてみる。

「んっとね、100年前だったら、レプリロイドにも人間と同等の人権があったから、国に申請すれば自分の子供としてレプリロイドを製造してもらえたり、養子にとれたりしたみたいなんだけど……(ぼそぼそ)」
「今は……(ぼそぼそぼそ)」
「民間レプリロイドがみんなイレギュラーとして処分される今の時代じゃ……。それに、そもそもレジスタンスにそんな設備……(ぼそぼそぼそぼそ)」

 そう。レジスタンスにそんな設備があるはずがない。
 メンテナンスや武器開発の設備はあれど、新しくレプリロイドを製造できるだけのエネルギーも物資もなにもない。

「なるほど。エルピス、それはお前の妄想だ」

 ゼロ、ゼットセイバーより鋭く斬り捨てた。

「フフハハ、なにを言ってるんですかゼロくん。レプリロイドにもおなかのこの辺りに子供をつくる器官があるんですよ?」
「どっかの漫画みたいな台詞言うんじゃありません」

 エアマスター全28巻発売中!
 地の文で無関係の漫画の宣伝するなと思ったそこのアナタ! 私も思う。

「冷静になろう。いやさ、どうしてそういう思考に至ったワケ……?」
「何故って、それは――」

 頭を押さえながらのアジェナ。エルピスのぶっとんだ思考に戸惑いを隠せない。
 口を開こうとしたエルピスはふと言葉を止めて、きゅ、と眉を寄せた。

「……嬉しく、ないんですか?」
「へ?」
「それに、さっきも……!『誰の?』だなんて、わたしがあなた以外の人に肌を許すとでも思ってるんですか?」
「いや、えーと……」
「……喜んでくれないんですか?」

 エルピスは傷ついたような表情でそう尋ねた。そういう表情をさせてしまったことにの心がちくりと痛んだ。
 妊娠を報告した時に、恋人に「誰の?」なんて聞かれたら、女性なら誰だって傷つくし怒るだろう。
 でも。
 でもさ。

「私とあなた……な、なにもしてない、じゃない。こどもができるようなこと……」

 AもBもCもしてない。あ、手は繋いだ。
 エルピスとは恋人同士だ。
 先に好きになったのはで、その後エルピスがになびく形でふたりは好きあい、交際が始まった。
 恋人同士になったからと言って特別なことをするわけでもなく、二人は共にいた。
 ただそれだけだ。

「なに言ってるんですか。なにかしたでしょう」
「い、いや、なにもしてないわよ! したって言っても、せーぜー手繋いだりとか、一緒に寝たりしたぐらいで……!」
「へぇー。意外ににやることやってんだねぇエルピスのヤロウ」
「おやおや、若いのう」

 ニヤニヤ笑いのピックとじじい丸出しのじじいを筆頭に一同の視線が自分に集まっていることに気付いて、はあわてて口をつぐんだ。
 ――どうして私がこんな恥ずかしい目にあわなきゃいけないのっ!
 目の前のエルピスを睨むと、どう勘違いしたのかにっこりと笑い返された。綺麗な笑みだが今は腹が立つ。

 と、そんな時アルエットが前に出て、の服の裾を遠慮がちに掴んだ。

「アルエット……?」
「ねえ、さっきからにんしん、とかこどもをつくるとか言ってるけどさ……」
「は、はい」

 、何故か敬語。嫌な予感がした。

「赤ちゃんってどうやってできるの?」

 ――子供から質問されて困ることベスト3――
 1 あかちゃんってどうやってできるの?
 2 パパとママがねるところが別々なのはなぜ?
 3 ママ、どうしてパパはいつも女物の香水をつけて帰ってくるの?

 アルエット、爆弾投下。
 一同石化。
 予感が的中したアジャナは白目を剥いた。

「ねえどうして?」

 純真な子供の瞳に見つめられ、はうめくことしかできない。
 助けを求めるように周囲を見渡してみるも、全員から目をそらされる。
 畜生、私に味方っていないの? やさぐれたくなるだが、その余裕はいまはない。

「ねえー、子供ってどうやってできるの? わたし、ずっとふしぎだったんだ。人間ってレプリロイドと違って工場じゃないでしょ?」
「いいですか、子供の出来方というのはですねぇ」

 答えあぐねる一同を知ってか知らずか、エルピスが一歩前に出る。

「え、エルピスあなたへんなこと教える気じゃ――」
「いや、待て
「え? ゼロ……」

 静止の声をあげようとしたの肩を、ゼロが掴んで止める。

「エルピスがなにをどうトチ狂ったかは知らんが、人間とレプリロイドの間に子供が出来ようはずがない。残念だがな。ならば、エルピスの言う『子供のつくりかた』が子供の夢を壊すことにはならないはずだ。
 人間とレプリロイドに子供ができないことはアルエットがのちのち学んでいけばいいこ。エルピスについては……そこはお前が根気よく説得……というか教えてやればいい。そうだろう?」
「……ゼロも、子供の夢とかちゃんと考えるのね」
「そこかい」
「冗談。でも……そうね。いい作戦だわ」

 、さりげなくエルピスの対処を押し付けられたことに気付いていない。そして別に作戦でもなんでもない。
 アルエットはエルピスをおびえた目で見ている。アルエットはエルピスに対して苦手意識を持っているのだ。

「いいですか? アルエットさん」
「う、うん……」
「赤ちゃんというのは……」
「ん……」
「コウノトリが運んでくるんですよ」

 全員ずっこけた。

「コウノトリって…鳥さん?」
「ええ。最近はレジスタンスベースからもかもめが見えるでしょう? もしかしたら見えるかもしれませんよ」
「うんわかった、行ってみるね!」
「ええ、いってらっしゃい」

 笑顔で出て行くアルエットを見送る一同。
 そんな時、ピックが盛大な溜息をついた。

「あー、拍子抜けした。じゃよお、あとはよろしく」
「えっ……ちょ、ピック!?」
「やっぱりこういうのは恋人同士でちゃんと話し合わないとねえ。それじゃあ、ちゃんと話し合うんだよ!」
「ろ、ロシニョルおばさん!?」
「やっぱり、恋人同士の重要なことだもん、人がいないほうが話しやすいわよね……?」
「シエルあんた自分が相手したくないだけでしょ」
「人間とレプリロイドですので、色々問題や障害があるかと思われますが……応援しています」
「あ、あのっジョーヌ待って」
「大丈夫だ、。……オレを信じろ」
「いまこの状況でゼロのなにを信じたら状況が打開っていうのっていうか、ああ扉閉めないでー!!」

 悲鳴空しく、扉は閉まる。
 背後に、異常な挙動をしめす恋人をのこして……。
「なんてこと……あの人たち、そっこーで電子ロックかけたわ……」

 レジスタンスベースの部屋は通常室内からロックをかけるが、非常事態のときの為に外からもコード入力でロックできる設計になっている。
 もっとも、メンバー全員が解除コードを知っているため、レジスタンスの人間を閉じ込めることはできない。

「気をきかせてくれたんです。すこしはゆっくりしましょうよ?」

 慌ててコードを解除しようと端末へ伸ばした手に、エルピスの指先が重なる。
 の指先が跳ねるのも構わず、エルピスは後ろからを抱きすくめた。

「エル……ピス」
「特に、最近のあなたはお疲れぎみですからね。人間は休まず動いたら倒れてしまいますよ」
「わ、私は平気よ。みんな頑張ってるんだし、私も頑張らないと――」
「それで倒れたら元も子もありません。あんまり自分をいじめるとひどいことになりますよ。壊れてしまいます」

 確かに、最近は立ちくらみが多くなった。疲れている自覚はある。
 疲労は隠し切れている自信があったのだが……まさか看破されていたとは。
 さすがに、司令官を任されたことのあるだけはある。

 無理をするな、と言う言葉は通常なら心が楽になる言葉だが、今は素直に肩の力を抜くことが出来ない。
 恋人に抱きすくめられている、という状況もそうなのだが……。
『さっきまで子供ができたうんぬんって言ってたヤツに壊れてしまいますよって言われたくねぇ。お前は頭イカレたんと違う?』
 の気持ちをものすごくらんぼうに要約するとこうなる。

「……ねえ、。わたしはが好きです」
「う、うん……ありがと」
「あなたは?」
「えっ。あ、いや……。ど、どうしたのよ、そんな、急に……」
「だって……あなたが喜んでくれなかったから」
「へ?」
「子供……」
「ああ……」

 、溜息とともに脱力。

「嬉しくありませんか? わたしとあなたの子供」
「……そんなこと、ない……」

 考えてみる。自分とエルピスが、二人の子供を伴って野原に出かける光景。
 それはとても素敵なことのように思えた。
 だけど……。

 レプリロイドが子を成すということは現実にはありえない。
 人間が、レプリロイドと子を成すということもありえない。

 無機物と有機物。鉄と肉。決して交わらない二人。
 それでも、鉄と肉なんて焼いたら食えるかどうかの違いぐらいしかないわと言ったのがで、そう言われると大した違いでもない気がしてきます、と苦笑したのがエルピスだ。

 実際のところ、エルピスがどうトチ狂って妊娠と言い出したのかは謎だが、子供が本当に出来たらいいな、とは確かに思う。
 後ろから抱きすくめられていたは、エルピスの腕のなかで向きを変えた。正面から抱きしめる。

「とても素敵よ。すばらしいわ。あなたの子供、見てみたい」
「そうですか……ああ、よかった……わたし、不安になったんですよ?」

 振り返ってエルピスを見ると、彼は安心したように笑った。
 ダークエルフの力に見入られ暴走してしまったエルピスは、その後レジスタンスに戻ってからも罪の意識に苛まれ笑顔を見せなくなった。だが最近はこうして笑顔を見せてくれる。
 それがとても嬉しい。
 自分だけではなくて、みんながエルピスの笑顔を知っている。それが、嬉しい。
 愛しいエルピスの愛しい笑みに流されて、は現状のおかしさを忘れてしまう。

「ごめんね、不安にさせて。私もエルピスのこと……す、すき、よ?」
「ハハ、顔真っ赤ですよ」
「う、うるさい」
「そういえば民間のレプリロイドから聞いたんですが、人間は親愛の情を示す好意として唇を触れ合わすそうですね?」
「へ……え、えええ!?」
「ねえ、キスしたいです。ダメですか?」

 表面上は決定権をにゆだねつつ、エルピスはに顔を寄せる。

「だ、だめよ…そんなっ…」
「なぜですか? 付き合ってるんだからいいでしょう……あなたがわたしのものだと、実感させてください

「いや、ちょっ、こ、心の準備がっ……!」
「いま、してください」

 囁きと共に、吐息が唇にかかる。意を決してぎゅっと目をつぶっただったが――。
「げぷっ」
「げ、げぷ?」
「う~……」
「ちょっと、どうしたの……っておも、重!」

 うめき声と共に、エルピスの全体重がのしかかってきて、は扉に思い切り頭をぶつけた。レプリロイドと人間の体重はさほど変わらないとは言え、支えきれるものではない。はエルピスと共に、ずるずると床に倒れ込む。
 はギブ! ギブ!
とうめきながら、エルピスをずらし下敷きになってしまった身体のうち、どうにか胸だけは脱出する。腹部にエルピスの胸部の重みがきて呼吸がしずらいが、先程よりはマシだ。
 怒るの声にもエルピスは無反応だ。エルピスの目は閉じられている。どうやらスリープモードにはいっているようだ。

「寝てる……。しかし、なんなのよげぷって。ふつう、キスの直前にゲップする……? しかも直後に眠る……?」

 人並みにロマンチックなものに対する憧れはあるつもりだ。は予想を裏切る展開に脱力し、あからさまに眉をしかめた。
 別に、キスされたかったわけではない。肺がつぶれそうなほどの密着に心臓はドキドキしているし、キスの覚悟は決まっていない。それでももの寂しさというものがあるのだ。
 キス未遂を喜べばいいのか、残念がればいいのか。複雑な心境でため息をはいたの頭の先で、扉が重厚な音を立てて開いた。

さ~ん、呼んでも返事がないからロック勝手に開けちゃったよ。頼まれていたファイルなんだけど~って……お邪魔だった?」
「イブー……!待って、逃げないで! 助けて……!」

 扉をあけて入ってきたのは、先ほどの暴走するエルピスとのやりとりの時にいなかったイブーだった。
 はたから見ればエルピスが恋人を押し倒しているようにしか見えない光景だ――慌てて踵を返すイブーを、は必死に引きとめる。
 状況を端的に説明して、エルピスの下から脱出するのを手伝ってもらう。

「ありがとう、助かったわイブー……」
「急にスリープモードに入ったんだっけ? エルピスさん、どうしちゃったんだろうね」
「さっきも、へんなことばっかり言うし……シエルに緊急メンテナンスしてもらったほうがいいんじゃないかしら……」

 先ほどはほだされそうになってしまったが、今日のエルピスの言動は常軌を逸している。電子頭脳になにか重大なエラーがあったら……と思うと不安にたまらなくなるに、イブーはのんきな声で、誰に言うでもなく言葉を発した。

「やっぱり、五十年前のコーラをのませたのはまずかったかあ。熟成されてていいかんじだと思ったんだけどな」
「……は?」
「ほら、旧居住区に探索に行った時に見つけたんだよね、五十年もののコーラ。もちろん人間であれば腐った炭酸飲料なんて飲めないけど、レプリロイドにとってはお酒みたいなものだろう?」

 だから大丈夫だと思った。だが自分が飲むには勇気がいったため、エルピスノをだまくらかしてコーラを飲ませた。
 俯いてわなわなとふるえるに気付かずに、イブーはそう説明した。なんてこともないように。

「特に異常行動もなかったから安心だと思ったけど、急にシステムがオーバーしちゃうなんて危ないね。ボクは飲まないようにしよっと」
「待ちなさい」

 その場を立ち去ろうとするイブーの肩を掴んで止める。
 『子供ができた』とのたまい、周囲にお花畑の胞子を振りまくエルピス……目の前の肥満体形のレプリロイドはその元凶だ。

「人間と同じ間接をしている以上、プロレス技は有効よね? でぇーいジャーマンスープレックスぅー!!」
「うわああー! な、なんなんだよさーん!!」

 イブーの叫び声がレジスタンスベース中にとどろいたが、事情を知ったものは誰ひとりとしてかばいだてをすることがなかったという。


 数日後、目を覚ましたエルピスはコーラを飲んでからの記憶を失っていた。人づてから自分のおかしな言動、イブーにだまされたことを知ると、今度はエルピスから折檻された。
 はしばらくエルピスに近づかれる度にキスされそうになったことを思い出し、顔を赤くして逃げてしまう日々が続いた。そのたびに、エルピスのイブーへの風当たりがきつくなるのだった。
 そんな折……。

「エルピス」
「はい……珍しいですね、あなたから声をかけるなんて」

 エルピスに近よらなくなったは、よほどのことがない限り人づてに連絡を済ませる。エルピスも理解しているため、寂しくはあるが文句を言ったことはない。
 エルピスとの距離は五メートルほど。それでも、視界のまんなかにがいる光景がもはや懐かしいとすら思えてきて、エルピスは想像上の涙をのむと同時に、そうさせたイブーを恨んだ。

「……どうかしたんですか?」
「うるさい」

 久しぶりの会話は切って捨てられた。
 が足を広げ、ずんずんと距離をつめてくる。思わず困惑しながら後ずさりするエルピスだったが、すでにはエルピスの眼前にまで到達していた。
 胸元を掴まれる。
 ヘルメットから露出した部分の唇が、ぬるりとした温度を近くする。
 掴まれた胸元をどんと押され、二人の間に冷えた空気が入り込む。
 俯くの表情はわからない。
 踵を返すの髪が舞うのを見ながら、『そういえば、キスをねだった気がする』とぼんやりと思いだした。

「変に不安になったりしなくても、私はホントに『あなたのもの』よ、拒絶なんてしないわ。――子供はできないけどねっ、馬鹿なエルピス!」

 真っ赤な笑顔で悪態をついて、はレジスタンスベースを逃げるように駆けていく。
 その場に残されたエルピスは思わずしゃがみ、イブーをうらむべきか感謝するべきか悩んだという。





2013/1/31:久遠晶
これの書き始めは三年前、高校の時でした。ずーーーっと放置していたのですが、最近やっと続きを書く気になったので完成できました。
前半の文章はほぼ当時のままなので、書きだした当初と文章の量が変わったことを実感させられて時間の流れを感じます。どこらへんから続きを書いたのかすぐわかっちゃう。