刀は花に、人は刀に
春は好きだ。
辛い冬を乗り越えた木々が、温かな陽だまりの中でそれぞれの花を咲かせる様子が好きだ。いつからか忘れていたその感情を思い出させてくれた主には、本当に感謝している。
桜を見上げて、綺麗だ、と思える。それが、今の俺にはとても嬉しい。
今日は本丸の仕事も出撃も全て休みにして、仲間全員で桜花見と洒落込んでいた。
芝生にブルーシートを敷いて、気の合う連中で固まっている。静かに花を愛でる連中もいれば、はしゃぎ回る者、花より団子と言わんばかりに料理に手を伸ばす連中もいる。俺はと言えば、小さめのブルーシートを陣取ってひとりで花を楽しんでいた。
「主ーっ、こっちおいでよーっ」
「はいはい、すぐ行くわ」
主は酒や料理を運びながら、刀たちに呼ばれては色んなブルーシートを行ったり来たりしている。行く先々で酒を注がれては、困った顔で飲み干しているのが遠目に見える。
俺も、主、ここに座りますか、と空席に手招きしてもよかったのだが、どうにもそれが気恥ずかしい。だから、主が俺の元に来たのは随分と後の方だった。
「静かにお花見してるのね、長谷部は」
主の言葉には、俺が望んでひとりなのか輪の中に入れていないのかを推し量るニュアンスがあった。ブルーシートに正座する俺を、後ろから覗き込みながら主は首を傾げている。
俺がわずかに端に身を寄せると、主は自然に隣に座ってくれた。
「いいものですねぇ花見は」
「そうねえ」
「もちろん一番は……いえ、」
――もちろん一番は主ですが……と言おうとし、失言だと気付いて口をつぐむ。
主は、不意に掻き消えた言葉に目を瞬かせ、俺を見上げた。
どうしたの? と言外に訴える微笑みが、この上なく綺麗だと思う。
血色のいい唇。ほろ酔いでほんのりと紅潮した、桜色の頬。舞い散る花弁を映す、澄んだ瞳。何より、刀一振り一振りへの気配りを忘れないそのお心。そのどれもが、俺の心を掴んで離さない。
主が好きだ。一番に好きだ。
この思いを告げてもきっと反故にはされないと思ってはいるが、気恥ずかしい。
「はぁ……花は刀も酔わせます」
「……? なにか、言いかけなかった?」
「いえ……。どうか忘れてください」
酒を飲んでもいないのに、顔が熱くなる。柄にもないことを言いそうになった自覚があった。この、無礼講と言うべき場と、舞い散る桜の美しさがそうさせるのだ。
ごまかすように桜を見上げる。桜の梢は風が吹く度に花を散らし、まるで空気そのものが桃色にかすんでいるかのような錯覚を覚える。
無言。主は、俺と花を見てつまらなくはないだろうか。普段なら主との沈黙を気にすることもないのに、妙に不安になってしまう。
まだ居てほしい。そばにいてほしいし、いさせてほしい。その一心で色々と話題を考えるものの、どれも花見の席に相応しいものではない気がした。
頭を巡らせていると、不意に肩に重みが掛かった。
主が俺の肩に頭を預けている。
「あ、主?」
酔って眠たくなってしまったのだろうか。上着をお貸しするべきだろうか。揺り動かして起こしたほうがいいのか。腕に主の身体が密着している。暖かい。主の熱が伝わって、ぬくもりが染みる。
「聞きたかったわ。長谷部の一番」
「えっ……」
「私の一番はねぇ……。……なんだと思う?」
言おうとして、質問に切り替えたらしい。主の手が俺の手に重なった。うわっすごい小さくて柔らかい。手の甲や水かきの部分を按摩するようにすりすりと撫でられて動揺する。
「なっ、なにかの謎かけですか?」
「いいえ。長谷部は私に詳しいから、知っているかと」
「い、いえ、そこまでは」
「そお?」
主は俺に寄りかかったまま、頭を上げた。視線が絡む。
「私の一番は……」
「主に、一番……」
固唾を飲んで言葉を待ち望んでしまう。だが主は、不意に破顔して。
「やっぱり内緒。一番を決めたら、花の精に嫉妬されちゃうものね。私の一番が、他の子に寄ってたかってぼこぼこにされちゃうのは見たくないもの」
クスクスと、鈴を転がすように笑いながらそんなことを言ってのける。
──してやられた。
からかわれた、ということに遅れて気づき、余計に顔が熱くなる。慌てる俺がそんなに面白かったのか、主は本当に嬉しそうだ。俺にしなだれかかったまま、満足そうに目を細め、歯を見せて笑っている。
急に、腹が立っていた。俺の気持ちを知っていて、この方は純情を弄んでいるのだ。
からかわれるがままで終わるのは癪で、腕に絡みつく主の身体を振りほどいた。一瞬驚いた顔をする主の肩を抱き寄せ、胸板に擦り付ける。
「是非聞きたいですね、主の一番。……貴方の最上を頂けた結果、他の者の嫉妬を買うのなら……殴られる痛みすら名誉の快感でしょう」
耳元に息を吹きかけながら囁く。
ひう、と妙な吐息が聞こえて主の耳やうなじが瞬く間に朱に染まった。
「ああ、主、こんなに赤くなって。酔ってるんですね。苦しくはないですか? 胸元、くつろげて差し上げましょうか」
抱き寄せている方とは反対の手をゆっくり持ち上げると、主はその手を掴んで「結構よ」と言った。上擦った声に溜飲が下がり、ある程度満足出来たので、抱き寄せた肩を離した。
主は俺の様子を伺いながら身を離して、潤んだ瞳で俺を見上げた。えっ泣いている? 俺が泣かせた? そんなに嫌だったのか。
「あまりからかわないで、長谷部。悪い子ね」
──それを貴方が言うのか!
ああくそ、照れて怒って釣り上がった眉もいい。かわいい。綺麗だ。好きだ。
俺が何か言うより先に。主の身体を突き飛ばすように乱入してくる者がいた。
「あるじさーん! ちゃんと楽しんでる?」
乱が主を勢いよく抱き締めた。主は前に倒れ込みそうになりながら乱を振り返る。
「もちろんよ、乱。貴方も楽しめてる?」
「もちろん。……あるじさん、随分顔赤いね。そんなにお酒飲んだの?」
「……これはお酒じゃないわ」
主の言葉に、乱は首を傾げた。主は乱の頬を包んで笑う。
「乱って桜に似合うわね。桜の花の精みたい」
「ふふ、ありがと。……燭台切さんが新しい料理を持ってきてくれたから、一緒に食べに行こうよ」
「あら、いいわね」
主が立ち上がった。
「じゃあね、長谷部さんっ」
「またね、長谷部」
「はい」
俺も一緒に行ってもよかったのだが、乱の『長谷部さん』が言葉をねじ込むような物言いだったので、俺は浮かしかけた腰を戻した。
主を先に行かせ、乱が背を向ける瞬間。
乱が「いーっ」と歯を見せてあかんべーをした。
──まだ、長谷部さんには渡さないよーっ。
唇の動きだけで囁かれた言葉に苦笑する。
俺の物になってくださると思っているのか、あの人が。
まぁ、近い位置にいると思われているのなら、わざわざ訂正することもない。
まだ心臓がとくとくと脈打っている。締め付ける胸の痛みをあの方に知らしめてやりたい、と言う気持ちはあるが、きっと困らせるだけだろう。
ほろ酔いを楽しむように胸の痛みを楽しむ俺は、柄になく、やはり酔っていたのだ。
他でもない、あの方に。
2020/03/31:久遠晶