救い上げる言葉



 殻に入った闇霊は、殻そのものになれるのだろうか。
 下らないことを考えるのは殻によってもたらされた『自我』だ。
 母胎の集合意識の一辺であり本来明確な自我をもたない私たちは、殻の残留思念を取り込むことで個々の感情を得た。
 芽生えた感情は殻に寄生しているとき限定なのか、抜け出たあとも持続するものなのかは試していないからわからない。

 私がなぜ思考にふけるのかと言えば、やはりこの殻の性格によるところが大きいのだろう。他の闇人と違い、他の獲物を見つけても私は笑うこともなければ、楽しいと思うこともない。
 ただ、実験的な好奇心と、現状を深く分析し考察しようと頭を巡らせる。
 私は殻に残る思念にうながされるように思考を繰り返す。
 歩みを止めるな。
 考え続けろ。
 そんなふうに急き立てられる感覚だけがある。この殻はなにを求めているのだろう。

「いったいなにがしたいのか」
「そりゃ地上の奪還だろ」

 口に出すと背後から声がかかった。私と同じく布を殻に巻き付けているのは、『沖田さん』だ。
 正確に言えば沖田さんの殻に入った闇霊ということになるが、いちいちそこまで言うのも面倒だ。そもそも殻に宿る闇霊なんて、結構簡単に入れ替わる。『沖田さん』の殻を操る闇霊も、知らぬ間に何度も入れ替わっていることだろう。
 事実、『沖田さん』のからだは破損が著しい。
 ジャケットと、それを覆う黒い布を突き破って主張する白いあばら骨。おかしな方向に曲がる左の小指を見つめると、視線に気づいた『沖田さん』がその手を指で覆った。

「この体もずいぶんとガタが来てるみたいでさ」

 隠された手のなかでぼきぼきと音がなる。指の骨折を無理矢理修正し、『沖田さん』は両手を握って具合を確かめる。
 仮住まいの殻に愛着はないらしい。乱雑なそぶりだった。

「次の殻決めてるんだ。永井にする。他のやつらには渡すもんか」
「そうですか」
「もちろんお前にも渡さないぞ」

 私は肩を竦めた。
 彼と違って私の殻は破損が少ないし、結構気に入っている。仮住まいの場所を変える気はなかった。

「安心してくださいよ。この殻、結構好きなんで」

 しゃべる言葉は自然と敬語になった。生前、沖田さんは私の上官だった。生きている時のことが、抜けていないのだ。
 沖田さんはずいぶんと永井と言う殻に執着しているらしい。私はそれを羨ましく思う。
 殻の持つ記憶のなかで沖田さんは永井をかばって死んだ。死の寸前まで抱いていた永井への心配は、闇霊に体を乗っ取られたときに執着へと変質したのだ。
 大好きな部下である永井を殺したい。根性だして頑張ってほしい。相反する言葉は彼のなかでは矛盾なく成立しているようで、やはり羨ましい。

 地上の奪還が我々の目的だ、と『沖田さん』は言う。それは実に正しい。
 だが彼は、地上の奪還とは別の、彼自身の目的をはっきりと自覚している。それが羨ましい。
 私は、自分自身の目的を抱くことすらできていない。
 思念の集合体であり、本来明確な意識をもたない闇霊のひとつであるはずの、私。
 そこに芽生えた自我が、個を確立しきれずにきしんで悲鳴をあげている。

 ――悲鳴をあげているのがこの殻の残留思念なのか、私そのものの個なのかどうかすらもわからない。
 私は目的を探してさ迷う子供のようだ。
 地上を求める闇霊としての本能とは別の、強い渇望があったはずだ。なにかを私は、この殻は探している。それは――。


   ***


……」
「さん、さ……?」

 その殻を目にした瞬間、口から言葉が滑り落ちた。さんさ、三佐。
 引き寄せられるように手を伸ばした瞬間、三佐の表情がかたくこわばる。
 銃口を胸に突きつけられると、すでに止まった胸がひどく痛んだ。どうしてそんなかおをするの。そう思ってから、ナイフを持っていたことに気づいた。
 ああ、そうだ、これに怯えたんだ。三佐は警戒心が強いかただから。
 ごくごく自然にからだは手から力を抜いて、ナイフがコンクリートの地面に転がって高い音をたてた。

「ぁ……」

 言葉を口に出すことははばかられる。交わす言葉が見つからない。
 どうして今の今までこの人を忘れていたんだろう。比類なく大きな人。私の人生の――そのものを。
 三佐はナイフを落とし、その場に立ちすくむ私を見て困惑したように眉根を寄せた。叩きつけられる敵意はほんのわずかに陰り、なにかを見通そうとするように目をこらす。

「お、お前……、か?」

 事切れた沖田さんが屍人として二度目の生を受けたとき、三佐は容赦なく永井に「撃て」と命じた。
 その三沢さんがいま、私を見て動揺している。引き金を引くかどうかを迷い、決めあぐねている――そう思うと泣きたくなるほど嬉しかった。
 この人のなかに明確に「私」がいる。
 さんさ、と私は声に出そうとして言葉が止まった。

 闇人の感覚が、この場に近づく同胞の存在を知覚する。意識を半分だけ外に向けると、片目に同胞の視界が映し出される――場所は近い。

……お前、なのか……?」

 銃口を突きつけながら、どこか惚けたように三佐が呟く。一歩二歩と私に近づいていく。
 私は答えるより先に一歩大きく踏み出した。
 地面を蹴って三沢さんとの距離を詰める。とっさに撃ち込まれた弾丸は私の肩に命中する。わかっていたことだから構わない。勢いを殺さずに、三佐に突っ込む。

「すみません三佐」

 全体重を掛けたタックルは、本来ならばそれで三佐を倒すには至らないだろう。だけど私は、この殻の性能を限界以上に引き出せる。
 軽自動車に軽く衝突されたほどの衝撃に、たまらず三沢さんも突き飛ばされる。
 よろけて尻餅をつく三沢さんに追随してその体にのし掛かった。

「くっ……やはりっ……」

 三佐の手からこぼれた機関銃をキャッチして、そのまま頬に突きつける。

「撃たれたくなかったら動かないで」
「脅す気か、化け物が」
「暖かい布団のなかで目が覚めるとは限りませんよ」
「……ッ」
「目をつむって黙って」

 三佐は視線をさ迷わせて逡巡した。突きつけた銃口をぐりぐりと押し付けると、観念したようにぎゅっと目をつむる。
 ほっとしたのも束の間、ドアを開けて同胞が部屋に入ってくる。

「おぁー? もう終わってんのか」
「ちょうど今」
「加勢してやろうと思ったんだが……」

 身体の上での会話に、困惑した三佐が目を開けようとする。私は銃口を突きつけたまま、もう片方の手で三沢さんのまぶたを覆う。察した三沢さんはグッと唇を引き結び、体を弛緩させて死んだふりに徹する。

「いいなぁ……三佐の殻。動きやすそう。俺ほしいなあ」
「……いいから持ち場に戻ってくださいよ」
「ハイハイ。じゃーなー」

 同胞が部屋から出ていく。その足音が遠ざかったことを確認して三佐から身を離す。機関銃をお腹において立ち上がった。
 念のため廊下を見て確認しながら、三佐に小さく声を掛ける。

「行ったみたい。ひとまず大丈夫そう」
「いったいなにをたくらんでる」

 機関銃を構え直しながら、三佐は厳しい声を出した。
 問われてから、やっと自分の行動に気づいた。

 ああ、私、目の前の殻を助けたんだ。
 それって、母胎の目的とは程遠い妨害行為にも他ならないはずじゃないの?
 疑問に思い、そんな自分に寒気がして警報を鳴らすのは「私」だろう。
 母胎なんてどうでもいい、と、目の前の人を生かそうとするのはこの殻の残留思念のはずだ。
 でも私と殻の境は混じりあって、どちらがどちらなのかわからない。
 
 殺して仲間に引き入れよう、いやそんなものに意味はない。殻を間借りし寄生する闇霊としての自分が、三佐の殻に他の闇霊が寄生してもそれは三佐じゃないと悲鳴をあげる。

 思考が錯綜して整理ができない。困惑して黙りこむ私に、三佐は目を細めた。

「……質問を変える。お前は何者だ」

 また答えづらい質問が来た。
 私はうなり、開けっぱなしだったら扉を閉めて鍵をかける。三佐の警戒度がはねあがるのがわかった。
 私は数歩三佐に歩みより、撃たれないギリギリの間合いでうずくまった。三角座りをして、三沢さんを見上げる。
 嘘はつきたくないけど、私は自分を語る言葉をもたない。

「答えろ。しゃべれない訳じゃないんだろ」
「たぶん……あなたが思うような存在じゃあありません……うぐぁ」

 三佐の懐中電灯の明かりが、私をチリチリと焼く。うめいて顔をそらす私に、三佐は慌てて電灯のスイッチを切った。

「今の私に、光は毒です……すみません、ありがとう」
「やっぱりお前、なのか……」
「……違います」

 緩く首を振る。

「私は死んだこの殻に寄生するだけの、ただの闇霊です。この殻の残留思念と混じりあって自我に境はないけれど、この殻の持ち主が『生きて』いるわけじゃあありません」

 言葉は自然と苦々しくなった。三佐を恋慕うこの殻の残留思念は、私にも同様の感情をもたらした。失望されたくないと怯える。

「撃ちたいならご自由にどうぞ。それで、『私』は消滅します。もっともすぐ別の闇霊がこの殻に入り込んで……また残留思念と溶け合って別の『私』となるでしょうけど」

 次に入り込む闇霊は、残留思念とどのような混じりかたをするだろう。願わくば違う混じりかたをしてほしい。私は私でいたい。唯一の私でいたい。
 この殻は冷徹でも無感情でもなかった。ただ三佐への思いが強く殻に残るあまり、それ以外のものを見てもなんの気持ちも起こらなかっただけだ。

……は」
「あなたを慕ったその人はいません。残念ですけど……」

 私がその女だったらどんなにいいだろう。成り代われるなら成り代わりたい。母胎なんてどうでも――いや――。本能と葛藤しがんじがらめになる私は滑稽なことだろう。
 鳩の役目を捨てた女がいたと聞く。母胎の命令に背いたその鳩も、こんな気持ちを抱いたのだろうか。

 ジャリ、と砂を踏む足音が響く。
 三佐は私の眼前で立ち止まり、私の目を覗き込んだ。
 殺されてしまう。嫌だ――嫌だ。けどきっと仕方がない。
 私はぎゅっと目をつむる。
 そこに、ふいにドアノブを回す金属音が響いた。
 三沢さんと一緒になって息をのみ、注視してしまう。内鍵は外から叩けば開いてしまう程度のものだ。カチャリと鍵が外れる音が響き、ダンッと開け放たれる。

「三沢さん! ってうお! 大丈夫ですか!」
「まッ待て! こいつは違う――」

 永井は部屋にいる私を見つめると慌てて機関銃を構えた。三佐はとっさに、射線を阻むように永井に立ちはだかる。

「三沢さん、でもそいつ」
「俺をかばったんだ、こいつ、さっき」

 説明する三佐自身信じきれていないようで、言葉には歯切れがない。

なんですか、そいつ」

 永井の疑いの眼が刺さる。
 三佐は大事だけど永井はどうでもいいと思う私は、確実に生前のその女ではない。永井から顔をそらしてうつむいた。

「たぶん。……少なくとも、敵じゃあ、ない」

 探るような三佐の言葉に顔をあげる


 暗い暗いところで、子供が泣いている。瓦礫のなかに閉じ込められた少女はかろうじて無傷だったけどら隙間から抜け出すことは不可能だった。
 おかあさん、おとうさん。
 泣きじゃくっていると、頭上の瓦礫が動いて光が射し込む。

 ――大丈夫か、嬢ちゃん。もう大丈夫だぞ。
 光のなかで誰かが手を差し出し、少女はそれを掴んだ。


 死んでもなお強烈に残る記憶。子供の頃三佐に救われた命はもう、この殻にはないけれど。同じ記憶を持つ私の胸が、喜びと切なさではち切れそうになる。

「こいつは味方だ」

 霧が晴れるように自分の有り様を理解した。ただこの人の背中を見ていたいと思った。





2014/12/5:久遠晶