婿養子とバツイチ女



 昔からこの村が嫌いだった。
 はっきり言って限界集落、子供は片手で数えるほどしかない、噂は筒抜け、老人ばかりで陰気くさい。
 中学を卒業したら、あとは毎日畑の世話。そして二回り以上も年上の、50歳や60歳の爺さんと結婚して跡継ぎを産む。
 想像するだけで身の毛がよだった。そんな人生まっぴらだった。
 だから高校一年のとき家出して、村の外の家に嫁入りにいった。
 村から出たい一心だった。恋ではあったけれど、一生を捧げられる愛ではなかった。
 要するに私は、圧倒的に社会経験が足りないアホだったのだ。

 だから結局――こうして、羽生蛇村に舞い戻るはめになる。
 結婚生活はほんの四年しかもたなかった。
 短いと思うけれど、失った青春は長い。
 羽生蛇村に戻ったとき、両親はえらく怒ったし殴り飛ばされたけど、そのあとすぐ抱きしめて、暖かく迎えてくれた。
 あんなにいやだった村だけど、結婚から解放され花の独り身である私には、なんとすがすがしく感じることか。
 出た時と変わっていない、辛気臭い村。だけどその懐かしさと変わらなさが、うれしい。
 ――この男さえいなければ。

「お前、戻っていたのか」
「じゅ、淳くん…」
「いまは神代の淳だ」

 不遜げに胸を張るその男が、昔から苦手だった。

 二歳年下の淳とは小、中と同じ学校で同じクラスだった。学年は違うけど、全校生徒をあわせて10人もいないから、全学級をあわせてひとつのクラスだったのだ。
 淳には本当に煮え湯を飲まされた。ノートを男子トイレに隠されたり、髪を切った翌日にはそのことをからかわれたり、すこしでも色気づこうものなら指を差して笑う。
 好きな先生に恋文を出したとき、なぜか先生よりも早く気づいた淳に回収され、教室の真ん中で公開処刑されたことを忘れない。
 私と淳の力関係は歴然で、私より5学年も年下の子も一緒になって私を笑ってはやし立てた。
 地獄だ。
 はっきり言っていじめ…いや、いびりと言っていい嫌がらせを受けていたのだ。
 四年以上経っても、淳との記憶は新鮮な恐怖を呼び起こす。成人を過ぎて数年が経った今も、久々の再会にびくついてしまう。
 冷や汗を垂らす私を、淳くんは顎をあげて見つめた。頭から爪先までを値踏みするように見やり、ハッと鼻で笑う。

「聞いたぞ。嫁入り先で暴力を振るわれてたそうじゃないか」

 私は息に詰まった。
 家族以外のだれにも言っていないことなのに……。でも、あれだけ家のなかでどたばたと父にどなられていれば、聞かれている
のも当然だ。
 小さい村では、すぐに噂になる覚悟していたことだけど、やっぱりずっしりと気持ちが重くなる。
 目をそらす私と違い、淳はとてもうれしそうだ。

「羽生蛇を出るからそうなる」
「…その通りだと思います。私、ご近所へご挨拶巡りがありますのでこれで」

 お辞儀をすると返事を聞かずに踵を返す。走ろうとした瞬間手首を掴まれた。

「最初に挨拶するべき神代が出向いてやっているんだぞ」

 私は硬直して、なにも言えない。
 淳の言葉は昔と変わらず上から目線だ。神代家に婿入りし、不遜さは増したように思える。
 中学の時よりも、掴む手は武骨で大きい。心臓が縮んで汗が吹き出す。
 とにかく怒らせないようにしないと。

「申し訳ありません神代様……! 私、その、えぇと」
「淳と呼べ」

 淳くんの顔が歪んで不機嫌がにじむ。受け答えを間違えた。淳の琴線がわからない。

「じゅ、淳様」
「そう、それでいい。僕はお前みたいな下賤な女とは違うんだからな」

 婿養子の癖によく言うよ、と思ったけど、まさか口には出すわけにもいかない。
 神代という身分や昔からの力関係がなくとも、結婚に失敗した私とは価値に雲泥の差がある。淳はしっかりと婿の役目を果たしているようだから。

「……で、どうして暴力を振るわれたんだ?」
「え?」

 手首を掴んだままに淳は言う。心なしか、淳くんの手のひらが汗ばんでいる。

「わ、私どんくさいから…皆さんを怒らせて、それで」

 典型的な嫁いびりが激化した。サンドバックみたいに扱われて、料理を捨てられたり……ああ、思い出すだけで憂鬱になってきた。

「私が至らない嫁だったから」
「まぁ、小学校の時からお前は本当におどおどしていて、殴りたくなるのはよくわかるぞ」

 顔色を伺う性格にした男がよく言うよ。と、そんな文句も言えるはずがない。
 さっきから腕を引いてさりげなく『離して』と訴えているのに、淳くんの手は私の手首をガッチリと掴んで離してくれない。
 淳はイヤそうに眉根を寄せる。

「それにしても許せない話だな、女に暴力とは」
「え?」

 思わず顔をあげた。
 じゅ、淳も散々私の髪の毛ひっぱったりしたのに……。
 いびられた当時から十年が経ち、淳くんも若気の至りだったと気づいたのだろうか。
 数々の仕打ちを後悔しているのかもしれない。
 暗い学校生活の思い出に光が差していく。
 だけど希望はすぐに打ち砕かれた。

「僕のおもちゃをぞんざいに扱うなんて許せない男だ。もっとも僕の前から逃げたお前の自業自得だがな」

 鼻にシワを寄せて顔を歪める淳に血の気が引いた。

「村に戻ってきたばかりで不安だろ? この神代淳が直々に世話してやるよ」

 淳は怯える私に気づくとにこりと笑った。頬をもちあげて、心底嬉しそうに。

「なに、礼など要らない。逆らわなければな」

 その言葉が若旦那の女遊びと戯れの意味であれば、私もいっそ諦められた。

「また昔みたいに仲良くしてやる」

 羽生蛇を飛び出し、出戻った今、私には逃げ道がない。
 私はただ半泣きで、「嬉しいです」と呟くことしかできなかった。





2016/11/18:久遠晶