掌の熱と痛み
「顔をあげて」
わたしの顔を見るなり土下座した男は、声を掛けても動かない。
「本当に申し訳ありませんでした」
家の玄関の前で、地に額を擦り付けて彼はそれだけを繰り返す。這いつくばるアスファルトは太陽の光に当てられて、やけどしそうに熱いだろう。
近所からひそひそと話し声が聞こえてくる。
冷えた空気が、玄関から外にもれ出していく。扉にもたれて、土下座を続ける彼を見つめる。
汗が小鼻に垂れ、背中を流れ、Tシャツをぐしょぐしょに濡らしていく。同じように、彼の背中にも濃い汗じみができていった。
我慢比べは、何時間続いたのか。
「顔をあげて」
「申し訳ありませんでした」
勝負を放棄しようとしても彼は止めない。
彼は彼で、罵倒を求めているのだろうか。誰の――私の。
ため息が漏れた。彼は私が、どんな気分で、ここにいると思っているのだろう。
見限るように玄関の扉を閉める。リビングに戻ると、冷房が一気にほてった体を冷やしてくれる。時計を見れば三時間ほども私は玄関の前で突っ立っていたらしい。
冷蔵庫から取り出した麦茶をコップに注ぎ、再び家の外にもどる。
彼はまだ土下座していた。
もう一度ため息をついて、彼の足元に歩み寄って膝をつく。ジーパン越しにアスファルトの熱気を感じる。真夏の太陽が照りつけているのだ。彼は手のひらをやけどしているかもしれない。
「顔を」
「申し訳ありませんでした」
「永井くん、だったわよね」
「……はい」
「あなたのことは、兄からよく聞いてるわ」
土下座のまま黙り込んでいる彼の肩をやった。頭をあげるように促す。
アスファルトにこすりつけていた額は真っ赤になって、血がにじんでいる。顔はおびただしい量の汗にぬれてぐちゃぐちゃだった。あるいは──泣いているのだろうか。涙すら汗にまじって溶け込んでいても、この状態ではわからない。
「兄の自慢の部下を、熱中症にするわけにはいかないの」
「俺は、沖田さんを、俺は、」
「いいから飲みなさい」
顔をあげた『永井』という兄の部下は、まだ少年のような顔立ちだった。どこかあどけなさが残る瞳は、泣きそうに潤んでいる。
私とさほど変わらない年齢だと聞いていた。時おり電話で話す兄は、いつでも永井という部下の自慢ばかりだった。
「あなたが死んだら、あなたをかばって死んだ兄の面目がないわ」
うわべだけの言葉を吐き出しながら、口のなかに苦味が広がる。これはもはや呪いの言葉だ。
どんな恨み言よりも辛いであろう――呪詛の言葉だ。
永井さんは目を伏せてくちびるを歪めた。
「申し訳――」
「謝るよりも聞かせてほしいの、兄さんのこと。あの人は立派な人だった?」
「……俺にはもったいないぐらいの、理想の上官でした」
地面に座り込むような形になった永井さんの手を取った。炎天下のなかアスファルトに押し当てていた手は真っ赤になって熱い。
「家に上がって。焼香、あげてほしいの」
罵倒の言葉はいくらでも考え付いた。地面に額を擦り付ける頭を蹴りあげてやろうかとも思った。
どれもできずに、一番陰湿な方法で心を引っ掻く私は卑怯ものだろう。
だけど――そう、遺影の兄の笑顔は、永井さんに向けた笑顔だったから。
私はうわべの言葉いつかを本心にするために、無理矢理永井さんに微笑みかけて家の中へと迎え入れた。
2017/04/09:久遠晶
フォロワーさんに「沖田夢を書いて~」と言われ書いていたら、気が付けばこんなありさま。
永井くんは別世界エンドでしたが、本土に帰還できていたらそれはそれで地獄のような状態だと思います。いつきんや郁子より、身近な人たちがたくさん死んでしまっていますから。ともえちゃんも生還してたら大変……。
自由にコメントなど書いていただけると嬉しいです~