永遠の美しさ

 若さと美しさは決して同じものではない、というのが持論だ。
 美しい老婦人はこの世にいくらでもいる。人は年月を経て顔に人生の深みを刻み、美しさを研ぎ澄ませていくものだと俺は思う。若いだけでは身にまとえない円熟さというものがある。
 そう伝えると、美浜さんはいつも不愉快そうに眉をひそめくちびるをへしまげた。

「あんたみたいな男には、私の気持ちなんてわかんないわよ」

 不機嫌さを全面に押し出したその表情は、彼女が求める美しさとも俺が信じる美しさとも違う場所にあるはずだ。そんな顔をさせていることを申し訳なく思う。かといって嘘をつくことははばかられた。

「美浜さんはお綺麗ですよ」
「あんたなんかいつも私をバカにして」

 本心を伝えても、やはり美浜さんは表情を歪める。俺は口をつぐんで、美浜さんの怒りを甘んじて受けるしかない。
 ぶつぶつと不満を漏らす美浜さんは、いつしか洪水のように俺を怒鳴り散らす。

「落ちぶれたって思うんでしょ、バカだって思ってるんでしょ! 私から若さをとったらなんも残らないって、他のやつみたいに思ってるんでしょ!!」
「そんなこと思ってませんよ、美浜さんは綺麗ですよ、本当に」

 どんどんと胸を叩く拳は意外なほど強く、美浜さんが体型維持の筋肉トレーニングにどれ程気を使っているかがよくわかる。感嘆しながらも美浜さんが手を痛めてしまわないかが気が気でない。
 何件ものエステに通いつめ維持されている美浜さんの美しさを否定する気はなかった。美への妄執と揶揄する輩なんて放っておけばいい。
 ひたむきさだって、心根の美しさだ。
 美への姿勢も含めて美浜さんは美浜さんで、俺はそれを美しいと思う。だけれど理想と現実でせめぎあって傷ついている美浜さんは見ていられなかった。

「老いていったとしても美浜さんは綺麗ですよ」
「そんなこと言われたいんじゃないのよぉ! ばか、ばか、あんたなんてだいきらい」
「俺は美浜さんが大好きです」
「ばかばかばか」

 バカバカと連呼する美浜さんこそバカっぽい、といったら余計怒らせるので飲み込む。怒る美浜さんもかわいいなぁと思うのは惚れた弱味だ。抱き寄せる肩は細くて、皮膚は柔らかい。
 三十路が近づいて皮膚がたるんできたと本人が嫌悪する体は、猫のように形を変えて俺の体にぴたりとはまる。美浜さんを抱き締めたときのこの感触がとても好きで安心するのに、美浜さんはこれを嫌っていることがとても悲しい。
 好きな人が嫌われていることが悲しい。
 嫌っているのが本人であることが悲しい。

 グラビアアイドルとして活動する美浜さんに当時とても勇気をもらって救われたというのに、なにも恩を返せていないのが悲しい。
 罵倒に疲れて眠ってしまう美浜さんもかわいくて、綺麗でかわいくて美しいなんて向かうとこ敵無しだと思うのに、本人が自分の価値に気づいてくれないのが悲しい。





 『それ』を見たとき、俺は最初誰だかさっぱりわからなかった。
 花柄のタンクトップと七分丈のパンツを血に染めて草刈り用の鎌をもつ女が美浜さんであると、俺はわからなかったのだ。

「永遠の……若さ……」

 村をうろつくバケモノの仲間入りを果たしてしまったのだと、考えるまでもなくわかった。
 呟きは間違いなく美浜さんのもので、バケモノになってもまだ人格があるかもしれないと期待した。それが命取りだった。
 振りかぶられたカマが容赦なく腹を切り裂き、俺は尻餅を突いて地面に倒れ込んだ。鈍さと鋭さの同居した痛みはカマが錆びていたせいだろう。錆が体にはいるとまずかったはずだ、と頭によぎって、なによりこの状況が不味いと体が動く。
 立ち上がろうとした瞬間に頭に衝撃。ぶしゃっと、なにかが吹き出す音が後頭部の中から聞こえる。
 ふらついて、頭をかばって丸くなった。この体勢はどうぞ殺してくださいと言っているようなものだ――とわかっているのに体が動かない。脳が揺れて、俺は自分が立っているのか倒れているのかの判断すら危うい。

「私を見て……」
「みっはま、ざんっ?」

 よだれが混じって声は汚れた。
 力を振り絞って顔をあげると、そこには青ざめたを通り越して緑色の肌をした美浜さんが居た。膝を突いて俺に視線をあわせて、頬を撫でてくれる。

「私を見て」

 美浜さんは言う。
 ――美浜さんの笑いジワが好きなんです。
 ――やだ、そんなとこまで見ないでよ。
 美浜さんに気持ちを伝えて嫌そうに鼻を鳴らされるのはなれっこだった。目元が好き、細い指先が好きと伝える度に美浜さんは俺に「見るな」と言う。その美浜さんが、俺に。

「私を見てよぉ……」

 くぐもって奇っ怪な音に成り果てながらも、泣きそうな声で喉を震わせる。
 赤い血を流す目は確かに俺を捉えて、懇願していた。
 視界がにじむ。止めようと思う間もなく、涙がこぼれだす。

「見てますよ、ちゃんと。美浜さん」

 震える手を肩に伸ばす。柔らかいからだは血に濡れてべっとりと俺の手を汚し、俺に吸い付いた。
 互いの求める美しさとはかけ離れていたとしても、目の前にいるのは美浜さんだ。
 髪を撫でるとべチャリと血がついた。構わないと思った。

「ちゃんと見てるから。好きだから。美浜さんが」

 本心を伝えるといつも嫌そうに歪んだ口が、今回は声を描いた。大口をあけてキャハハハと金切り声のような笑い声をあげる美浜さんもかわいいなぁ、と心から思った。やっぱり、俺はこの人が好きだ。
 病室のベッドのうえで、美浜美保子というアイドルをどこまでも追いかけると誓った。
 だから、美浜さんが求めるなら共に醜い存在に成り果ててみるのも悪くない。バケモノになって美浜さんが自分を好きになれたのなら、俺も少しは報われる。
 いつしか周囲には、俺を仲間入りを歓迎するようにバケモノの群れができていた。その中心にいる美浜さんはバケモノの顔をしていても輝いている。美浜さんにかかればバケモノもチャームポイントのひとつだ。
 最後に目にするのがこの人でよかったと心から思って目を閉じた。





2015/1/18:久遠晶