博愛主義と不快感

 多分――私はこの少年が嫌いなのだと思う。
 ドクター・ライトの作った家庭用ロボット、DRN.002。通称『ロック』を、私という人間は嫌悪しているのだ。

 冷たい風が吹きすさび、白衣の裾を揺らした。ガレキから舞い上がるホコリはブーツにまとわりつき、白衣を汚す。
 破壊の限りを尽くされた都市で、生き残った人々は身を寄せ合って互いの絆を確かめ合う――なんていうのは美化された欺瞞だ。
 単なる災害であれば、きっと間違いではないだろう。だが今回の破壊にはれっきとした理由がある。

『NO DRN!』

 赤字で書かれたプラカードがひしめきあって大通りを進軍していく様子を見て、自然とため息がこぼれた。
 廃棄されるはずだった最新型ロボット。異議を唱えることもできずに黙殺された命。
 嵐の中打ち捨てられた彼らが二度目の目覚めを得た時――選んだことは破壊だった。
 存在理由を否定し、拒否するかのごとく。彼らは人間の都市を、自らの職場を破壊して回る。
 それは人間たちにとってはひどく理不尽に見える。だから破壊者であるDRN、引いてはドクター・ライトに怒りの矛先を向ける。
 破壊の理由をなにも考えず、見ようともしないで……。

「くだらない」

 吐き捨てた呟きは誰の耳にも届かない。プラカードを掲げた人間の叫びに押し流されて、主張することすら許されずに消えて行く。
 それはある種幸運だったのだろう。
 非難の言葉が聞こえれば彼らは、罪人に石を投げるかのごとく私を攻撃するだろう。それが正義だと、疑うこともせず。

「くだらない」

 先ほどよりも大きな呟きは強風にかき消される。空気の読めない風だった。
 私は眉をひそめ、砂が口に入らないようにと白衣の袖を口元に当てた。いっそ私ごと人間たちを吹き飛ばしてくれと願わずにはいられない。
 拒絶するように風がやんでいく。
 つくづく見放されていると思う。いや、守られていると言うべきなのか――。
 ふと道に壊れたおもちゃを見つけた。
 人間が意図的に壊したと、一見して分かった。地面にたたきつけられたのか背中が割れて部品がこぼれ、さらに上から踏みつけられた痕があるからだ。
 しゃがみこんでそれを拾った。

「許せない奴らだ」

 吐き気に似た憎悪がこみあがる。
 殺してやりたい。
 恐ろしいのは三原則を組み込まれたロボットでも、それが外れた暴走機械でもなく、自分が正しいと信じる人間の狂気なのだ教えてやりたい。
 胃がぐるぐるして気分が悪い。上下が逆転するような感覚に陥りながら、私がゆっくりと立ち上ろうとした、その時だ。

「大丈夫ですか?」

 黒髪の少年が、俯く私を覗き込んだ。
 澄んだ声音が心配そうに私に呼び掛けるのを聞いて、思わず力が抜ける。

「体調悪いですか まさか怪我!? 大丈夫ですか、今、人を――」
「い、いや! 構わない、大丈夫だ」

 翻って駈け出そうとした手を掴んで止める。あの連中を呼ばれてはたまらない。
 少年の手は細く、それなのにひどい力強さがあった。
 どうやら少年は、私がしゃがみこんだのを具合が悪いのだと勘違いしたようだ。慌てて、大丈夫だと説明する。
 パーカーを目深にかぶる少年は、影のかかった奥の瞳をぱちぱちと瞬かせる。

「すみません、てっきり」
「誤解させてすまないね」
「そのおもちゃ、お姉さんのですか?」
「いいや、今見つけて、哀れだと思って」

 少年は深く息を吐きだした。その仕草に肉体としての意味はないはずだ。ただ感情をわかりやすく表に出す、という目的だけがある。

「あいつらと同じ人間であることが嘆かわしい」
「え?」
「いいのかい、ライトナンバーズのきみが、こんなところに居て」
「……!」

 少年――ロックが息を飲んだ。

「きみの顔を知らぬ者はいないよ。ライト博士が投降した今、破壊されたエレキマン達の修理をできる者はいないはずだな。きみしか街の様子を見にこれるものはいなかったのだろうが……」
「どうしてそれを……!」
「大きな声を出さないで。連中がきみに気付いたらややこしいことになるのはわかっているだろう」

 デモ行進を行う彼らは、かつての英雄であるロックマンすらお構いなしだろう。そうなったら目の前の少年は、きっと抵抗できないに違いない。

「私は科学者だ。現状を憂う気持ちがある。きみらの動向を知っているのは、当然の話さ」

 説明するが、ロックはまだ私を警戒している。当然だ。
 私をじっと見つめる視線を無視して、私は立ち上った。静かに吹きすさぶ風は、頭を冷やすのにちょうどいい。

『NO DRN!』

「きみは辛い立場だな……」
「仕方ありません。街を破壊しているのは、DRNだから。怒るのは当然です……」

 痛ましい顔をして、ロックは俯いた。怒りではなく悲しみが瞳に満ちている。
 板ばさみになる苦しさがそこにはある。
 自然とその肩に手を置いていた。
 少年が驚いたように私を見た。アイカメラは光の反射で深い海のような色をたたえるのに、そこに映るのが私では台無しだ。

「博士があんなことになって、大丈夫? 私のラボに隠れるといい。静かに、なにも気にしないでいられるよ」
「ありがとう、大丈夫」

 少年は肩に置いた私の手に触れた。指先の人工皮膚が私の手の甲にややかための感触を残す。
 私の手を両手でつかんで、少年は私の瞳を覗き込んで唇を持ちあげた。

「心配してくれてありがとうございます、でも大丈夫。もうすぐコサック博士が来てくれますし……」
「そうかい」

 不愉快になるのは好意をはねのけられたからだろうか。
 胸に黒い炎が燃え上がるようだった。わずかに眉をひそめる私に気付かず、ロックは言う。

「お姉さんは優しい人ですね」
「そんなことを言うのか、きみは」

 吐き捨てるような言葉が、自然と漏れ出た。
 暖かいと感じたロックの手の温度が、とたんに汚らわしいものに感じた。
 触っていたくないと思うに、ロックは私の手を離してくれない。

「ぼくらのために怒ってくれてありがとうございます」
「きみはわかってない」

 どうしてそんなことを言えるのだろう。

「きみに怒りはないのか? 人間に、私に、彼らに――」
「やっぱり優しい人だ」

 少年はそっと手を離して、やはり微笑んだ。
 優しくいたわるような笑みを浮かべて。背伸びをして、風で乱れた私の髪をそっと耳にかける。

「たしかに、納得いかないこともあります。それでもぼくはやっぱり……ライト博士や、心配してくれるお姉さんや……人間が好きだから!」

 ロックは高らかに言った。デモ隊に聞こえるかもしれないのに、それでも。

「だから守りたいんです。そう思わせてくれてありがとう」
「……ッ! また守ったところで、人間は変わらないぞ! 絶対に、永遠に――」

 その言葉が終わる前に、ロックは駆けて行ってしまう。捨て台詞のような私の言葉は宙を舞う。

 胃がむかむかとして吐き気がした。
 人間が好き――そんな言葉でどうしてあんな笑顔が出来るんだ。
 私はため息を押し殺して、その場にずるずると座りこんだ。

「あんなふうに好きっていってもらっても全然うれしくない」

 博愛なんて欺瞞だ。詐欺だ。
 平等な愛なんて吐き気がして泣きたくなる。
 もっと違う愛が――。

『いい加減戻れ』

 耳元での電子音。通信機からの声に、私はぐったりとして答える。

「言われなくともそのつもりだよ……」

 立ち上ってよろよろと歩きだす。

『正体はばれてないだろうな』
「会話聞こえてたろ、大丈夫だよ」
『ラボに誘って、騙し打ちでもさせるつもりだったのか』
「……うるさいな。それぐらい自分で考えろよ」
『勝手な行動は慎め。ただでさえワイリー博士で苦労してるんだ』
「はいはい、すみませんでしたよ」

 通信しながら歩く。
 人気のないところでエアーマンと合流した私は、よほどひどい顔をしていたのだろうか。

「どうした」
「聞くな、心配してるなら今夜酒に付き合え」
「なんで俺が」
「金なら出す」
「じゃあ買って帰ろう」

 変わり身が早い。そんなところは嫌いじゃない。

「……ありがとうな、エアーマン」
「別に、監視の命令だ」

 そっぽを向くエアーマンが可愛いと思うのは、単に私がロボットを愛しているからか。
 ロックの博愛主義をとやかくは言えないかもしれない。自己嫌悪だ。
 それでもロックの博愛主義と自己犠牲を美しいと思えない自分がいる。
 彼はその口を何度食いしばり、地面に倒れ伏し、何度立ち上るのだろう。
 ……それは痛ましい愛情だ。人間にとってはまったく都合がいい。

「ところで、どうして急に酒なんて言いだすんだ」
「ん」

 素朴な疑問、と言ったふうな声音。私は顎に手を当ててしばし考え、やがて言った。

「失恋のやけ酒さ」

 見開かれた目は、すこしだけ私の留飲をさげてくれた。





2014/9/14:久遠晶
ヒロインはワイリー側の人間だった、というアレ。
エアーマン夢と思って最初から読み直すと、また違った感じに思えるかも。
ツイッターの『一時間で夢書いてみよう』的なお題での『きみの「大丈夫」が大嫌い』というフレーズを元ネタに書かせていただきました~。