最初からそのつもりで


 繁華街で愛犬をひきつれて歩く三上さんを見つけた。
 人ごみに埋もれる背中を発見できたことに、我ながら感心する。
 三上さんがいつも着ているジャケットの灰色が、たまたま目を引いたのだ。

 出先で知人を見つけると、むしょうに嬉しくなるのはなぜだろう。
 声をかけるか、かけるまいか。
 友達ならためらわないけれど、三上さんは……。当人から『きみが友達でよかった』と言ってもらえているから、友達か。
 一方通行の友情だと思っていたから、その言葉はとても意外だった。

 夜見島から帰ってきてからというもの、三上さんは変わった。新たな一面を発見することが多くて戸惑う。悪い気持ちにはならない。
 なれなれしくしないよう遠慮していたのがあほらしくなるぐらい、心を開いてくれているようなのだ。――いや、そういう距離感を大事にしていたから三上さんが心を開いてくれたのか。

 そんなことを思いながら後ろ姿を見ていると、ふと三上さんが道路の端で立ち止まった。
 頭を手で押さえる様子は、明らかに体調不良の兆しだ。頭が痛いんだろうか。
 声をかけようとして、三上さんに歩み寄る。

「やあ」
「わっ」

 大丈夫ですか、と声をかけるより早く三上さんが振り向いた。
 先ほどの頭を痛がる身ぶりなどないような涼しげな表情は、私をばっちりと見ると嬉しそうに顔をほころばせた。

「やはりきみか」
「……三上さん、やっぱり目、見えてません?」
「相変わらず見えないよ。ツカサの目を借りれるようになってから、ずいぶんと暮らしやすくなったがな」
「盲導犬でもありますもんね」
「いや、そういう意味では――まあいいさ」
「?」

 含みのある言い方が気になって首をかしげる。
 三上さんの足元に寄りそうツカサちゃんは、三上さんを助けるお仕事モードだ。
 本当は頭のひとつも撫でたいところだけど、ツカサちゃんの仕事の邪魔をしちゃいけない。ぐっとこらえて、微笑みかけるだけに戸惑う。

「きみはいつもツカサばかり見ているな」
「そうだ、三上さん頭痛くないんですか? ……へ?」

 顔をあげながら問いかけるのとほぼ同時に、三上さんのふてくされたような声。
 私が三上さんを見つめると、虚空を見つめていた三上さんはすぐに私に視線をあわせてきた。
 夜見島に行く前までは、絶対にありえなかった所作だ。やはり、目が見えているのではないか――と私はどうしても勘ぐってしまう。
 三上さん曰く『他人の目を借りれるようになった』そうだけど、その詩的は私を混乱させる。今までの対応でいいのか、別の対応をしたほうがいいのかと困惑してしまうのだ。
 今まで苦労されていたと思うし、目が見えるようになったのならなによりなのだけど。

「だって、ツカサちゃん可愛いじゃないですか」
「……まあ、そうだが」

 三上さんは呆れたようにため息を吐く。子供みたいな拗ねた表情が顔を出し、私はなんだか笑ってしまう。
 鬼才・三上脩にこんな一面があったなんて。三上さんのクールな一面しか知らないファンが見たら、どういう反応をするんだろう。

「体調が悪いのでないならなによりですよ。急に頭を押さえたので心配しました」
「あぁ、あれはそういうものではないんだ。心配させてすまないな」
「いいえ。……三上さんはおでかけですか?」
「散歩だ。きみは?」

 三上さんは手に持ったツカサちゃんを繋ぐリードを持ちあげて言う。何事もキッチリしたがる三上さんが、いつものお散歩コースを変えることは珍しい。

「私は買い物です。服買って、これから帰るところ」
「そうか。私も帰り道だ。よかったら送ろうか」
「じゃあ、お言葉にあまえて」
「最近は物騒だからな」

 二人で帰り道を歩く。

 三上さんは盲導としてツカサちゃんを連れているから、邪魔にならないようにとすこし離れて並んで歩く。
 横断歩道の段差に気をつけて、三上さんに存在を教えて差し上げないと――とはいえツカサちゃんがいるからそこまで私が気を張らなくてもいいんだけど。でもやっぱり、私も危険を把握しておきたいのだ。

 曲がり道で、三上さんがそっと歩みを遅くした。後ろから私の反対側に回りこむ。

「三上さん、そちらは車道側だから危ないですよ」
「だからだろう」
「ん? ……あ。あぁ」
「女性を危険な目にあわせるわけにはいかないからな」
「三上さんがそんなこと言うなんて」

 今までまったく他人には無関心だったのに。感動しそうだ。
 優しい言葉にときめくよりも驚きが出て、なんだか感慨深い。三上さんの孤高なまでの他人への無関心さは、はたから見て悲しくなると同時に不安になるほどだった。
 打ち解けたんだなぁ、私。
 でもやっぱり危ないですよ。そう言おうとして言いとどまる。危ないからと私が車道側にまわるべきか、言葉に甘えるべきか。
 三上さんのプライドを傷つけたくなくて、迷った結果好意を受け取ることにした。

「じゃあ、お願いします」
「うん」

 歩きながら、三上さんはふっと微笑んだ。
 隣でそれを眺めながら、整った顔立ちに感嘆する。
 三上さんは中性的な美形だ。どこか浮世離れした雰囲気と相まって、触ればかき消えてしまいそうな儚さをはらんでいる。
 夜見島から帰還し、人を寄せ付けない雰囲気は和らいだ。親近感を手に入れた三上さんは向かうとこ敵なしのイケメンさだ。
 やっぱり、綺麗な人。
 男の人に感じることではないのかもしれない。けれど、どうにも三上さんがヒゲを剃ったりトイレに行ったり……動物的なことをしているイメージが三上さんと結ばない。
 友達の私が思うのだから、他の人はなおさらだろう。鬼才三上脩の偶像とはそうして造られ、「シュウさまファンクラブ」なるものが出来るのだ。

「なにかついているか?」
「え?」
「ツカサばかり見ると文句を言ったのは私だが、そう見られるのも座りが悪い」

 三上さんは前を向いたまま恥ずかしそうに眉をみそめた。

「ごっごめんなさいっ!」

 慌てて前を向く。しっかり誘導しなければと思っていたのに、三上さんに見とれてぼんやりしてしまうなんて不届きの極みだ。
 周囲を見渡して、安全を確認する。……うん、大丈夫。
 誘導に集中して気を巡らせる。
 沈黙が重苦しくて気まずい。失礼なことをしてしまった。
 三上さんは他人嫌いで、じろじろ見られることを嫌う――目が見えなくとも、気配で視線は感じるらしい――。作家として有名になってから見られることは増え、他人からの視線には辟易しているはずだろう。
 はぁ、落ち込むな。

「見るなら、二人きりの時に好きなだけ見てくれ」
「い、いえ、大丈夫ですっすみませんでしたっ」
「きみにならいくら見られてもいいんだが」

 三上さんが気を使ってフォローしてくれる。この人もフォローとかできるようになったんだなぁ……というのは、年上にたいしてド失礼だけども。
 ん? 好きなだけ見てくれ? きみにならいくら見られてもいい? なんだかさりげなく爆弾発言投下された気がするぞ。

 夜見島から帰ってきてからというもの、三上さんは思わせ振りな発言が多くて困る。思わせ振りで詩的な言い回しをするのは以前からだけど、恋愛的な思わせ振りは今までなかったのだ。

「そろそろ、私の家です」
「そうか、残念だ」
「んー?」
「もう少し一緒にいたかったからな」

 ……ほんと、思わせ振り。

「もしよかったら、今日新しい紅茶買ってきたんですけど、飲みますか?」
「いいのか? いきなり邪魔して」
「ええ。新作の構想もうかがいたいですし。あ、でもツカサちゃんのお散歩の途中ですか」
「いや、それは構わない。……そもそも」
「ん、なにかいいました?」
「いいや、ぜひご相伴に預からせていただくよ」

 晴れやかで嬉しそうな笑みを浮かべる三上さん。
 やっぱり雰囲気変わったなぁー。
 表情が柔らかくなったって言うか、子供っぽくなったって言うか。
 これはこれで女子受けがよさそうだ。何て思いながら、部屋に三上さんとツカサちゃんを招き入れる。
 ちゃんと掃除しておいてよかった。





2014/10/6:久遠晶