飛躍進歩の可能性

 初恋は家庭用ロボットだった。
 家庭用ロボット〝ロック〟の類似品といえば聞こえがいいけど、実際はブリキを人型につなぎあわせたお粗末な代物だった。中身も、結局はプログラムされたことを実行するだけの単なる機械だ。今となっては心があったかなんて、定かではない。
 父が六年のローンを組んで購入した、当時の最先端ロボット。
 製品名はSNーWBC、個体名は……ま、どうだっていいことね。

「サニー、わたしが大きくなったら結婚してくれる?」
「ニンゲンとロボットは、結婚できまセンヨ」

 そんな言葉で、私の初恋はあっけなく終わった。
 人間とロボットは結婚できない。当時六歳の少女はそんな常識も理解できなくて、ただ不満をつのらせただけだった。
 どうして人間とロボットは結婚できないんだろう。こんなに好きなのに。
 ――それを言えば周囲の大人たちは、みな『大人になればわかる』と笑って言った。だけど、大人になれない私はいつまで経っても理解が出来ない。
 子供だから、と許されていたロボットへの興味は、成長するに従って異常なものだと扱われていく。

 死体に愛情を示すことが異常だとされるように、私のロボットへの愛着は異常なものとされ、異端視される。
 あの子はどうしてままごとよりもロボットに触りたがるんだろう。
 どうしてあらゆるものを分解したがり、中身を見たがるんだろう。解体したパーツにどうして頬ずりするんだろう。くちづけをしたがるんだろう。
 微笑ましく見守られていた一連の言動は、やがて〝笑えない〟ものになっていく。

「ロボットと結婚したいなんて気持ち悪いよ」

 困ったようにひきつった愛想笑いと侮蔑を押し殺したまなざしを、いまも覚えている。
 中学二年生、修学旅行の夜。同室の子らに、学校清掃用のお掃除ロボットへの恋をうち明けた時の話だ。
 薄々感じていた≪違い≫を突きたてられ、奈落の底へと突き落とされるようなショックだった。
 ああ、気持ち悪いんだ。
 わたしの気持ちは、憧憬は、愛情は、すべて気持ち悪くて、唾棄すべきものなんだ――。
 私は世界と違う。
 私が愛すものを、世界は愛さない。
 広大で雄大で盛大な世界のなかで、自分だけが≪違って≫しまっている。
 自分だけが、世界に取り残されている。
 その感覚は科学者となりロボットを研究する側になっても、ずっと続いている。
 きっとあなたも、この孤独感には覚えがあるのではないでしょうか。
 ねえ、ドクターワイリー。ずば抜けた頭脳と技術を持ち、その思想ゆえに学会を追放されたあなたなら。


   ***


「ないな」

 そっけない否定に、独白を続けていた彼女は瞬きを繰り返した。
 テーブル越し、目の前に座るロボット工学の元権威――現テロリスト――の老人は、ふんと鼻を鳴らす。
 
「自分だけが違う、自分だけが世界に取り残されているじゃと? そんなことを考えたことなど一度もない。世界がワシを置き去りにしているのではなく、ワシが世界を置き去りにしているんじゃからな! ワーハッハッハッ!!」
「……その発想はありませんでした。本当に? 自らの造形物ではなく、人間の理解者が欲しいと思ったことは?」
「な、い、な。そもそもワシはワシ以外の人間が嫌いじゃ」

 言葉をくぎってねじ込むように言って、ワイリーは彼女がいれた茶をすすった。
 傲慢な言葉だったが、不思議と嫌な気分はない。似つかわしい、とすら感じる。
 偉大な博士の頭脳がもっと『大多数の人間にとって発展的なこと』に使われていたのなら、世界はもっと進化していたに違いない――。
 戦闘用ロボットたちに背後から殺気を叩きつけられながら、彼女はぼんやりとそう思った。
 あらゆる形態の戦闘用ロボットが潜むテロリストの居城において、主人以外の人間の存在はどこまでも異質だ。
 今日初めて会ったばかりの客人に茶を入れさせるワイリーは傍若無人であったけれど、居心地はいい。

「さすがに、天才の言うことは違います。深く心に刻みつけましょう」

 冗談めかして言うと、ワイリーは憮然として鼻を鳴らした。

「そんなことを言うために、わざわざワシの居城に不法侵入をかましたのか」
「いいえ、大事なのはこの先」
「ほう」
「協力したいんです。博士の野望に」
「……ほう」
「私が先程の話で伝えたかったのは、私にとってこの世界は『不都合』なものであるということです。この世界はロボットへの恋情を認めてくれないから」
「ワシと世界征服をすることで、この世界を作り替えようと? 生憎じゃが、ワシが目指すのはワシとロボットの楽園であって人間は――」
「構いません。最後にロボットを見ながら死ねるなら。愛していると臆面なく叫びながら死ねるなら、これほど幸せなことはない」

 彼女が目を見て言うと、ワイリーは眉を上げた。目を見据えて、言葉の真意を探る。

「今は叫べんのか? 社会の許しなんぞ得なくとも、叫べることはできるぞ」
「……博士は恋愛をしたことがないということがよくわかりました」

 瞳に軽蔑と怒りが宿る。
 真摯な思いを冗談で返されたことへの軽蔑と怒りが彼女の肩を揺らした。
 あるいは諦観かもしれない。
 愛を語ったところで応援してくれる友人はおらず、想い人は種族の違いを持ち出して思いを否定する。そうされることに慣れきってしまった自分への諦めかもしれない。
 ワイリーは背もたれに身体を預け、ふうとため息を吐いた。つまらなそうに彼女を見やる。

「ロボットを異性として愛すというのも難儀なもんじゃな」
「ええ、まったく。ロボットにすら理解してもらえないんだから、ホントに行き場もなければ生きようもないんですよ、この世界は」
「科学者のはしくれなんじゃったら、自分を愛するロボットでも作ればええんじゃないか」
「プログラムして造った人格なんかまやかしと同じです」

 彼女は毅然として断言した。
 一連のロボットへの愛情と矛盾するような発言だ。

「自分を愛するようにプログラムしたところで、そこに心はありません。あなたならわかるでしょう? 私は自由意志で私を好きになってもらいたいんです」

 ――科学者としても、ロボットを愛する人間としても、自分は誠実でいたいんです。

 彼女は泣きそうな顔をして、どうかわかってくれとワイリーに懇願する。
 誠実でいたい。プログラムによる感情統制や規制など抜きにして、自由意志にロボットに愛されたい。
 強い渇望が彼女をテロリストの居城への侵入へと駆り立て、ワイリーへの協力を志願させているだろうか。
 度重なるロボット開発と敗北でワイリーの資金は底をついている。彼女と、彼女の一族がもつ資産を手に入れれば、ワイリーの野望は大きくはかどることには違いない。

「いいのか、そう簡単にワシにすべてを差し出して。お前の金をむしり取ったあと、ぼろ雑巾のように殺すかもしれんのじゃぞ」
「そんな不誠実なことできませんよ。あなたはロボットとロボットを愛する人間に対しては誠実のはずです」
「……根拠は」
「あなたの論文はすべて読んだ。私が今まで自殺せずに生きてこれたのは、あなたの論文やビデオ声明が私を励ましてくれたから。そうそう、あなたが学会を追放されるきっかけとなった『ロボットの自由意志と飛躍進歩の可能性において』は大変興味深かったです。ロボットを好きでいいと言われているようで」

 ワイリーは眉をはね上げた。
 茶を飲んでいた彼女はそんなワイリーをちらりと見て、困ったように笑った。

「それにあなたは……最愛の『人』だ。尽くしたいと思うのは当然でしょう」

 ワイリーが緑茶を吹き出したのと、彼女の背後でロボットたちがぎくりと身体を動かしたのは同時だった。
 果たしてワイリーが彼女の言葉に心打たれたのかどうかはわからないが、とにもかくにも彼女はこの城の居住権を得た。

「好きですよ、あなたのことは。あなたの血が遠からず入っていることは私の誇りだ。よろしくお願いしますね、ワイリーおじさま」

 ふふふと彼女は微笑んでいたが、瞳にワイリーの姿は見えておらず、ワイリーが造り出すロボットしか見えていないことは明白だった。
 奇妙な伯父と姪は広い城の中で寄りそって、これから共に凶悪な戦闘用ロボットを造り出すことになるのだろう。
 偉大な才能を持つ彼らは他人のことなど考えず、ただ自身の見据える未来にのみ思いを馳せる。
 充足して笑いながら。






2013/6/13:久遠晶