訂正出来ないしたくない



 腹立たしい。まったくもって腹立たしい。
 真夜中、主の為のつまみを作りながらへし切り長谷部は歯噛みする。
 はらわたが煮え繰り返るような怒りは、そのまま作るつまみのランクに直結した。もやしをさっと茹でてポン酢で和えただけのつまみは、お世辞にも丁寧な料理とは言い難い。長谷部だって本当は、もう少し手間暇をかけて主が喜ぶものを作ってやりたい。しかし主は、粗末なものでも十分なようだ。
 ビール缶を片手に小鉢をつつき、美味しそうに唸る。座卓には空き缶が森のように並んでいるから、もう味なんて分かっていないのかもしれない。長谷部の奥ゆかしい思いやりなど気にも留めずになんでもかんでも美味しいと言う、雑な人なのだ。
 聞き入れられないと分かっていて、一応長谷部は進言する。

「主、いい加減に飲み過ぎです。その缶を飲み終えたらもうやめたほうが」
「やだぁ?今日は徹底的に酔うのっ!」
「それ、昨日も一昨日も聞きましたよ」
「いいの、明日も明後日も言ってやるぅ」

 主の言葉は涙まじりで、ろれつもろくに回っていない。
 やはり腹立たしい。長谷部は憎々しげな心中を押し殺して、ため息を吐いた。

「そんなにあの男が忘れられないんですか。主の魅力を何一つとして分かっていなかった男が?」
「……うるさいな」

 主の持っていたアルミ製の缶がぺこりとへこむ。勢いよくビールを煽り、主はぐしゃりと顔を歪めた。

「本当に好きだったの。本気だったの。それなのにさぁ、あんなのさぁ、あんまりだよぉ……」

 肩を震わせ、大粒の涙をポロポロとこぼし始める。
 この一週間で見飽きた光景だから、長谷部も狼狽えはしない。ただただ、主を泣かした男への殺意だけが募る。
 主の恋人は、現世の男だった。主と生まれた時期が近く、家も近かったというだけの人間だ。主が審神者になってからも幼馴染として交友は続き、数年前に男から告白を受けた。主は戸惑ったが、最終的には受け入れ、審神者業の傍ら、ゆっくりと絆を深めていた。
 腹立たしい。
 元々長谷部は一般人との恋愛に懐疑的だった。やめるべきだと、遠回しに進言もした。主は聞き入れず……結果がこれだ。

「身体の傷がなんだと言うのです。貴方がこれまで生き、必死に戦ってきた証ではないですか」
「怖がらせたのよ。やっぱり普通の仕事とはわけが違うから……」

 ここぞと言う時におじけづき、主を傷つける。主がどれだけ傷ついているのかは、ここ一週間の飲酒量で想像するに難くない。
 ビールを煽る主は、何も分かっていないのだ。はなから愛するだけ無意味な相手だったと。

「主の魅力がわからない相手なんて、こちらから願い下げだと言ってやればいいでしょう。こんなに飲んで……中毒になってしまいますよ」
「ちょっとっ」

 耐えかねて、主からビールを取り上げる。主は涙目のまま、長谷部を睨んだ。

「なにが魅力的だよっ! そんなこと思ってもないくせに」
「そんなことは」
「じゃあ長谷部、私のこと抱けんのっ? 抱けるもんなら抱いてみろ?いっ主命じゃあ??っ」

 主はそう叫ぶと、畳に寝っ転がった。大の字に手足を広げて、ジタバタと暴れる。
 ビールを返せ、さもなくば抱けというあんまりな二者択一だ。哀れみの目線を注ぐ長谷部の心中など気にもとめず、主は秒速で寝はじめた。

「まったく、貴方という人は……」

 こちらの気も知らないで。
 長谷部はため息を吐いて、眠りこける主を抱き上げた。
 そこに、薬研が顔を出す。

「布団出したからもう寝ろよ大将?……お、やっと寝たのか」
「ああ。まったく、もうしばらく続くな、これは」
「大将、あの男のこと本当に好きだったもんなぁ。長谷部も大変だよな。食器とかは俺が片しておくから、もう休んでくれよ」
「すまない。よろしく頼む」
「いいってことよ。……まったく、俺たちの気も知らないで呑気なもんだよなぁ」

 酩酊する主の額を、薬研が小突く。主は少し呻いたが、起きはしなかった。

 主の部屋まで運んで、薬研が整えた布団に寝かせる。
 ううんと呻きながら布団に横たわる主には、平時の凛とした強さなどどこにもない。これでも、酒浸りになる深夜以外は努めて平静を装っているのは救いなのか、どうだろうか。

「ごゆっくりお休みください、主」

 前髪の乱れを整えてやって、小さく囁く。立ち上がろうとした瞬間、服が引っ張られる。
 見れば、カソックの裾を主が掴んでいた。
 薄暗がりの中で、涙目と視線が絡む。

「ひとりにしないで」

 ポロリと、また大粒の涙。
 主はそれだけ呟くとまた目を瞑って寝息を立て始める。
 長谷部は困り果てて、髪の毛をぐしゃりと乱した。

「本当に、貴方という人は……。ええ、構いませんよ、それが主命ならば」

 失礼しますと言って、布団に潜り込む。
 通常なら酔った人間の戯れと思って聞き流していただろうに、今回に限って聞き入れてしまったのは、やはり怒っていたからに他ならない。
 ここに、主に尽くしたくて添い遂げたくて仕方のない刀がいる。それを無視して人間に現を抜かす主が、腹立たしかった。


   ***


 朝、目を開けた瞬間、主の顔が飛び込んできた。長谷部は少しだけ驚いてから、昨夜主の布団に潜り込んだことを思い出す。
 目の前の主は硬直して、なにやら脂汗をダラダラと流している。普段見慣れない表情が面白くて、長谷部の表情は自然とだらしなく緩んだものになった。

「おはようございます、主」
「お、おは、よう……?」

 なぜ疑問形なのだろう。
 密着する主の体は柔らかい。寝た時には体を離していたはずだが、眠っている間に温もりを求めて自然と抱きしめ合っていたらしい。長谷部は慌てて、主を閉じ込める両腕を解いた。

「すみません、寝苦しかったですよ」
「い、いや、それは、平気なんだけどね」
「……もしかして、昨晩のこと、覚えていませんか?」

 直球で確認すると、主はあからさまに身体を強張らせた。

「……ごめん。なにが、あった、の……?」

 聞きたくないことでも聞かねばならない、と、確認をする主は顔面蒼白だ。
 そりゃあ、泥酔した次の夜に、なんとも思っていなかった刀と密着して寝ているのだ。勘ぐりたくもなるし、焦りもするだろう。
 なにもしていませんのでご安心を、と言おうとした長谷部は、思うところがあり口を閉じた。
 真実を話して安心させてやるのは簡単だが、主は反省しないだろう。毎夜の酒浸りはこれからも続くに違いない。それはダメだ、刀と違って人間の体は強くない。すぐに中毒になってしまう。
 このところの主には、長谷部も随分と気を揉んだのだ。少しは反省してもらわねばならない。恋心を全く気づいてくれない主への意趣返しのつもりで、すこしのいたずら心が働いた。

「実は昨晩、主命だから抱け、と命じられて……」

 これも嘘ではない。無視した主命だが。

「酔っていらっしゃったとは言え、主命と言われたら俺は……っ」

 語尾を震えさせると、主はあからさまに動転したようだった。
 目を見開いて驚き、慌てふためく。

「ご、ごめんね!? わ、私がそんなパワハラを……警察行く……ごめんね……」
「えっ!? いえいえ、そんな、警察なんか行かなくていいですよ」
「そんなわけない。きちんとしないと……ああ、酒に酔ってそんなことさせるなんて最低。死にたい……」

 布団を剥いで上体を起こす主の手を掴み、慌てて押しとどめる。
 頭を抱える主は、よっぽど胃を痛めている。もう少しいじめたらネタばらししようかな、と思いつつ、長谷部は主の反応を楽しんだ。同時に、部下に無体を働いたことを悔いる姿に、どうあっても主の恋愛対象にはなれないのだと絶望的な気分にもなる。
 自分から仕掛けたいたずらとはいえ、虚しくなってきた。

「……主。すみません、本当はなにも──」
「長谷部」
「は、はい」

 頭を抱えていた主が、長谷部に向き直る。

「ほ、ほんとうにごめんね!? 私責任取るよ!?」
「えっ俺と夫婦になる気ですか!?」
「ふ、ふうふ……そうか、そういう話になるよね。うん、長谷部が、私でいい、なら……」

 頬を赤らめながら意を決する主に、昨晩なにもなかったと説明できない雰囲気が流れる。
 何より手出ししていないと説明して「やはり私に魅力がないからだ」と落ち込まれたら、という不安がよぎる。ただでさえ好いた男に振られてやけになっている時なのだ。なにがどう作用するかわからない。
 長谷部はオロオロしてしまって、どうすればいいかわからず途方にくれた。これならいたずら心など出すべきではなかった。

「主、実はですね……」
「責任、とる。長谷部が嫌じゃないなら──結婚、しましょう?」
「はひ」

 違う! と自分に突っ込んだのは心の中だけで、長谷部の口からは間抜けな返事しか出てこなかった。
 仕方がない。そのはずだ。長年恋い慕った相手が、自ら結婚を申し出てくれている。それが誤解による義務感だとしても──抗う方法が、長谷部にはなかった。





2019/11/24:久遠晶
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