双葉みたいに未成熟なぼくら

 土の中から若葉がそっと芽を出すように、あるいは生まれたての雛ができ損ないの翼を広げて飛び立つ練習をするように、気がつけばその感情はごくごく自然に私に寄り添っていた。
 誰かを思う気持ちはそれだけで尊いと昔の人は言った。その言葉に何度も励まされてきたけど、当の発言者は差別主義者だと知って打ちのめされたのは随分と昔の話だ。
 陽の光に当たらない植物がいつか腐ってドロドロになる。吐き出す宛のない気持ちがぐるぐると胸の中を渦巻いていく。

 暖かい日溜まりの中で、あの子が笑う。恋人の軽口に手を当てて肩を震わせる上品な彼女の、その白いうなじに目線が吸い寄せられるようになって、久しい。

「ミヤと佳奈ちゃんは相変わらずじゃのう」

 頭をぽんっと誰かに手を置かれた。井尾谷だ。
 井尾谷は細い目をさらに細めて、私を上から伺う。頭におかれた手は流れるように頬を滑り、そのまま私の肩を肘掛けがわりして腕をひっかけた。
 いきなり話しかけられてビックリした。でも本当はいきなりでもなんでもなくて、四人でいるときに私が勝手に物思いに耽っていただけだ。
 部活の休みが重なって、久々に四人で遊えるのに心が沈んでいたら意味がない。

「ほんとほんと。待宮って、顔もいいしトークも出来るし、向かうとこ敵なしだよなぁ~」
「あれさえなければの」
「あれさえなければね」

 示しあわせるように二人で声を潜めて笑う。呉の闘犬と恐れられる待宮の本性がレース以外で出ることはあまりないので、まぁ、荒い気性はたまにキズになるぐらいだ。
 なだめるように肩をぽんぽんと撫でられ、苦笑がこぼれる。気を使われている。ありがたいようで、気まずいようで。

「なんじゃ、。とうとうワシの魅力に気づいたか。井尾谷よりよっっぽどいい男じゃろ。惚れるなよ」
「あ? なんか言ったか? あん?」

 待宮の軽口に井尾谷が怒ったように返した。でも口元が緩んでいては威圧感もなにもない。
 一年間消失していた、昔のやり取りが出来るようになって嬉しいのは四人とものはずだ。

 待宮が佳奈ちゃんと別れたと聞いたときは驚いた。ショックだった。青天の霹靂だった。泣きじゃくる佳奈ちゃんを見て待宮への怒りが沸き上がった。
 インターハイに集中したいからだと思い当たるのにそう時間はかからなかったけど、私はその予感にあえて蓋をした。
 女だけの世界で、私が佳奈ちゃんを守る。男にトラウマの出来た佳奈ちゃんを包み込んで励ますうち、私を好きになってくれないかと汚い胸の内を隠した。
 待宮と井尾谷と佳奈ちゃんの幼馴染みトリオのなかに入り込んだ私という異物は、そういう――浅ましい人間だった。

 残念ながら佳奈ちゃんの気持ちが私に向くことはなかったし、佳奈ちゃんはいつまで経っても待宮が好きだった。外野の思惑なんて関係なく二人は元の鞘に収まった。待宮と佳奈ちゃん双方の努力と愛情が成せる技だ。
 世話をかけたなと待宮は私と井尾谷に言う。謝罪よりもこれからの佳奈ちゃんを全力で守りぬく意があった。
 世話をかけた、なんて。ヒドイ言葉だ。厚かましい。うぬぼれだ。私は最初から、待宮なんて考えていなかった。私にもワンチャンあるかも、そんな汚い気持ちで、傷心の佳奈ちゃんに寄り添っただけだ。

「おうおう、こんなやつが佳奈ちゃんの隣にいるとかあり得んわ。佳奈ちゃんワシにしとかんか~ミヤよりよっぽど大事にするぞ~」
「あははー遠慮しとく~」
「即答かい!」

 私が突っ込むと、三人がけたけた笑う。こういうやり取りが出来るのは、私と井尾谷が付き合っている――からだ。
 ――、ワシと付き合わんか。
 ――そのほうがミヤと佳奈ちゃんも安心じゃろ。
 井尾谷からの告白はロマンもなにもない言葉だったけど、私も同意した。だから付き合った。でも私は今でも佳奈ちゃんが好きで……井尾谷も私に惚れてはいないだろう。
 井尾谷が細い目をさらに細め、ときめきに頬を紅潮させるのは――親友を後ろから盗み見る、その瞬間だけなのだから。
 だから私と井尾谷はおんなじだ。言わなくたってわかる。おんなじだから。
 肩を抱いて密着していても、隣なんて見ていない。叶わぬ恋で繋がった、つまらない関係だ。

「こぅら井尾谷! 大事な彼女がしょぼくれとるぞ、ったく女心がわかっとらん男じゃのう」

 彼女? 誰が? 誰の? と首をかしげてから、私と井尾谷だと思い当たる。仮面夫婦みたいなものだから、人に言われるといまいち自分達のことだとわからない。

~井尾谷のこともっと怒ってもエエんじゃぞ~?」
「確かに今の言葉は悪いよなぁ、ウチもおもたわ」
「わ、私は、」
「怒ったれ怒ったれ」

 待宮がそう囃し立てる。彼氏彼女の関係では待宮のほうがよっぽど先輩だ。佳奈ちゃんも、我慢してるとろくな関係にならんよ、と、実感のともなったアドバイスをくれる。
 井尾谷はそんな二人にばつが悪そうに頭をかいた。難儀だ。

「私は、まぁ最終的にそばにいれたらいいかなって」
「っかーーー!! ここまで言わせてなにしとんじゃ井尾谷!つうか、それ相手が井尾谷じゃなかったらセフレ街道一直線じゃぞその考え改めろ」

 あっあっ待宮の優しさが辛い。井尾谷の心中を想像するとかなり泣きそう。
 私の肩を肘掛けがわりにしていた井尾谷が、ぐっと私の肩を抱き寄せる。その力が強い。

「こう見えてけっこー大事にしとるぜ。なぁ
「うーーーん…………」
「そこで長考せんでくれよ!?」
「あっこの前マリカーの裏技チート教えてくれたよね」
「いやいやいやもっと色々あったじゃろ! 荷物持ってやったりとか!」
「主に佳奈ちゃんの荷物ばっかり持ってたよなぁ~あのとき」
「それは佳奈ちゃんのほうが荷物多かったから」
「……ダメダメじゃな」
「ダメダメじゃんね」

 私と井尾谷のやりとりに、待宮と佳奈ちゃんが呆れた顔をした。
 井尾谷はうぐぐとうめき、ちゃんと大事にしとるって……と小さく呟く。井尾谷って目付き悪いくせに眉を下げると子犬みたいでかわいくて、ついつい困らせたくなってしまう。

「私は井尾谷のいいとこちゃんとわかってるからね」
「フォローになっとらんぞそれ……」

 井尾谷ががっくりと肩を落とす。その間も私の肩は離さないのだから、付き合ってますよアピールも大変だ。
 本当に大事にしたいのは私じゃないのにね。
 でも、私は、私だけは井尾谷の優しいところも、辛いところも、全部知ってるからね。わかってるからね。
 私だけは理解してあげたいのも、支えてあげたいのも本心だ。井尾谷はいいやつだから。
 待宮と佳奈ちゃんが復縁したとき、井尾谷は泣いて喜んだ。失恋の嘆きより先に友人の幸せを祝福できる優しい人がどうして報われないんだろうかと、待宮を見ているとたまに恨んでしまう。


   ***


 高校卒業して、進路は別々。寂しくなるねなんて笑っていたら、同居しないかと井尾谷に言われた。独り暮らしするつもりだったし、家賃半分になるならそれもありだなと納得して井尾谷とおなじアパートに住むことにした。
 井尾谷は待宮と進路が同じなんだからそっちと同居したらいいのに。と言ってみたけど、
「同じ家住んだら襲っちまわないか不安じゃ」
「あっはい」
 ため息混じりの言葉に、結構深刻な欲望が渦巻いてるんだなぁと納得した。
 私は佳奈ちゃんと抱き合ったり一緒にお風呂入ったり一緒のお布団で寝たりしたいけど、えっちなことをしたいかと言えば特にそういう気持ちはないので、井尾谷の言葉はなんか新鮮だ。
 男と女の違いなんだろうか。キスはしたいと思うけど、それもチュッとできればソレで満足だし。佳奈ちゃんがそれを、受け入れてさえくれれば。

「じゃから、お前と住むのが一番都合がいい」
「私なら襲う心配はないと。守備範囲外だと。なるほど。女として悲しんだほうがいい? でも、井尾谷は女はハナから圏外か」
「ワシ、ミヤ以外に惚れたことないからよくわからんけど、とりあえずお前だけは永久的に『ない』」
「悲しむべきなんだろうけど喜んどくね」

 私と井尾谷との仲に恋愛が永久的にないなら、ずっと友達で居られるってことだ。恋愛になってしまうことを恐れながら、様子をうかがいながら付き合わなくてすむ。
 本当は佳奈ちゃんと住みたかったけど、井尾谷との同居はこれはこれで快適だ。
 自分を偽らないで済むのって、すごく楽。


 皿洗いを終え、水道の蛇口を止める。リビングからごくろうさん、と井尾谷の労いが飛んできた。ソファを手で叩いて呼んでくるので、テレビに興味はないけど促されるままに隣に座る。
 井尾谷はごくごく自然に私の肩に腕を回した。私も、されるがまま井尾谷に体を預けた。無駄な脂肪のない筋肉のついた体はちょっと固いけど、互いのからだの凹凸がぴったりはまるような感じがする。
 井尾谷に体を預けるのが、ひどく自然でしっくりくる。体温で安心するのかもしれない。
 こういうスキンシップを、友達だけどできるっていうのは尊いことだと思う。
 私は恋愛運をお母さんのお腹のなかに置いてきてしまったけど、でも友達には最高に恵まれていると思う。井尾谷もそうだといいな。
 慰めにしかならないけど。

「今日の大学どうじゃった」
「ん。いつもどうり。……陸上部で新しくマネージャーになった子がさ~すっごいかわいくてさ~~~お人形さんみたいで、ちまっとしてて、守ってあげたくなる感じ」
「ほう」
「おっぱいでかいよ」
「そりゃええな」
「もうその子がかわいすぎて部活に彩りがすごい。やばい。自己ベスト更新できたの間違いなくその子のおかげ」
「惚れとるんか」

 言いづらいことをずばっと聞く男だ。うぐっと言葉につまる。言いたくなけりゃいわなくていいぞ、と肩に回された腕が優しく私の頭を撫でる。
 井尾谷に頭撫でられるのは結構好き。さらさらと指で鋤かれるのが気持ちいい。こいつの彼女は幸せもんだな。私だけど。

「……あの子の彼氏になる男は、幸せだと思う」
「ほーか」

 でもあの子の隣に立つのは私じゃない。私は選ばれない。
 この子の恋人は幸せだろうなぁと思って羨んで、それで終わってしまうのが私の恋だ。

「惚れてる惚れてないかって、あんま考えたくないよね。私が惚れたってむなしいだけじゃん。でも惚れたかどうか考えないようにしてる時点で惚れてるのかもね」
「同性愛も難儀じゃのう」
「井尾谷もそうじゃん」
「ワシャ別に女に興味ないわけじゃないぞ。たまには女の裸に興奮することもあるしな」
「まじでか」
「お前に興味はないから安心せい」

 知ってるって。知ってたら抱き寄せられたまんまじゃいられないって。
 あーあ。私が井尾谷とぐだぐだ世間話恋愛トークしてる間もあの子は意中の誰かにメールしたり電話したりしてるのかな。やっぱあの子に惚れちゃってるかもな。
 佳奈ちゃんは待宮とにゃんにゃんしてるのかなぁ。楽しくリビングで団欒する佳奈ちゃんと待宮を想像すると、幸せな光景なのに胸がずんと重くなった。
 ……だめだ、新しく好きな女の子が出来ようが出来まいが、とりあえず佳奈ちゃんのことをいまだに引きずってるのは間違いない。

「男に惚れられれば人生楽だったろうなぁ」
「それはホンマに思う。まともに女を好きになりたかった……恋愛となると違うんじゃ……」
「わ、か、る! それ! 友情と恋愛は違うよね!!」
「しっかしお前、自分が男に惚れることできても相手が自分に惚れるかはまた別の話じゃぞ」
「知ってる。けど、スタートラインには立てるじゃん」

 スタートラインに立てるってことは、勝負ができるってことだ。勝つ可能性があるってことだ。
 スタートラインにすら立たせてもらえずに、好きな子が知らない男を好きになっていく光景ばかり見ていたから、勝負の資格が得られるだけでもありがたい。
 ――が男じゃったら、ウチたぶん惚れてたなぁ。
 待宮に振られたあとの佳奈ちゃんに涙混じりに笑って言われたときには、結構傷ついた。胸とってくるんで私に惚れてくれませんかね。と言いたくなるのをこらえた。

「お前は戦う気があるんじゃなぁ」

 井尾谷がしみじみと言う。感心するようなことか。

「ワシはスタートラインに立てても、走れん気がするよ」

 さみしい声だった。テレビじゃなくて遠くを見つめる目はなにを考えてるんだろう。
 待宮のことかな。待宮はスポーツ万能だし女の子にモテるし、男としての上位種という感じだ。ああいうのがそばにいると自信なくしそうだなぁ。井尾谷も自転車早いのに、ソレ以上に待宮が早いもんだからイマイチかすんでいる気がする。

「井尾谷はすっごい魅力的な男の子だと思うよ? 恋人ごっこしてる私が保障する」

 井尾谷は口は悪いし扱いも悪いけど、でも大事な場面ではなんだかんだ助けてくれる。つらいときには黙って愚痴聞いてくれるし、アドバイスだってしてくれる。
 女好きの待宮が近くにいるからか扉だって先に開けてくれるし、道を歩くときは自然に歩道側を歩くよう誘導してくれる。細いけど筋肉あるし、待宮がいなけりゃそこそこモテてただろう。目付きが悪いのが難点かもしれないけど、見慣れればチャームポイントだ。……って思うのは、親友の贔屓目かな。

「スタートラインにさえたてれば、まわりの男なんてなんて瞬殺だよ。ケイデンスあげて恋のリザルト限界突破余裕だよ」
「自転車用語無理して使わんでエエって、それにそれフォローなっとらんから」
「あぐ……ゴメン」

 言われてからやっと、傷口に塩を塗りたくってることに気づいた。好きでスタートラインに立ってないわけでも、好きでスタートライン立てても走れないって言ってるわけでも、ないもんね。
 井尾谷はぐしぐしと乱暴に私の頭を撫で付けながら、もう片方の手でテーブルのグラスに麦茶を追加した。なにも言わなくても、私のコップにも麦茶を注いでくれる。
 イッキ飲みしてカーッと声をだすと、親父かと井尾谷が突っ込んだ。お行儀よく麦茶を飲み干す井尾谷の喉仏が何度も上下する様子を、なんとなく観察する。
 肩を抱かれて密着しているから、飲み込む音が私の耳まで届く。なんか面白い。井尾谷の胸に耳をつけるともっとよく響く。心臓の音も聞こえる。とくとくとく……。



 うたた寝の準備に入っていた私は、その言葉で顔をあげた。
 肩を抱かれた状態で井尾谷の方を向くと、当たり前だけど距離が近い。井尾谷の細目が視界に大きく広がる。

 どうしたの、というより先に、くちびるが触れた。
 井尾谷のくちびるはちゅっと触れたあとすぐに離れていく。あれ、私今キスされたの。
 誰から? 井尾谷? ……井尾谷? ま、まじか。

「なにか感じたか」
「え、いや……特に、なにも」

 しまった本音が出た。強いて言うならびびった。ビックリした。目玉落ちかけた。
 そう言うより先にまた井尾谷の顔が近づいてきた。おいおいおいおいおい。手つんのめってんのにどんどん私の肘が曲がって距離が近くなってく。ぐええ。
 あっ暖かい。私よりも薄いくちびるが、じっくりゆったり触れてくる。って、はぁ!?
 頭を撫でる手つきも、細い目も表情もいつも通りなのに、確実にいつもと違うことされてる。抵抗した方がいいの? これ?

「ワシもなんも感じん。お前と恋愛するのはありえんなぁやっぱり……」
「……。………。…………もしかして私、実験の道具にされた??」
「減るもんじゃないじゃろ」

 なんてことのないように井尾谷が言う。
 ちょっと待てよ。私の動揺を返してよ。いや、好きだって言われても困るけど。
 足を持ち上げて井尾谷を蹴り飛ばした。井尾谷は私の肩を抱いていようとするから、狭いソファのうえで攻防が始まる。お腹をげしげし蹴ると固い腹筋の感触がする。自転車って腹筋も必要らしいけどすごいなぁ。
 意図せず蹴りつける力が強くなった。かかとが脇腹に綺麗に入って、井尾谷が腹を押さえてうめく。
 しまった私自分が陸上部なの忘れてた。謝るべきか。いや、私は悪くないよね。

「減らないけど増えるよ!キスのカウントが!! 不本意だ!!」
「合意ってわけじゃないからカウントせんでいいんじゃないか……がふ、お前思いきり蹴ったな……」
「そういうもんじゃねー!! ファーストキスだったんだけど! 私!!」
「ワシもじゃ」
「はぁ!?」

 おもわずお腹を蹴る足が止まる。
 ソファーの上にあぐらをかいて私に向き直る井尾谷は、いたずらっぽく歯を見せて笑った。ほんのちょっぴり頬を染めて、照れたように頭を掻いて。

「お前ならくれてやってもええかなってさっき話してておもったんじゃ」
「そ、そんな軽々しい気持ちで私のファーストキスは奪われたっちゅーのかいな……横暴じゃ……」
「おっそろそろ方言が混じってきたな。もう何年もこっちおるもんなぁ」
「そりゃ方言の人と一緒に暮らしてたら移るよ……って話ごまかさないでよ。私ほんとにビックリしたんだけど」
「でも嫌じゃあなかったんじゃろ」
「いや、まぁ……はい。接触そのものには特になにも感じませんでしたけど……」

 なにも感じなかったということは嫌悪も感じなかったということなので、井尾谷の言葉は正しい。正しいけど、偉そうに言われるとカチンと来るな。
 私の望んだファーストキスの瞬間なんて永遠に訪れそうになかったけど、乙女心としてそういう問題じゃない。

「ワシもなんも感じんかった」

 胡座をかいて足の裏と裏を合わせた井尾谷は、親指で足をマッサージしながらくちびるを尖らせた。それはどういう意味の表情なんだ。
 井尾谷も私とのキス、嫌悪感もなければ嬉しくもなかったのかな。
 足の爪を見つめる井尾谷の頭に手を伸ばした。私よりも髪の毛がサラサラな気がする。井尾谷は頭撫でても怒らないでいてくれるから好きだ。前にそう言ったら動物にじゃれられてるようなもんだとか言われたなぁ。私も、さっきのキスは動物にじゃれられたようなものと思うべきなのか。
 井尾谷が顔をあげる。その顎をすくって身を寄せた。
 くちびるにくちびるでそっと触れる。
 柔らかい。暖かい。くちびるの感触はマシュマロみたいだって聞いたことあるけど、明らかにそれよりも柔らかい。体験したことのない感触だ。

 はじめて……。はじめてのキスは、女の子とのキスを夢想していた。
 お姫さまみたいに可憐で小さくてかわいくて、おもわず守ってあげたくなるような女の子。白いお肌に赤いほっぺの女の子をぎゅって抱き締めて、夕焼けと海をバックに、優しくチュッとしてあげたかった。
 くちびるを離したあと、いやだった? と私が聞く。一拍の間のあとに、いいや、と女の子が言う。いいよ。なら。が相手なら……。恥じらってうつむく女の子の頬に手を添えて、もう一度キスする。――ありえるはずのない、夢の話だ。

 つまんないテレビCMをBGMに、代わり映えしない自宅の中で、男相手に、キスになにか感じたか感じないかとか話ながら行う気なんて――サラサラなかった。
 何でこんなことしてんだろ。いきなり変なことしてきた井尾谷のせいだ。何時も通りの表情が小憎たらしい。

「……ごめん、ちょっとドキドキするかも」
「ワシもじゃ。やっぱ妙に緊張しちまうのう」

 二人してぷっと吹き出して、ごまかすように声を出して笑う。いつもの調子を取り戻そうと肩を抱きあってバンバンソファを叩いた。

「あーもうだめ。私寝るわ。井尾谷ソファで寝てよ、お前になら童貞やってもいいとか言われて処女奪われたあげくに『なにも感じなかった』とか言われたらさすがに私警察行くわ」
「そこまではせんって!! つかお前に勃たんて!!」
「そういうことでかい声で言わないでよ!」
「……スマン。けどソファーで寝んのは勘弁してくれ、今月レースなんじゃって」

 レース前にこんなことするなよ……。と思ったけど、言わないでおいて上げた。
 ベッドの真ん中を陣取ると、井尾谷が恐る恐る近づいてきた。もそもそベッドに座って、掛け布団をめくる。背中を向けているし部屋の電気は消してるからわからないけど、入っていいか探ってるんだろうなぁ。
 ああもう、かわいいなって思っちゃうのは親友の弱味なのか? ふふっと笑いがもれちゃったから私の負け。

「説得力ないのはわかっとるが、なんもせんから」
「……わかってるよ、もう! ほらおいで」

 ベッドの端によって掛け布団をめくって誘う。井尾谷は心底ほっとしたように息を吐いて、空いたスペースに入り込んだ。
 首の下に腕をねじ込まれて、いつものように抱き締められる。ちょちょ、そこまで許すつもりはなかったんだけど。
 まぁいいか。
 同居を始めたときから、自然とふたりで寝るようになった。人の体温はあたたかくて、独り身確定の身に染みる。狭いベッドのなかで身を寄せあうと、自分の居場所が出来たような気がした。
 それは単なる傷の舐めあいなのかもしれない。でも私が本心を出せるのは井尾谷の前だけだし、井尾谷もたぶん私の前だけだろう。

「私と井尾谷がほんとに恋人同士になれれば、全部丸く収まるのにねぇ」
「世の中うまくは回らんよなぁ」
「かなしいねー」

 布団の中で足を絡ませながらクスクス笑いあう。私たちは恋人同士にはなれないかわりに、永遠の友情が確定している。それは決して絶望じゃなくて、むしろ希望に満ち溢れていると思う。
 付き合えても別れてしまえば終わりなんだから、だったら女友達としてほどよく仲良くいる方がいい。失恋の度そう心を慰めたけど、井尾谷との関係に対しては本心でそう思う。
 ドキドキもしなければ苦しさもない。井尾谷の体温に安心しながら目を閉じた。

 大学のあの子は今頃意中の誰かと電話しているんだろうか。佳奈ちゃんは待宮と一緒だろうか。想像すると深く落ち込むけれど、それでもなんとか浮上は出来るだろう。井尾谷を抱き締め返しながら、これはこれで悪くない関係だと改めて思った。
 私の恋心はこれからも胸のなかで腐り果てていくだろうけれど、井尾谷との友情はすくすく育っていくだろう。
 明日は雨でも、明後日はきっと晴れるかな。





2015/07/26:久遠晶
この下はあとがき




 前々から書きたかった片思いBL/GL混在の夢です!!
 無自覚に女性に恋していた女夢主との話はエドガー夢で一度書きましたが、片思いBLのほうははじめてだったので楽しかったです。
 でも、夢主の一人称なのもあって!あんまり井尾谷が待宮に片思いしてる感が出てませんね。

 永遠に届かない、秘め続けなければならない恋の秘密を共有する……というシチュエーションが好きなのですよ。なのでBLGLに限らず、兄弟姉妹に恋をしてしまった……と言うのも好きです。で、それを隠していたのに、ある日ノンケの第三者に看破されて、でも相手は軽蔑せずに黙っててくれて、それがきっかけで二人の友情は深まって(あるいは片方が一方的になつく)…………みたいな。さいこうですよね?!
もっと言うとざっくり片思いをそれなりに応援しつつ静観してくれる友人ポジがね~~~そもそも好きなんですよ~~~。
そしてこの片思いBLGL+夢要素!!これを夢でやるのが最高なんですよ…………!!!!
この話は井尾谷と夢子がそれぞれ同性に恋をしているので、『永遠の片思いの秘密を共有してくれるノンケと、恋の当事者』萌えとは逸れるんですけど、同じ秘密をもつ者同士が寄り添うのも萌えますよね。

 本当はこの話、井尾谷が好きなのが待宮なのか、本当は夢子が好きなのかわからないように書こうと思ってたんですけど、わりと普通に夢子とは友情っぽいですね。

 当初はどっちかの実家(恋人紹介住み)の軒下でお月さまを眺めてたら井尾谷が夢子にキスして
「ワシにこうされるのは嫌か」「嫌だったらもうせん」
「別になにも感じないよ」喜びもないし不快感もない。でも逆にそれってすごいことだ。惚れてもないのに、井尾谷にされるならなんでも許せる。
 でもう一度井尾谷がキスして、そのまま畳に押し倒されて、井尾谷の目がいつもと違ってて、獣みたいなんだけど、まぁ井尾谷なら食べられてもいいかな。知らない人に無理矢理されるぐらいなら、井尾谷のほうが嫌じゃない……。「井尾谷は待宮のことが好きなんだと思ってた」「……昔の話じゃ。いまは――」

「いまは最後にそばに居れるだけで、ええ」

 それって待宮のそばに?私のそばに?
 どちらにせよ言わせるのは酷だと思って、私は黙って捕食の瞬間に目を閉じた。
 屋根を叩き始めるあめの音が、軒下だと嫌に耳についた。

(暗転)(完)


 み、みたいなのにする予定でした。
 牧原さんの「軒下のモンスター」って曲を軽く連想できるものにしたかったんですよね(同性愛について歌った物悲しいまじめな歌なのですが、いい曲なのでおすすめです。歌詞が泣けるんだこれが……)


 この終わりかたが、まさか井尾谷が何となくでキスしちゃった!てへ!みたいになると誰が想像できただろう。
 でも、井尾谷も井尾谷なりに悩んでたとは思うんですよね。
 説明する機会がなかったんですが、井尾谷は女の子よりも男の方にいいなぁと思うことが多くて、でも女の子が嫌いなわけじゃないんだけど、女の子に恋する機会がなかった……みたいな感じです。
 女の子相手は気を使うけどその点は男とは自然体で居られるから、それなら男といた方が楽しい。だから女の子に恋したことはないけど、肉体に興味がないわけじゃない。うっすらとはある。
 んで、待宮のことはガチで好きなので、たぶん自分は同性愛者なのかな??でも待宮以外の野郎の体に性的興味がわくかっていうと……ま、まぁそれなりに。でもそれ言ったら女の子の体にもそれなりに興味あるよ……みたいな。
 たぶん(やや)男性寄りの両性愛者なんだけど、そもそも性的興味が薄いのであまり恋をしない。でもその分惚れた相手(待宮)には強烈に惹かれる。みたいな。
夢子が「とりあえず『その気になれば男も女もどっちも行けるけど、いまんとこ待宮以外には興味ありません』でいいんじゃないの」と言うので、「確かにそれで問題ないな」と納得する井尾谷。
 ……という会話が、この話の空白の間にあった。たぶん。

 夢主の方は完全に同性愛者で、子供の頃から女の子にばかり視線を奪われてたんだけど、ある日それが世間では『おかしいこと』であると気づいて……みたいな感じです。何事もさっくりしていてあとに引かない、やや男性的な性格のつもりなんですけど、内面描写をどろどろ書いてしまって、なんだかなぁと反省してます。さっくりこざっぱりした内面描写とか書けない……!

 夢子は完全な同性愛者と書きましたが、それは現状の話で、もしかしたら今後男性をいいなと思うときもあるかもしれないし、ないかもしれないです。夢豚的にはこのまま井尾谷と永遠の友情築いても、井尾谷への恋に気づいてしまって『男に惚れたら人生楽だと思ってたけど、相手がホモじゃあなんの意味もないじゃないかああああ』と頭を抱えるのもどっちも楽しいです。
 一人称視点のいいところは視点キャラ以外がどう思ってるかはっきりとはわからないとこだと思います。ので、井尾谷が夢子に惚れててもどっちでもおいしい!


 既存男性キャラと捏造女性キャラ(あるいは自分)との恋愛が主たるないようになる夢小説ジャンルにおいて、そこにBLやGLを混ぜるのって確実に誰かの地雷だとは思うんですけど、好きです。
 同性に恋をしている彼/彼女らが、じゃあ夢主と絡んだらどうなるか……あるいは同性に恋をしている彼/彼女に、ノンケの既存キャラが絡んだらどうなるか。そういうのを楽しみたいんです。

 井尾谷と待宮と佳奈ちゃんの関係が絶好きなので(半分以上妄想だけど…えへ)、そこに夢主が混ざれば夢豚歓喜だし、そこに色恋が混ざれば言うことなし。それが秘めた恋であればしっちゃかめっちゃかで最高。そんな感じです。
 好きなシチュと関係なので、これの井尾谷視点や、夢子は同性愛で井尾谷はノンケなどの差分ネタも色々書きたいなぁ。
 夢にBLGLを混ぜるのは賛否ありますし、怒られないか不安なところでありますが、やっぱり好きです!!!!!

 はぁあとがき長すぎるな!?慣れないことはするもんじゃないですね。
 でもとにかくこのシチュいいよねって言いたかったんです………。

 ここまで読んでくださってありがとうございました!ちょっとでもたのしんでもらえたらいいなっ。