事後会話
「三沢さん、ごめんね、痛くない?」「ん……なにが?」
ベッドの端で事後の始末をしていると、後ろから声をかけられた。
振り返るとが上半身を起こして俺をみつめている。すまなそうな表情をしながら、むき出しの素肌をさりげなく隠す仕草が初々しい。
四つん這いでこちらに歩み寄ったが、俺の後頭部に触れる。耳の下、うなじにほど近い位置だ。
「私、引っ掻いちゃったんですね。赤い線になってます」
「あぁ」
思い出すと、後頭部にぴりりと痛みが走った。
正常位での極まりの瞬間のことだった。無我夢中で俺を手繰り寄せるの手は、しがみつける場所を探して俺のうなじを掴んだ。その時引っ掻かれたのだろう。
髪の毛があればそれを引っ張られたのだろうが、坊主頭もこまりものだ。
みればの指先が俺の血で赤く染まっている。結構深くやられたらしい。
「ごめんなさい」
「いいよ、べつに」
しょぼくれるの頭に手をおいて、わしわしとかき混ぜる。手のひらは自然と後頭部をすべり、そのまま抱き寄せる形になった。
素面のときに抱き寄せることは、いまだなれない。胸と口元がむずむずして、居ても立っても居られなくなる。もともとこういうのはがらじゃないのだ。
「大して痛くないし。ぴりぴりはするけどな」
「でも、後ろからみると……その、ひっかかれたってすぐわかっちゃう。厳しいご職業なのに……」
「……あー」
確かにそれは困る。部下に示しがつかない。
暫し悩んで、後始末の途中だったことに気づいて再開する。既に萎えている陰茎を拭き清めて、ゴミ箱に捨てる。ティッシュは使用済みコンドームを隠すようにゴミ箱のなかに落ちていった。
まだしょぼくれたままのをがばっと抱いて、そのままベッドに押し倒す。
「土日の間になおるよ、きっと」
「すみません、ほんとに」
「大丈夫だって言ってんだろ」
ため息をついてを見下ろした。確かにゆゆしき問題ではあるが、傷になってしまった以上仕方がない。そこまで引きずられたほうがこちらとしては面倒だ。
俺の立場を考えてくれるのはありがたいが、それを念頭に置きすぎて自分を封じ込められるのも困る。
「みっ三沢さんが……色々してくれるの、すごく気持ちよくって……だから、最近、その」
「うん」
「ワケわかんなくなっちゃって」
「うん」
「言い訳じゃないんですけど」
どっちかというと口説き文句だ。
一回り年下の隣人は、俺が手を出したとき処女だった。
はずみでキスしてしまった時、くちびるが離れた瞬間にまたたいた瞳と赤く染まる頬が扇情的で、そのままなしくずしで押し倒して関係を結んだ。
――いや、あれを、あの時のことを『なしくずし』や『はずみ』なんて言葉で片付ける気か、俺は。
黒いヘアゴムにひっつめられた毛先が躍る様子も、いつも眠たそうに赤い瞳も、ゆるく笑うくちびるも、いままでずっと目で追っていたというのに。
はほほをシーツに押し付け、恥じ入ってうめく。事後の余韻と羞恥で、頬は赤い。柔らかそうな頬を指先で撫でた。
「そんなに気持ちよかったのか」
「うっ。……ぅう、うー……」
「唸ってるだけじゃわからないでしょ」
「さっき言いました」
かわいい反応をしてくれる。
なにをするのにも恥じ入る様子を面倒がる男もいるが、のこういうところは嫌いじゃない。
惚れた女の面倒な姿なんてまったく面倒じゃ――あぁくそ。やっぱり俺は惚れてるのか。思考の途中で、自分で自分の言葉尻を捕まえてため息をつく。
ずいぶんとヤキが回っている。
一回り年下の女に惚れて、手を出して、なにがしたいんだ俺は。
いくらなんでも、こんな……二十歳そこそこの子に手を出すなんて。綺麗事を並べ立てて後悔するならせめて一回こっきりで終わらせておけばよかったのに、続けて何度も抱いているのだからまったく汚い。
「ま、まぁ……ほんと、気持ちいいです、三沢さんに触られるの」
それこそ当初は痛みしか感じていなかったを気持ちよくしてやれるぐらいには回数を重ねている。
かといって惚れた腫れたという話題はお互い一切口にしていない。要するに現状はセフレだ。
ここで俺がを金銭的に援助すれば、『パトロン』とか『パパ』などという名前になってくるのだろうが――は断固として金銭の介入を嫌がるのだった。
食事をおごる程度の些細なやり取りでさえ強くいやがる。
だからやはり、この関係は『セフレ』でしかないんだろう。
面倒がなくて居心地よくはある。だがやきもきすることも確かだ。
「……なぁ、キスマークつけていいか」
「へっ。そ、それは……」
「見られて困る相手もいねぇだろ、今」
「困る相手っていうなら、更衣室で同僚にみられるの困るなぁ」
「俺の頭思いきり引っ掻いたくせに」
「うぐ。えー、そういう言い方します?」
許可を得ずに、胸元に顔をうずめる。ブラジャーのホックで隠れる辺りに吸い付いた。
「一個だけですよ」
俺の頭をペチペチ叩きながら困った声でいさめる。もうしょうがないですね、などと呆れる声が耳に心地よかった。
2015/06/07:久遠晶