小さな姉と大きな弟
三上脩という男がいる。彼は作家だ。人間誰しも抱えている孤独をテーマにした作品はデビュー当時から人々の心を掴んだ。
容姿端麗で浮き世離れした雰囲気に、女性ファンは彼を『脩サマ』と呼んで親しむ。
でも三上さんは、周囲が思う人物像とはすこし違う。本当は子供っぽくって甘えベタで、家族を失った幼少のトラウマで人と関わるのが苦手になった――そんな不器用な人だった。
「三上さん、どうしたの?」
「――ぅ、くっ、暗い、暗いよお姉ちゃん……真っ暗で、お姉ちゃんの顔が見えないよ……」
「……大丈夫だよ、私はここにいるから……」
真夜中に目を覚ました三上さんが私にすがり付く。役目を理解した私は体を起こし、ベッドの上に座り込んだ。三上さんを抱き締めて優しく背中を叩く。
「お姉ちゃんは脩のそばにいるからね」
「ほんとう? 本当にぼくのそばにいてくれる?」
「もちろんだよ、ずっとこうしててあげるから」
会ったことのない『加奈江お姉ちゃん』を想像しながら、包容力のある優しいお姉さんを演じる。お姉さんのときに三上さんを呼び捨てすることに抵抗はなくなって久しい。
三上さんはすこし華奢だけれど、それでも私よりも背は高いし肩もがっしりしている。だけれど嗚咽をこらえる三上さんの肩はひどく頼りない。いま三上さんは三才の少年でしかなく、私は十八才の三上さんの姉でしかなかった。
涙は私の寝巻きを貫いて私の胸を濡らす。じんわりとあたたかい雫はすぐに冷える。三上さんの心は……どうだろうか。
三上さんの首筋にそっとくちびるを押し付ける。すこし優しいボディーソープの香りが胸を満たした。お姉さんを演じきれない本心はとくとくと高鳴って緊張を繰り返す。嬉しがる下心と違って、理性は複雑な気分を訴えている。
朝、目が覚めた三上さんはこのやり取りを夢の出来事だと思うのだろう。夜中私にすがり付いたことを忘れ、『お姉ちゃんの夢を見たよ』と嬉しそうに報告するのだ。私はよかったですねと笑って、朝食の準備をする。それがいつものやり取りだ。
二人で暮らすようになってしばらく経つけれど、三上さんは私を抱こうとは決してしない。
同じベッドで眠り、夜中起き出す三上さんをあやして眠らせて……この生活は恋人同士と言えるのだろうか。
髪を伸ばした方がかわいいよと、目の見えない三上さんは言う。染めようかなと呟けば黒髪のままがいいと言う。加奈江お姉さんは清楚な人だったと聞いている。
私はお姉さんの身代わりなのではないか、という不安はいつも背中に付きまとって払えない。心を許してくれている証だと言い聞かせてもぬぐえない。
「お姉ちゃん……」
「うん、脩、なあに」
頭を撫でながら首をかしげて微笑む。私を見つけるぼやけた瞳は私を映すことはない。暗闇のなか、三上さんがかおをくしゃくしゃにさせて探すのは私ではなくてお姉さんでしかない。
「そばにいて」
「うん、いるよ」
私が本当のお姉ちゃんであれば、寂しい思いを三上さんにさせないだろうか。
抱き合っているのにひどく指先が冷える。ため息は白く濁った。私はもう一度ため息を吐いて、三上さんに抱き締められたまま枕元にあるはずのリモコンを探った。
2015/1/18:久遠晶