耳障りな音


 ……。
 夢……。夢を見ている。

 暖かい日溜まりのなかで、芝生に寝転んでいる。子供の俺はけたけたと笑っていて、傍らの子供も俺に笑いかける。
 ――、――、おやつができたわよ。
 家の軒先で、知らない女が呼び掛ける。名前にノイズが入り込んで、どんな名前を呼ばれたのかわからない。
 俺と子供は顔を見合わせ、目だけで示しあわせて駆け出した。先についたほうが多くクッキーを食べられるのだと、暗黙の了解だった。

 背後で子供が転んだ。俺は振り返ってため息をつく。
 耳元でざわざわと雑音がしている。
 もう、しょうがないな。
 俺と同じ顔をした子供は、困ったように笑って、さしのべた俺の手をつかむ。
 はは――ごめんね――ありがとう。
 その唇は確かに俺の名を呼んだはずなのに、雑音に邪魔されて欠片も俺に届かない。

「兄さん――」
「え、なに、なにか言った?」

 目を開けると木目の天井があった。
 伸ばした手は虚空を掴んで空を切る。シャリシャリという音をかすかに聞きながら、ぼやけた視界が声の主を探した。
 からだを起こすと、胸の上から毛布が落ちる。

「ずいぶんと心地よさそうに寝てたね」
「寝てたのか、俺は」

 窓辺に設置したディーゼルに向かう女が、ソファーに横になっていた俺を見つめている。
 差し込む陽光に照らされて、女自身が光を帯びているように思える。髪の毛におりる天使の輪が綺麗だと、素直に思った。

「クッキー、焼けてるから適当に食べていいよ。麦茶もお好きに」
「あぁ。……悪い」

 テーブルに出されたままの、麦茶に口をつける。寝ている間に水分を消費していたようで、一息に飲み干した。
 ああいう夢を見たのは、このクッキーのせいだろうか。まだ焼きたてらしいクッキーを一口口にいれながら、ぼんやりと考える。
 菓子を食べていると言うのに、口のなかに苦いものが広がっていく。
 夢のなかで、俺と牧野さんは普通の子供だった。役目も家柄も関係のない、普通の双子だった。

「フッ」
「どうしたの?」
「なんでも。クッキーでむせただけだ」
「あらら」

 キャンパスに向かう女の手元から、シャリシャリと音が聞こえている。夢のなかの耳障りな音の正体はこれか、と納得する。
 鉛筆が紙をすべる音は規則正しい。一身に、窓の外の景色を写し取っているのだ。
 沈黙が支配する空間のなかで、その音だけが部屋に響く。いやに耳について、不愉快な音だった。

 なんでこんなところにいるんだろうか。都会から戻ってきたと言う女のもとを、様子見に訪れて……そのまま眠ってしまったのか。頭が痛くなる。仮にも女の独り暮らしの家で、することではない。

「昨日、夜勤だったんでしょう? 気にしないで寝てていいよ」

 頭を押さえる俺に気づいたのか、女が鉛筆を動かしたまま声をかける。
 気にしないで寝ていろ、などと、よく未婚の男に言えるものだ。都会では遊んでいたのだろうか?
 清楚そうな顔をしているこの女が?
 ……耳元の不快音が強くなった気がした。

 ソファーでボーッとしているのも暇なので、立ち上がってキャンパスを覗き込んだ。

「さすがにうまいな」
「わっ! ま、まだ見ないでよ、恥ずかしいな」

 わたわたと画面を隠そうとする女に首をかしげる。不出来だと言うが、絵心のない俺はこのまま完成と言ってもいいほどなのだ。

「完成したら見てもいいのか」
「……いや、それも、それで」

 女の画家の夢破れて村に戻ってきたと聞いている。絵を他人に見られるのは、一般人とは羞恥の度合いが違うのだろうか。

「別に見ても笑わんさ」
「な、なら見せてもいいよ。完成したらね」

 ほほを染めて、女は子供のような口調で言う。
 若い女の少ないこの村で、その笑みは新鮮なものだった。

「誰にも言わないでね」
「あぁ」

 ……なんなんだ、この状況は。
 ため息をついて、頭を描いた。
 いつのまにか煩わしいのは鉛筆の音ではなく、自分の心音になっていた。





2016/08/05:久遠晶
SIREN夢仲間とのスカイプにて、『耳障り』『彼女』『宮田夢』という縛りで書いた散文。当時のまま修正してませんので、文章の荒さは制限時間30分で書いたからだとお許しください。
*ひっそり沙耶さんの宮田夢主、祈さんをイメージして勝手に書かせていただきました。