ボクはウィルス



「ねぇ乱ちゃん、乱ちゃんは女の子だよね?」

 潤んだ目でそう問われたあの時、ボクはなんと答えればよかったんだろう。

 それは、あるじさんが14歳になった秋の頃だった。
 夜中、ボクの腕のなかから抜け出して厠へと行ったあるじさんが戻ってくると、泣きながらボクの方を揺らした。
 何事かと眠気眼を擦ると、あるじさんがわっと抱きついた。なだめて話を聞くと、血尿が出ていた、という。
 初潮が来たのだ。
 スカートをたくし上げて、赤く染まった下着を見せるあるじさんに、一瞬なにがなんだかわからなかった。
 ボクは慌ててしまって、いち兄を呼ぶべきかどうすべきかかなり悩んだ。
あるじさんを笑顔で安心させて、四苦八苦しながら生理用ナプキンを出して下着を取り替えさせて、汚れた下着を洗った。
 ボク一人ですべて片付けたけど、思えばこれが良くなかったのかもしれない。

 女の子の身体の成り立ち。あるじさんの身体に起こった変化を、医学書の子宮の図解を書き写しながら説明する。
 男と女でまぐわうと子供ができる。だから身の振り方には気をつけるんだよ。もし好きでもない男に押し倒されたら、何がなんでも抵抗して、ボクたちを呼ぶんだよ。
 とうとうと語ったけど、あるじさんはいまいちわかってくれなかった。
 物心ついた頃から性的に無害な刀剣男士と共に暮らすばかりだったから、根本的な他者への警戒心が全く育っていないのだ。
 疑問符を頭に浮かべているのが丸わかりで、ボクは頭を抱えた。
 どう言えばわかってもらえるんだろう?
 とにかく性行為をすると子供が出来る身体になった、妊娠の準備が出来るぐらい成長したことを理解してもらわなきゃいけない……。

「ああ、だから、例えばいち兄が相手でも、まぐわったら子供ができちゃうかもしれないんだよ。だから気をつけてね」
「……えっ!? こ、子供が出来るの!?」

 あるじさんは、いち兄が相手でも子供ができる、というところにひどいショックを受けたらしい。がばっと身体をかばって青ざめる。

「うん、一応ボクたちも男の身体から……。もちろんボクたちはそんなことしないよ。身の振り方を考えてほしいってコト!」
「で、でも……乱ちゃんは女の子だよね?」

 ──本当に、どうすればよかったんだろう。

 あるじさんの最初の記憶は、本丸に移された時だと前に言っていた。それ以前の記憶はふわふわしていると。
 ボクの最初の記憶は先代のあるじさんに顕現してもらったときの記憶だけど、それと同じように、あるじさんは審神者就任後の記憶しかない。

 自分としての自我を持った瞬間からそばに見て、味方だったはずの刀が、もしかすると自分に害を成すかもしれない。そうなったときの心構えをしておけ。

 ボクの言葉はあるじさんにとってはそう聞こえた。
 だから目に涙を溜めて、指先を震わせて、絶望的な顔をする。本丸に来たときみたいな、両親を目の前で殺されたショックで心を閉ざしていた頃みたいな瞳を向ける。

 ──ねぇ乱ちゃん、おねがい、乱ちゃんだけはそばにいて。
 ──うん、そばにいるよ。ボクはあるじさんのそばにいるからね。

 嵐の日に震えながらボクをすがったあるじさんを思い出した。あの時ボクはあるじさんを抱き締めて、泣き止むまでずっとそばに居た。これからも、最期までそばに居ると、誓った。
 それなら……。

 ねぇ、乱ちゃんは女の子だよね?

 馬鹿馬鹿しい質問だけど、あるじさんにとっては切実だ。
 眼前のボクが、自分を傷つけうる相手でないと思いたくて、縋るように問いかけている。
 本質的にはボクが男でも女でもどうでもよくて、ただ、あるじさんは安心したいだけなのだ。
 だから、ボクは刀剣男士だけどあるじさんを傷つけないよ、と、説いてあげればよかった――のに。

 喉がひりつく。急に唾液が乾いて、息苦しい。
 自分が傷つく理由がわからなかった。

「…………ボクは刀だから、男の人とか女の人とかとは違うかな」

 曖昧な言い方は単なるごまかしでしかなかったけど、あるじさんは気がつかない。
 ただほっと息を吐いて、嬉しそうに微笑んだ。青ざめた頬に血色が戻ってくる。

 そうしてボクは、これまで通りの関係を選んでしまった。

 だから、あるじさんに初潮が来ても、表面上は何も変わらなかった。
 小さな身体の背を撫でて添い寝するのも、日中ボクを見掛ければテコテコ走ってくるのも。抱きついてくるのも。ボクの前で平気で服を脱ぐのも。
 あるじさんは健やかに成長した。ボクよりも背が高くなって、大人の女性そのものだ。膨らんだ乳房も、なだらかな腰の曲線も、子供では断じてない。
 ただ表情だけが子供だ。
 人への警戒心がない。世界中の存在が自分を愛してると確信しているような無邪気さ。その目がボクに向けられて、こてんと首を傾げる。

 ねぇ乱ちゃん、一緒に寝ちゃだめなんて、どうしてそんなこと言うの?

 潤んだ瞳も赤い唇も、天然でやっている。男を悩殺できる身体をボクの腕に押し付けて、布団に引き摺り込もうとする。
 ボクがいつも布団の中で何を考えているか、考えもしないのだ。
 あるじさんを傷つけたい。他の誰かに傷つけられるぐらいならボクが傷つけてあげたほうがいいんじゃないか、社会勉強だ。自分の中の攻撃性に言い訳を並べて正当化して、それでもなんとか踏みとどまっていることなんて知らないんだ。

 この想いは、多分ボクだけのものなんだと思う。
 大人になったあるじさんが未だにボクと添い寝するのを、いち兄も厚も蜂須賀さんも、長谷部さんも、誰も何も言わない。ボクがあるじさんを傷付ける発想が、ボク以外の誰にもない。だから誰にも相談できない。
 ボクの固有性。ボクだけの感情。
 何年も人の器で暮らすうち、その刀剣男士だけの固有性を会得することがあるらしいけど、こんな固有性は要らなかった。
 あるじさんを傷つけないボクでいたい、それがどうしてこんなに難しいんだろう。

 冷たい布団の中で、あるじさんがぬくもりを求めてボクに身を寄せる。
 浴衣の薄い生地越しに乳房が胸板に触れ、足と足が絡む。ボクは寝相のふりをして、そっと腰を離す。
 あるじさんを傷つけたい。傷つけたくない。ボクの中でいろんな想いが喧嘩する。どっちが勝つのか、どっちが負けるのか、今はまだわからない。
 冷たい布団の中でぬくもりを求めて、離れがたいと思っているのは、本当はボクの方だった。





2021/06/12:久遠晶
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