小憎たらしくて綺麗なもの


「ポッキー?」
「はい。ポッキーです」
「ああ、食べたがっていましたね。買ってきましたよ」
「ありがとうございます」

 学会のために都会に出ていた俺が島へ帰ると、ともえさんは会うなりそうねだった。所望されたポッキーを、袋の中から取り出す。
 きっと、都会から来たこどもにでも教わったのだろう。坑山の金を目当てにやって来た余所者を島民はひどく敵視しているが、こどもに対しては優しい。相手をするうちに、菓子の存在を知ったのだろう。
 でなければ、一度も島から出たことのないともえさんがその名前を知るはずがない。

「食べてみてもいいですか?」
「えぇ」

 ここじゃ立ち食いになってしまうなと思い、俺が黙っていればいいだけの話だと思い直す。
 本当は診療所のなかに入れて差し上げればいいのだけど、ともえさんとのやりとりを誰にも見られたくはなかった。
 結局、診療所の裏手で密会を交わすはめになる。
 ――太田の娘に穢れた男が手を出すなんて。万が一他人に見られ、そんな風に言われたくはなかった。

 紙で出来たパッケージを開け、なかの袋からポッキーを取り出す。
 ぱっと眼を輝かせるともえさんは歳より幼く思えてかわいらしい。
 そのままパクつこうとして、なにかに気づいたように俺を見上げる。

「あの、ポッキーゲームってご存じですか?」
「へ? あの……お互い両端から食べてくアレですか」
「やっぱりそういうゲームなんですね」

 しまった、よくない知識を与えてしまった気がするぞ。
 ともえさんは口元にポッキーを持っていって、『よかったら』と小さく呟く。頬を染めて目をそらしながら、なんてことを言い出すんだ。
 恋人にされたなら嬉しい申し出なのかもしれない。だが、あいにく俺はともえさんの恋人ではなかった。

「それは……」
「だめ、ですか。さん」
「そういうのは……惚れた男と、」
「だから、お願いしてるんですけど」

 強い口調で言いながらともえさんが一歩踏み出す。
 恋人とするものだと言えばともえさんも引き下がったろうに、どうして俺は諦めないとわかっていてそういう言い回しをしてしまうんだろうか。
 目をきゅっとつむって、くわえたポッキーを差し出すともえさんに胸がきゅっと痛くなった。
 彼女は彼女で、必死なのだろう。

「……仕方ないな」

 髪をかきあげてため息をつく。この人のおねだりには逆らえない。太田の娘のプライドを傷つけることこそ、島民としてしてはならないことだ――やがて島の長の、妻となる方なのだから。
 言い訳しながらともえさんの肩を掴む。キスをするように身を屈めて、ポッキーの先端を口に含んだ。
 ぽりぽりぽり……と、ポッキーを食べていく音が控えめに聞こえる。いい年して子供のようだ。恥ずかしいが、言い出したともえさんは俺の比ではない恥ずかしさだろう。俺が食べるスピードよりも、ともえさんの音は遅い。掴んだ肩をくっと引き寄せて、早く食べてと急かしてみる。
 息をつまらせたともえさんは、ポッキーを削るスピードを早くした。
 いじらしくて、かわいいと思う。
 雄としての浅ましい欲望が刺激される。
 近づく遅さが辛抱たまらない。このままポッキーを食べ尽くして、くちびるがを奪ってしまいたい。
 息もつかせぬほど激しく、舌を絡めて、俺という男を刻み付けてやりたい。泣き叫んで顔を歪めるともえさんはどんなにか可愛らしいことだろう。
 あともう少しでくちびるが触れる。
 そうしたら、そうしたら――。

 ボキリと音をたててポッキーが折れた。
 一瞬身体から力が抜け、その隙にともえさんが俺から飛び退いた。

「……ぷはぁ! すっすみません、私、つい……!」

 呼吸を止めていたらしいともえさんははあはぁと酸素を取り込み、口許を指先で隠した。恥じ入るようなしぐさに、ため息がこぼれる。ずきずきと痛む頭は、俺も呼吸を止めてしまっていたせいだろうか。

「すっすみません、私の負け、ですよね……」

 慌てるともえさんの声が遠い。あのままだったら、ともえさんのくちびるを奪っていたことだろう。もう一度ため息をついて、ともえさんの手を掴んだ。ぐいと引き寄せて、肩をつかんで、後ろ向きにさせてから抱き締める。
 ともえさんを後ろから抱き締める形だ。

「そういえば、負けたときの罰ゲームを決めていませんでしたね」
「そ、そうですね……」

 顎をつかんで、人差し指でくちびるに触れながら囁きかける。ぴくぴくと震えるうぶさに安堵すると同時に、チリチリと静電気のような苛立ちがつのる。

「なにをしてくれるんですか」
「えっと……」
「ともえさんは、私に」

 腹に込み上げるのは憎悪だろうか。
 ともえさんがなにもできるはずがないのだ。俺も、ともえさんになにもできない。
 文字通りなにもだ。
 俺は、島の診療所に勤めるしがない医者だ。かつて病院のなかったこの地に祖父がやって来て、夜見島に骨を埋めた。まだ続いて三代目の、歴史が浅い一族がの家だ。
 唯一の医者ということで島民からそれなりに敬意は払われているものの、それだけだ。
 漁師を統べ、島全体を取り仕切る太田の娘と、婚姻などできようはずがない。

 父を裏切り島を捨て、俺と駆け落ちすることも――責任感の強いこの方には無理な話だ。

 いつか太田の跡継ぎとなる男を太田のおやじさんが定め、ともえさんが婚姻するまでの……俺は言わば暇潰しの道具だ。
 使い潰されるのはごめんだった。

さんが望むことを」

 あり得ないことを言うともえさんがいとおしい。それ以上に憎たらしい。
 俺のものになってくれと言ったところで、困り果てるに決まっているのに。

「じゃあ、しばらくこのままで」

 後ろから抱き締める体勢ならば、万が一誰かに見られても俺がともえさんを襲っているように見えるだろう。俺と愛し合っていたなどという噂は立たない。
 そういう、細やかな気遣いにもきっとこの人は気づいてくれないに違いない。
 気づいてくれないほうが都合がいいことは違いないのだが。

「ともえさんはいけない人だ」
「ぇ……?」

 眠りから覚める寸前のようなとろけた声を出す。この人をきれいなままでとどめることは、男の本能との戦いだ。据え膳食わぬは男の恥だと言い訳をして、ごちそうにありついてしまいたい。

「あなたの夫となる男は幸せでしょうよ」

 恨み言を吐きながら首筋に鼻先に擦り付けた。
 色を染めることも痕をつけることもかなわないのなら、せめて匂いだけでも付着させてやりたかった。
 そうしてともえさんの未来の恋人が顔をしかめる場面を夢想し、ほんのわずかに満たされるだけの餓えた獣でしかない。

 身を離すとともえさんは傷ついたような顔をする。抱き締めると満ち足りた顔をするくせに、身を離すといつもこうだ。
 別れ際にぽつりと呟かれた言葉に聞こえなかったふりをして、俺は診療所へと戻った。
 服をはたいてともえさんの匂いを逃がして、午後の診察ですべてを忘れるよう努力した。





2014/11/12:久遠晶
なにげに女性キャラでちゃんと恋愛もの書いたのはじめてかもしれない。
ともえちゃん敬語だから別人感すさまじくてごめんなさい