慣れない付き合い


 自分の家に彼がいる景色というのはいつまで経っても慣れない。
 お茶菓子の準備を台所でしながら、振り向いて三上さんを見つめる。座布団に座り傍らのツカサちゃんを撫でる彼は、私の視線に気づかない。
 三上さんの担当編集として、二人きりになったり彼の家にお邪魔したりということは何度かあった。実家がお隣で昔からの知り合いとはいえ、仕事は仕事だ。
 休日にどちらかの家で会うのが当たり前になったという事実が、まだ私の生活になじまない。

 ――さん、いつも支えてくれありがとう。
 ――なんですか三上さん、やぶからぼうに。誉めてもなにも出ませんよ。
 ――君がすきだ。出来れば、編集としてではなく、これからも私のそばにいてほしい。
 ――へ。
 ――告白……してるんだが。

 ある日、駅までの帰り道を歩いている時にそう言われた。夜のイルミネーションに照らされた、緊張にこわばった表情がまっすぐで真剣で、私は突然のことにパニックになったものだ。

 ――え、えぇと……こ、交換日記からなら!?

 混乱のあまり口走った言葉はあんまりなものだった。
 でも三上さんは笑わないでいてくれて、安堵したように目元を緩めて息を吐いた。その表情に柄にもなくドキドキしてしまったのは、記憶に新しい。

 正直な話、告白されたときは驚いた。三上さんが私を女として意識しているとは思っていなかったからだ。
 三上さんは夜見島から帰ってきてから人懐っこくなったけれど、私を好いてくれていたからだなんて思っても見なかった。
 だからまだ、彼の変化に戸惑ったまま、慣れない。

 トレイに紅茶とお茶菓子を載せて、三上さんのいるリビングへと戻る。

「お待たせしました、三上さん」
「ああ……そっちに座るのか?」
「え?」
「隣に来るかと思った」

 三上さんの向かいに座ろうとした私は、一瞬言葉につまってしまう。

「そ、そのほうがいいですか」
「出来れば。ツカサの目を借りれるようになったとはいえ、そばにいてくれた方が安心する」

 君がイヤなら無理にとは言わないが、と付け足され、断るわけにはいかなくなってしまう。
 決して無理強いをしない三上さんは優しくて、とてもいい人だと思う。お試し期間中、のような今の関係も受け入れてくれて、待っていてくれる。
 三上さんが待っていてくれるなら、私も追いつかないといけない。決心をつけなくては。

 私は立ち上がり、三上さんの隣に腰を下ろした。

「じゃ、じゃあ失礼します」
「もっとこっちに」

 服の裾を軽く引かれ、距離を詰める。腕が触れるか触れないかの近さにどぎまぎする。
 今まで男のひとに告白されることってなかったから、恥ずかしい話、壊滅的に男性に慣れていないのだ。

 二人並んでお茶を飲むだけでも、緊張してしまう。
 だって三上さんは、作品のみならず作者本人にファンクラブができるほどの美形だ。そんな人に好意を寄せられて、どぎまぎするなというほうが無理だと思う。

「やっぱりさんの淹れるお茶は美味しいな」
「あ、ありがとうございます」

 紅茶の淹れ方に気を使うようになったのは最近だ。誉められると素直にうれしい。
 三上さんがクッキーを口元に運ぶ様子を、じっと見守ってしまう。

「うん、クッキーも美味しい。手作りかい」
「あ、はい。一応。ちょっと生焼けですか?」
「ん、十分だよ。しっとりしていて食べやすい」
「よかった! たくさんありますからお好きに食べてくださいね」

 会話の途中で、私の反対側で三上さんに寄り添うツカサちゃんがわふんと声をあげた。三上さんの膝に顎をのせたくつろいだ姿が可愛らしい。
 思わずにんまり笑ってしまう。ツカサちゃんの頭に手を伸ばして、撫でる。よく手入れされた毛並みは手触りがいい。わしゃわしゃと皮膚を動かすように撫でると、ツカサちゃんは気持ち良さそうに目を細めた。
 盲導犬はあんまり触ってはいけないものだけど、今のツカサちゃんはいわば"オフ"の状態だ。多少のスキンシップは許されるだろう。
 わふわふ言ってじゃれるツカサちゃんは、机の上のクッキーに興味津々だ。慌てて届かない位置に移動する。

「ツカサちゃんは食べれないクッキーなんだよ~。ごめんね、今度ツカサちゃんのおやつも……おやつの時間決まってます?」
「そうだな、間食は与えないことにしている」
「じゃあ無理か。ドッグフード買っておきますね」
「ん?」
「そしたらほら、遅くまでうちに居れるじゃないですか」
「……」

 三上さんが硬直した。こちらを向きつつも視線があわない顔がひきつって、朱に染まる。

「それは……期待していいのか?」
「えっ……ちっ違います!! へっへっ変な意味は!!」

 意図を理解して声が上擦る。知らず距離が近かったことに気づいて慌ててのけぞった。
 頬に熱が集まる。わ、私は何をばかなことを!

「た、ただこっちでツカサちゃんの夕飯食べれたら三上さんもこっちでご飯食べれるかなって! そっそれだけ! それだけだから!」
「わかったから慌てなくていいよ、さん」

 頬を赤くしたまま苦笑する三上さんは、どこか残念そうだ。こっちの会話など知らぬツカサちゃんは膝元でぴくぴくと耳を動かしている。お腹は三上さんにまさぐられて心地良さそうだ。
 羨ましい。と思う気持ちはどちらに対するものか。
 私はごまかすように紅茶に口をつける。まだ熱い紅茶が舌にひりついた。

「……そ、そういうのは、もうちょっと慣れてからで……お願いします」
さん、きみは……」

 三上さんはため息をついて顔を覆った。不意に触れられた指先にどきりとする。

「だ、抱き締めてもいいかな」
「えっ……は、はい。それぐらいなら」

 私の許可を得た三上さんの手が、手の甲から私の腕をぺたぺたとのぼっていく。
 ツカサちゃんのお腹から、もう片方の手が持ち上がった。残念そうな声がツカサちゃんの鼻からもれる。
 ぎこちなく肩に回された両手が、おずおずと私を引き寄せる。ゆっくりとした動きに私の心臓は高まり、待ち構えて手に汗がでる。
 ぽすんと三上さんの肩に顎が当たった。私も控えめに抱き締める。
 三上さんの体は、意外なほど筋肉質だ。女性的な線の細い外見とは裏腹に身体にはしっかりと筋肉がある。
 三上さんも男なんだなぁ、と、立場も忘れて驚くのは私も少なからず『鬼才・三上脩の偶像』に毒されているからか。
 じんわりとした暖かいは、じょじょに私の緊張を和らげてくれる。

「きみは暖かいな」
「そう、ですかね。三上さんのほうがあったかいですよ」
「そうかな」
「えぇ」

 満足したのか、三上さんが控えめに身を離す。拳ひとつぶんほどの隙間が空いたところで、その動きは止まった。
 鼻が突きあうほどの顔の近さにうっと息を飲んだ。
 反面、三上さんは対して恥じらう素振りもない。

「ああ、この距離ならきみの顔も見えるんだな」
「そ、ソウデスカ」
「うん。すこしだけだが……」

 吐息が唇に当たってくすぐったい。
 いつのまにか後頭部に三上さんの手が添えられていた。ぐぐぐと引き寄せられ、鼻先がふよんと当たる。うっと、息を止めてしまう。

「でも、この近さだと見えても訳がわからないな」
「ち、近すぎて目がひとつになっちゃいますもんね……」
「うん」

 和やかに笑う三上さんは朗らかで楽しそうだ。私は心臓がせわしなくてそれどころじゃない。
 不意に三上さんが身を離した。やった、これで解放される。息をついたのもつかの間、三上さんの顔がぐっと迫る。
 なっ、なに!?
 とっさに目をつむる。しかし待ち構えた感触はいつまでたっても来ない。
 ぽふんと私を抱き締めなおした三上さんが、優しく私の背中を撫でる。

「夜見島から戻ってこれてよかったなぁ」
「み……みかみさん」
「ん、なんだい」

 クスクス笑う声がすぐそばで聞こえる。顔が燃えそうに熱い。
 じっとりと手にかいた汗の行き場がわからず、私は盛大にため息をついた。

「三上さんは天然女たらしですか」
「なんだよそれは」

 あやすように背中を撫でる手が意地悪い。
 三上さんの後ろで尻尾をパタパタ振りながらくつろいでいるツカサちゃんに脱力してしまう。仕事中でないツカサちゃんは、パートナーに似てマイペースだ。
 このままいいようにもてあそばれてるのも座りが悪い。肩を押し退けて身を離した。

「いいですよ、おどおどビクビクしてる私をセイゼイ小説に生かしてください!
 ツカサちゃん、お散歩の時間だから行くよ~」
「お、おいちょっとまっ……」
「三上さんはお留守番!」

 ピシャリと言い放つと三上さんの動きが止まる。パートナーよりも私を選んだらしいツカサちゃんが足元にすりよってくるのにガッツポーズ。三上さんがちゃんと命令したらそっちいくんだろうけどね。
 三上さんはやってしまったと言わんばかりに肩をすくめ、困った顔で私の方をみる。

「なるべく早くに機嫌を直して戻ってきてくれよ」
「さーどうでしょ。三上さんのおめめお借りします。ツカサちゃん行くよ~」
「いってらっしゃい」

 なかば投げやりな言葉を背中に聞きながら、ツカサちゃんをリードに繋いで家を出た。
 あんまり放置するのも悪いし、散歩がてらドックフードと三上さんの夕飯買いながらかーえろっ。





2016/08/05:久遠晶
盲導犬を持っていくなー!!と自分もおもったのですが、終わらせかたがわからなかったんです……。