言ってやらない




 並々ならぬ忠誠心を持って顔を削いだはずの般若は、そのクセ内心では仲間から拒絶されるのではと不安がっているような馬鹿だった。
 蒼紫様を思う気持ちは皆同じ。
 蒼紫様の為に顔を削いだ般若に畏敬の眼差しを向けこそすれ、拒絶など誰がするだろう。
 醜い顔になった、と思っているのかもしれない。そんな訳がない。

「随分男前になったものじゃないの」

 私の心からの言葉を般若は皮肉か遠慮かなにかと勘違いしたようだけど、本心だ。

「……本気で言っているのか」

 声が険しい。包帯を取ったばかりで筋肉が思うように動かないのか、表情は歪まない。
 自分で言うのも問題があるけど、あまりにも突飛な言葉だったから、信じてくれないのも無理はない。

 だけど般若は知ってるはずだ。私が般若に、嘘などつける筈がないことを。

「蒼紫様への気持ちの現れ。前のお世辞にも格好いいとは言えない顔より、ずっと良いわ」

 蒼紫様の為に般若は自らの顔を捨てた。
 最高に格好良かった般若の顔はもう二度と見れないけど、真っ直ぐな瞳は変わりない。蒼紫様にすべてを捧げる般若の決意が色濃く映し出された綺麗な目。
 般若程の人にそこまでさせるなんて、蒼紫様にすこし嫉妬してしまいそう。

「もちろん、蒼紫様にはかなわないけどね」

 昔もそうだったけど、今のあなたは最高に格好いい。
 そんな恥ずかしい事は言えないし、言ってはならないから、私は蒼紫様を引き合いに出してごまかした。
 それが虚勢だとは般若もわかってる筈だ。引き寄せられるように般若の唇――歯かな?――を自分のものを押し付けても、般若は抵抗しなかった。
 肌が触れ合うだけで、身体が微かに熱を持つ。胸が締め付けられて、息が出来なくなる。呼吸困難になると解っているのに、私は般若に触れてしまう。

「……こんな事で私の気持ちは変わらないから」

 顔が醜くなったくらいで掻き消えてしまうような気持ちなら、私は最初から般若に触れていない。
 般若はなにも言わず、ただ私の肩口に顔をうずめ、私を抱き締めた。
 いつだってそうだ。般若は何も言わない。
 時折手を絡ませる事はあったけれど、私たちの関係はそれはそれは淡白だった。
 般若は一度も私に「好き」「愛してる」なんて言葉を言ってはくれなかった。
 満月が綺麗な夜、指を絡めて、そばに在るぬくもりを感じ、ただ私たちは瞳に思いを滲ませる。
 私たちは御庭番衆だ。優先すべきはなにを差し置いても蒼紫様であり、それを違えてはならない。
 蒼紫様が死ねと仰るのなら、私は喜んで首をかっ切る。
『私の命は、蒼紫様の為に』
 それは共通する合い言葉。
 蒼紫様の為に私は存在するのだから、蒼紫様に命を捧げる事に躊躇いはない。あるはずがない。


   ***


「働き口が、見つかったわ」

 その言葉に躊躇いがなかったと言えば嘘になる。

「……そうか」

 醜く歪む顔は見て欲しくない。般若に背中を向けているから、彼の表情はわからない。

 不戦の敗北。
 一人また一人一人と新たな人生を見つけた者を見送り続け、御庭番衆には私達だけが残った。
 私も見送られる事となるのだろう。
 すこしでも冷静さを失わないように、会話を続けながら必死に髪に櫛を通す。だけれど、そんな努力は無駄だと言うかのように、般若の指に後ろから櫛を取られてしまう。
 髪を丁寧に触れられて、不思議と気持ちが落ち着く。傷んだ髪に、般若が呆れていなければいいけど。時折首筋に般若の指が当たるのがなんとも言えずくすぐったい。
 でも悪い気はしない。
 不戦の敗北がどうにもならない事だとは理解している。だからこそ納得行かない。戦えていれば、間違いなく私たちが勝利していたのに。

「蒼紫様の為に私たちは闘っていたのに……闘うことなく、戦は終わって。これからは御庭番衆を、蒼紫様の事を忘れて生きろなんて……」

 蒼紫様の元でこそ、私は私で居られると言うのに。蒼紫様の元を離れるなんて、私に死ねと言っているのか。
 般若が櫛を畳の上へ落とした。腕を掴まれる。

「私達の事は構うな」

 一番言われたくない言葉だった。

「お前が此処にいても、蒼紫様がお嘆きになられるだけだ」
「……そんな、こと」
「お前には歩く術がある。行って、良い男を見つけて、子供を作って、たまには喧嘩したりしながら、人並みに幸せになれ」

 ――この人は、なんて残酷な事を言うのだろう。
 そんなふうに言われて、私がどう思うか、どう答えるかわかっているくせに。
 口ではそんな事を言いながら、般若の腕がキツく私を抱き締めていく。このまま永遠に閉じ込めて欲しい―――なんて、馬鹿な事を考える自分に嫌気が差す。

「……本当に酷い人ね、あなたって」
 振り返って、般若の頬に口付けをする。息も出来ないぐらいに抱き締められる。

 呼吸困難。喉が震えて酸素を取り込めない。それくらいがいい。だからもっと強く。
 今解放されたら、私は言ってはならない言葉を口走る。
 言葉にならない思いは通じているのか、無視されているのか。
 腕が緩まった。

「わたしっ、般若の事……!」
「言うな」

 言葉の途中で、般若が私の唇を塞ぐ。激しくはない。だからこそ私は冷静にならざるを得ない。溺れるように深い口付けを、私たちは意図的に避けてきた。


「……本当に馬鹿ね、あなたって」

 どうしようもない男だ。隠密としては一流でも、男として、人生の伴侶としての適性はあまりにもない。わかってはいるけど求めてしまう。そんな私もどうしようもなく愚かだ。
 そんな私を求めてしまう般若も、きっとどうしようもなく愚かだ。結局は似たもの同士だ。
 泣きたくないから、私は笑う。
 般若の胸に顔を押しつけた。髪を撫でる般若の指が、本当に嫌い。
 蒼紫様も御庭番衆も、すべての義務と体裁を投げ出してしまいたくなる。
 それ程までに、般若の身体は毒だ。わかっているのに触れずにはいられないほどに。
 私たちの胸に在るのは蒼紫様への思いのみ。他の思いなんて必要ない。
 ――そうわかっているくせに、何故私は般若を好きになってしまったのだろう。
 今が終われば、私は私に戻る。蒼紫様の為だけに生きる、私に。
 だから今だけはこの人の腕の中で、眠らせて欲しい。泣かせて欲しい。

 翌朝、般若はもう居なかった。
 布団に微かなぬくもりだけを残して、般若は消えた。蒼紫様と式尉たちと共に。
 不思議と泣きはしなかった。操ちゃんが蒼紫様がいないと泣いてくれたから、なんとか自制することが出来た。
 これからは普通の生活に溶け込まないといけない。蒼紫様が望まれるように、般若が望むように。
 ――今となってはそれだけが、私が蒼紫様と般若の為に出来ることだから。


***


「……本当に馬鹿だわ。あなたは。あなたたちは」

 言いたいことは山ほどあったはずなのに、墓の前に立つとすべて消えた。

 代わりに出て来たのは罵倒だった。

「ほんとーに、ばかっ……! ひょっとこも、式尉も、みんな、ばかっ……!」

 ずっと我慢してた涙が止まらない。
 子供の悪口のような言葉で私は般若たちを罵倒した。
 もっと綺麗に再会したかったのに、上手く行かない。その場に崩れ落ち、せめて顔だけは隠した。
 この涙を拭ってくれる人は居ない。

「……蒼紫様の事、私に任せて」

 やがて顔を上げて私は言う。蒼紫様を守り死んだ般若たちの事を気に病んで、蒼紫様は修羅の道へと入ってしまわれた。
 きっと向こう側で般若たちも歯痒い思いをしてると思う。

「連れ戻してみせるから。御庭番衆として」

 だからアナタたちはそこで寝てて。
 そう呟いて、私は般若―――の墓―――を見る。

「……愛してたなんて、言ってやらないから」

 今更、だと思う。
 生きてるうちに言葉にして伝えたかったこの気持ち。だけど、生きてるうちはどうしても言えなかった。
 言ってはいけなかった。

 ―――愛していた、なんて、そんな嘘は吐く事は、私には出来ない。

 私の胸の中には蒼紫様と共に般若がいた。蒼紫様に死ねと言われた時、即座に自害出来たかと言えば、―――自信はない。きっと般若の顔がちらついて、般若の居る世界との繋がりを断ち切れなかったと思う。
 思いを言葉にしてしまったら、私はすべてをかなぐり捨てて般若の腕に飛び込んでしまったろう。だから言わなかったし、般若は言わせなかった。あの夜、止めてくれて本当に良かった。
 負担になるのだけは嫌だった。
 だけど般若は居ないから。心置きなく言葉に出来る。伝えたい人は居ないから、多分、もう二度と言わないのだけど。
 般若との繋がりは、般若がくれた最初で最後の贈り物だけ。だから、―――私は迷わない。

「蒼紫様の為に、今度は私が命張る番だわ」

 死ぬ覚悟はもう出来た。死んだら般若が悲しむだろうから、死ぬ気は毛頭ないけれど。
 この気持ちはいつだって同じ。
 一度として伝えられなかったけれど、般若の事をなによりも愛してる。
 今までも、そしてこれからも。





2009/7/13:久遠晶
ヒロインがいつ般若死亡を知ったの、とかつっこみどころが満載ですが、そこは多めに見てください;
雰囲気、雰囲気。
2016/11/03:久遠晶
誤字脱字等修正