三沢さんと最強夢主
眉間に突きつけられた銃に死を覚悟した。「三佐ァ、根性見せてくださいよー」
尻餅をついた俺を見下ろし、化け物と成り果てた沖田は声をあげて笑う。耳元では風に揺れる葉擦れの音がさざめいている。
手からこぼれたナイフを構える暇もなく、銃声が響いて俺の頭に風穴が空いた――はずだった。
ぐっと目のつむった俺は、予測した衝撃や痛みが来ないことに気づいて目を開ける。
月明かりを背に受けた沖田の体がぐらりと揺れた。そのまま真横に体が傾き、沖田は顔から草むらに落下していく。
沖田の背後に、角材を背負った女が立っていた。
「アハッ生きてる? ねぇきみ、生きてる?」
ジーパンにタンクトップというラフな格好をした少女だった。年は高校生ぐらいか。俺を見下ろし、大きく口を開けて笑う。
俺がなにか言う前に、少女はどっかとその場にしゃがみこんだ。鼻先が触れあわんばかりに俺に顔を近づけ、嬉しそうな声をだす。
「ホンモノのニンゲンだっ」
「……離れろ」
のけぞって隙間を開けてもすぐに距離を詰めてくる少女の肩を掴み、引き剥がす。残念そうに眉が下がった。
「きみ……この島の人? 今何が起きてるか、わかる?」
わからないだろうと思いつつ、念のため聞いてみる。立ち上がって沖田の銃を拾い、ナイフを捨てた。
銃を構えて周囲を警戒する。このあたりの死体たちは全員倒したようだが、しばらくすればまた復活するはずだ。
何度も何度も蘇る島民たちとかつての同僚は笑えない悪夢だ。頭が痛くなってくる。
なにがおかしいのか、少女は闇の中を睨む俺を見てへらへら笑っている。
「この島のことはわからないけど。『ここは切り取られた世界』で、あいつらが化け物だってことはわーかるよ」
「……切り取られた世界?」
「場所についてはわからない。 わたし羽生蛇村にいたはずなんだけど、いやはや不思議が一杯だぁ」
「羽生蛇村だと!?」
「えっうっうん……わぁっ」
聞き捨てならない単語に俺は目を剥いた。しゃがみこんだままの少女の肩をつかむ。
「きみは羽生蛇村の人間なのか」
「そうだね、生まれも育ちも羽生蛇村だよ」
「――あの村は」
あの村はいったいなんなんだ、と言おうとして、言葉にならなかった。
頭にまとわりつく悪夢、亡霊、幻。薬に頼るべきじゃないことはわかっていつつもどうしようもない恐怖――それはすべて羽生蛇村に災害救助に行ってから始まった。
村から伸びる無数の手の幻を見てしまってから、俺はこの世界と『違えて』しまっているんだ。
少女の顔が痛みに歪んでいることに気づき、はっとして肩から手を離した。
「っ、すまん」
「いいよ、死なないから」
少女はにこりと笑う。本当になんとも思っていないそぶりだったが、俺が掴んでいた肩は鬱血して赤みがにじんでいる。しばらくしてからやっともとの肌色に戻る様子に、よほど強く掴んでしまったのだと思い知らされる。
「おじさんは羽生蛇村に浅からぬ因縁があるみたいだね」
「二年前の土砂崩れの時、救助に行った。それだけだ」
「二年前? 土砂崩れって」
「知らないのか。村が丸ごと土砂に沈んで、ニュースにもなった」
少女は目をぱちぱちと瞬かせた。驚いたように口を開け、それからにんまりと微笑む。
「そういうことになってるんだ。いい気味」
仮にも何人も人が死んだ。なんてことを言うんだと口を開こうとした瞬間、周囲からけたけたと笑い声が響いた。
手足のない黒い芋虫のような化け物が周囲を取り囲み、じりじりとこちらに向かってきている。
島に最初にいた黒いもやのようなものはいつからか姿を消していた。入れ替わりに現れるようになった実体のある化け物だ。
一体一体は弱いとはいえ、あまりに数が多い。少女を庇いながらやりあうには骨が折れそうだ。
「ひとまず逃げるぞ」
「面白いね、あれが人間にとりつくの? 初めて見る。羽生蛇村にはあんなのなかった」
促す言葉を少女は無視した。化け物に釘付けになって笑う。
気が触れているのか、と思った。
ズボンのポケットから取り出したおかしな像を祈るように胸に持つ少女に、恐怖の色などなかったからだ。
沖田を倒したときもそうだったが、緊張のない声は極限状態における人間のありようとはかけ離れている。
「でもどんな化け物だって『これ』なら殺せる」
少女は右手に持った像を掲げる。パッと少女の姿が輝いたと思った瞬間、青い炎が少女から立ち上った。
とっさに地面を蹴って二歩下がる。
青空を凝縮させたような炎は激しく揺らめくと、意思をもっているように化け物たちに向かって四散していく。
化け物を取り込んで燃え上がる柱が瞬き、そして消えた。
痕にはなにも残さずに――地面に生える草木にはなんの影響もなく、ただ化け物たちだけが滅されて。
「よかった。やっぱりコレは効くなぁ」
「なんなんだ、お前は」
「好きな人の形見でね、命と引き換えにすべてを燃やす煉獄の炎を作るアイテム……ってこの話、オカルトっぽくて好きじゃないんだけどさ」
オカルトっぽいと言うのはまさにだが、実演されては信じる他ない。
命と引き換えというならなぜ少女は生きているのか疑問だが、現状の認識だけで手一杯だった。
この少女は俺が守ろうとする必要はないのかもしれない。むしろ、かえって足手まといだろうか。
「そのペンダントも形見か?」
「これは……まぁね」
胸に下げた奇妙な図形のペンダントを指で示すと少女の笑みが影が射す。ペンダントを手のひらで包んで、考え込むような素振り。
ペンダントを強く握る手はわずかに震えている。
気がつけばその手に自分の指を重ねていた。
励ます言葉をかけようとして、言いよどむ。助けられたのは俺の方だった。
少女は驚いたように俺を見て、それから片方の手を俺に伸ばした。
重ねた俺の手をたどり、腕をつかんで感触を確かめるように触れる。
「ほんとに生きてるんだね、おじさん」
「当たり前だ、俺はまだ化け物じゃない。……なんて言える状態じゃないが」
「ふふ」
少女は困ったように吹き出した。疲れたような、やつれた笑みだった。
「きみ、名前は?」
「……。……人に名乗ったのって、何年ぶりだろう」
言葉を交わす相手がいることに安心しているような声だった。
羽生蛇村の呪いに囚われ、化け物をずっと滅していたと少女は語る。こんなことを何度も繰り返していたのだろうか。
少女はすがるように俺の腕をつかんだまま離さない。久々に出会った『人間』が離れがたいのだろうか。
「とりあえず、ここを離れよう」
「うん。ところでおじさんって自衛官さんなの?」
「……三沢岳明って名前がある」
「たけあきくん」
ずいぶんと馴れ馴れしい。だが嫌いじゃなかった。
腕をつかむ少女の力に、俺もすこし気持ちが落ち着いた。
少女の語る物語は荒唐無稽で、にわかに信じられるものじゃない。だが目の前で起きる悪夢は本物だ。信じざるを得ない。
現状を打開するすべがあるのかもわからない。この悪夢から目覚める方法はあるのだろうか。
死ねば俺もきっと沖田たちと同じように動く屍になるのだろう。生前の記憶や意思から解き放たれるのは、それはそれで、心地いい解放なのかもしれない。
不死の呪いを受けたと語る少女には、死と言う解放と『目覚め』がない。
あわれだ、と思った。額に受けた銃弾を物ともせず、ゆっくりと傷が癒えていく様子を見せつけられた俺は、恐怖よりも先に憐憫を抱いた。
かわいそうだ。若いのに、過酷な運命を課せられている。
同時に、この子だけでも元の世界に返してやりたいと思った。
死なない身体。無限に生み出せる煉獄の炎。戦闘力で言うなら俺より上、守られるのは俺のほうで、彼女も俺を守ろうとしてかばおうとする。そんな子を、どうやったって死なないこの子のことを、俺はどうしようもなく『守りたい』と思った。
「岳明くん、大丈夫?」
「そっちこそ怪我はないか」
「あってもすぐ治るよ」
少女は肩をすくめて笑う。俺は彼女の一歩前を歩き、周囲を警戒する。
たぶん、お互いにわかってる。
こんな異常な世界で、人としての意識を保って生き抜くためには、守ってくれる誰かと守らせてくれる誰かが必要だ。
時折俺の腕を掴んでは存在を確認する小さな指を感じながら、俺はそう直感していた。
2016/08/05:久遠晶
ツイッターお題診断より、「三沢さんとお調子者な最強夢主のやりとりを想像してみよう」的なお題からの散文。
最強夢主ははじめて書いてみたけれど、こういうのでいいのかな。
羽生蛇村で夢主がどう動いていたのか、どうなったのかなどは想像にお任せします(考えてない)