風邪引いてるんです
土曜日のお昼、三沢さんとは反対側のお隣から回覧板が回ってきた。
礼を言って受け取りながら、中身を確認する。
名前を書名して、忘れる前に次に回してしまおう。
「三沢さん、いますか?」
控えめに呼び掛けて、扉を叩く。
土曜日だからお休みの日だとは思うけれど、寝ているところを起こしてしまうのははばかられた。
休みの日の睡眠を邪魔することほどの罪悪はないと思う。三沢さんのような、大変なお仕事に勤めてらっしゃる方ならなおさらだ。
反応がないので回覧板をポストに入れたところで、ドアががちゃりと開いた。ぬっ、と三沢さんが顔を出す。
「またしるこか」
「回覧板ですー」
三沢さんの言葉と私の言葉は同時だった。
思わず面食らう。この前差し入れしたおしるこ、そんなに美味しかったんだろうか。自分としても自信作だったからな。
「また今度、作ったらお裾分けしますね」
「……別に要らん」
三沢さんはむっつりと黙りこんだ。視線をそらす様子は照れているのか、なんなのか。
開口一番の言葉は弾んでいた。別に要らん、なんて言われても信じられない。わずかに紅潮した頬を、期待されているのだと解釈してしまう。
「回覧板、ポストに入ってるんで、よろしくお願いします」
「おう」
こくりと頷く三沢さん。
三沢さんの表情の変化を見つけることは楽しい。もっと色んな反応が見たいと思ってしまう。
「そうだ。おでんありますけど、食べます?」
「お前は俺を餌付けしたいのか?」
「バレましたか」
冗談めかして言ってみる。いつも作りすぎるのは本当だし、食べてもらえるとありがたいことも本当だ。
三沢さんも独り暮らしのようだし、不摂生な食生活をしているように見受けられる。栄養の足しになれば思って、よかったらどうかと言いに行くのに罪悪感がない。
それでも餌付けするほど結構な頻度で訪ねているわけじゃない……と思う。
「すみません、迷惑でしたか」
「ん?」
「断りづらいですよねぇ。私自分がご近所に押し付けられて困ったことあるのに、三沢さんの気持ち全然考えられてませんでした」
「いや」
「はー、ごめんなさい。すごい自己嫌悪。もうしませんから、すみません、本当」
「話を聞けっ」
「はひっ」
低い声で唸られて反射的に背筋が伸びる。流石に自衛隊員なだけあって、その命令口調には迫力がある。
気をつけの状態で言葉を待つ。色々と言い訳の言葉が口の中をもごもごしているけど、口を出したらはたかれそうだ。
三沢さんはため息を吐いて、自分の坊主頭を撫でる。私の視線に気づくのはっと目を開く。
「おい、なに泣いてんだ」
「泣いてないです」
「泣いてんだろ」
「泣いてないですって」
ふがいなさと自己嫌悪で泣きそうにはなったけど、それだけだ。
もう一度ため息を吐く三沢さんに、胸が痛くなった。
要らないものを押し付けるのは迷惑以外のなにものでもない。断りきれなくて困ったことは何度もあるのに、同じことを他人にしていたかと思うとひどく落ち込む。
「誰が迷惑だって言った」
「三沢さんが」
「言ってねぇ」
そうだっけ。
「要らなきゃ要らねぇって言う。迷惑ならそれも言う」
「やっぱりおしるこは要らないですね」
「……」
三沢さんは不機嫌そうに眉根を寄せた。あ、今回ばかりは怖くて泣きそう。
「しるこは……。……。言うだけ、言いに来い」
葛藤しているのか、ねじこむように三沢さんが言う。休日に泣きそうな隣人をあやす羽目になるとは思っていなかっただろう。申し訳ない。
「まだわかってねぇな」
「や、わかりました、言うだけ言いに来ます」
「よぅし」
三沢さんは幾ばくか安心したように、ほっと息をもらした。
珍しく頬を持ちあげ、唇が吊りあがる。ほんのすこしだけ白い歯がのぞく。驚く間もなく、唇が閉じて真一文字に結ばれる。
「で、おでんは……要る。持ってこい」
「は、はい」
私は初めて見た三沢さんの笑みに驚きながら、それだけ言う。硬直していると三沢さんが顎をしゃくった。
早く持ってこい、という指示に、部屋に戻っておでんをタッパーに移す。
その間に三沢さんが私の家の前まで来た。
タッパーをさしだすより早く、三沢さんがなにかを私の眼前に突きつける。
皿だ。
「やるよ」
すこし冷めたチャーハンがお皿には入っていた。
顔をあげると、三沢さんはそっぽを向いて、拗ねたような表情をしていた。
「いいんですか」
「お互い様だろ」
でも、悪いですよ。言おうとして飲み込む。それを言ったら、三沢さんはまた怒ってしまうだろう。
謝る代わりに笑って、頭を下げてお礼を言った。
扉を閉めて三沢さんと別れて、さっそくお昼ご飯にいただいたチャーハンを食べる。
以前食べたものと味付けがすこし違った。いつも適当に作るから同じ味なんて作れない、と言っていたことを思い出す。
でも美味しいと思った。
少し冷たいチャーハンは、しみわたるように私のお腹へと入っていく。
自分以外の誰かの作った手作りの料理は、どうしてこんなに心地いいんだろう。
人と関わるのがわずらわしい私でも、手作り料理のあたたかさはわかる。
とりあえず……今度。おしるこ作ったら三沢さんに聞くだけ聞いてみよう。
ぼんやり思いながら、私はもくもくとチャーハンを咀嚼していた。
***
朝、体を起こした瞬間に頭が重くて脳みそが揺れた。寒気がするのに体が熱く、関節が痛む。鼻水で息がしづらい。
明らかな風邪の兆候に私は戦慄した。今日のバイトが終われば五連休。遊び倒そうと思っていたのに倒れていては台無しだ。
風邪なんてそんな馬鹿な。大丈夫。きっと気のせい気のせい。
笑い飛ばす気力はないので、脳内て言い聞かせるにとどめる。
あんまり動きたくないけれど、ここのところ溜め通しだったゴミを出さないと。
私はゴミ袋を持ってフラフラと家を出た。
ゴミ置き場にはおばちゃんたちがたむろしている。なにをそんなにしゃべることがあるんだろう? しゃべるのが苦手な私は疑問ばかりだ。
私は挨拶をした。鼻声だ。
「おはようございます~」
「アラおはよう。今日もこれから寝るの?」
「夜勤明けなもんで~そうですねたぶん寝ます」
「夜起きて朝寝るなんて不健康よぉ。ちゃんと生活サイクル整えないと」
あっあっお小言がはじまった。ゴミを出すだけ出して逃げ帰りたいのだけど、ゴミ置き場はおばちゃんたちの背後だ。それとなくゴミ袋を持ち上げてアピールするものの、おばちゃん
たちは気づいてくれない。
失礼だけど、このてのおばちゃんたちの注意力のなさは問題だと思う。それともわかっていてやってるんだろうか。
普段なら適当に聞き流して会話が終わるのを待つけれど、体調不良の時にやられるとキツイ。立ってるのも疲れるのに。
と、不意におばちゃんたちの顔がひきつった。私の後方に視線がずれる。
「じゃあ、そういうことだから! がんばんなさいね!」
「はぁ」
慌てたように散っていくおばちゃんたち。振り返ると、理由はすぐにわかった。
のしのしと近づいてくる巨体。三沢さんだ。
「おはようございまず」
「あぁ」
頭をあげるときに遠心力で脳みそが揺れる。ああん、頭ががくがくする。
三沢さんのおかげでおばちゃんたちがいなくなったので、やっとゴミを置ける。放り投げるようにようにしてゴミを置くと、衝撃でか積み上げられたゴミが二、三個崩れてしまう。
うへぇ。ついてない。
もたもたとしゃがみこんでゴミを拾い、積み上げる。うまく置けずに、何回か落としてしまう。
「貸してみろ」
いつのまにか三沢さんが隣に立っていた。横からゴミ袋を掴み、ゴミの山に押し付けるようにして位置を正す。早い。流石だ。
「ありがとうございまず」
「……」
礼を言うと三沢さんが眉をひそめた。なんか怒らせること言ったかな。
三沢さんの顔を見ようとすると、自然と顔が上がるので喉がのびる。荒れた喉にその動きは刺激だった。我慢できずに咳き込んでしまう。
「げほっ、がほっ」
「おい、大丈夫か」
「へ、平気です」
まだ咳き込みたがる喉をつばを飲み込んで抑え、どうにか笑う。
三沢さんは目を細めている。
「三沢さんも風邪には気を付けてくださいね」
「……おう」
会釈して部屋に戻るため歩き出す。
おばちゃんたちと違って三沢さんはあまり踏み込んでこないから、とても付き合いやすい。付き合いやすい、と言えるほどの付き合いもない。その希薄さがとてもいい。
アパートの階段は、すこし急だ。普段はなんてことのない高さが体調不良の体にはキツイ。手すりを掴む腕で引っ張りあげるように階段を登っていく。
最後の一段、というところで気が抜ける。視界がぐらりと横にぶれる。重力がなくなって、身体から力が抜けて――。
「おいっ」
肩をなにかに掴まれる。前に傾いた身体をぐっと引き寄せられて、後頭部にかたいものが当たった。
「ぅえ……?」
なにかに身体を支えられたまま、頭上を見る。朝の空は眩しい。目がくらんで、そこにあるのがなにかわからない。
だんだんと目がなれていって、ようやっと気づく。
「三沢さん」
「ふらふらしてんなよ」
肩をつかんでいるものは三沢さんの手で、頭に当たったものは三沢さんの寝巻き越しの胸板だった。
後ろから助けてくれたのだ、と判断するのに時間がかかる。どうやら思った以上に風邪が酷いらしい。
三沢さんは私がしっかりと立ったことを確認すると、ゆっくりと肩から手を離した。
「すみません、ちょっとふらついちゃって」
「風邪引いてんならあんま立ち話してんな」
「三沢さんのおっしゃる通りです」
風邪気味なんで、って言えばおばちゃんたちも引いてくれたとは思う。それを言わなかったのは、言えば今度は余計な心配をされるからだ。
気遣いはありがたいが、返さねばと思うと面倒くさい。
人と関わるのって面倒だ。だからなるべくなら干渉したくないし、されたくもない。波風立たないようにするにはにこにこ笑って相手が素通りするのを待つのが一番だ。
その結果風邪を悪化させて、三沢さんに助けられてれば世話がない。
しょぼくれてしまう。今日は朝からついてない。
「ご迷惑お掛けしてすみません、今日はゆっくり休もうと思います」
「メシ作れんのか、それで」
「まぁ、備蓄品があるんで大丈夫です。さっきはありがとうございます」
部屋にはいるとき言い忘れていた礼を言う。顔をあげるとふらつきそうだったので、三沢さんの反応を見ずに扉を閉めた。
あっ、自販機でスポーツ飲料でも買っておけばよかった。
後悔先に立たず。仕方ないんで水をベッドサイドに置いて、布団のなかに入った。
今ならいくらでも寝れそう。
***
独り暮らしは快適だ。
自分でなんでもできて、好きなように過ごせる。
……ただ、体調壊すとなんもできないから、それが不便だ。
しばらくして起きて、水を飲んで、頭が痛くてまた寝る。んでまた起きる。
それを何度か繰り返していたら、気がつけば一日経っていた。
頭痛はするし喉も痛いけどふらつきは収まる。仕事は無理そうだけどある程度は動けそうだ。
水ばかり飲んでご飯を食べていなかったので、ひどくお腹が空いた。
冷蔵庫にはなにもないし、買い物に行かないと。
汗まみれの寝巻から着替えて玄関の扉を開ける。
とたん部屋に入り込んでくる冬の外気が、火照った身体に心地良い。
ドアノブにコンビニの袋が下がっていた。前にもこんなことあったな、と思いながら中身を確認する。
小さいゼリーと、お茶缶が入っていた。
『コンビニで当たった 食わんからやる』
メモには差出人は書かれていなかったけど、いつか見た三沢さんの字だ。
近くのコンビニでなにかのキャンペーンくじをやっていたはずだから、景品というのは嘘ではないんだろう。
いつかのラーメンとは違い、これは返礼でもなんでもない。三沢さんの思いやりから来る、明確な優しさだ。
ほんとうにあの人、優しい人だ。
この思いやりになにで返せばいいだろう。
人の気遣いはありがたいけれど、返さねばと思うと面倒くさい。でもこの優しさは素直に嬉しいと思えた。
もし三沢さんが風邪で倒れたら、その時はしっかりと看病――いや、それはちょっと、隣人の立場ではできないことだ。
今度、バイトでもらうまかないの弁当でも差し入れるかなぁ。
とりあえずは三沢さんの気遣い通り、しっかり休んで元気にならないとな。
これだけで全快出来そうなぐらいの元気をもらえた気がしつつ、私はコンビニへと向かった。
何日か休んで、多少は動けるようになった。仕事もどうにかこなせるだろうと思ってアルバイトに行く。
今日は夜勤じゃないから、夕方には終わる。
早くなった日没をぼんやりと感じながら、帰り道を歩く。
「おい」
「三沢さん」
三沢さんに後ろから声をかけられた。自分の喉から出たガラガラ声に、自分で戸惑う。接客中はそうでもなかったものの、喉には負担だったらしい。
私自身がそうなのだから、三沢さんはもっと驚いた。嫌そうに眉をひそめる。
「出歩いて大丈夫なのか」
ジャージ姿の三沢さんは冬だというのに汗を掻いている。ランニングをしていたらしい。
三沢さんは走るのをやめて、私の隣にならんだ。一緒に喋りながら帰る、という雰囲気になる。
「バイト帰りなんです。あの、この前ゼリーありがとうございます」
「景品で当たっただけだ」
憮然として返される。
キャンペーンで当たっただけ。俺は食べない。
だから礼を言う必要はない、という意味合いの言葉だ。優しいと思う。俺は食べない、という言葉が真実であれ気遣いであれ、私にはとてもありがたいことに違いはなかった。
突き放すような言い方だけど、根底にあるものは暖かい。
自然と笑みがもれでる。くすくすと笑いだしそうになって、喉がかゆくなりそうだったので声をあげることをこらえる。
そんな私を見て、三沢さんは眉をしかめた。
「声がガラガラだ」
「さほど痛くはな――」
「無理してしゃべるな」
さほど痛くはないから、大丈夫ですよ――と言い終わるまえに三沢さんが言う。喋ろうとすると睨まれたので私も口を閉じる。
なんだか三沢さんは不機嫌顔だ。お勤めでイヤなことがあったのか、私に会って不機嫌になったのか。
自衛隊って究極の体育会系というイメージがある。風邪を引くことは怠慢の証だ――とかなんとか。そういう価値観だろうか。
実際に三沢さんから言われたわけではないのに、責められた気分になる。
横に並びながら、私を見下ろす三沢さんに睨まれているように思えた。
別に、職場の人間ならばまだしも私の体調不良を三沢さんが怒る義理はないのに。単なる隣人だ。
そこまで脳内で反発してから、昨日の朝を思い出す。倒れそうになって助けてもらった。思いきり迷惑をかけている。
……三沢さんには怒る権利があるな、確かに。
痛いところを突かれた気分になる。
「あの、すみません。ほんとに」
「しゃべるなって言ってんだろ」
「や、でも」
また睨まれる。いつもは三沢さんに睨まれても怖くはないけど、今回ばかりはしゅんとする。
喉が痛いこともありうつむく。隣を歩く三沢さんの、使い古されてくたびれたスニーカーは大きい。私の靴の倍ほどもあるのでは、というほどだ。
会話がなくなって無言で歩く。
三沢さんと二人で歩く、なんてシチュエーションはいままでにないことだ。
一度重たい荷物を持ってくれた三沢さんと一緒に歩く機会があったけど、あのときは三沢さんの背中を追いかけるような状態だった。
どうしていまは私に歩幅合わせてるんだろう。会話だって終わったろうに。
そこでやっと思い至る。
多分、三沢さんはまた私が倒れないかが不安なんだと思う。
「三沢さん、あの、ご心配かけてすみません」
「まだ言うのかお前は」
「先に行ってください、私、歩くの遅いんで」
「……」
三沢さんは呆れたように眉をあげた。表情の変化の理由がわからず戸惑う。
「お前な」
「はい」
「前」
「えっ」
言われて前を向くとすぐそばに電柱が迫っていた。
ぶつかる寸前に三沢さんに腕を引っ張られ、激突を回避する。
「んな注意力散漫でなにが大丈夫だ」
「す……みません」
三沢さんの手は大きい。力強い、大きくて厚ぼったい手。冷えた指先が、熱のこもる身体に心地よかった。
――この手が色んな人に差し伸べられて命を助けてきたのかな。
そう思った瞬間、急にどきっとした。
咄嗟に指をはねのけて距離を取る。
三沢さんは硬直して、驚いたて私を見つめた。怒りでも失望でもなく、親にはねのけられた子供のような不安げな表情。
瞬間、罪悪感で胸が痛んだ。三沢さんの表情に気圧されるように一歩下がろうとして、がくっと膝が落ちる。
排水溝のドブに片足がべっちょりと沈んでしまった。転ばなかっただけ恩の字か。
「なにやってんだ、お前は」
「すみません、つい」
「俺にかかってねぇからいいけどよ」
先ほど拒絶したことへの謝罪を、三沢さんは取り違えた。
訂正することもはばかられ、私はそのまま言葉を流してしまう。
排水溝から足をあげて再び歩く。気まずい沈黙が流れる。
別に三沢さんが嫌いなわけじゃない。ただ……そう、ちょっとびっくりしてしまっただけだ。
「悪かったな」
俯いて歩いていると、隣から三沢さんの声。
「驚かせた」
「いえ。違うんです、その」
「しゃべんな。喉に響く」
言葉を遮られる。なにを言えばいいのかもわかっていなかった私は、三沢さんの言葉に従うふりをして逃げ込んだ。
無言でアパートの階段をのぼる。沈黙は重苦しい。
別に、隣人と帰りが一緒になって歩いているだけだ。別段気に病むことじゃない――なんて、どの頭で正当化しようとしているんだ。
自己嫌悪だ。いまの私は、ひどくおかしい。壊れている。風邪だ。風邪だから、すこしの接触で驚く。不安になる。
泣きたくなる。
扉の前で、三沢さんは無言でポケットのなかをまさぐった。鍵を取りだす三沢さんにならって、私も自宅の鍵を開ける。
三沢さんはなにも言わずに扉に入っていく。
それで、扉が閉まって――。
「あの」
扉が閉まる寸前、気がつけば三沢さんの手を掴んでいた。手はぴくりとわずかに跳ねて、三沢さんは驚いたように私を振り返った。
腕を挟む扉をもう片方の手で支える。
「どうした」
「えっと、その、さっきはごめんなさい」
「それはさっき聞いた」
「あの、私、多分人間が嫌いなんです」
口から言葉が突いて出た。選択肢を間違えたかな――と思いながら、しかし言葉は止まらない。
「そもそも人と関わるのがいやなんです。面倒だし大変だから。仕事以外では関わりたくないです。でも三沢さんが嫌いってわけじゃなくて、さっき助けてくれたのも嬉しくて、差し入
れもすごく感謝してて、三沢さんの食生活が心配なのも誤解されてて大変そーだなってのも本当だし、それに、ええとなんて言えばいいのかな……あっそうだ、つまり三沢さんは好きな
んですよ」
「……」
早口にまくしたてると、三沢さんは圧倒されたように身体をこわばらせた。唇はむっとして引き結ばれて、嫌そうに眉がしかめられる。
ダメだったかな。喉からうめき声が漏れて、三沢さんの手を掴む指に脂汗がにじむ。
「ば」
「ば? ――いたぁっ!」
三沢さんが一文字だけ口にする。首をかしげると、私が掴んでいないほうの手が私の眉間に盛大なでこぴんを打ちかました。
たんこぶができるのでは、という衝撃。
思わず手を離して、両手で眉間を押さえる。
「くだらないこと言ってるヒマがあんなら休め」
三沢さんはそれだけ言うと、バタンと扉を閉めてしまう。なんだか閉めだされたような気分になった私は茫然と扉を見つめた。
涙目はでこぴんの衝撃だ。
言われた言葉を反芻する。
くだらないこと言ってるヒマがあんなら休め。
すこしだけ上擦ってひっくり返った声。
閉まる扉から一瞬だけ見えた、赤くなった耳とつるつるの後頭部。
私は扉の奥にいるはずの三沢さんに頭を下げた。
次会った時、三沢さんは挨拶を返してくれるだろうか。その時になってみなければわからないと、まずは風邪を治すことを優先する。
分厚い手の平の感触を思い出して目をつむる。
うん、三沢さんのことはとても好きだ。隣人として、これからも仲良くさせてほしい相手だ。
お隣が三沢さんでよかったな。そう思いながら、お布団に入った。
2014/10/1:久遠晶
三沢さんは三沢さんで女の子なにか差し入れようか迷いに迷っていたという妄想