恐怖とレプリロイドと人間と


 人が暗闇を恐れぬようになり、人が神を畏れぬようになったのはいったいいつからであろうか。
 炎で闇を克服した人間は、いつしか科学によって魔術に打ち勝った。
 いいや、それは違う。
 人は電灯で闇を排斥し、科学によって魔術を否定しただけだ。

 人は恐怖を克服できない。だからこそ人は、恐れの根源を拒絶する。
 そうして恐れの根源を取り除くことによって、恐怖を忘れようとしているのだ。

 人が電灯によって闇夜を照らしたように。
 人が雨乞いを、焚火の煙により雲を発生しやすくしたのだと理論づけたように。
 ――人がイレギュラーを恐れ、レプリロイドを弾圧したように。



「もはやこの世界に、焚火で雨を降らす人間は存在しないわ」
「その理論で行くと、いずれこの世界からレプリロイドは消滅しますね」

 イレギュラーを排除する為にレプリロイドを弾圧する。
 今のネオ・アルカディアの現状はまさしく、イレギュラーという恐怖を排除する為の抜本治療だろう。
 エルピスは苦虫をかみつぶしたような顔をした。拳を握り、ネオ・アルカディアへの不快感をあらわにする。

「……非常に身勝手だ」
「身勝手なのが人間だから。エネルギー不足に、いまだ残るイレギュラー戦争の爪痕……レプリロイドの未来は袋小路ね。しがないレジスタンスがあがいたところで、和平なんてありえるわけがない」
「ずいぶんと他人事ですね」

 エルピスの言葉には、いくぶんトゲがあった。
 レプリロイドの未来は袋小路。その言葉に言い返さなかったのは、エルピスも「人間とレプリロイドの和解」などできるはずがないと考えているからだ。しかし、自分には関係がないと言った態度は不愉快だ。
 彼女はエルピスの言葉に首をかしげて笑ってみせる。

「だって私、人間だもの。レプリロイドの未来なんて関係ないわ」
「……それもそうですね。あなたも身勝手な人間のひとりだ」
「ええ。私は自分の私利私欲のためにここにいる。シエルやあなたのような使命感は私にはないの」

 はエルピスたちレジスタンスと行動を共にしているが、思想は異なる。
 それでも今のネオ・アルカディアをよしとしないことは一致していた。果ての目的は違えど、当面の目標と利害は一致している間は仲間だ。

「私はネオ・アルカディアとあそこに住む人間が嫌い。なにも考えず、安穏とした生活がこれからもずっと続くと思っている……そうして現実を見て見ぬふりして、都合のいい被害者面をする、あそこの人間がたまらなく嫌い。それにいいように扱われるレプリロイドも嫌い」

 テーブルの上で組んだ手に唇をのせ、彼女は忌々しげに言ってみせる。
 うつむき加減の彼女の顔には自然と影がさし、深刻な表情をさらに深めることとなった。

 ――だから、どういう形であれその世界を壊せるのなら、協力を惜しまないわ。

 吐き捨てるように呟かれた言葉。
 込められていたのは、どす黒い殺意だ。

「……過去に、なにかあったんですか」
「別に? 私はバカが嫌いなだけ。イレギュラー化が怖いなら、レプリロイドの心を封じて完全に支配下に置こう……とか、そういうことすら考え付かない奴らだもの。あの世界の人間は」
「いえ――ありましたよ、その発想は」
「え?」

 今度はエルピスの顔に影が差す番だった。
 ダークエルフによる、レプリロイドの完全支配オペレーション“エルピス”。
 その名をエルピスは忘れたことがない。忘れないためにその言葉を自らの名としたのだ。

 人間とレプリロイドの多数の反対がありながらも独断専行されたそのプロジェクトは、二人の英雄によって終止符が打たれた。

 今、自分に自分としての意思があるのは、あの時の人間の反対表明のおかげ。
 ネオアルカディアのおかげなのだ――。
 そう思えばこそ、かつてのエルピスはネオアルカディアを崇拝していられたのだ。 

「本当にバカだ」
「でしょう? レプリロイドを恐れるくせに、レプリロイドに助けてもらおうと思ってる。その厚かましさも嫌い」

 エルピスの自嘲を勘違いしたらしいが、続ける。
 彼女はエルピスに対しては饒舌だ。感情に合わせて手を動かし、顎を上げ、見下すように笑ってるくせに瞳はちいさな子供そのもの。 

 そんなが、エルピスが好きではなかった。自分以外の他者すべてを見下す彼女は、シエルをも軽んじている。それが嫌いだ。
 必然的にエルピスの対応はとげとげしいものになるが、はエルピスに話しかけることをやめない。
 以前、エルピスがそのことについて指摘したことがある。その時彼女はくすりと笑い、エルピスを見た。
『だってあなた、私のこと嫌いでしょう』
 不可解なことに、その表情はどこか嬉しそうだった。

 エルピスは目の前の少女をまじまじと見た。

「よくもまあ自分の種族をそこまでこきおろせますよね」
「だって事実だもの。私以外の人間なんてみんな愚かで考えなしでそんなもんよ」
「シエルさんは違います」

 むっとして言い返す。こういう態度がを喜ばせるとわかっているのに、シエルまで含んで悪く言われるのは我慢がならない。

「そうね、シエルは違うわね。――この話をしたら、『人間は怖いものを排除するだけじゃない。私は新しいエネルギーという『電灯』で世界を照らして、レプリロイドと手をとりあっていきたい』って言われたわ」
「シエルさん……らしいですね」
「ええ、本当に」

 エルピスはすこしだけ微笑んだ。
 シエルがどんな表情でその言葉を言ったのかありありと想像できる。

「でも、理想は実現しないから理想なのよ」

 の言葉は遠い場所に向かって発せられたようだった。

「シエルの理想は尊いかもしれない。だけど、だからこそそれがくじけたときのあの子を見たくない。……あの子が思うほど、あそこの人間はやさしくないわ」

 は肩を押さえてそう言った。
 肩。
 エルピス自身は見たことがないが、の肩にはひどい火傷のあとが残っているのだという。
 理由は知らない。聞いていないし、尋ねたところで明かすとは思わない。

「あなただって、そう思わない? 正義の一撃作戦のリーダーさん」
「……おおむねその通りですよ。ええ、その通りです。わたしも、新エネルギー開発によって、簡単にネオアルカディアが変わるとは思いません」
「だから、人間の居住区を乗っ取って脅迫する、ねえ。いっそのこと人間なんて皆殺しにしてしまえばいいのに」
「それはシエルさんがさすがに許しませんから」
「……許しがあればやるみたいな言い方ね」
「報復をしたいという気持ちはなくはありません。お恥ずかしい話ですが」

 本音が出てしまったのは、がどういう反応をするか、気になったのが大部分だった。

「ですが、シエルさんだって人間ですから。シエルさんのような人となら、人間とも手をとりあえると思ってます」
「今回の作戦でそれなりに人間の死傷者が出るはずよ。それでもそんなことを言うのね」
「先にこちらを裏切ったのは人間ですよ」

 まっすぐに目を見て発せられた言葉に、はいささか驚いたようだった。
 だが、すぐに笑みに変わる。

「身勝手ね」
「人間ほどではありません」
「いいえ、十分身勝手よ。――でも私、その身勝手さ、好きよ。応援してる」
「あなただって人間だっていうのに……怖くはないんですか?」
「言ったでしょ。身勝手なの、私」
「……あなたとは手を取り合える気がしません」

 エルピスはため息をついた。
 じゃれあいのような言葉のやりとりだった。
 感情の表層をなでるような駆け引きのようでいて、それでいて二人の肩には力がはいっていない。

「でも――人間がレプリロイドを畏れ、弾圧するのであれば」
「なんですか?」
「なんでもないわ」

 ――人間を排斥するあなたは、人間を恐れているのかしらね。
 脳裏によぎった言葉を飲み込んで、は笑みをうかべた。





2011/2/3:ブログにUP
2013/5/11:加筆修正してこっちに収録。久遠晶