永井くんと同期と成績の話
張り出された成績表を見ていると、学生時代とそう大差はないなと思う。学ぶ内容と厳しさは天と地ほどの差があるが。「永井、今回もやるじゃないか」
「いやぁ、まだまだです」
沖田さんが肩を叩いて労ってくれる。
自慢じゃないが俺の成績は結構優秀な部類だ。今回は自己ベストも越えられたし、かなり満足。
内心天狗になりながら謙遜すると、「そんなこと思ってないだろお前」と小突かれる。
ふと、背後でぶつぶつとした呟きが聞こえた。うへぇ。だ。
「あ、あり得ない……あんなに頑張ったのに……!!」
「いや、でもお前自己ベスト更新してんじゃん」
「それ嫌味か永井!? あんたに負けてちゃ意味ないの!」
慰めのつもりで声をかけると食って掛かられた。
の成績も悪い訳じゃない。総合的に見れば上位には食い込んでいるが、俺には負けている。同じ部隊の同期に負けるのがシャクなのか、から一方的にライバル視されている状態だ。
「うあー今回は行けると思ったんだけどなぁ! 絶対永井に勝てると思ったのにー!」
地団駄を踏んでは悔しがる。
俺は悔しく感じるとぎゅっと黙りこむタイプなので、本人の前で堂々と感情表現できるには感心してしまう。が黙りこむタイプだったら、俺との関係はどうしてもギクシャクしてしまうだろう。
なにかにつけて張り合ってくるのは勘弁してほしいけど。
「あーくそー、まぁた負けかぁ~ッうむむむむ」
「お前は筆記で俺に勝ってんじゃん」
「実技で勝ちたいの! あーあ、これだから成績ゆーしゅーしゃはさ! ふんっ」
噛みつくように言われる。沖田さんが苦笑した。
「も頑張ってるよ。女だてらによくやってると思うぞ。実際女性自衛官のなかではダントツじゃないか」
「そーですかね」
の雰囲気がわずかに変わった。
身体から立ち上る悔しさがなくなり、眉を下げてくちびるを尖らせる。それは一見して落ち込んだように見えるが――。白くなるほど強く握りこまれた拳は、はたしてどういう意味か。
「そうだよ、頑張ってるよは」
「……頑張ってても俺より成績下ですけどねー」
「永井っ」
慌てた沖田さんが俺を呼ぶ。なに言ってんだお前、という表情だけど俺としては、は慰めるよりも別のやり方がいいと思うんだよな。
その読みは当たっていたらしく、驚いたように俺を見るが不愉快になる様子はない。俺はニヤリとした笑みを意識しながら、伸びをして言う。
「そんなに俺に勝ちたいならもっと走り込み増やせって。どんなに頑張っても引き離してやるからさ!」
「……! 言ったわね、永井! 次は承知しないわよ!!」
喜色の笑みを称えたは、気合いのガッツポーズを作って言う。その握りこぶしはもう、白くなるほどは握られていない。
こうしちゃ要られない、とはすぐさま外に飛び出していく。夕食までの時間をすべて走り込みに当てるつもりなのだろう。気合い十分と言う感じだ。
がいた場所を見つめていると、
「お前なぁ」
「あだっ」
沖田さんに強めに頭を小突かれる。
「がああなるってわかって言ってんだろーお前」
「落ち込んでるよりはいいじゃないですか、あいつ元気だけが取り柄なんですから」
「だからってなぁ」
元気だけ、という言葉は黙認されているのか素通りされているのか。
困ったように沖田さんはため息をついたあと、俺の背中を思いきり叩いた。
「言ったからには、お前も根性出せよ~! ほれ、お前も走り込みしてこいっ」
「わかってますって!」
ヒリヒリ痛む背中に声が上擦りながら、外に出てを探す。思っていたよりすぐに見つかった。
外に出てすぐのところにが突っ立っている。気合いいれて飛び出したわりにはサボりやがって、と思いながら近づくと、建物の影に三沢さんが居た。
どうやら、外に出たところで三沢さんにつかまったというところか。
後ろ手を腰で組んだ整列休めの姿勢で、は三沢さんを見上げている。三沢さんがそう命じたのではないだろう。が三沢さんと居るときはだいたい『気をつけ』か『整列休め』の姿勢を取っている。
は三沢三佐ファンクラブ名誉会長だからなぁ。本人が自称しているわけではなく、そのなつきっぷりを揶揄した外野が囃し立てているだけだが。
「お前、今日の訓練ペース配分間違えたろ」
「……! は、い」
「最初に飛ばしすぎて最後バテた。違うか」
「いえ……おっしゃる通りです」
苦虫を噛み潰したようなの声。逃げ場を探すように後ろ手がうごめく。
三沢さんは厳しい表情を崩さない。
「訓練だからいい、って言うのは甘えだ。実戦じゃあ重たい装備のうえに、さらに負傷者を抱えて走らないといけない場面だってある。訓練だからこそ失敗しちゃいけないんだよ」
「……! 自分は……っ」
三沢さんの言葉は重く厳しい。俺の肩にもずっしりとのし掛かる。
言葉をなくしてうつむく。三沢さんはふうとため息をついた。
「永井」
「ハイッ」
気づいてたのか! 反射的に気をつけの姿勢になってしまう。隠れて盗み聞きをしていたような気分になって、内心で萎縮する。
「お前もだ。お前の場合は最後ペースが弱くなったな」
「うっ……!」
「自己ベストは達成できる、って気が緩んだか」
「うぐ……そう……かもしれません」
「にも言ったが、訓練だからって気を抜くな。気ィ引き締めろ」
「はいっ!」
俺との声が重なる。三沢さんは俺とを交互に見て、それから「うん」と頷く。
「ただ、二人とも自己ベスト更新したのはよくやった」
それだけ言って、三沢さんは踵を返す。この場から立ち去る三沢さんを、はいつまでも見つめていた。
表情は後ろからは見えないが、ぷるぷる震える背中から察するに俺が来る前も相当叱責されたんだろう。三沢さんを一途にしたうに、それは深く突き刺さったに違いない。
「おい、あのさ……」
「や、やっぱり三佐は偉大な方ね……!」
「は?」
「現状に満足せずさらに高みを目指す、常に有事のことを考える。まさに自衛官の鑑っ……」
三佐のいた場所を見つめるの顔を確認すると、俺の想像とはまるで違い嬉しそうに輝いていた。
「本当、こうしちゃいられないわ。気を引き締めてかからないと」
俺の心配などまるで知らないように、は、居住まいを正した。そこには叱責された落ち込みなどなにもない。
……心配して損した。思わずため息が出る。そこでようやく、は俺を見る。
「永井、落ち込むことないわよ。あれは三佐の優しさだし、やっぱり永井は優秀だもん。自己ベストもきっちり更新してるしね」
逆に励まされる。の優しさは、三沢さんの優しさ以上に俺に伝わるない。今そういうに励まされされても、脱力してしまうだけだ。
呆れて、またため息。ぱんっ、と自分の頬を叩いた。
「ま、三沢さんの言う通りだ。行こうぜ、! 夕飯の時間になるまでに基地何周できるかやろうぜ!」
「うよし! 負けないわよー!!」
二人並列して基地を走りながら、が三沢さんを慕う理由がわかった気がした。
三沢さんは誰にでも厳しいという点で平等だ。女にしては頑張ってる、とか、そういうことを言わない。ただ、もっとやれたはずだと叱責するだけだ。
俺としてはもうちょっと認めてくれてもいいのに、と不満の種になる厳しすぎる姿勢は、にとってはものすごく心に響くものなのかもしれない。
そう気づいたとき、俺は隣を走る同僚のことをとても好きになっていた。
「永井ーどっちがご飯先に食べれるか競争よー!」
……やっぱりなんでもかんでも張り合ってくるのは勘弁してほしいけど!
2014/10/29:久遠晶