夜は未だ明るい

 あの日もこんなふうだった。夕焼けがいやに濃くて、血溜まりのようだった。
 師が志半ばで死に、今際の際に短刀を託された時も――こんな夕日だった。

「なに、考えてるんだ?」
 本丸の外廊下で立ち止まり、空を仰ぐ私が奇妙だったのか。廊下から声がかかった。
 厚藤四郎。師の最後を共に看取った短刀が、私を見つめている。
「あの人のことを思い出してた」
 素直に答える。他の刀であれば誤魔化すことも考えたが、年季のいった刀に嘘は通用しない。それに、この空を見れば厚とて元の主を連想するだろう。
 私たちは同じ空虚を抱えている。どうしようもないほどに。
 厚は私の視線をたどって空を見やり、苦虫を噛み潰したような表情をした。
「気持ち悪い空だ」
「私もそう思う」
 それなのに、どうしても見上げてしまう。
 あの日守れなかった師。時間遡行軍から逃げながら、しわくちゃの指に手を引かれた。あの時、何かひとつでも違う選択をしていれば何かが変わったのか。
 本当は、私が死ぬべきだったのだ。才能も、年季も、師には遠く及ばない。
 あの方に守られ、命を救われる価値が私にあるとは思えなかった。受け継いだ師の本丸も、審神者の称号も、何もかもが重たすぎる。
「大将」
 厚の手が、肩を撫でる。
「考え込みすぎるの、悪いくせだぜ」
「……ええ、そうね」
 この付喪神は、私の心中などお見通しらしい。
 強張る頬をなんとか持ち上げると、厚は眉間にしわを寄せた。
「……先代の大将は、娘が出来たみたいだ、って言ってたよ」
「うん、私も同じように思ってたよ」
「出来の悪い子ほど可愛い、ってさ。ガラでもないのに服とか小物とか作ったりして。だから……守って死ねたのは、幸いだったと思うよ」
「それ以上は言わなくていい、厚」
 手を伸ばして、厚の肩を抱いた。引き寄せると、厚は実にすんなり腕の中に収まった。
「私が母を失ったのなら、貴方は恋人を喪ったと同義でしょう」
「刀と人だ。そんなんじゃねぇよ、オレと先代は」
「絆は心で結ぶものだ、と、あの人はよく言っていたよ。容れ物の違いは、どうでもいいって」
「……ちげぇって」
 呟かれた声は空虚だ。長い時を生きる刀も、誰かを喪い傷つく感情は人と同じなのだと、よくわかる。いや、己が長く生きるからこそ、短命の人は儚く見えるのかもしれない。
 私は厚の背を撫でながら、自分の気持ちも落ち着くのを待った。
 私よりも小さな肩に、この短刀は、私以上の死を乗せている。
 いつか私の死も背負って、この短刀はまた別の誰かに仕えるのだろうか。
「大将は絶対、長生きさせるからな」
「期待してるよ」
 庭に咲く椿の花が、血だまりのような空に同化する。境界線は朧で、かすんで見える。
 師が殺されたのは何年も前のことだというのに、喪失は新鮮に痛む。
 涙が出そうになって、俯いた。厚の肩口に顔を押し付ける。
「しばらくこうさせて」
「いいぜ。誰も見てないからな」
 背を撫でられる。本当は私が慰めたいのに、どうしてもこうなってしまう。だが、私が泣くことで厚は泣かずに済むのだと思えば、ある意味役割分担なのかもしらない。
「先代は誰も責めてないよ、きっと」
 慰める言葉は、厚にも刺さるはずだから。

 いつか戦いが終わり、私が老いて真っ当に死ぬ時。墓穴にこの短刀と共に入りたいと思うのは、分不相応な願いなのだろうか。私は縋り付きながら、そんなことを考えていた。





2020/03/16:久遠晶
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