不器用な情愛



 修行から帰って来た宗三左文字に、立ち振る舞いとしての変化は特段見られなかった。
 まとう衣装は豪奢になり、神気も刃も鋭さを増した。
 だけど、遠くを見ては溜息を吐く陰鬱な視線は今までと変わりない。

 彼がいない三日間は、誇張ではなく永遠に感じられた。もちろん、本丸でただ待てはいい私と違い、修行へ向かった刀剣男士はたった一振りで何十年もの時間を外で過ごす。持ち主の元を離れ、すべてを己の意思で決断し続ける心細さは、人間のそれは違う恐怖があるはずだ。
 修行から戻ってこない刀もいると聞く。時間遡行軍や検非違使に気取られ、道半ばにして折れる刀もいると聞く。あるいは直前で他の刀が〝すり替わる〟事例もあるらしい。
 宗三がきちんと、無事に帰ってきてくれて嬉しかった。
 私は当然感動的な再会を期待したけど、彼は駆け寄る私に、今までの通りの微笑みを返した。

「……すっかり、貴方に染められてしまいました。貴方は恐ろしい人だ。あの魔王のように……」
「え?」
「貴方も、天下がほしいのでしょう? そうじゃなきゃ、僕を置いておく理由がない」

 帰ってくるなりそう言われ、私は答えに窮した。

 宗三左文字の態度はそう変わることはなかったけど、今まで以上に、己が天下取りの刀であることを意識しているらしかった。
 天下取りの刀。宗三左文字のありよう。それらは変わることなく、むしろ強化された、というわけだ。

 ――……残念ながら、僕は魔王を乗り越えられそうもない。ですが、貴方の刀であり続ければ、いつかは変われるかもしれない。

 手紙に記されたその言葉の意味を、図りあぐねている。


 だから、私と宗三左文字の関係性も、そう変わりはしなかった。
 つかず離れず。
 近侍にする時もあれば部隊から外して休ませ、また戦場に送り込む。
 書類仕事をさせている時の宗三左文字はいつも窓辺から空を見ていて、私はそんな彼を眺めている。
 私たちの視線は変わらず、交わらず、触れ合うこともない。私の視線に気付きもしない瞳がなにを考えているのか、検討がつかない。

 だからずっと、片思いだ。

「……貴方も」

 不意に薄い唇が割られ、静かな声が響いた。

「貴方も存外、僕が好きですよね」

 呟きが自分に向けられていると理解するのに、時間がかかる。
 彼はずっと窓辺から外を見つめていて、私など見向きもしていなかったからだ。

「いきなりどうしたの」
「いつも、この角度から僕を見ているでしょう。観賞の邪魔にならないように、動かないようにしているのですが……すみません、くしゃみしてもよろしいですか」
「へ? え、えぇ……好きにしなさい」

 戸惑いながらも頷くと、瞬間、袖で口元を隠してのくしゃみ。小動物の鳴き声のような愛らしいくしゃみが小さく響き、長い手が卓上のティッシュへと伸びた。ちーんと花を噛んで、クズカゴに捨てて、お茶を飲んで一息。
 そうしてから、再び窓の外を見つめた。

「お待たせしました」

 と、すまし顔。

「……もしかして。よく窓の外見てるのって……」
「この角度の僕がお好きなんでしょう?」

 私を見ず、そう答える。
 …………今まで、会話をするとき、こちらに目も向けなかったのって、もしかして、自分を鑑賞する主の邪魔をしないように、という配慮のつもりだったんだろうか。
 私はてっきり、主への情のない刀だ、とばかり思っていた。それでいて私の体調不良にはよく気がつくし、修行にも出たりと、掴みどころがないと悩んでいたのに。
 妙に脱力する。視線にも気付かないと思っていたのは、まるっきり勘違いだったようだ。刀剣男士が視線に気付かないはずはないから、知った上で無視されているもととばかり思っていた。
 宗三なりの返事だと、気付いていなかったのは私のほうだったのだ。
 ばつが悪くてそっぽを向いた。

「今まで気を遣わせていたのね。ごめんなさい。……貴方を観賞していたわけじゃないわ」
「恥じらわなくてもいいですよ。戦場に出されず、観賞もされない刀などいよいよ価値がない」 

 ああ、こういうところは本当に変わらない。
 皮肉げな物言いも、嘲るような笑みも、なにもかも。

「そんな顔しないでくださいよ。僕がこういう性格なの、ご存じでしょう?」

 私がどんな顔をしていると言うのだろう。なにか言おうとすると恨み言になる気がして黙り込む。沈黙をお茶をすすることでごまかしていると、宗三は苦笑した。

「先ほどのは一般論です。……貴方は僕を戦場に出しますし、美術品として愛でることもする。いい主ですよ」

 褒めたつもりなのだろうが、そうとは受け取れなかった。
 無言を続けると、ふ、と笑みが聞こえた。

「今更、不動行光やへし切長谷部のような忠犬ぶった振る舞いはできません。主だって、そんな僕を見たくはないでしょう」
「……どうだか。見れるものなら見てみたいものだけど。興味があるわね、忠犬みたいな宗三は」
「おや」

 嫌味ったらしく笑うと、宗三は片眉を上げた。
 
「刀心のわからないひとですね」
「刀の本心がわかったことなんて一度もないよ」

 むすっと吐き捨てる私とは対照的に、宗三は嬉しそうだ。緩む唇を隠しもせずに、私へと手を伸ばす。
 口の端に生ぬるい温度が触れる。何をしてるんだと思ってから、頬を持ち上げて笑わせようとしているらしい、と気がついた。

「僕は貴方の元に帰ってくるしかないんですよ。鳥籠の戸が開け放されている気持ちなんて、貴方にはわからないんでしょうね」

 私が眉を顰めると、にこにこ笑って、「ずっとわからないままでいいですよ」と、なにかを許した。




2021/06/12:久遠晶
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