眠り姫のナイト
「ちゃん、一緒にあそびましょー」
眠る彼女の手をぷらぷら振って、ままごとをするみたいに話しかける。
俺の体にもたれこむ背中を後ろから抱き締めて支える。地面に腰かけるとかんじる尻の冷たさを、俺はもう不快に思うことはない。
「ちゃーん」
彼女の顎を掴んで振っても、応答はない。わかっているのにどうしてこうもちょっかいをかけてしまうのだろう。自分のアホらしさにクツクツと笑えてくる。楽しい。
人生のなかでこれほどまで楽しく、解放され、満ち足りた気分になったことがあるだろうか。
細胞のひとつひとつが目覚め、そこからさらに新しい自分に生まれ変わるようだった。六十兆の細胞が歌いだすような――思考の途中でプッと吹き出す。
この身体は、ただの殻だ。活動は停止し、もう朽ちていくだけの空洞。そこに俺が入り込み、好き勝手に動かしているに過ぎない。
ふいに、目の前に闇霊がちらついた。黒い布に身を包みんだ手足のない塊が、もそもそと俺の腕の中のに近づく。
の腹においていた機関銃を構え、撃つ。たったの一発で同胞は黒い霧となって滅されていく。
恨めしそうな甲高い叫びが、『何故だ』と問うていた。
「ななしが起きちまうだろ」
安らかに眠るは綺麗だ。
殻を寄越せと近づく同胞たちはすべて殺した。すでに殻を持っているやつから怒られて殺されたこともあったが、起きたらすぐにを動かすやつを殺してまたを取り戻した。
どうやらこの殻に入ると、例外なくという殻に執着するらしい。
身体に残った記憶に左右されるやつは多い。沖田と言う殻に入ったやつは、中身が変わってもいつも永井という殻のことを考えているし、俺たちには必要のない人間の飲み物を欲しがるやつもいる。
この殻は一際残留思念が強いようなのだ。
喜び勇んでこの殻に入った時感じたのは、鬱屈からの解放による清々しさとへの強い執着だった。
ひょっとしたら、この殻は生前に惚れていたのかもしれない。
「今までの気分が嘘みたいなんだよ」
呟きながらこらえきれずにクツクツ笑う。
殻を間借りしているにすぎないくせに、と恨めしそうな闇霊の泣き声が聞こえる。わかるなぁ、俺もこの殻に入るまではそう思っていた。
この殻は思念が強すぎて、闇霊としての意識が持っていかれる。まるでずっとこの男として生きていたかのように錯覚させられるのだ。これほどの意思力がある殻が、どうして死んだかね。損傷がまったくないのでありがたいことではあるが、不可解だ。
いい殻に宿れたくせに、さらに他の殻まで独占するのかと怒られるのも当然だ。別にいい。疎まれることには慣れて――いるのはこの殻であって俺と言う闇霊ではないんだが。
そんな区別もどうだっていい話だ。
もはや母胎の望む地上侵略だってどうだっていい。
がいればいい。
地上を求める闇霊としての俺の渇望が、この殻の、を求める執着に引きずられて一致する。
「諦めが肝心だよ、何事もね」
近づいてくる闇霊を撃ち殺しながら呼び掛ける。ななしを渡すつもりなどこれっぽっちもない。
ふと、という殻はなにを思っているだろうと疑問が浮かんだ。
どういう残留思念を残しているだろう。
起きたが見たいという欲求が、好奇心に変わる。
だが他のやつらにを渡すのはしゃくだ。それに、に入った闇霊がの残留思念に引きずられたとしても、それは所詮じゃない。
――あーあ、殺さなきゃよかった。
殺さないでを人間のまま飼って、それで一緒に遊べばよかったんだ。目的はあくまで地球侵略だから、一人ぐらい人間がいたっていいだろう。太陽を奪えば殻なんて必要なくなる。
前の、前の、前の、前の、前の、この殻を動かしていた闇霊を恨めしく思う。
チッと舌打ちしてから、別にいいやと思い直した。
重力ですこしずれてしまったの身体を持ち上げて抱え直す
すべてを俺に預けるの重みが心地いいと思った。
何はともあれ、眠り姫はそばにいる。もう離れることはない。あっち側もこっち側も関係がなく、身分や年齢の差に悩むこともない。
この殻が抱き続けた葛藤を、俺はする必要がない。
なにも必要がないのだ。
ただがいればいい。
2014/11/6:久遠晶