美耶古様の『ご学友』



 あわれな娘だと思った。
 生まれおちた瞬間から依巫となることを決定された、あわれな『美耶古様』。

 馬鹿な娘だと思ったのは、そのご友人の少女だ。
 表面上は美耶古様を敬い、不必要に関わることもない。だが裏では対等な友人として交流を深めている。
 美耶古様を傷つけることもなく、ただそばにいて励ます。それだけならば黙認できたが、二人の友情は我々が黙認できないところまで深くなっていた。
 中学を卒業し、じょじょに迫る『嫁入り』の時間に弱音をこぼす美耶古様の肩を掴んで、少女は真剣な目をする。

 ――私、死にたくない。生贄になんてなりたくないよ。
 ――そうよね、人を殺して神様に捧げるなんておかしいよ。一緒に逃げよう、村の外にでて自由になろう、美耶古。
 ――ありがとう、秋穂。あんたが友達でよかった。

 つまらない夢物語を、村人に聞かれてしまったのが二人の運のツキだ。いや、美耶古様には運など、最初からなかった。そんなものがあるはずがない。
 企みはすぐに俺の耳へと伝わり、少女の『入院』が決定した。
 なにも知らない少女が足をくじいて来院したから、その流れで病院に幽閉するのはたやすかった。

 捻挫は治ったが、検査で病気が見つかった。とても悪い病気で、入院しなければ治らない。
 白々しいその言葉を少女が受け入れた理由には、ひとえに儀式まで猶予があったからだろう。
 嫁入りはまだ数年先。それならば、来るその時までに病を治し精を付けるべきだと判断したのだ。
 結果としてその判断は少女と美耶古さまにとっては誤りで、俺としては面倒がなくてとても楽だった。

 だがやはり、ピンとくるところはあったのだろうか。
 ろくな説明もされないままの注射、採血、カタチだけの検査――素直に従っていた少女は、じょじょに不信感をあらわにしていく。

「調子はどうだ」

 検診の時間、俺は少女のいる病室へと足を踏み入れた。
 ベッドで本を読んでいた少女はゆっくりと顔をあげ、俺を見つめる。
 陽光に照られた肌は明るい色をして生命力に満ち溢れている。病室のベッドが似合う少女では、断じてなかった。

「最悪ですね」
「注射の時間だ。痛いだろうが我慢しなさい」
「この注射、なにが入ってるの?」
「成分を答えても、きみにはわからないだろう」
「私は病気じゃない」

 芯のあるはきはきとした声が断言する。
 陸上をやっているのだと聞いていた。トレーニングを積んでいるのか、差し出された腕にも健康的に筋肉がついている。
 二の腕にゴムチューブを巻いて血管を圧迫しながら、俺は顔をあげて少女の目を見た。

「自覚症状のない病気だ。早く治す為には、早期治療が――」
「騙したいならもっと心を込めて言ってよ、犀賀先生」

 静かな瞳が俺を見つめる。
 抵抗をしても無駄だと思っているのか、その時ではないと思っているのか。
 心の深くにまで入り込むような瞳の光が、俺の真意を推しはかろうとしているようだった。
 俺は準備を止めずにゆったりとため息をつく。

「隔離病棟に病室を移動すべきだな」
「……ッ!」
「暴れるな。美耶古様が悲しむぞ」

 美耶古様。唐突名前に、少女がびくりと体を強ばらせた。
 極力表情を動かさないようにと努めているようだが、ぴくぴくと眉根が蠢いてしまっては意味がない。
 やはりこの少女は、たれ込み通りに美耶古を村から逃がそうとしていたのだ。
 戸惑いではなく焦燥を態度に表す少女にそう確信し、俺は言う。

「あの方はこの村に必要な方だ。甘い戯言でかどわかしてもらっては困る」
「……!」

 少女の唇がなにかをこらえるようにぐにぐにと動いた。瞳が逃げ場を探して泳ぐ。
 少女は泣きそうな顔をした。
 自らが病院に幽閉されると知ったとき、患者はみな似た反応をする。泣きわめくか、狂ったように暴れ騒ぎ立てるかだ。
 少女は前者のようだ。肯定するように少女が目を伏せた。
窓から差し込む陽光が少女の顔に影を作り、酷く憂いを醸し出す。

 静かなため息が聞こえた。深呼吸と言ってもいい。
 それは三度ほど続けられ、不意に少女は顔をあげた。
 下から睨みあげる瞳が、ギロリとした光を放つ。
 
「美耶古は普通の女の子よ」

 獣に向かって一歩踏み出すように、少女は力強く断言した。
 確信に満ち溢れ、威厳すら感じられる瞳が俺を射抜く。

「美耶古は、儀式の生贄になるために生まれたんじゃない!」
「いいや、その為に生まれたんだ。それが美耶古様のお役目だ」
「……っっ!」

 高く乾いた音が室内に響いた。目の前で、少女がこちらを睨んで手の平を構えている。手首のスナップがきいた平手打ちに、遅れて頬が痛み出す。

「あなた……ッ! あなたに人の心はないの!? さいてッ……最低よ!」
「二度目を受けてやる義理はない」

 叫びと共にもう一度振りかぶられた手の平を、手首をつかんで抑え込む。
 怒りのあまり言葉を詰まらせ、頬を紅潮させた少女は悔しそうに唇を噛んだ。
 大の大人でもたじろぐような眼光で睨みあげられても、なにも感じない。なにも心に届かない。
 罪悪感を刺激されることもないし、恐怖も感じない。無表情に見つめ返すと、少女の瞳は当惑して揺れた。

「なんで、そんなふうに言えるの」

 顔を歪めて目に涙をためるのは、自分の末路ではなく美耶古様のことを思ってだろうか。
 ややあって、叫び声に気付いた看護婦たちが室内に入ってくる。

「先生、どうかしましたか!」
「患者が暴れている。精神疾患を患っているかもしれん」
「な……ッわ、私は正常よ! 離して!!」

 逃げ出そうとする少女を看護婦たちが押さえる。
 叫んで暴れたところで無駄だ。むしろ狂人の説得力が増す。
 それは少女も理解しているところだろうが、やはり恐ろしいのだろうか。どっち道結果は変わらないから、抵抗しても無駄なのだが。
 看護婦たちは少女の頭や四肢を押さえつけながら、鎮痛剤投与の準備を始める。

 それを遠巻きに見つめていると、手の空いた看護婦がひとり駆け寄ってきた。

「先生、頬、だいじょうぶですか?」
「問題ない。大したものじゃない」
「ちゃんと冷やしてくださいね」
「ああ。……あとは任せた」

 その場を看護婦たちに任せ、俺は開け放された扉から廊下に出る。
 振り返りざま、横目で少女をうかがう。噛み殺さんばかりの憎しみと怒りをたたえた瞳が俺を射抜く。
 まるで子供を守る獅子の目だ。だが哀れなことに身体は押さえつけられ、のばした指は俺には届かない。

「美耶古は、美耶古は……生贄なんかじゃない!!」
「言っておくが自殺など考えるなよ。美耶古様がお嘆きになられる」

 捨て台詞のようにその言葉を吐き捨て、反応を見ずに廊下に出る。
 後ろ手に閉めた扉が思いがけず大きな音は立てた。少女にとっては絶望の調べだろうか。

 別に、死んでくれてもよかった。
 あの少女が自害すれば美耶古様は絶望するだろう。もう、馬鹿な真似は考えなくなる。
 なんなら、いつものように心不全と偽って焼却してしまってもいい。

 それなのにどうして――。

「あの子に、秋穂に会わせて」
「美耶古様、残念ですがご学友は病気です。面会は許可できないのですよ」
「嘘よ」

 美耶古様の手が俺のデスクを勢いよく叩いた。当直中にいきなりやってきたかと思えばこれだ。
 凛とした鋭い眼光が少女に似ている。いや、少女が美耶古様に似ているというべきなのか。
 どちらなのかはわからない。

「あなたは嘘をついてる」
「嘘、ね……。私が嘘をついているとして、あなたはどうなさるのです?
 あなたが考えるべきなのはあの少女のことではなく、数年後に控えたお役目のことのはず」

 淡々と告げると、美耶古様は言葉に詰まって口ごもった。
 瞳に迷いが生じ、目が泳ぐ。

「聞けば、村を出るようあの少女にそそのかされていたそうですね」
「そ、そんなの……」
「あの少女は美耶古様をたぶらかしています。だがそれも仕方ない。精神の病なのですから」
「だから、会わせないって言うの……」
「はい。またくだらない考えを持たれたら困りますから」

 たたみかけると、美耶古様の顔がどんどんと焦ったものに変わっていく。それでいい。優位に立っているのはどちらなのか、知ってもらわねばならない。

「入院は儀式の日までです。あなたがきちんとお役目を果たしていただければ、こちらはそれで構わないわけですから」
「秋穂は人質ってわけ!?」
「人聞きが悪いですね。生まれ持ったお役目から逃げようとしたのはあなただ」

 まったくどの口が言うのか。
 デスクの上で握りこまれた拳がワナワナと震えている。先ほどまでの凛とした瞳などどこにもない。
 美耶古様は目をかたくつむって、絞り出すように震えた声を発した。

「……約束して。あの子を、殺さないって」
「儀式が終わればすぐ開放します。彼女は病人なだけですから」

 我ながら白々しい。
 美耶古様の反抗的な目は変わらないが、これでもう、逃げようなどとは思わないだろう。
 互いを守ろうとする美しい友情だ。人と人の心からの結びつき。ヘドが出そうだ。
 心配しあう美耶古様と少女を見ていると、酷く苛立つ。
 美耶古様にはああ言ったが、今すぐ殺してやりたいほどだ。

 別に自殺してくれてもよかったし、俺の手で殺してやってもいい。
 それなのになぜ、人質にとってまで生かそうとしているのか。

 美耶古様が同じように後追い自殺するのではないか。それを無意識に懸念したのだろうと自分の言動を分析して、俺はひとり納得する。

 どうせ運命は変わらない。あがいたところで、結果がより悪くなるだけだ。それならばなにも考えず運命に身をゆだねるのが得策だ。
 少女と美耶古様がそれに気付くのはいつだろう。
 美耶古様が贄となり捧げられた後も、少女はまだ獅子のような目をしているだろうか。
 清らかな光を放つ瞳から光が消え、絶望に染まる瞬間を見たいと思った。
 その心が折れる瞬間を見たい。

 仄暗い感情が冷えた心の中で揺らめいて、やがて消えた。





2014/9/16:久遠晶