友達になりたいんです


 たった一言だけで、よくもまぁここまで好意がくるりと翻るなぁと我ながら感心する。

「俺らさー、そろそろ付き合わねぇ?」
「はぁ」

 駅前での別れ際に、知り合いからそう言われた。『友人』ではなく『知り合い』と言うほかないぐらい、彼は私にとって心を許せる人物ではなかった。と言っても私に友人など数少ない。
ああ、すごく面倒くさくなってきた。息をするのもだるい。思考が遅くなる。
しつこく誘われ、なかば強制的に夕食を共にしたことはあったけど、会話は弾まず一方的に私が話を聞くだけ。そんな相手と付き合いたいはずがない。

「すみませんけど、そういうのはちょっと……」
「ハハッ、なにその言い方笑える」

 まったく伝わってない。私の目を見ているようで見ていないこの人は、本当は私のことなんてどうでもいいんだろう。話している相手が意識を飛ばしていることにも気づかない男だ。
 知り合い程度なら相応に最低限の敬意を払えるのに、どうして交際を申し込まれると煩わしさの方が勝るのだろう。
 下手なセールスマンに付き纏わられるような面倒さ。PRもなにもなく、セールスですらないから余計に面倒なのだ。

「申し訳ないですけど、ご縁がなかったと言うことで」
「は、なにそれ」

言うだけ言って踵を返すと手首を掴まれた。帰るに帰れない。
 男性として相応の体つきをする彼の手は骨ばって拳に血管が浮き出ている。無理矢理に組み敷かれれば抵抗ができない程度には、力の差は歴然だ。

「困ります」

 言いながら、これで離してくれる相手ならそもそも手首を掴むことなんてしないだろう、と思う。うんざり。
 面倒臭いなぁ。手首に伝わる温度はひどく気持ちが悪い。振り払えたら楽だけど、そうしたあとが面倒だ。
 適当にあしらっておけば飽きてくれるだろうか。少し付き合えば、そのうち私のつまらなさに気づいて勝手に幻滅してくれるかな。

「ほら、いこうぜ」
「はぁ」

 掴んだ手首をそのままに歩き出す彼に、抵抗する気も失せる。溜め息を圧し殺して従うと、不意に後ろで砂利を踏む音がした。駅前の喧騒のなかで、その音は何故だか私の耳によく届いたのだった。

「そこでなにしてる」

 顔に突きつけられた光に、私は思わず目をつむった。険しい声には聞き覚えがある。
 ライトの光が逸れたのをまぶた越しに感じて目を開けた。

「三沢さん」
「なに? このおっさんお前の知り合い?」
「えぇ、まぁ……。アパートのお隣さんで」
「ふぅん。なにこっちにライト向けてんだよ、眩しいんだよ!」
「ちょ、ちょ、声が大きいですよ……」

 恫喝する彼を、慌てていさめる。大声で道行く人々の視線が集まり、いたたまれなくなる。制服姿の三沢さんと、柄の悪い彼の組み合わせは興味の的だ。私だって、通行人だったら思わず見てしまうだろう。
 三沢さんは周囲を見回し、懐中電灯を地面に逸らした。

「おい」
「は、はいっ! なんでしょう三沢さん」
「ソイツ、お前の彼氏か」
「だったらどーすんだよ」
「君には聞いてないよ」
「あぁ?」

 うぐ、不穏な会話に肩がこわばる。私は彼の腕をつかんで、三沢さんに殴りかからないようにと制することで忙しい。
 彼を無視して、三沢さんは私の目を見る。鋭く細い目に、睨まれているように感じる。

「し……知り合いです。単なる」
「困ってんのか」
「えぇと」

 言葉につまった。果たしてどう答えるのが適切なのか。考える前に、言葉は口から滑り降りる。

「はい。困ってます。迷惑してます。手……離してほしいです」
「は? なに言ってんだよお前」
「お前はお呼びじゃねえってよ」

 三沢さんがこちらに踏み出す。それなりに距離があったはずなのに、ものの数歩で隙間がつまる。
 三沢さんの手が、私の手首を拘束する彼の手を掴んだ。瞬間、彼の手が外れる。
 三沢さんの手はくるりと回り、彼の腕を捻りあげた。痛みに悲鳴が上がると、ぱっと離す。尻餅をついた彼を見下ろす三沢さんの顔は険しい。

「女がいやがってることぐらい気づけ、バカ」

 吐き捨てるように言って、三沢さんは棒立ちになっている私の腕を掴んだ。

「行くぞ」

 三沢さんはそのまま歩き出す。私は手首を掴まれたまま、大股になって三沢さんに引っ張られる。
 無言で角を曲がり、しばらく歩いたところで三沢さんは立ち止まった。
 心配そうに私の顔を覗き込む。

「無理矢理引っ張ってきちゃったけど、あれで大丈夫だったか」
「えっ? ああ、大丈夫です。お手数お掛けしました。すみません。ご迷惑を」
「いや……もっと穏便にやるつもりだったんだけど……。あれ知り合いなんだろ、大丈夫?」
「あれで構いません。スカッとしちゃった」
「ならいいけど。ところで……」

 彼の驚いた顔と言ったらなかった。思い出して笑ってしまう。
 顔をあげると、私の手首を掴んだまま三沢さんが私をじっと見つめていた。もう片方の手が、私の頬に触れる。
 な、なに。

「痕にならなくてよかったな」
「な、なんの話ですか」
「傷」
「あぁ」

 三沢さんの親指が、私の唇をなぞる。ざらついた感触にピリリとした痛みが混じった。唇の端を怪我していたことを、思い出す。
 頬をはたかれたのは三日ほど前の話だ。傷があったことなどすでに忘れていた。
 あの日は三沢さんにずいぶんと迷惑をかけてしまった。迷惑をかけてばかりで落ち込む。
際限なく落ち込みそうで、私は努めて明るい声を出した。

「急に見つめられてドキドキしましたよ」
「別に、睨んでる訳じゃない」

 そういう意味じゃないんだけどな。
 三沢さんの手が頬から離れると、代わりに吹きすさんだ風が私の頬を撫でる。先程まで肌寒かったのに、身体が火照って暑いほどだ。

「危ないし、送ってく」
「なんだかごめんなさい」
「目的地は一緒だしいいよ。それとも、どこか寄る気だったか」
「いいえ。ぜひご一緒したいです」
「うん」

 先ほどからずっと掴まれていた手首から三沢さんの指が離れる。
 大きくて優しい手。誰かを守るための指だ。
 離れた指をぼんやり見ていると、三沢さんはその手を持ち上げて頭を掻いた。

「不安なら腕掴んでていいぞ」
「いや、それは」
「ほら」

 三沢さんが肘を突き出す。その腕を取っていいものか、悩む。たしかに以前帰り道が怖いときに腕を掴ませてもらったけれど、あまりお世話になるのも気が引ける。

「悪いです」
「今さらだよ」

 魅力的な申し出を渋っていると、溜め息をついた三沢さんが再び私の手を取り、歩き出した。
ここまでしてもらうのは申し訳ない。だけど振り払うのも失礼、だよね。

「すみません、ほんと」
「さっきから謝りすぎだ」

 言葉少なに諌められ、私は肩を落とした。
 頼っていい、相談していい、と三沢さんは私に言ってくれる。ご好意は純粋にありがたいからこそ、素直に受けとることはできなかった。

 ややあってアパートが見えてくる。部屋の前につけば三沢さんとお別れだ。
 急に寂しくなって、そんな自分に驚いた。
 もうすこし……そう、三沢さんと一緒に居たい。別に、話すことも用事も、なにもないんだけども。

「どうした?」

 足取りが重くなったことに気づいたのか、三沢さんが私を振り返る。
 なにもないため、私は首を振る。

「なんにも」
「もの寂しそうな顔してる」
「そうかなぁ」
「俺んち来るか? カップラーメンぐらいなら出すぞ」

 三沢さんは私に歩幅をあわせて歩きながら言う。本気でいってるのか冗談なのか判断がつかない。
 願ってもない申し出だった。

「遠慮しときます」

 喜んで、と言おうとしてお断りの文句が口からこぼれる。
 慌てて取り繕う言葉を探した。

「まだ昨日のおかずが余ってるんで。カップラーメンはまた今度、ぜひ」
「おう」

 アパートが近くなると、三沢さんは私から手を離した。二人でアパートの階段を上り、それぞれの部屋の前で鍵を取り出す。

「じゃあな」
「今日はありがとうございました。……あの、もしよければ」
「あん? やっぱり、うち来るか」
「いえ。……その、もっかい、私の手掴んでくれませんか」

 三沢さんは戸惑いながらも、言われるがまま私の手首を掴んだ。がっしりとした分厚い手に包まれ、じんわり暖かい。

「そのまま左右に引っ張ってくれませんか」
「どうしたの」
「どうも。……うん、やっぱり」

 手を離してもらって、礼を言う。
 三沢さんの手は不快でも、怖くもなかった。悪いことをしないだろうという安心感は、自衛官さんだからだろうか。触られても嫌じゃない。
 頭をグシャグシャにされるのも嫌いじゃない。むしろ……嬉しいとすら感じる。
この手を名残惜しいと感じつつ、私は手を離した。

「改めて今日はありがとうございます。おかげさまで助かりました」
「だから別にいいって。それより気をつけろよ」

こくりと頷いて、手を振りながら家に入る。真っ暗な家の明かりを手探りでつけた。

「あ、私三沢さんとお友達になりたいんだ」

 独りになった瞬間思いあたって納得する。
 苦笑した。
 隣の部屋に住む熊みたいに大きな自衛官さんに、私はずいぶんとなついているらしい。
 勇気だして、カップラーメン食べさせてもらえばよかったかな。すこしだけ後悔した瞬間、ぐっと胸が痛くなった。
友人──仲良し──絆──。

私が、それを求めていいんだろうか。
神様はなにも教えてはくれない。だからあの日信仰を捨てた。
だというのに困るといつも神様を思い浮かべる私は、結局なにもかも捨てられていないのかもしれない。

立ち上がって靴を脱ぎ、台所で夕飯の支度に取りかかった。
日曜日にでも、お菓子のおすそわけついでに話しかけてみよう。
三沢さんはきっと、まんざらでもなく受け取ってくれる。それを想像すると、すこしだけ救われるような気分になった。
きっと、今日はいい夢を見られるはずだ。





2016/07/24:久遠晶