風邪引きと助手用ロボット



 輪郭がとけだして、自分の手足があるのかすらわからない。
 ぐにゃぐにゃでぼやついた世界のなかで、頭だけが膨れ上がったように重い。

「家の方を呼んだわ。お手伝いのロボットが迎えに来てくれるって」
「ちょ…ちょっと待ってよ」

 保険の先生の言葉に、私は力なく抗議の声をあげた。

「早退の必要ないって。ぜんぜん、今日の体育出れますから――」
「ベッドの上で立ちくらみが起きてちゃ説得力ないわよ。さん」

 寝ていた体を起こそうとして、その途中で力尽きる。
 痛む頭が支えきれなくて、ふらりと敷布団に体が落ちた。ちゃんと寝るようにと促されるけど、私は首を振る。
 ライト博士の家には帰りたくない。

「自分の体温わかってる?38.6℃……諦めて帰りなさい」
「……それでもダメ。ここで寝させて」

 頭上から聞こえたため息に、とても申し訳なくなった。
 先生の言葉は当然のものだ。へたしたらインフルエンザかもしれないし、私自身頭が熱くて痛いし、悪寒が止まらない。
 授業どころの話じゃないことは、私が一番わかっている。
 それでも。

「でも……じゃあひとりで帰る。帰れる」

 最大限の妥協だった。

「迷惑……かけられない。ただでさえ……なにも役に立ててないのに」

 家族でもないのに、迷惑、かけられない。
 私には両親がいない。今は両親と仲のよかったライト博士のところに厄介になっているけど、もちろん家族って関係じゃない。
 私はライト家にいるべき存在じゃない――そんな違和感はいつだって拭えない。
 特に……最近は。

「そうは言っても、やっぱりその体調じゃあ家に帰ってもらうしかないわ。いいこと、さん――」
「大丈夫ダスかー! ー!」

 大音量の合成音声に、一瞬耳鳴りがした。勢いよく開け放たれた保健室の扉に、先生の言葉は掻き消される。
 キンキンと響く音に顔をしかめる私とは対照的に、先生は穏やかな笑みを浮かべた。

「お迎えが来たみたいね」
が! が倒れたって聞いて迎えに来たダス! 誰かいないダスか!」
「ここよ。あまり大きな声を出さないで」

 慌てた様子の来訪者を、先生がベッドを隔てるカーテンから顔だけ出していさめる。
 部外者の入場許可に関する確認や、私の病状を説明しているのだろうか。カーテン越しに先生の事務的な話が聞こえた。

 諸々が終わったのか、カーテンがシャッと動いて来訪者の姿があらわになる。
 飛び出たカメラアイと目があった。
 やっぱりこいつか……。
 いつにも増して会いたくない顔だった。頭痛がひどくなったきがして、思わず頭を抱える。

、大丈夫ダスか?」

 私の居場所を奪った助手用ロボット。
 そのライトットが目の前にいる。
 反射的に思いだすのは、ライト博士の言葉だ。
『そろそろ受験勉強に集中しなさい、私のことなら心配しないでいいから』
 ――これからはライトットがいるから。
 柔和な笑みと共に言い放たれた言葉は、要するに私はお役御免だと告げるものだった。
 学費から衣食住までなにもかもをお世話になっているというのに、助手という立場がなくなった今、私はなにひとつ恩に返せていない。

「……なにしにきたの」
「ロックとロールはいそがしいから、たまたま暇だったワシが来たダス! 感謝するダス!」

 素直に感謝出来ない言い方だ。
 人間でいう腰に当たる部位にU字状の手をあて、ボディをのけぞらせて胸をはったつもりのライトットがむしょうにいらついた。
 顔をゆがめると、ライトットはプラスチックでできた眉毛をしかめさせる。

「せっかく迎えに来てやったのに、かわいくないダスね」
「そーゆー上から目線なのがむかつくんだよ……!」
「……ま、いいダス。さ、起きるダス。帰るダスよ」
「ライトットくん、さんをよろしくね。さんはちゃんと療養するのよ」
「ハイダスー!」
「……はい」

 私はため息を吐いた。
 帰りたくないとだだをこねても、もはや無意味だろう。
 ライトットに迎えに来てほしくはなかったけど、ロックたちに迷惑をかけるよりはマシだ――とポジティブに考えるしかない。

「……あ」
「ふらっふらで、世話ないダスな」

 立ち上がろうとした瞬間ふらついて、そばにいたライトットのボディにもたれかかってしまった。あきれたような声に慌てて体を引き剥がそうとするも、力が入らない。
 ベッドに座っている時には平気な気がしたのに、床に足を伸ばして立つと、とたんに頭の重みが支えられなくなる。
 普段ばかにしているライトットに寄りかかかってしまうなんて屈辱だ。だけど、自分の力で立つことができない。
 ライトットがこれみよがしにため息を吐いた。

「しょうがないダスねぇ……ほれっ」
「えっ……わわっ!」

 次の瞬間、視界が反転していた。
 ライトットに俵担ぎにされた私は素っ頓狂な声をあげてしまった。
 金属のボディが腹に食い込んで、体調不良の身体にはきつい。冷たさが服越しにじわりとしみだして、背中を虫に這われるような悪寒が強くなる。

「や、やめろよ! 自分で歩くから! せめて、この抱きあげ方はやめて!」
のペースに合わせてたら日が暮れちゃうダス、おとなしくするダス」

 私をモノのように肩に担いだまま、ライトットはドスドスと走りだした。その上下運動が私の三半規管をぐちゃぐちゃにして、頭がすっとれてしまいそうだ。
 学校前に停車されていたハーフトラックに押し込まれる。乱暴な運転にただただ吐き気をこらえていると、ライト家に到着する。
 よろよろとトラックから出ると、やっぱりモノのように担がれた。
 もういい、どうにでもして……。

「ただいまダスー!!」
「た、ただいま……」
「あっおかえりライトット! は……ってそんな乱暴な運び方しちゃ……!」

 ロックの制止を無視して、ライトットの足はそのまま私の自室へと向かう。
 失礼します、の一言もなく扉を開いて、私の身体をベッドに放り投げる。
 よ、ようやっと解放された……。私はかけ布団に入りながら身体をまるめて、頭をさすった。

、おかえり……大丈夫?」

 開け放された扉をノックしながら、ロックが不安げに首を傾げた。
 大丈夫、と言おうとして、言葉にならなかった。車酔いのせいか走ってもいないのに息が荒くなっていて、酸素を取り込むのに精いっぱいだ。
 ロックはベッドまで歩み寄ると、そんな私のおでこに手をやった。水仕事でもしていたのだろうか、かすかに濡れた手と冷たさが気持ちいい。

「ずいぶんひどいみたいだね。熱は……38,9!? すごく辛いよね……ご飯、食べれる?」

 指先で体温を測定したロックが、心配そうに私の顔をのぞきこんだ。

「あ、いや……さっきまで頭に血が上ってたから、そのせいかも……」
、大丈夫ダスか?」

 誰のせいだよ……。という文句も、言える状況ではない。
 熱と一緒に頭痛や吐き気も学校に居た時より格段にひどくなっていて、喋ることでも体力を使うのだ。
 それもこれも、全部ライトットのせいだ……。
 最初に熱を出したのは私の自己管理の結果だけど、とりあえず今はライトットを恨んでおく。

「ゆっくりやすみなよ、。一晩経てば、きっと具合もよくなるよ」
「うん……ごめんね、迷惑かけて」
「迷惑だなんて思ってないよ。早くよくなって元気になってね」

 ロックはそういって優しく微笑んでくれた。罪悪感はあるけれど、その笑顔に私もすこしだけ笑顔になる。

「ゆっくり休んで」
「ありがとう……ロック……」

 ロックの笑顔に気が抜ける。
 緊張の糸が緩んだのか、私の意識は急速に落ちて行った。


   ***


 私は寝苦しさと全身の熱さで目を覚ました。
 超至近距離にいたライトットに、反射的に手が出る。
 ガインと音がして、拳がひしゃげてしびれるような痛みが来る。

「っっ~~~~…!」
「……なにやってるダスか」

 手を押さえて痛がる私に、ライトットは怒るよりも先に呆れた。
 誰のせいだよ、と悪態をつこうとした瞬間、おでこにひんやりとしたものが触れた。
 濡れたタオルの冷たさが脳にまでしみわたって気持ちがいい。

「ロックもロールも忙しいダスからな。ワシがの看病することになったダス」
「……別にそんなの頼んでない」
「もっと他に言うことないダスか、ほんっとかわいくないダスね」
「お前相手にかわいくしても意味がないんだよ。お呼びじゃないんだからさっさとでてけ――ごほっげほっ」

 言葉の途中で、私は身体を丸めて咳こんだ。
 口に手を突っ込んで喉をかきむしりたいぐらい、喉がかゆくて、同時に痛い。
 さっきは咳は出なかったのに……。会話できるぐらいの体力は回復したけど、ちょっと辛い。
 ライトットはこれ見よがしにため息を吐いた。

「いつもの悪態も、そんな体調じゃあ迫力ないダスなぁ」
「う……うっさい」
「ワシだって看病したくしてしてるわけじゃないダス。も我慢するダス」

 研究熱心ではあるけれど、肝心の発明品は失敗作ばかり。
 助手用ロボットして造られたくせにどう考えてもネジが飛んでいて、こう言ってはなんだけどライト博士は寝ながら設計でもしたのではないかと思う。
 自分勝手でえらそうなライトットは、あまり好きではない。
 苦手だ――。
 いいから出てけよ、お前がいるとゆっくり休めないじゃないか――といくら言っても、ライトットは出て行かない。
 結局、私が根負けすることとなった。

「……もう好きにしろよ、好きなだけ看病させてやるから」

 私は顔を隠した。
 この体調の悪さではくだらない意地を張ってもいられない。ロックやロールに迷惑をかけるよりはマシだ。と、言い聞かせる。
 私が素直に受け入れたからか、ライトットはすこし眉をあげた。

「素直じゃないけど、まあそれで許してやるダス」

 言いながら、ぬるくなったタオルを交換してくれる。

「ロボットだから風邪うつす心配もないしね」

 せめてもの減らず口だった。
 両親が死ぬ前。両親は仕事で忙しかったから、風邪をひいたらいつも家庭用のメイドロボットが看病してくれていたことを思い出す。
 懐かしいな、この感じ。
 ……本当は、ライトットも嫌いなわけじゃない。
 いつも喧嘩しているし、ライトットは可愛くないけど、私が怪我して帰ると真っ先に心配してくれていたのはライトットの気がする。
 ライト博士が私に任せてくれないことをライトットには任せるから。それが悔しくて、素直になれない。
 単なる八つ当たりの自覚はあるけど、やっぱり、感情が先行してしまう。
 会話がなくなったのが居心地悪くて、私はとりとめのないことを喋りだす。

「こういう体調不良の時に限って、色々やりたいこととか浮かんでくるんだよねぇ……」
「そういうもんダスか?」
「寝てる分には、結構動けそうな気がしてくるんだよ。実際は動けないんだけど。動けない分、のーみそばっかり動いちゃうっていうか」
「あぁ、メンテナンス中は確かに色々やりたくなるダス」
「ロボットにもあるんだ、そういうの」
「発明品のアイデアばっかり浮かぶダス」
「わかる。ていうか今がそう……。あぁー、でも気持ち悪い」
「大丈夫ダスかー」

 いつになくライトットと会話が成立している。偉そうなライトットにムカついて私が怒るのが大体のパターンだから、こういうことはあまりない。
 仰向けになると、内臓の重みでお腹が痛くなってくる。横向きになると、背中をライトットが撫でてくれた。
 今日俵担ぎされた時は何て野郎だと思ったけど、撤回すべきかな。

「……今さらダスけど、ライト博士とって似てないダスな」
「いまさらって言うか、なに当然のことを? 血が繋がってないんだから当然じゃない」
「え?」

 ライトットは大きく口を開けて硬直した。
 もしかして、私とライト博士は親子じゃないことを知らなかったのだろうか。

「父さん母さん、死んだんだよ。行くあてがなかった私をライト博士が引き取ってくれて、だから今はここにいるの」
「す……すまんダス……」
「別にいいよ。事実だしっ。ここの生活も気にいってたし、さみしくはないかな」
「気にいってた……過去系ダスか?」

 気に入っていた。確かに過去形。ライトットのくせに妙に鋭い。
 じゃあ今は。
 ライト博士たちは大好きだけど、大好きなライト博士の役に立てない私は嫌いだ。助手という立場がなくなって、居心地は正直言って悪い。
 思わず言葉に詰まっていると、ライトットは急に手と手を打ち合わせた。 

……ワシのこと、兄さんと呼んでもいいダスよ」
「へ?」
のお母さんお父さんにはなれないダスが、兄貴になることならできるダス。みたいな妹は小生意気すぎてほしくないダスが、特別ダスよ」
「……喧嘩売ってんのか馬鹿にしてんのかどっちだ」

 はあ、とため息を吐く。
 多分このどちらでもなくて、本心で慰めているつもりなんだろうけど……。
 思わず苦笑する。

「こっちこそお前みたいな兄貴お断りだって」 

 そう笑ってやると、ライトットはぷんすかと眉をつり上げた。

「やっぱりかわいくないダス! が妹なんてお断りダス!」

 両手をあげて怒るライトットに笑みがこぼれて、でもすぐに歪んだ。
 体を丸めて咳こむ反動で、頭がぐらりと揺れる。
 軽口を言えるぐらいには心は元気でも、体はもうだめだめだ。

「大丈夫ダスか?」
「あんまり……」

 額のタオルを交換してくれたライトットに笑いかけるのが精一杯。

「ごめん。私……寝るね」
「ゆっくり寝るダス」

 額に冷たい濡れタオルが押し付けられて、その冷たさに沈んでいくように私は眠りに落ちて行った。
 傍らに佇む気配が、いつのまにか不快ではなくなっていた。


***


、体調はどうだい……っと、寝ているのか」
「あら、ライトットまで寝てる。『ワシが看病するダス!』って豪語してたのに。ライトット起きなさいって」
「いや、そっとしておいてあげなさい、が起きてしまうかもしれないしね」
「いいんですか?助手用ロボットとして造られたのに、まったく肝心なときに寝てるんだから」
「構わないさ。寝かせておいてあげよう」

 は顔を紅潮させて眠っている。
 ライトットの手は布団で隠れて見れないが、もしかすると手を繋ぎ合っているのだろうか。
 そう思うと、思わず笑みがこぼれた。

「ん……」
「大丈夫か? ゆっくり寝ていなさい」

 うめくの額に手を当てる。ものすごく熱い。
 額から剥がれて布団に落ちているタオルを拾って、桶の冷水に浸けて絞る。の額につけてやる。

「はやくよくなるといいね」

 眠るに声をかけると、は安心したように笑った。
 寄りそいあうようにして眠るとライトットが兄と妹のように思えて、私はやはり笑みを浮かべたのだった。





2013/4/19:久遠晶
なんだかんだで夢主が好きなライトットと、
ライトットのことはは嫌いじゃないんだけど「助手しなくていい=ライト博士に見放されたのでは?」っていう焦燥でツンケン気味な夢主。