写しと下位互換
人の形を得たとき、俺の前には一人の女が立っていた。
「山姥切国広だ。……なんだその目は。写しだと言うのが気になると?」
まっすぐ見据える瞳がなぜだか居心地悪くて、俺は眉をしかめた。すると、女――俺に人の形を与えた審神者は、目を細めてくちびるを持ち上げた。
「貴方の主です。よろしくお願いします、山姥切国広さん」
俺の手を取って微笑んだ。
なにを思ってその女が初期刀に俺を選んだかなんて、わからない。
名だたる名刀名剣の中から、わざわざ写しの俺を選ぶ理由はないように思える。
刀の知識がないのか、あるいは単なる興味本位なのか、と思っていた。
しかし、戦いを知らぬ手をした令嬢が、それでも真面目に本丸を運営し、堅実に戦いをこなし、地道に戦績をあげていくのを見ると、そうではないことがわかってくる。
刀の相性に気を配り、扱いに気をつける様子を見ていると、刀を知らぬ風でもなく、興味本位で刀を選ぶ性格にも思えない。
だとすると、女はどうして俺を選んだのだろう。
それがずっと疑問だった。
***
ある日、重傷で手入れ部屋に担ぎ込まれた時だったか。潰された片目と切り落とされた腕を復元して手入れ部屋から出てくると、女が廊下で待っていた。
「どうした」
「怪我は治りましたか?」
「ああ。問題ない」
「本当に?」
女は無言で俺の顔を覗き込む。潰れた片目がどうなったのか気になるらしい。
単純に、俺を心配してのことだったのだろうと、今なら思う。
「なんだ。写しを見て楽しいのか」
ぼろ布で顔を隠して距離を取ると、女は眉根を寄せた。
「楽しいから見てるわけじゃありません」
溜息を吐く。怒ったのだ、と察する。
「貴方たちの感性が人とズレているのは理解しているつもりですが、なかなか傷つくものがありますね」
「……悪かったな」
「いいえ。神様とある程度の意思疎通ができているだけ、御の字です」
意思疎通。刀を使役するにあたっての最低限のラインだ。最低限ができるからそれでいい、とされるのは、すこし癪な気もする。
「まぁ、怪我がきちんと治ったならよかった。手伝い札を使えなくて、すみません」
「問題ない。あのまま朽ち果ててしまっても構わなかったぐらいだ」
また睨まれる。
「……俺はまた失言をしたか」
「慣れてます」
目を細めて、女は苦笑した。
本丸が出来てからしばらくが経つが、俺は、この女をどう支えればいいのか、付き合い方を決めあぐねている。
***
「写しと贋作は違うだろう? なにを引け目に思うことがあるのかな」
と、蜂須賀虎徹がまっすぐ顔を覗き込むので、俺は目をそらした。
部屋に敷き布団を敷きながら、俯いて気持ち顔を隠す。
「俺は別に偽物とかどうとかも、そんなのどうだっていいと思うけどなー」
「粟田口は兄弟が多いから、今更兄弟が増えても気にならねえな。ま、考え方次第だが」
「そこ、余計な茶々を入れないように」
浦島虎徹が言うと、薬研藤四郎が頷いた。蜂須賀がすこしだけむっとする。
できたての本丸には刀が少ない。普通は刀派ごとに部屋を分けるものらしいが、人員が少ないのもあって、全員同じ部屋で寝ている。
「写しの傑作、それはそれで素晴らしいことだ。兄弟を騙る偽物とは違うよ。胸を張るといい」
「そう言われてもな」
俺だって、偽物とはちがう、という自負ぐらいある。
国広の第一の傑作であろうとすればするほど、人々は俺を写しとしてしか見ない。そうして本歌と比較して、どちらが優れているかどうか、無為な話をする。
写しである限りどうあっても比較され続ける。値踏みする不愉快な視線からは逃れられない。それであればはじめから汚い格好をして、一線を画していたほうが楽だ。
例えそれが、周囲からは卑屈な態度に映るとしても。
俺の態度がかたくななものに思えるのか、蜂須賀はううん、と困った顔で唸った。俺は黙って寝床を整える。
それで話題は終わったと思ったが。
「なあ、主もそう思うだろう?」
「えっ」
「おい」
あろうことか蜂須賀は、たまたま部屋の前を通りかかった女に声をかけた。
無視してもよかったのに、女は律儀に部屋を覗き込んで、「どうかしましたか」と首を傾げる。
布団の隙間を縫いながら蜂須賀の元にやってきて、畳に座り込む。
蜂須賀は「そんな重要な話じゃないよ」と前置きをして、会話の流れを説明した。
写しと贋作について。話を聞いた女は、俺の顔をじっと見つめる。
「贋作の是非についてはあえて言及しませんが」
と、女は言う。
「山姥切国広さんは、ご立派な刀だと思いますよ」
写しであるとか、贋作とは違うとか。そういったところは避けて、俺自身を評価する言葉。
「いつも支えていただいて、感謝してます」
ぺこりと頭を下げる。
本当なら喜ぶべき言葉だろう。持ち主に愛され、刃を振るわれるのが刀の本懐だ。感謝されて、悪い気になるはずがない。そのはずだ。
しかし。
──他のどの刀とこういう話になっても、あんたは変わらず同じことを言うんだろうな。
その言葉を飲み込んだのは、先日の刀と人の感性の違いについてが、頭に残っていたからかもしれない。これを言えば傷つくかも知れないと思って、それを気にした。
かわりに「そうか」と俺は頷いた。
女はいつも、上辺をなぞるようにしか喋らない。だから俺は、この女のことがわからない。俺を選んだ理由がわかれば、少しはこの女のことがわかるだろうか。
***
女が写しや贋作の是非についての言及を避けたのは、この本丸には居ない刀のことを気にしたからだろう。
長曽祢虎徹。虎徹の兄弟を騙る贋作の兄を蜂須賀は毛嫌いしているが、いつこの本丸にやってくるか、わかったものではない。
以前、長曽祢虎徹は時間遡行軍から攻撃を受け、存在そのものが危ぶまれた時期があった。
時の政府は長曽祢虎徹とそれに付随する伝説を守り抜き、長曽祢虎徹の存在は強く揺らがないものとなった。おかげで鍛刀による顕現率は大幅に上昇した。
彼が来たときのことを思えば、贋作や写しに関して言及しないほうが得策だ。
つまるところは政治的判断ゆえで、俺に対して気を使ったわけではない。それぐらいはわかる。
刀に人間の感情は難しい。感性がズレているのはわかっているが、傷つくものがある。とあの女は言ったが、お互い様だ。
人間にだって、刀の機微はわからない。そういうものだ。
ある日の朝、食堂への廊下を歩いていると、前方にすこしふらついた足取りの女を見つけた。
体調でも悪いのかと思って、大股に追いついて肩を叩く。
「どうした?」
「あ……山姥切国広さん、」
俺を見上げる女は顔面蒼白だった。
腹に手をやってかばいながら、眉をひそめて笑う。普段との違いに思わずぎょっとする。
あげく、血の匂いまで漂わせるものだから、たまらない。
「なにがあった」
「ちょっと体調悪くて」
「体調悪いで済まないだろう、それは」
「なんでも――つぅ……」
背中をまるめて腹を押さえる態度に、苛立った。何故隠すのか。俺が写しだからか。
俺は顔をしかめて、女を抱き起こした。身体に障らないよう、姫抱きに抱え上げる。
「ちょ、ちょっとっ!?」
「暴れるんじゃない」
じたばたもがく女を無視して、執務室に向かう。
テーブルから椅子を引いて座らせる。棚から救急箱を引き出して、テーブルに置く。
「どこを怪我した」
「えっ?」
「その分だと、かなり出血しているはずだ」
「な、なんの話ですか?」
「ごまかすな。臭いでわかる」
「におい?」
俺が頷くと、女はいっそう青ざめる。うろたえて呻き出した。
ずっと腹を押さえているので、そこが血の匂いの出所だと目星を付けて跪いた。
手首を掴んで腹から引き剥がす。もう片方の手で女のワイシャツをめくった。
「わーっ!? なになさるんですか!!」
「怪我の手当に決まってるだろ。人は俺たちと違って、手入れで怪我は治らないんだからな」
露出させた腹部に、怪我は見当たらなかった。腰にもない。
とすると、どこから出血しているのか。鼻を鳴らして腹のそばに顔を近づけると、女が悲鳴をあげる。
めくられた服を戻して腹を隠そうと身をよじる女と、無益な攻防に発展する。
「ち、ちがいます! 怪我じゃないんです!!」
「ちがう? じゃあなんだと言うんだ!」
「えーっと、びょ、病気です! どっちかと言うと!!」
「病気?」
それならなおさら重大だ。薬研がどうにか出来る部類であればいいが。
動きを止め、女を見上げる。
さきほどまで青ざめていた顔が紅潮している。ためらうようにくちびるをかんでいた女は、根負けしたように、俺に囁いた。
「……生理、って、わかります?」
「整理?」
首を傾げる俺に、女が溜息を吐く。
「月一で胎盤が剥がれ……あー、女のからだって、いつでも妊娠できるように備えているんですけど、妊娠せずに一ヶ月経つと、赤ちゃんのベッドを捨てるんですよ……」
「赤ちゃんのベッド」
「……胎盤って言うんですけど。まあ、つまり。そんなわけで、月一でいらないものを血として排出するんですよね」
「女は月に一度出血するのか? 股ぐらから?」
女は拳で俺の頭を叩いた。まったく痛くないが、女は結構本気で叩いたつもりらしい。自分の手を開いて痛そうに振っている。
「だから血の匂いがしてたのか」
「おかげで体調不良なんです。でも、仕事に支障は出しませんので、ご安心を」
ふてくされたように、女は眉根を寄せた。俺たちには内密にしておきたかったことが、ありありとわかる。
顔を赤くして恥じらっているということは、人間はこういうことを話したがらないのだろうか。
「……だが、あんたが血の匂いをさせてたら、みんな心配する」
「仕事に支障は」
「そういう問題じゃない。俺たちの主を刺したのはどこのどいつかと、みんないきり立つと言ってるんだ」
「……そんなに、匂うものなんですか?」
「言われてみれば普通の血の匂いとはすこし違う気もするがな。ひどいもんだぞ」
また頭を叩かれた。その振動で身体が痛むのか、俺にすがるようにもたれながら、腹を押さえる。
やっぱり、人間の感性はよくわからん。
「腹を押さえているが、痛いのか。薬研に痛み止めでももらったらどうだ」
「そんなふうに頼るわけには」
……あとで薬研に作らせよう。
女に進言しても、かたくなに拒まれそうだ。
俺が写しだから頼りたくないのかと思ったが、そうではないらしい。
とすると、単純に女の性格によるか。
他者に頼りたくない性格。あるいは、他者を信用しない性格。
いずれにせよ、腹が立った。
なにが、いつも支えていただいて感謝してます――だ。
***
食欲はあると言うので、俺は女を支えるようにして食堂へと連れて行った。
食堂に入ると、女はすぐに背筋を伸ばして一人で立った。
体調不良などない。と言ったふうに。
普段より遅れた登場に歌仙が心配そうに笑う。
「遅いから、今日は食べないのかと思ったよ」
「大丈夫ですよ。少し寝坊して」
「よかった。まだ残してあるからね。うん? 主……」
歌仙が匂いに気付いたのか、眉をひそめる。
俺は歌仙がなにか言うより先に、女の会話に割って入った。
「月一で出血する病気の時期だそうだ」
「ちょっとっ」
「出血する病気!? 大丈夫かいそれは」
「あるじさま、たっててへいきですか」
「女の身体は定期的にそうなるらしい。ひとまず病院に行く必要はないそうだが、貧血で具合が悪いそうだから、ここ数日はそっとしておいてやってくれ」
ざわめきだす刀たちに向かって、そう説明する。
女は俺の布を引っ張って、イヤそうに俺を睨んだ。
取り囲まれて裸に貧俺にされたみたいに無理矢理服を引っ張られていやいや説明するよりは、最初に洗いざらい吐いたほうがいい。
何か文句でもあるのか、と俺は顎をあげて女を見下ろした。
女は溜息を吐いて、俺の脇腹を肘で突いた。まったく痛くない。女はこの本丸と刀の管理者だが、この本丸で一番か弱い。それをわかってなさすぎる。
女が食事を終えた後、仕事をしたがる女を制して、自室に連れて行って布団に寝かせた。
たいそう嫌がられたが、他の刀が「貧血なら休むべきだ」と援護すると、しぶしぶ女は布団に入った。
「おい。ちゃんと寝ているか?」
「寝てますよ。ご安心を」
襖を叩いて声をかけると、力ない声が返ってきた。
部屋に入ると、女は布団でぐったりと横たわっている。
「起こしたか」
「いえ。正直、おなかが痛くて寝るどころじゃないので」
「そんな状態でよく仕事に支障は出さないと言えたもんだな」
「…………」
女はなにか言いたげに眉を寄せたが、返しが思いつかなかったのか黙り込む。
布団の近くに腰を下ろし、白湯を盆ごと畳に置く。
「薬研に痛み止めを作ってもらった。飲め」
「そんなこと、しなくてよかったのに」
「いいから。せっかく薬研が作ったんだから、飲んでやれ」
拒否すると薬研に悪いだろう、と罪悪感を抱かせるような言い方は効果てきめんだった。
女は起き上がると、しぶしぶ薬を飲んだ。白湯を一気に飲み干し、盆に置く。
「……ご迷惑をおかけします」
「別に、問題ない。内番の担当は俺が適当に決めて、遠征の連中も予定通り見送った。あんたしか出来ない仕事はいまのところないから、ゆっくり休むといい」
現在の本丸の状況を伝えると、何故か女は歯がみする。
「そう……ですか。そうですね。わかりました……」
気落ちして肩を落とす理由が、わからない。
「あんた、どうしてこの流れで落ち込むんだ。休んで問題ないと言ってるんだぞ」
「……でも、休んでる余裕はありません。戦果を上げないと、私は……」
「新人の審神者にしちゃ上出来なほうだろ。無理することは――」
「でも、お姉ちゃんだったら!!」
俺の言葉をさえぎって、女が叫ぶ。いつも穏やかで、物静かな方の女が大声をあげたことに、たじろぐ。
女ははっとして口をつぐんだ。口元を手で覆って、俯く。しかし、言った言葉は取り消せないものだ。
「……姉?」
「いえ……なんでもありません。失言でした」
「なんでもあるから、今言ったんだろう」
「審神者になる前の話です。貴方には関係ない」
まくらをぎゅっと握りながら、搾り出すように呟いた。
俺と視線を合わせるのを拒否して、布団のなかにもぐりこむ。
「もう寝ます」
「その姉とやらが、写しの俺を選んだ理由なのか」
問いかけるも、頭まで布団をかぶる女は返事をしない。
やはり俺は、この女のことがわからない。すこしは言ってくれれば、頼ってくれればやりやすい。
――お前は下位互換だ、と、電話口で誰かに罵られていた時。俺を隣に立たせてやれば、言い返してやることも出来た。
震えた声でごめんなさい、なんて、惨めたらしく謝る必要なんてどこにもないはずなのだ。
誰と電話をして、誰に罵られていたかもしらないが。扉の前で会話を盗み聞きしてしまった俺の身にもなってほしい。
それを言ったらますます女は惨めになってしまうとわかっているから、口には出せないが。
「まあいいさ。俺はここにいるから、なにか用があれば話しかけてくれ」
「……貴方も仕事に戻ってほしいんですが」
「あんたを守るのが俺の仕事だ」
「……ま、そうですね。貴方は正しい」
きっぱり、事実を断言する。
「あんたが誰と誰を比較して、なにを考えてるかは知らんが。ここはあんたの本丸だ。俺たちにとっちゃ、それだけで十分だ」
「……」
「それだけは忘れてくれるなよ」
「知ってますよ、そんなこと」
力なく呟かれた声。
ぎこちなく布団を下ろし、目だけを露出させた。俺を見上げる。
「ありがとう」
「……別に。礼なんていいさ。これが仕事だ」
「仕事だって言うなら、手、握らせてください」
「手を握りながらあんたを守れって言うのか」
「ええ。国広の傑作なら余裕でしょう」
「……言ってくれる」
嫌味でもなく言われれば、断れなくなる。
布団から這い出た小さな指が、差し出した手を掴む。全体的に華奢で小作りな手だ。俺の手とはまるでちがう。
刀を振るうに相応しい身体つきで顕現する俺たちと違い、女は真っ向から人だ。人の腹から生まれてすこしずつ成長していく。
女の年齢の詳しいところは知らないが、まだ成長途中なのかもしれない。しかし育ち切ったとしても、俺のような身体にはならないだろう。
「写しの手を握って、楽しいのか?」
「楽しいから握ってるわけじゃありません」
じゃあ何故だ。と言おうとするより早く、女が目を閉じる。俺の手に頬をすり寄せて。
そのまますぐに寝息を立て始めるので、俺の疑問は行き場をなくして、胸のなかでぐるぐるとうごめいた。
女の考えていることはわからない。
人と刀だ。互いにわからなくて当然だ。
血の匂いの充満する部屋のなかで、俺は溜息を吐いた。
辛くなったら適当に窓を開けるなりして耐える気で居たが、手を握られていてはそれもかなわない。
俺たちを人の形たらしめる審神者。大切な主。その血。霊力の塊。
その匂いを間近に感じて、平静でいられるはずがないことを、きっとこの女は知らない。俺が、女が股ぐらから血を出すことを知らなかったように。
だから配慮が足りないとか、何を考えているんだと非難することは出来ない。そもそも、刀が人の血に興奮することを伝えないことにしたのは俺なのだから、怒る筋合いはどこにもない。
……まあ、時間はたっぷりあるはずだ。
すこしずつ知っていけばいい。
いつかはこの女の支え方も、わかるはずだ。
ひとまず、眉間のシワを解いて眠る寝顔を拝めただけで、いいだろう。
いまのところはそれでいい。そういうことにしておこう。
2019/09/10:久遠晶