一番厄介な存在
休日の朝、スーパーから帰る途中で見知った顔を見つけた。一寸遅れて、相手も気づく。
は嬉しそうに俺に駆け寄ると、ビシッと敬礼のポーズを取る。
「はっ! 三佐!お疲れさまです!」
「おうお疲れ。お前、家この辺なのか?」
「いえ、友人の家に遊びに来ておりまして、お昼ご飯の材料を買いに!」
「そう」
「三佐のご自宅はこちらの近辺なんですか」
「まぁな」
「そうですか! 偶然ですね!」
は心の底から嬉しそうに笑った。
普段から感情表現が豊かなやつだが、俺の前だとことさらにそうなるらしい。
俺は部下に好かれない性質だ。こんなふうに真っ正面から好意を向けられることははじめての経験で戸惑う。
厳しく叱責し、が泣きそうに弱る場面は何度も見た。ミスを怒鳴り付けて本当に泣かせたことは何度もある。
それでも後々フォローに行ったときにはケロリとしていて、『ご指導ありがとうございます』と深々と頭を下げるのだから大したものだ、と思う。女だてらによくやっている。
沖田が『三沢三佐ファンクラブ名誉会長』なんて揶揄していたっけか。そこまで好かれる理由が、俺にはまったく身に覚えがない。
部下に嫌われるのもやりづらいが好かれるのもやりづらいものだと、こいつが入隊してきてはじめて知った。
「三佐、どうかしました?」
整列休めの姿勢を取っている部下が首をかしげる。俺は慌てて、なんでもないと首を振る。
そうですか、と頷く部下は犬のようだ。小柄で人懐っこい犬。手招きをすればわふわふとしっぽを振ってやって来るのだ。
「休みだからって、あんまだらけんなよ」
浮き上がった手がごくごく自然にの頭の上に乗った。気づいて、慌てて手を離す。
好かれているとは言え、女の頭を撫でるのはナシだろう。居心地の悪さにうっと息を詰める。は目をぱちぱちと瞬かせる。
「えへっ」
目を細めて、頬をほんのり赤くしての破顔。大口を開けての笑みだと言うのに、どうしてか色気があってどきりとする。
「三佐はごゆっくり休んでくださいね! それでは、自分はこれで!」
「オ、オウ」
バッと敬礼をし、俺が何か言う間もなくは地面を蹴りあげる。訓練と違って装備がないから、その走りはいつもより早い。みるみるうちに小さくなる背中にため息をついた。
浮き足たってフォームがめちゃめちゃだ。
嫌われるよりは好かれた方がいい。だとしても扱いづらいことに代わりはない。歴代で一番厄介なと言う部下が、俺は少し苦手だ。嫌いじゃあ……ないんだが。
家に帰ろうと歩き出すと、電柱の影に良からぬものを見つけた。反射的に距離をとって身構えるものの、そこにはなにもない。
ピリピリとした違和感が刺すような頭痛になる。
二年前から見続ける悪夢が、現実にまで侵食してくるようだった。深く呼吸をして気を落ち着かせる。
……こんな俺を見れば、も幻滅するだろう。
と会った事実すら現実なのかわからなくなって、頭の感触が残る手のひらをぐっと握った。
2016/08/05:久遠晶
一番厄介なのは部下じゃなくて悪夢だよって話(号泣)