ある雪の日
朝、肩に這い寄る寒さで目が覚めた。
今日は土曜日、シフトアルバイトの私も休みの日だ。せっかくの休日だというのに、朝から起きてるなんてもったいない。
むにゃむにゃいいながら布団をかぶり直したところで、外が騒がしいことに気づく。
上体を起こして見やった窓は真っ白だ。
「うわーお。雪か……」
布団から這い出て窓を開けると、ぶあっと冷気が頬を刺す。通りで寒いはずだ。
アパートの二階から見渡す気色は雪で彩られている。すでに止んだあとのようで、冴える青空がきもちいい。
ご近所さんたちが雪かきをしているところだった。子供たちは雪合戦だなんだと騒いでいる。朝だと思っていたけど、時計を確認すればもうお昼だった。
窓を閉めて、お湯を沸かす。昨日作った鍋の中身を加熱しながら、冷気に肩を抱く。
こんな寒い中、雪かきするなんて大変だなぁ。ご近所さんたちの頑張りに頭が下がる思いだ。
アパート暮らしのわたしは……影ながら応援するだけだけど。
わざわざ自分から道路の雪かきをすることはないかなぁ、と考える。面倒だし、アパート暮らしだもん。そこになんの正当性もないけれど。
でも大屋さん、高齢なのに雪かき頑張ろうとするから、代わりに雪かきに行った方がいいかなぁ。
お湯を飲みながら、ぼんやり考える。
外はこの部屋よりも寒いだろう。寝起きの状態で行くことはためらわれた。でも大屋さんがぎっくり腰にでもなったらたいへんだ。
ごはん食べて一息ついたら雪かきしに行こうかな、という気分に振れてきたところで、窓の外の景色をふと思い出す。
雪かきをするご近所さんのなかに、ダウンジャケットを着た背中があった。肌色の見える丸坊主の頭は、三沢さんではないのか。
三沢さん――土曜日――つまり休み――雪かき――しごと。
そこまで考えたところで、あわてて立ち上がった。急いで着替えて、コートを羽織って外に飛び出す。
踏みしめられた雪の通路を歩きながらアパートの階段を降りると、三沢さんはすぐに見つかった。アパートの周辺に積もる雪を道路の隅に寄せる背中に、声をかける。
「三沢さん!」
「ん……あぁ、お前か」
「わたしですけど」
のっそりと振り返った三沢さんが、目を細めた。
ジャケットを着ているとは言え三沢さんは軽装だ。鼻と耳を赤くしている。
「なにやってんですか三沢さん」
「なにって、見りゃわかるだろ」
「わたし、代わります」
「それなら向こうまだやってないから」
三沢さんがアパートの反対側を指差した。わたしは首を振る。
「そうじゃなくて」
「あぁ?」
「三沢さんにこんなことさせられません」
「はぁ?」
三沢さんが不機嫌そうに眉を動かした。
シャベルを三沢さんの手から掠め取ろうとすると、三沢さんがそれを拒否する。
両手で柄を掴んで引っ張っているのに、びくともしない。
「お前、俺より力ねえだろ」
「そうですけど、でも三沢さんがこんなことするなんてもったいない」
「……あのなー」
三沢さんの体力は人々を助けるために、守るためのものであって、こんなところで雪かきするためのものじゃないはずだ。
三沢さんがあきれたようにため息を吐く。その息は白く、寒々しい。
実際にわたしも寒い。
びゅうと吹いた風に体をすくめた。
「お前がやるより、俺がやった方が早いだろ」
「あいたっ」
わたしが縮こまった瞬間、三沢さんがわたしの頭にチョップを落とした。
心配してるのに、なんでチョップなんかされなきゃいけないんだ。
思わずムッとして睨むと、三沢さんはそれで満足したらしい。
私に背中を向けて雪かきを再開しようとする。
「三沢さん」
「自衛官だって雪かきぐらいするっての。つうか、雪かきしないで通行できなくなったり滑って転んだりする方があぶねぇだろ」
「でもお休みの日じゃないですか、今日は。なんか心苦しい……」
「あーもう。それなら、俺の代わりに昼飯でも作ってくれよ」
「へっ」
「冗談だよ」
あぁ、冗談か。ビックリした。
三沢さん、さらっと言うから、冗談かどうかの判断がつかないんだよな。
おとなりさんとして、そこそこ交流させていただいているけれど、よくわからないことばかりだ。もっとも、おとなりさんなんてそんなものだろうけれど。
三沢さんは問答無用と行った感じで、なんといっても雪かきを止める気はないんだろう。しょうがないので反対側の雪かきをしようとしたら止められた。
「お前だって昨日遅かったろ、帰ってくるの」
「まあ、夜番だったので……もしかしてドア開ける音、うるさかったですか」
「……いや、」
三沢さんはシャベルで雪を持ち上げる手を止め、言いよどんだ。
昨日、仕事を終えたわたしが帰宅したのは深夜3時頃だ。
まさかそんな時間まで夜更かししていた、ということでもないだろう。
「起こしてすみません……次からもっと静かに開けますね」
「いや……まぁ、響くからなこのアパート」
「安いですからねぇ」
夜起こしたあげくに雪かきまでさせてるって考えると、罪悪感がむくむくとわいてきた。
この罪悪感は三沢さんに休んでもらうことでしか消失しないのに、三沢さんはわたしにゆきかきをさせてくれない。
あんまりだ。
「お前なにもすんな」
「なんですかそれは。ひどいなぁ」
「このへんは俺一人で大丈夫だよ。もう終わる」
確かに三沢さんは雪の重さなどものともせず、積もった雪を寄せている。わたしが何人いてもこのスピードはでないだろう。
だからといって、わかりました三沢さんお疲れさまです、なんていって部屋に引っ込むことははばかられる。
なにもすることないから、ここで見守っていても意味がないんだけど。
ああ、意味ないなぁ。
「わたしってちっぽけだなぁ……」
「いきなりどうした」
わたしにとっては全然唐突ではないため息と独り言は、三沢さんの耳まで届いてしまったらしい。
三沢さんの背中は大きい。
わたしの背中はどうだろう。単なるお隣さん、そこそこの付き合い……だというのに、お世話になりっぱなしだ。
なにでお礼をできるかな。
「あのう、三沢さん」
雪かきしながら、三沢さんは視線だけで返事をくれた。
雪はみるみるうちに減っている。この分では、すぐ三沢さんの仕事は終わるだろう。
「昨日の鍋の残りがあって、あと適当に干物でも焼こうかなって思ってるとこなんですが」
「……ん?」
「そんなんでもよければ食べますか?」
「冗談だったのに、さっきの」
冗談だったんだろうなぁ。それはわかってる。三沢さんは呆れたようにわたしを見る。その視線が嫌いじゃない。
「じゃあもらう」
根負けしたように三沢さんが言う。白く吐き出されたため息の意味は、よくわからない。だけど悪い意味ではないはずだ。
「おまえって物好きだよな」
「えへへ、じゃあ準備しますね。終わったら部屋来てください」
「了解」
やる気のない返事をする三沢さんの雰囲気は、確かに柔らかい。だから、きっと悪い関係ではないはずだ。
なんだかむしょうに嬉しくなってわたしはそれを悟られないように階段をのぼった。
今日はいいことありそう。
2016/01/08:久遠晶
これも……実は……携帯サイトにあったブツ。作品一覧に載せ忘れるとサルベージが困難になるし書いた本人も忘れてしまう。おかげさまで新鮮な気分で読み返せました。
確か書いた日に雪が積もって、その勢いで書いたやつですね。ほのぼの。 よかったよ!となりましたらぜひ拍手ぽちぽちしてくださると励みになります~