きみの炎に口づけ


 街は色めき立ち、凍える世界に暖かな活気がひしめき合う。
 ある者はきたる恋人との逢瀬に胸を弾ませ、ある者は幸せな恋人たちをひがみ、ある者は俗世に興味なく自らの日常をはじめる。
 エレキマンは少なくとも表面上は興味のないスタンスを貫いていたし、アイスマンは恋愛沙汰よりもイルミネーションの美麗さに心を奪われていたクチだった。
 それではとファイヤーマンの場合はどうだろうか? 少なくともは色めき立っていた。

「ねえファイヤーマン、この服、おかしくないかな」
「ああ……大丈夫だと思うぞ」

 姿見のなかの自分を見つめながら一回転し、が傍らのファイヤーマンに意見を求めた。
 ファイアーマンはにっこりと笑いかける。ピンクを基調とした服装はよくに似合っていたし、頭の頂から足先まで気合い十分だ。
 なにしろ冬服から夏物まで、ありとあらゆるの服を引っ張り出し、身体にあてがい、吟味したうえで決定したコーディネイトだ。似合わないはずはない。
 心からファイアーマンはそう思ったが、はまだ不安らしい。

「ホントかな? 遠慮してない? ホントに平気?」
「大丈夫だって言ってるだろ。いつもの百倍綺麗さ、はいつも綺麗だけどな」
「そう……かな。ファイアーマンがそう言ってくれるなら、きっとそうなんだよね。うん……」

 ファイヤーマンの歯の浮くような本心は、さらりと流されてしまった。は自分に言い聞かせるようにうんうん頷く。
 服装は決まった。玄関で新品の靴を履いて、そこでもう一度不安げには自分の服を見下ろす。

「こんな甘い服、ちょっと恥ずかしいけど……」
「いいんじゃないか、新鮮で。いつものイメージとは違うけど、そういう服が相手は好きなんだろ?」
「うん。かわいいのが好きなんだって。……男にあわせて服装変えるのって主義に反するんだけどね。あー、自分がクリスマスにこんな浮足立つと思わなかったわ」

 照れたように歯を見せて笑い、はもう一度鏡の前でくるりと回転した。
 毛先がひらりと舞いあがり、かすかに香水の香りがただよったことをファイヤーマンの嗅覚センサーがとらえる。

「笑顔バッチリ?」
「ああ。頑張れよ!」
「うん! いってきます!」

 玄関を飛び出すを笑顔で送りだすと、ファイヤーマンはふうとため息を吐いた。
 デートに行くを最善の状態で送りだすという大役を終えたファイヤーマンに、リビングで読書をしていたエレキマンが声をかける。

は行ったのか」
「ああ。ほんとに相手が好きなんだなぁ、今からだと約束の一時間前につく計算だ。見たか? あの格好」
「見た。普段はひっつめ髪に白衣が基本スタイルなのにな」

 仕事中でもそうでなくとも、の格好には飾り気がない。実用性だけを重視するが色彩ある服をまとい、スカートをひらめかせ、ヒールで足元を飾り立てる。
 幼いころからと親しんでいるDRNの一同はその変化に驚愕し、感動したものだ。

「なれないスカートまで履いて、今夜は雪の代わりに槍が降ったりしてな。しっかし、かわいかったなぁ。相手が羨ましいよ」
「……確かに、似合っているかもしれないが」
「ん?」

 曖昧に言葉をにごすエレキマンに、ファイヤーマンは首をかしげた。
 腕を組んで考え込むそぶりをしながら、エレキマンは言葉を端的に言葉をつむぐ。

らしくない」
「そりゃ……そうかもしれないが」

 ファイヤーマンは言葉につまった。
 の変化は驚くべきものだったが、歓迎していいもののはずだ。
 年齢からすれば、は恋愛のひとつやふたつ経験していておかしくない。それを『男といるよりファイヤーマンたちのメンテナンスをしたりライト博士の手伝いをするほうが楽しいわ』と、異性との関わりを避けていたを心配していたのは、なにもロールだけではない。
 遅咲きの初恋。歓迎し応援する一同のなかでエレキマンだけは沈黙を保っていたが、それは照れからなのだと思っていた。
 言葉にしないだけで、を当然応援しているだろうと。
 しかし先ほどの言葉は、どうにも否定的なものに思える。ファイヤーマンはむっと唇を尖らせた。

「中学校のころから、俺たちと遊ぶことばかりだったんだ。いいことだろ? なにがだめなんだよ」
「だめだとは言ってないが……お前は、なにも感じないのか?」
「……無理してる感じがして、ちょっと心配ではあるけど……」
「だろう? ミニスカート履いたり遅くまで外に出かけたりぬいぐるみ集めに精を出したりするようなやつじゃないんだよ、性質的に。あいつは。ブリキのロボットを集めるのならまだしも」

 エレキマンの強い口調に気圧された。
 眉をひそめ、組んだ腕に指先をとんとんとならすエレキマンはどうみても不機嫌そうだ。

「……お前、もしかして相手にとられた気分になってるのか?」
「誰が!!」

 噛みつくように叫ぶエレキマンに、ファイヤーマンは苦笑する。
 の成長をずっと前からDRNは見守ってきた。関係はあくまでライト博士の助手とそのロボットであるが、それ以上の絆が構築されていることは言うまでもない。

「複雑なのはみんないっしょかな……」

 窓越しに、すみわたる青空を仰いでファイヤーマンはつぶやいた。
 ファイヤーマン自身思いがけず発したその言葉にエレキマンはすこし面食らった顔をして、あきれたように笑った。

「まさか、自覚してなかったのか? お前が一番、複雑だろうに」
「え?」

 聞き返すファイヤーマンに、エレキマンの苦笑はますます色濃いものとなる。
 気付いてないならいい、それが一番平和だ――と、意味深な言葉を言い残して、エレキマンはリビングを後にしてしまう。
 ファイヤーマンはひとり取り残され、首を傾げた。


   ***


『自覚してなかったのか? お前が一番、複雑だろうに』

 エレキマンに言われた言葉は、ファイヤーマンに様々な感情をもたらした。
 の恋路を歓迎し喜ぶ感情の奥底に、ほんのわずかにあったわだかまり。自身すら気づいていなかったそれを看破されていたことは衝撃だったし、『お前が一番複雑だろう』と言われたことは不可解だった。

 ――なんで俺が、一番複雑……なんて言われなきゃいけないんだ?

 DRNとの関わりは平等に深い。との単純な仲のよさでいうなら、ロールやアイスマンが一番だろう。
 ファイヤーマンとが、突出して結び付きが強いわけではない。
 ファイヤーマンがその素朴な疑問を尋ねる前に、エレキマンは仕事へと行ってしまった。
 冬期休暇がとれたファイヤーマンと違い、エレキマンの携わる原子力発電所には少なくともロボットの休みはないのだ。

 だから、不可解さはわだかまりとなり、ファイヤーマンにまとわりつく。
 幸せな時を過ごしてきたを、笑顔で迎えてやれないかもしれない――さしたる理由もないのになぜだか苛立ってしまう自分にファイヤーマンは戸惑い、罪悪感を抱いたのだった。

 そうして時刻は夕方になり、クリスマスパーティの準備をしているライト家の電話が鳴り響いた。
 たまたま電話機のそばにいたファイヤーマンが受話器をとる。

「はい。ドクターライト研究所です」
「あ……ファイヤーマン?」
?」

 えらく沈んだ声に、ファイヤーマンは思わず聞き返した。
 周囲にいたロックたちが、ファイヤーマンの言葉に思わず作業の手を止める。の声は聞こえていないだろうが、楽しく過ごしているはずのからの電話が意外だったのだろう。
 自身に集まった視線がなぜだか居心地悪く、ファイヤーマンは電話を持ち直した。

「どうしたんだ?」
「……その。今日、夕飯いらないっていったけど、やっぱりいる……作ってもらえるかな」
「あ、ああ……わかった。ロールに言っておくが……いまどこだ?」
「いま電車の乗り換え待ち。十分ぐらいで駅について、それから歩いて帰るから」
「大丈夫か?」
「子供じゃあるまいし、ひとりで帰れるわ」

  そういう意味で言ったのではなかった。ファイヤーマンだけでなく自身をも突き放すような口調に、ファイヤーマンは息を詰まらせる。
 夜を恋の相手と過ごす予定だったが、予定を切り上げ帰宅するという。
 ファイヤーマンがなにも言えないでいると、はやはり沈んだ口調で「よろしくね」と言い、止める間もなく電話を切られてしまった。電話を長引かせたところで、かけてやる言葉も見つからないのだが……。
 ファイヤーマンが受話器を電話機に戻すと、不安げなロックが話しかける。

、どうしたの?」
「今から帰るらしい。自分の夕飯も作ってくれ……とさ」
「けどよ、今日って好きな野郎と食ってくるんだろ? それがどうしてこっちで食うことになったんだあ? あ、もしかしてフラれ――イッテェー! エレキマンなにしやがるっ!」
「今のはカットマンが悪いと思うなあ……ボク」

 発言中に頭を叩かれたカットマンがエレキマンに食ってかかり、アイスマンはしょんぼりとしながら机にののじを描く。

「せっかく、に春が来たと思ったんだが……」
「やっぱりロボットマニアなのがダメだったのか。ロボットの俺たちも引くくらいだったもんな……」

 腕をくんでうなるガッツマンと、うなだれるボンバーマン。
 先ほどまでの活気はなくなり、リビングが重苦しいムードに包まれる。あーもう、とロールが声をあげた。

「振られたと決まったわけじゃないでしょ! まあ、十中八九そうだろうとは思うけど、こっちが沈んじゃったらも辛いでしょ。私たちは、できるだけ明るくふるまいましょ! ね!」

 ぐっと拳を握って言うロールに、一同が神妙な顔で頷く。

「しかし、やっぱり心配だな……。ちょっと、駅まで迎えに行ってくる」
「うん、お願いねファイヤーマン。明るくだよ、明るく!」

 ロールの言葉にせかされるように、ファイヤーマンは家を飛び出した。


   ***


 都心の駅は、クリスマスということも相まって人が多い。その人ごみをかきわけるようにファイヤーマンが駅に向かうと、ちょうどが階段を降りて駅から出てくるところだった。うつむいて歩くは、自身に駆け寄るファイヤーマンに気付くと、驚いたように顔をあげた。

「ファイヤーマン……わざわざ迎えにきてくれたの?」
「迷惑だったか?」
「迷惑ってわけじゃ……ないけど」

 はファイヤーマンから目をそらした。視線の先は、駅のロータリーの中心にある、イルミネーションで彩られた大木だ。根元のベンチでは、恋人同士と思しき人間が寄りそって座っている。
 暖かな光景が、今のには刺すように感じられるのだろうか。朝よりもやつれて見える横顔を見ながら、ファイヤーマンはきゅっと拳を握った。
 心中のわだかまりに気付き、の幸せを心から祝福できなくなってしまった――の事態はそんな自分の気持ちが招いたような、そんな罪悪感すら浮かんでくる。
 苦々しいファイヤーマンに気付き、は困ったように笑った。

「そんな顔しないでよ。ありがとう、迎えにきてくれて」
「ああ、いや……どうした? そんな風にじっと見て」
「今帰っても、ロールってご飯作ってる最中だよね。もしかしてパーティの飾りつけの手伝うはめになるかなって」
「あ―……そうかもな。じゃあ、まだ時間もあるし、せっかくだし買い物にでも行くか?」
「え? あっ……」

 ファイヤーマンはの手をとるとそのままショッピングモールに向かって歩きだした。
 引っ張られる形になったの高く響く足音に、ファイヤーマンは慌てて歩幅を縮めた。ヒールを履いたの頭がいつもより高い位置にあるのが落ち着かない。
 失恋の慰め方も励まし方もファイヤーマンはなにもわからない。方法を間違え、を傷つけてしまうのではないか――それは怖かったが、なにもしないよりは動いたほうがいい、とファイヤーマンは一種の賭けに出た。

 アクセサリー屋に入って、ファイヤーマンはと商品を眺める。目的があるわけではない、ただのウィンドウショッピングだ。

「あっ! これかわいいー! ロールちゃんに似合いそう」
「さっきから、やれロックに似合うだのロールに似合うだの……自分の物は買わないのか?」
「んー? 似合うのがあったら買うけど……じゃあ、これなんてどう? 似合うかな?」

 展示されたイヤリングをひとつ手に取ると耳元にあてがい、はにこっと笑った。
 かわいらしい装飾のなされたイヤリングは確かにに似合ってはいたが、どこかおかしい。服には合うが、という人間そのものには似合わない――そんな違和感。
 の今着ている服が相手の――片思いの相手の好みを意識しての結果なら、このイヤリングを選んだのも相手の好みが影響しているのだろう。
 普段のなら選ばないデザインに、ファイヤーマンはちくりと胸が痛くなった。エレキマンに気づかされなければ見落としていた感覚だろうが、気づいてしまったからにはぬぐえない。
 ファイヤーマンはうーん、と唸ると、展示品から違うイヤリングをひとつ手に取り、の耳元にあてがった。

「それも似合わないわけじゃないが、こっちのほうがには似合うと思う」
「シックだけど、飾り気のないデザインね。この服には……」
「ああ。その服にはあまりあわないけど、いつもの服には似合うと思う。うん、似合うよ」

 ファイヤーマンが勧めたイヤリングを受け取って、改めて耳にあてがって備え付けの鏡を覗きこみながらの会話。
『いつもの』がそのイヤリングをしているさまを電子頭脳の奥に浮かべ、ファイヤーマンは頷いた。

「確かに、普段の服にはこっちのほうが似合ってるかも。でも、ちょっと高いね」
「……本当だ」
「いくら服にお金かけるようになったって、イヤリングにこの値段はね。ああ、残念」

 イヤリングの値札を読んだ二人は、静かに嘆息した。

「けど、似合うからなあ。すみません、これ包んでください」
「かしこまりました、ありがとうございます」
「えっ?」
「ああ、気にするな。クリスマスプレゼントってことで、受け取ってくれ」
「も、申し訳ないわ。私の目から見ても高いのに……」

 は焦ったように手と首を振った。
 ファイヤーマンは、ライト博士の造った工業用ロボットである。生まれたときから人間の役に立つことを義務付けられた彼らに労働基準法というものは当てはまらないし、よって給与を支払う必要もない。
 現在はライト博士からの小遣いをもらっているが、あまり多いわけではないだろう。普段のやりくりを知っているは、ファイヤーマンからのプレゼントに戸惑った。

「いいんだよ。俺はアイスマンやカットマンたちと違ってあまり金を使わないし、こういう時に使ったほうがいい」
「でも」
「いいから、受け取ってくれって。かっこつかないだろ?」

 ぱちん、とウインクをして笑うファイヤーマン。がその言葉に根負けする形となった。
 アクセサリー屋から出たあと包んでもらった商品を渡そうとするファイヤーマンに、はちょっと待って、と制止した。

「まだ……持ってて」
「へ? じゃあ家についてから、渡すな」
「そうじゃなくて……」

 それからは一念発起したように頷くと、気合いのはいった面持ちですぐそばの洋服屋に入っていく。

「すみません、これとこれ、ください!」
「はい、しめて――」
「カードで。この場で着てっていいですか?」
「よろしいですよー」
「お、おい!」

 入店してから五分と経たぬ間の出来事についていけないファイヤーマンが声をかけると、は更衣室に入ろうとしてぴたりと止まった。そして振り返る。

「なにファイヤーマン。私の着替え見たいの? おませなロボット」
「なっ……っ!!」

 ライト博士の製作した高度な最先端ロボットの頬に、自身の感情が浮き上がる。赤面するファイヤーマンを見届けたはいたずらっぽい笑みを浮かべたまま、更衣室のカーテンを閉めた。

「勘弁してくれ……まったく」

 顔に手をあてながらもまんざらではないのは何故だろう。

 更衣室を出たは、いつものだった。飾り気がなく、実用性を重視した服装。
 ヒールからウォーキングシューズに履き変え、は苦笑した。

「やっぱりヒールよりもこっちのが歩きやすいわ」
「そりゃあ、そうだろうなあ。……しかし、いままで着てた服はどうするんだ?」
「決まってるじゃない、ファイヤーマンが持つのよ」
「俺か!? 別に構わないが、その……お前がいま物色してるバッグとかも買うのか?」
「ええ。ちょうどビジネスバッグが壊れたところだったから、これを機にたくさん入るやつをね。ファイヤーマンが持ってくれるならアタッシュケースも買っちゃおうかな」
「嫌がらせか?」
「大好きなファイヤーマンに、そんなひどいことできないわよ」

 笑いながら返された言葉には不思議と影があって、それがファイヤーマンを不安にさせた。



「あー、買った買った! 楽しかったー」
「それならなによりだよ……」

 公園のベンチに座りこみ、は背もたれにもたれかかりながらすっきりしたように言った。隣に座るファイヤーマンの手には抱えきれないほどの袋や箱がある。すべての荷物である。
 あらかたのウインドウショッピングを終え、二人はライト研究所そばの公園で一休みをしていた。
 ファイヤーマンとしては大量の荷物をどうにかするためにも早く帰宅したかったが、公園に寄りたがったのだ。ロックやロールたちに会いづらいのだろうと思い、ファイヤーマンはそれに付き合っている。

「こうやって一緒のベンチにいると、私達恋人同士にみえるかな」
「さあ、それはないんじゃないか? 俺はロボットだし」
「そうでしょうね……」

 クリスマスの公園では至るところで恋人たちが寄り添っている。
 そのなかで、ファイヤーマンとだけが異質だ。二人の間の隙間も、ロボットと人間ということも。
 の声色は残念そうではなかったが、遠い目をした。

「でも、人間とロボットが対等に寄り添いあって愛し合っていける世界は、とても素敵よね?」
「ああ、そうだな」
「だよねぇ……」

 ファイヤーマンの肯定を反芻するように、は膝に肘をついて目を閉じた。
 ベンチの傍らの街灯がの顔に濃い影を作り、表情はにわかにはわからない。

「ありがとうね、今日、付き合ってくれて」
「ああ」
「それと……せっかく服の相談とかに乗ってくれたのに、だめにしちゃってごめん」
「いや……やっぱり、だめだったのか?」
「うん。だめだった」

 は顔を上げると、てへ、と舌を見せて笑った。ぎこちない笑みは苦々しくもあったが、無理をしている痛々しさはなかった。

「でもいいの。ロボットの魅力をわからない、好きじゃない男なんてこっちから願い下げ。だから私から振ったようなものよ」

 ためらいなく発せられるその言葉は強がりも多分にあるのだろうが、『こっちから願い下げ』と言う時の瞳は鋭く、本心であることがわかる。
 ロボットであるファイヤーマンは、その言葉へどう反応すればいいのかわからない。肯定も否定もできず、黙り込んだ。するとはそんな顔しないでよ、と彼の肩を叩く。

「もう、かわいい服で媚びへつらいファッションのちゃんは今日でおしまい! 今まで通りの気楽な私に戻るわ。あーすっきり」
「媚びへつらいとはひどい言い方をするな……。ああいう服、に似合ってたからすこし残念だが、がすっきりするなら、それがいいと思う」
「ありがとう。私はありのままの私を受け入れてくれる懐のふかーい人を探すことにする」
「懐の深い人か……コサック博士とか。は、すでに子供がいるもんなあ」
「どっかに一人身のイケメン居ないかなぁ。外見とかにはこだわらないんだけどな」

 大きく白い息を吐き出し、は鞄をまさぐった。タバコを取りだして唇でくわえたところで、もう一度ため息を吐く。

「……ライター、持ってないんだった」
「おいおい、タバコは持ってるのにライターを忘れるなんて間抜けだな」

 ファイヤーマンは笑いながら、ハンドパーツをファイヤーストームの発射口に変型させた。勢いよく炎が噴きでるが、すぐに収束してそこからじょじょに小さくなっていく。
 廃棄物を処理する為の炎は、火力を高くすることはあっても小さなトモシビにすることはない。ファイヤーマンは慎重に火力を最低限まで絞って行く。
 ややあって、タバコに火をつけるには大きいが安全面には問題のない程度の炎が形成された。
 ゆらめく炎をぼんやりと眺めながら、は喉の奥で笑った。

「わざとよ。相手に火をつけてもらえば、それを口実に寄り添えるでしょう」


 言葉を証明するようにファイヤーマンにもたれかかり、はくわえたタバコ伝いのキスを揺らめく炎と果たした。
 火力を絞っているとはいえ、通常時――そして攻撃に転用した時のファイヤーストームの威力はも知っている。それでも、警戒を瞳に移すことなく炎に身を寄せられるのは、ひとえにお互いに対する信頼故だ。
 ファイヤーマンは、が自分を怖がらないことを知っている。
 は、ファイヤーマンが自身を傷つけないことを知っている。

 火がタバコに移ったことを確認して、はファイヤーマンから身体を離した。だが、先ほどよりもずっと隙間はつまっているし、指先はファイヤーマンの膝に触れている。
 は沁み入るようにタバコを吸うと、深く煙を吐き出す。
 街灯と月明かりに照らされるなか空を見上げてタバコを吸うは一枚の写真のようで、ファイヤーマンは発射口をハンドパーツに戻しながらその様子をじっと見つめていた。

「ファイヤーマンって、禁煙しろだの言わないから好きよ」
「……今回は特別だ。まあ、博士もいないしな」
「少なくともあなたたちには害はないものね」
「お前への害を心配してるんだ、ロックもロールも」
「知ってる。今回だけは特別ね。ありがたく吸わせてもらうわ」

 タバコの火をかすかにゆらめかせ、うまそうに味わう。

「そうだ、。これ……さっきのイヤリング。どうせならここでつけてみてくれよ」
「そうね。本当にありがとう……大切にする」

 ファイヤーマンが差しだした小箱を受け取り、は改めて礼を言った。

「それより、早く付けて見てくれ」
「ええ。……似合うかな?」
 促され、はイヤリングを耳にはめた。
 には控えめに存在を主張するデザインが似合う――その確信が的中したファイヤーマンはにっこりと笑った。

「やっぱり、にはそういうのが似合うよ」
「そう……かな。なんだか照れる」
「本心さ。もちろん今日の朝みたいなかわいい服も似合うけど、自然体が一番だ」
「無理してるって気付いてたの? ……隠し事できないわね、まったく」

 ファイヤーマンの言葉に、は驚いた顔をした。苦笑し、ファイヤーマンにもたれかかる。
 タバコに火をつけてやる時とは違う意味合いをもった密着に、ファイヤーマンはかすかに身じろぎをした。
 妙に緊張してしまうのはなぜだろう。ファイヤーマンは自身の疑問を、傷心のを不用意な発言で傷つけたくないからだと結論づけた。

「な、なあ――」
「あーっ! 、こんなところにいたー!」

 ファイヤーマンの言葉をかき消すように、大声が夜の公園に響く。
 甘いひと時を邪魔された周囲の恋人同士が眉をひそめるのに構わず、ロールは腰に手を当てたままずかずかとファイヤーマンとに歩み寄る。

「ファイヤーマンは夕飯の準備が終わっても全然帰ってこないし、とは連絡とれないし、探してたんだからね、もう!」
「あ……携帯電話、電源切って忘れてたわ」
「俺も……すっかり忘れてた」
「もー! 心配させないでよ、無事でよかったけどさ!」
「ゴメンなさい。私が悪いの、私がファイヤーマンを連れまわしたから」
「いいんだけどさ。連絡はちょうだいよー」

 ロールの背後からロックをはじめとしたライトナンバーズがぞろぞろとやってくるのを見て、は身体を小さくした。
 先ほどまでの物静かな雰囲気はなくなり、ファイヤーマンとの周囲には喧騒が取り巻く。
 カットマンが、ファイヤーマンのそばの買い物袋の山を見て驚いた声をあげる。

「おいおい、その大量の袋はどうしたぁー? もしかして買い物してたのかお前ら」
「それより、の服がいつもの感じに戻ってる……」
「私、もう無理してかわいくふるまうのはやめにしたの。疲れるもの、そういうの」
「勿体ないなあ、かわいかったのに。でもま、はやっぱりそういうのが似合うからしょーがないね」

 アイスマンが肯定すると、は驚いた顔をした。
 そんなに神妙な表情のカットマンが歩み寄る。

「まあなんだ、。ちょっと男にフラれたぐらいで気にすんな。男なんて星の数ほど――イッテェ!! なんだよ、せっかく俺がを励ましてやろうとしてんのによー!」
「いいから黙れ……お前はいちいちデリカシーがないんだ……!」

 カットマンの頭を容赦なく殴るエレキマンとイマイチよくわかっていない様子のカットマンに、思わずはぷっと吹き出してしまった。

「あはは! まったくおちおち浸ってもいられないわね。色々心配かけて悪かったわ。帰りましょ、早くロールの手料理が食べたーい」
「うん! 早く帰ろう、ライト博士が家で待ってるよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。荷物が……誰か持ってくれ」
「しゃーねぇなあ、ほれ」

 荷物が多くて、ファイヤーマンは立ちあがるのに四苦八苦だ。見かねたカットマンやエレキマンが紙袋を持ってやる。

「大丈夫? 今日、本当ありがとう」
「いや、いいんだ。だが買う量は考えてほしかったかな、ははっ」

 はすでに立ち上っているから、自然とが見下ろす形になる。
 両手に荷物を持ち、笑いながら立ち上ろうとしたファイヤーマンにが距離を詰めた。
 ファイヤーマンの視界がの首から胸ですべて遮られ、側頭部を両手で抱え込まれる。頭部の炎射出口の下、ヘルメットの額にかすかな圧力を感じた。なにかが押し付けられる。
 ヘルメットに感覚センサーはない。だから感触はなく、なにをされたかはわからない。だが……との体勢からすると――。その予測は容易だった。

「あはっ、ごめんなさい、口紅がちょっとついちゃった。これじゃお礼にもならないわ」

 身体を離したは頬を赤らめた。困ったようにはにかんでくるりと踵を返す。
 揺れる髪の毛はファイヤーマンの電子頭脳のなかで像を結ばず、揺れる香水の匂いも今は感知できない。

「ホントのお礼は、家に帰ってから。ね、ファイヤーマン」

 上半身だけで振り返り、そう言って笑うと、言葉を失う一同を取り残しては一人で駆けていく。
 の足音が消えると、公園内は急に無音になる。ようやっと静かになった、という周囲からの安堵の吐息が聞こえるのみだ。



「なんだったんだ、ありゃあ」
「お、おでこキスだったねっ」
「まさか人間に振られたからファイヤーマンにアプローチとか、そういうヤツか?」
「あり得ん話じゃないが……ファイヤーマン?」

 腕を組んで眉をひそめるエレキマンが、無反応のファイヤーマンに首を傾げた。エレキマンがファイヤーマンの眼前で手を振るが、硬直したまま動かない。

「ファイヤーマン? おーい……うお!」

 カットマンがファイヤーマンの顔を覗きこもうとした瞬間、ファイヤーマンの頭部から炎が勢いよく噴き出た。
 ぶすぶすと炎がけぶると、ファイヤーマンの身体が斜めに傾いていく。

「おい……コイツ、オーバーヒートしてフリーズしてるぞ!!」
「なんだと!? こ、コイツ……たかが人間のキスぐらいで」
「とか言って、いざされたら同じ反応しそー、エレキマン」
「うるさい!」
「いいから、研究所に運ぶぞー!」

 がやがやと騒ぎ始める兄弟機たちの声を、ファイヤーマンはフル稼働しオーバーヒートした電子頭脳の奥で聞いていた。
 強制終了の前に慌ててメモリーの保存を始める回路が、シナプスに今日のエレキマンの言葉を再生させる。
『自覚してなかったのか?お前が一番、複雑だろうに』
 その言葉の意味は言われた当初のファイヤーマンには解析できなかったし、電子頭脳に膨大な負荷がかかった現状のファイヤーマンにも、そしておそらくこれからのファイヤーマンには容易に解析できるものではない。
 それでも、強制終了に、かき消えていく意識のなかでファイヤーマンは思った。

 ――そりゃ、今までずっと一緒だったヤツが急にいなくなったら、寂しいよなぁ。

 そこまでの理解はしても、なぜ、強制終了をしてしまうほどの負荷が今電子頭脳にかかっているかの解析は、やはり現在もこれからも容易にはできないのだろうと――思いながら。それは博士に調べてもらえばいいと、工業用ロボットは深く考えることをやめて、一時の休息に目を閉じた。



 ライトナンバーズが騒ぐ声が後ろから聞こえ、先に帰り道を歩いていたが振り返った。

「さっき散々迷惑かけた私が言えることじゃあないけど、近所迷惑もいいとこね。額だし、そこまで大胆なことしたつもりはないけど……アハッ、でもあの時のファイヤーマンかわいかったわぁ」

 戻って様子を確かめようか、とは思ったが、羞恥心が勝った。先に研究所に帰っていることにする。
 朝、期待を胸に家を出た時ほど身体はかろやかではなかったが、一歩一歩を踏みしめて、地面の感触を堪能するようには歩く。

 すれ違う人々はみな誰かと寄りそいあっていて、だけが一人だ。それでいいと思った。ずっとひとりなわけでなく、みんながすぐに追いついてきてくれると、確信していた。
 凍える世界のなか、ファイヤーマンに口づけた唇が今はとても熱い。
 熱気を鎮めるように舞い降りた粉雪が、自分の感情を祝福しているように感じられる。

 恋はうまくいかなかったが、自分にとってそれ以上に大事なもの――大切な存在を再確認できた喜びで満ちている。
 それはどきどきと脈打つ鼓動と自然ににやけてしまう口元のすべての理由にはならないかもしれないけれど、いまはそんな、曖昧な感覚を大切にしたいとは思った。

 唇に残る感触を逃したくなくて、はマフラーに鼻先をうずめた。





2013/01/08:ファイヤーストームでタバコに火をつけるネタがやりたかっただけです(震え声)。
      まだファイヤーマンのキャラを掴めてませんが、手つなぎとかオーバーヒートとかできて満足ですばい!