むなしいかみさま



 いっそこの感情が、人が人に向ける恋であればよかった。
 そうであればこの理不尽な苛立ちも、人の身を得たが故の弊害として納得できただろう。
 だがどうしたって俺は刀で、人の真似事をしている付喪神に過ぎない。苛立ちの正当性を探して恋をしたがったところで、逆立ちしても刀の情以外のものは抱けない。
 主がそのように望んだ。
 人の形をした刀に対し『物は物らしくして』と土台無理な要求を言い放ったから、俺は人の形をしているなりに、情のない無機物として振る舞うようにした。

 主は強い方だ。
 刀が折れても眉一つ変えず、戦術の失敗を静かに反省する。刀の中には冷徹な態度に不満を持つ者もいたが、俺は主が好きだった。
 幼少の頃の主はよく笑い、人に接するように刀に接していた。怪我をして帰れば泣いて謝り、意味もないのに包帯を撫でて手入れ部屋に居続けた。

 ──長谷部に見合う、立派な審神者になりたいの。

 いつだったかそう言って、主は自身の人間性を削ぎ落とし始めた。刀と遊ぶのをやめ、笑うのをやめ、俺を避けるようになった。
 すべては俺の為だという話だったから、俺はどんなに辛くても言葉を飲み込んで『刀』のままであろうとしたのに。
 今の主は平等だ。
 よく切れる刀を重宝する。そこに好みの価値基準はない。刀らしくさえあれば、おそばにいられる。捨てられることはない。だから俺は、主の特別を捨てたのに──。

 執務室で寝落ちしている主を見ると、俺はいつも胸が締め付けられる。叶うのなら、肩を揺り動かして布団に誘いたい。あるいは、俺のカソックを肩にかけて差し上げたい。だが刀は本来二本足で歩かないし、主の風邪を心配もしない。
 せっかく人の身になり、主を己の力でお守りできる立場になったというのに、これでは意味がない。俺は虚しさにため息を堪え、せめて部屋の空調温度を上げるにとどめるのだ。
 変わらない日常が、しかしーー。

「主、そのままだと風邪をひく」
「ん……。鶯丸……」

 腹立たしい。
 新参者がたやすく主のそばに立ち、寵愛を受けている。
 鶯丸の人間味を歓迎して、慣れない微笑みすら浮かべる主が憎らしい。

 刀であれと言われ、何年もそのようにしてこの本丸で主と共に過ごした。そんな俺たちを差し置いて、一足飛びに主との距離を詰めて特別になった厚が憎らしくてたまらない。
 主がいつも部屋で泣いていたのを気付かないふりをして、何も出来ずにここまできてしまった。その報いなのか。
 腹立たしい。本丸の刀が鶯丸を歓迎し、主の塞いだ氷のような心を溶かしてくれたと笑うのが気に入らない。
 この気持ちが恋であれば、俺の理不尽な怒りにも正当性が生まれる。
 だが現実的にはそうではないから、これは主の一番になれなかった無様な負け犬の遠吠えでしかない。
 順位を付けない主だから好んでいた。
 今の主は違う。あの方はもう、一番を決めてしまった。


   ***


「長谷部。万屋にいくから支度をして」
「俺、ですか?」
「この本丸にへし切長谷部は貴方しかいないけど」

 不意に背後から声をかけられ、面食らう。

「いえ、同行者なら鶯丸だろうと思っておりましたので……」
「用事があるならそうするけど」
「いえ、問題ありません。何を買われるんですか」
「必要物資と、それと……」

 主は少し口ごもり、唇を湿らせた。

「長谷部に軽装仕立てたくて。それと何か、欲しいものないかと思って」
「俺?」
「ずっと、今まで苦労かけてたから。まあ、ねぎらいみたいなやつ」

 そっぽを向いて、髪の毛の先を指で弄びながら、ぶっきらぼうに主が言う。もう片方の手で、政府から支給された仕立券を見せながら。
 笑い出しそうになり、主の前だと必死に堪える。
 一体誰に入れ知恵されたのだろう。刀ときちんと信頼関係を結べと、鶯丸に言われたのか。
 拳を握り、腹を固めて震えを押し殺す。
 俺は作り物の笑顔を浮かべて、主を呪った。

「主。俺たちは刀です。人であり主である貴方が、刀にへりくだる必要も、内心を慮る必要もないんですよ」

 指先を持ち上げて、仕立券を掠め取った。躊躇なく破る。破る。破る。

「刀と人は違うんですから。およしになってください。立派な審神者になれませんよ」

 かつて主に言われた一線を俺はきちんと弁える。
 だから貴方も、あの日貴方がそう目標を立てたように、俺の為に審神者という機構であり続けてくれ。
 細切れになった仕立券の残骸が、風にさらわれて飛んでいった。





2021/06/12:久遠晶
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