誰でもないきみのこと


 自らが本物だと確信していた彼が、自分がコピーだと知ったときの絶望は――わからない。
 人間であり、私としての存在を認められている私には、その気持ちはわからない。
 共感は想像の域を出なく、理解は人間の想像を遥かに超えている。
 彼の苦しみを真に理解できるのは、同じく造られた存在であるロボットしかいない。
 考えることは無駄ではないと――信じたいけど。



 未来都市に置き去りにされた旧世代の暗い影を、不気味なまでにまぶしい満月が浮き彫りにする。
 その廃工場は、優れた工業用ロボットの台頭や人件費削減の政策によって使われなくなって久しい。当時のまま放置された旧式の工業機械は、埃や蜘蛛の巣にまみれながら活躍の場をいまだ待ち望んでいる。
 彼が逃げ込んだのは、そんな悲しい場所だった。

 窓から差し込む月明かりに照らされているのは、小さな子供だ。
 今まで幾度となく世界を救ってきた記憶と体験を持つ、小さな子供だ。
 たった一人で全人類に宣戦布告をし、新宿を火の海へと変えた泰然自若としたロボットはすでにいない。
 鮮やかな青のボディは度重なる激戦により無数の傷やヒビが入り、見るも無残なありさまだ。
 誰よりも強かったその子供は、自らの出生の真実を聞いた今、誰よりも弱くなっている。

 心身の疲労ゆえか足取りはおぼつかなく、非力な私が手を突いただけで膝から崩れ落ちそうな、そんな不安すらある。

「ボクが……コピー……?」

 彼は頭を抱え、うわごとのようにつぶやいた。
 私は今日、何度この言葉を聞いただろう。冷たいコンクリートの地面に体温が移り、お尻が痛くなるほどには、私はまんじりともせずここに座っている。
 廃工場に積もる分厚い埃が、彼が身じろぎするたびに舞い上がるのが見えて、私は先ほどからずっと呼吸を小さくしたままだ。

「これからどうするの?」

 初めて、私は声を出した。吐き出された白い息が暴き出すかすかな震えは、恐怖の一言だけでは表せられない。
 彼は私のほうを見なかった。さびついたベルトコンベアによりかかって見つめる地面の埃と足跡に、彼がなにを投影しているかはわからない。

「そのさ……これからの身の振り方ってことね。とりあえず、私はきみの考えをなるべく尊重したいと思ってるけど。きみの意見とか、考えとか……あるいは愚痴とか。聞くよ?」
「キミ、ね」
「きみ、だよ」

 自嘲気に呟かれた言葉に、私は強くうなづく。それはロックマンでもロックでもない、彼の気持ちを尊重したいことの現われだった。でもそれは、彼にしてみれば尊重どころか彼をないがしろにすることはなはだしい発言だったのかもしれない。
 彼は続けて、卑屈な笑みをうかべた。

「ボクはコピーでしかなくて、ホンモノのロックマンは<アイツ>だ。……確かに、キミとしか呼べないよね」
「卑屈だね」
「事実だよ」
「そうかもね」

 言い終わる前に、すっと背筋を通り過ぎる震えがあった。直感に従い、転がるようにしてその場から飛びのく。
 頭上に風を感じた瞬間の轟音の発生源を見ないようにして、体勢を整えながら次に襲い来るバスターに身構える。
 彼はそんな私に心底顔をゆがめて、バスターを降ろした。銃口からかすかにけむる灰色がかき消え、その瞬間に私はその場にへたり込んだ。

「人間のくせに、よく避けれたね」
「見えてたわけじゃないけど……危険感知能力だけは人一倍あるんだ。まあ、あの時キミに首根っこ掴まれてここまで浚われるとは思ってなかったけど……」

 彼に敵意が失せたことを理解して、私はほっと溜息をついた。
 全身を撫でる風が、私の居た場所がどのぐらい風通しよくされたのかを教えてくれる。あえて惨状は確認しない。したら、きっと泣く。
 人間を滅ぼすのだなんだと言っていただけあって、さすがに容赦がない。
 一歩間違えば私を殺していた彼は涼しい顔をしていて、ちょっと腹が立った。

 彼は私をじっと見つめた。思わず背筋が伸びる。
 不機嫌そうな子供の表情はロックのそれとは似ても似つかない。だけれどロックと同じ強大な武器を持っていることも、その使い方がまるで違うことも、先ほど確認済みだ。
 ……たったいまその力が自分に振るわれた自覚すら、私には出来ていなかったけど。

「一応自分の立場、自覚してはいるんだね」
「立場?」
「浚われてるって。それにしてはボクのこと、危険だと思ってる口ぶりじゃないけどさ」
「だって……まあ、友達じゃん? って言ったら、キミは傷つくかな」

 私は頭を掻いた。立ち上がって、服についた埃を叩いて、彼の目の前に立つ。身の危険を感じたことによる震えは引いてきた今、私は彼にひとりの人間として相対したい。
 コピーではなく本物だと思っていたときには、『人間を滅ぼす』と演説したロックの豹変に驚き恐怖した。
 だけど――ロックではないけど、ロック。目の前に居るのがそんな存在と知ってしまったら、恐怖よりも親近感のほうが勝ってしまった――というのが事実だ。
 そう説明すると、彼はよくわからない顔をした。

「……よくわかんない」
「ん、んー。私も説明が難しい。きみがロックの姿と記憶を持っているのと同じように、私にはロックとすごした記憶がある。で、私とロックは友達なわけだから、ロックの記憶を持ってるきみも、友達じゃないかなーって」
「ボクに殺されるとは思わないの? さっきキミが避けなきゃ、キミは死んでたんだよ」

 私は言葉に詰まった。先ほど避けた時はなにも考えていなかった。ただ条件反射のように身体が動いただけだ。
 私が死ぬ。殺される。
 目の前の彼に……殺される。

「私はかまわないなって思うよ」
「え?」
「覚えてる? あの時のこと。私はロックやみんなに出会ってなかったら、今みたいには笑ったりできなかったよ。だから、私を幸せにしてくれたロックたちに殺されるなら、それもいいのかなーって。そりゃイヤだけどさ。まあ、仕方ないかなと」

 私が笑いかけると、彼は目を開いた。
ちゃんはちゃんだよ。だからそんなに思いつめないで、笑ってよ』
 ロックの飛び切りの笑顔は、私の大切な宝物の記憶だ。思い出すだけで涙が出そうになって、だけど自然と笑顔になれる……そんな記憶だ。
 これが他人に植え付けられた偽物の記憶だとしたら。私には想像すらできない、口に出すことすらはばかられる絶望……。
 その絶望は、<ホンモノ>である私にはわからない。でも、目の前にいる彼を<ニセモノ>と断じることはしたくなかったし、そう感じている私の気持ちはホンモノだと思いたい。

「……言ったね。そういえば。『キミはキミだ』って……言ったよ。覚えてる。でも……これはアイツの記憶だ。ボクのじゃない」

 どうして自分が<ニセモノ>ということに気づかなかったんだろう、と彼は俯いて、首元に手をやった。
 そこからは感情の吐露だ。私が口を挟む暇も、余裕もない。

 <アイツ>に会って、コレ――首元のワイリーチップ――を見るまで、気づかなかったなんて。ボクのニセモノだと思っていた<アイツ>を倒した時に気づくべきだった。
 ホンモノのボクなら、自分のニセモノに悲しみやなにかを感じただろう。
 でもボクが感じたのは、ニセモノのくせにホンモノだと勘違いしている哀れなコピーの惨めったらしさへの、おかしさだった。ニセモノはボクのほうだったのに。お笑い草だ。
 考えてみれば<アイツ>は、ワイリーステージでボクと戦った時、必死にボクを止めていた。ボクはコピーの命乞いだと思って聞く耳持たなかったけれど、アレはオリジナルの持つ優しさからの言葉だったわけだ。本当、笑えてくるよね。
 ワイリーの眉間を撃ち抜いた時に、ボクは楽しかったよ。これでもうワイリーのいい気になった顔を見ないで思うとスッとしたし、地球からごみがひとつ消えたと思うと達成感があった。
<アイツ>だったら絶対に考えもしなかったことだし、抱かなかった感覚だろうね。

「キミに、『キミはキミだ』と言ったボクは、ボクじゃない。<アイツ>だ。記憶と体験があっても、ニセモノだ。ボクは……キミに笑いかけた時の感情を、もう思い出せない。ホンモノじゃないんだから当然だ」

 焦点のあってない目で、それでも彼は私を見つめた。

「それでも、キミは『ボク』に殺されてくれるの?」

 彼の狂気が、一点に私の眉間へと集まる。
 一瞬後ずさりそうになるのを、どうにかこらえる。一歩でも引いてしまったら、彼への言葉が、すべて嘘になってしまうと――そう思ったから。

「……きみが、そのように望むならね。きみの望むことを私はしたいし、きみが扱われたいようにきみを扱うつもりだ」
「それで?」
「きみが……自分がロックマンだって言うなら、そのように扱いたいし、そうじゃなくて……自分の在り方を模索したいというなら、私は付き合うよ。きみがつらくない結果が、一番いい」
「もういいよ」
 
 ゴツン、とこめかみにバスターが当てられた。
 キュイイイイン―――と高くなっていく駆動音と集まっていく光に、私の息が止まる。
 冷えた目だった。チャージされていくバスターよりも、すべてに絶望したその瞳が、なにより怖いと思った。そんな目をしてほしくない。

「逃げていいよ。今なら避けられるかもね」
「……逃げないよ。ロックたちのおかげで私がいるからとかじゃなくて、ただ私がきみのそばから離れたくない」
「うるさい」

 まっすぐ目を見て言い放っても、さほど効果があるようには思えない。それが悲しい。

「きみがロックのニセモノとかそういうのはどうでもいいの。今、話をしているうちにそう思ったよ。私きみが好きだ。今のきみをだよ。好きになったの」
「うるさい!」

 彼の叫びと共にこめかみに衝撃が走って、私の意識は急激に黒く染まっていく。
 ブラックアウトしていく景色の中で、私をかばうシャドーマンがいたのは――夢か現実かは、わからない。


   ***


『全人類滅亡宣言をし、二度新宿を破壊したロックマンはドクターワイリーの製作したニセモノだとわかりました。本物のロックマンにより、ニセモノのロックマンのテロ行為は最小限に留められ――』
『ニセモノのロックマンは上空で爆発し、いまだ部品が発見できないほど粉々になり破壊された模様――』

 私は病室備え付けのテレビの電源を切った。
 どこもかしこもニュースはロックマンの騒動ばかりで、嫌でも彼の死を私に――ロックマンたちにも――突きつけてくる。
 廃工場で彼と交わした会話は、夢だったんじゃないかと思う。だけどこめかみにできてるたんこぶがある以上夢じゃないんだろう。
 ロボット三原則を無視するロボットにこめかみを思い切り殴られたせいで、私は数日間寝込み、起きたあとも数日は検査入院だそうだ。
 あの時、私は確かに死を覚悟したし、死んだと思った。でも生きている。それがなんらかの事故によるものなのか、彼が生かしてくれたからなのかはわからない。
 今となっては。
 胸にぽっかりと穴が空いた気分なのは、仲たがいのようなまま、二度と会えなくなったからだけじゃない。

「大切な親友の喪失……それだけじゃない」

 これは失恋だ。
 紛れもない失恋だ。
 孤独な彼を守りたいと思った。彼の痛みを分かち合えないくせに、あつかましくもそう思った。
 それはかなわぬことで、だから彼は死んだ。
 止められたかもしれないのに、止められなかった。

「こんにちは、お見舞いに来たよ。……って、どうして泣いてるの!? 怪我が痛いの!?」
「あ……ロック……」

 よりによって今一番見たくない顔のひとりがやってきた。
 どうしてもロックに彼の姿がダブってしまって、余計に視界がにじんでくる。
 慌てふためいてナースさんを呼ぼうとするロックを押し留め、私は涙を拭いて精一杯笑顔を浮かべてみせる。

「大丈夫だよ、ロック。ちょ、ちょっと……そう、失恋しただけなの。怪我が痛むとかじゃなくて。ほら私って乙女だから」
「失恋?」

 あからさまにロックの声が低くなった。冗談めかして言ったつもりなのだけど、深刻に受け止められてしまったみたいだ。
 深刻な失恋なのは事実なんだけど……できれば笑ってくれたほうがよかった。

「冗談だよ。ちょっと目にごみがはいっただけー」
「誰に失恋したの」

 ずいっ、とロックが身を寄せてきて、私は思わず身を引いた。すると私が身を引いた分隙間をつめてくる。
 顔が近い。突然のロックの行動に私は驚くばかりで、思考が追いつかない。

「い、いきなりどうしたのロック……今日はロックらしくないよ」
「そりゃそうだろうね。で、誰が誰に失恋したって?」

 どうあっても、この話題から離れてくれるつもりがないらしい。
 本当にどうしたんだろう。いつものロックなら、こんな反応はしないはずなのに――。
 そこまで考えて、はっと脳裏をなにかがかすめた。
 慌ててロックのほうを向く。
 目を見る。

「……きみ、なの?」
「キミ、だよ」

 目の前のロックは、にい……と、普段のロックなら絶対に浮かべないような人を食ったような、それでいて自嘲気な――そんな笑みを浮かべた。
『彼』の笑みだ。

「ででで、でもっ! ニュースでは爆発したって!」
「部品は見つかってないってあったろ? 当然さ、ボクはここにいるんだから」
「ライト博士も見つかんなかったって!」
「見つかる前に逃げたからね」
「ひどい! ロック、きみが死んだと思って泣いてたのに!」
「ボクだって自分がコピーだと知った時には絶望したさ。せいせいするね。……でもコピーが死んで泣くなんてボクにはわかんないな」
「あっ! ろ、ロールちゃんは生きてるから安心してっ」
「らしいね。うん……すごくよかった」
「みんなには会わないの?」
「今更、会わす顔がないからね。生きてることがばれるといろいろ面倒だし」
「でも……私には会いに来てくれたのね?」

 その言葉に返答はなかった。
 顔をそらして頭を掻き、彼は吐息を吐きだす。ちょっぴり熱が頬に浮き上がって――もしかして照れてる?

「……キミが。言ったんだろ。そばにいて欲しいって」
「あ……うん」

 面と向かって言われると、恥ずかしい。

「じゃあ、そばにいてくれるの?」
「どうだろうね。誰相手だかは知らないけど失恋したんだっけ? 慰めてあげてもいいけど」

 ずいぶんととげのある言い方だ。
 人を食ったような笑みは彼の通常であるらしいことは理解した。でも、今回にはそれ以外のものも含まれている気がする。
 含ませているのは、きっと私。それが嬉しいと思う。 

「仕方ないじゃん。きみ、死んだと思ってたんだし……あんな終わり方じゃ、失恋したって、思っても……」
「え」
「こんなこと言わせないでよ! でも、言わせてくれるきみが生きてるってことはすごくうれしいです! はい!」
「さ、叫ばないで……」

 頬を赤らめる彼がかわいいと思った。
 笑いながら見つめていると頭を叩かれた。容赦のない攻撃とこめかみの傷のダブルパンチで、頭を二発かなづちで叩かれたみたいな衝撃が響く。

「ごめん。ち、力加減忘れてた」
「い、いや、いいんじゃないかな。このロボット三原則なんて聞いたこともありません――みたいな攻撃。キミらしくて」
「こんなところでオリジナリティ出す気はないんだけどな……ふっ」

「あはは」
「キミにはかなわないな。まったく」

 困ったような笑みはそれでも晴れやかで、私もうれしくなった。

「この後、どうするの?」
「ん。キミを誘拐してどこか遠くに行くのもいいなーっとか思ってるんだけど、どうだろう。もしボクが生きてることバレても、キミを人質にすればそう簡単に手出しはされないだろうし」
「さ、さらっとどぎついこと言うねぇ……」
「キミは嫌かい?」
「わかって言ってるでしょ、きみ」

 笑いながら首をかしげる彼に、私も笑う。
 彼と私は息をひそめて、悪戯を計画する子供のような目をした。


「まあ、これから考えていこうよ――誘拐されるにしても私、身辺整理とかしないといけないしさ」
「考えるってのは、なにを?」
「そりゃもちろん……」

 期待するような問いかけをされ、私は改めて彼を見た。
 手を差し出すと彼がおずおずとその手に触れる。腕ごと引きよせて抱きついたら彼が身をかたくするのがわかった。
 服の下、人工皮膚の奥にある金属とセラミックのボディを感じるように頬をすりよせると、心臓がドキドキするのが自分でもわかった。

「誰でもないきみの、今後の展望についてだよ!」

 耳元で囁くと彼は目を見開いて、それから満面の笑みを浮かべた。
 背中にまわされた腕は今も今後も、容易には離してくれないだろうと感じさせる力強さがある。
 やっかいな人物に恋をしたかもしれない、といまさらながら思う。
 彼はそもそもロボットだし、公的には死亡している犯罪者でもある。
 ライト博士がこれを知ったら、卒倒するだろうか、祝福してくれるだろうか。
 でもどうだっていい。

 自分がコピーであること。自分にオリジナルがいること。
 それをふっきったからなのか――ふっきれたのかどうか――聞くつもりはない。
 目の前にロックでもロックマンでもない、それでいてロックでもロックマンでもある彼がいる。それだけでいいと思える。
 ロックのコピーである彼の悩みを支えたいと思って、コピーである彼の持つオリジナルの部分を――誰でもない彼のことを、私は好きになったんだから。

 彼の苦しみを真に理解できるのは、同じく造られた存在であるロボットしかいない。
 だけど、それでも彼に寄り添いたいと思ったから。





2012/7/15:久遠晶