隣の席の無口くん
高校三年生になって、はじめて青八木くんと会話した。
クラスの席替えで、机と椅子をもって移動した先に青八木くんが居たからで、別にたいしたやりとりじゃない。
「隣の席だね、よろしくね」
笑いかけると、青八木くんはじろりと私を一瞥して、机の向きを整え始めた。
無視されちゃったなぁと思いながら、私はごまかすように愛想笑いを浮かべる。
クラス替えは毎年あるけど、青八木くんとは奇跡的に三連続でおなじクラスだ。でも、青八木くんが誰かと話しているところをろくに見たことがない。
隣のクラスの手嶋くんとは仲がいいみたいだけど、彼以外に友達いるのかな。
一年生の頃、常に自分の席でじっとしている様子を見ていじめられているのかと不安になったのは記憶に新しい。
でも別に避けられているとか嫌われているとかじゃなくて、避けているのでも人を嫌っているのでもなくて、ただただ無口なだけなんだと、遠巻きに眺めながら気づいた。
席の移動が完了して、ロングHRは別の要件へと移る。
実行委員の班決めだなんだ、っていうのは、興味のない人間からすれば退屈なものだ。だんだん眠くなってきて船を漕いでいると、横からボソボソとした呟きが聞こえた。
「……しく」
「え?」
思わず隣の青八木くんを見る。青八木くんはビックリした顔で私を見つめた。無言。しまった、聞き間違いか、あるいは独り言だったのか。対応に困っていると、青八木くんはふいと目をそらした。
困らせてしまったかな。
「よろしく」
「へっ」
「……一ヶ月」
「あっ、あぁ……うん。よろしくね」
一ヶ月っていうのは、次の席替えまでの期間だ。さっきの返事だと気づいて、あわてて頷く。時計を見れば席替えからは30分近く経っていた。すぐに思い至れなかったのは仕方ないと思いたい。
黒板に向かう青八木はむっとくちびるをもちあげ、照れたように頬をちょっぴり染めていた。
口下手なだけなのかな。
無言で照れる様子がかわいくて思わず吹き出してしまう。よろしくね、と改めて言うと、うん、と青八木くんが頷いた。
それが――青八木くんとのささやかではじめての会話だ。
***
お弁当食べると、どうして眠くなるんだろう。新しい席は窓際の列の黒板側だからお日さまがぽかぽか当たって気持ちいい。うつらうつら船を漕いでいた私は、耐えきれずに机に突っ伏してしまった。腕を枕にお日さまのぬくもりを感受する。
う~んぬくぬく……。
しあわせ……。
……。
「無口センパーイ!!」
叫び声と共にガラガラガラと教室の扉が開く音がした。うわ、びっくりした。
眠気が半ば冷めつつ、まぶたは重くて身動きはできない。誰だよ大声だしたの。うるさいなぁ。
バタバタとした足音がすぐそばまで来る気配がする。
「無口センパイ、おったおった。パーマセンパイにこれ渡してくれません?部活休む届け! 明日弟が授業参観なの隠しとって!親仕事なんで、アニキのワイぐらいは顔だしてやりたいんですわ」
「鳴子。静かにしろ……が起きる」
「ァ? あっ、すんません」
こくん、と青八木くんがうなずく気配。
大きな声でやってきた男の子が、あわてて息をひそめた。
青八木くんは「横で寝てるやついるのわかるだろ」とすこし不機嫌そうだけど、そんなに気にしなくていいよ。そう呼び掛けようとしたけど力が入らなくてむにゃむにゃした寝言みたいになってしまった。
「……爆睡してはりますなこの人。起きなくてよかった」
こくん、とまた青八木くんがうなずく気配。
「ほな、無口センパイたのんましたで。パーマセンパイが見つからんかったんすわ」
「わかった、預かる」
会話から察するに部活の後輩なのかな。気さくなしゃべり方と関西弁は、耳に心地いい楽しげな響きがある。
……うん? いま、この子何て言った? 無口、センパイ?それって青八木くんのこと……?
「じゃ、ワイはこれで失礼しますぅ」
「ぶふーーっ!!」
「おわっ!? なんやなんや!?」
「ぷ、うふっ、うくくく……!!」
机に突っ伏したままこらえきれずに笑ってしまう。口を腕に押し付けて声を殺そうとしても、机がガタガタ揺れては意味がない。
「あーはっはっ! 無、無口センパイ、って青八木くんのことか! す、すっごいあだな……!!」
「……なんかワイ面白いこと言いましたか?」
腹を抱えて笑う私に、後輩くんと青八木くんが顔を見合わせて戸惑う。その反応にまた笑ってしまう。かわいい。
「ごめんね、あんまりぴったりだなって思ったもんだから。悪い意味じゃないのよ、許してね、うふ、うふふふ」
「……寝ぼけてるのか。起こしてすまん」
「起きちゃったけど、起きてよかった、あー面白。無口……無口センパイ……いや、センスいいねきみ!」
「お、おお……おーきに!」
親指立てあって後輩くんと意思疏通する。髪が赤くて不良くんぽいけど、なかなか愛嬌のある子だ。
さっきまで困惑していたのに、いまはもうノリノリになっている。
「センスええな、センパイ!」
「いやいやきみのセンスがね……わたしも青八木くんのこと無口くんって呼ぼうかなぁ。ふふ……」
ちらりと青八木くんを見ると、彼はむすっと眉根を寄せていた。もともと眉毛が薄くて三白眼の分、不機嫌そうな表情に迫力がある。
しまった、怒らせちゃったか。そりゃ、仲のいい後輩ならともかく、単なるクラスメイトに変なあだ名つけられたくないよね。調子にのってしまった。
赤髪の後輩くんは「ワイのつけたあだ名使うなら著作権使用料必要やで」とかなんとかいって笑っている。私は、青八木くんが気が気でならず、慌ててごめんね、と呟いた。
「冗談で、ほんとに呼ぶ気はないよ。嫌な思いさせてたらごめん」
「いいよ」
「うん……ごめんね……え?」
「なら、べつに」
くちびるをとがらせて、青八木くんがポツリと言う。そっけない返事が、どうにでもしてくれという諦めなのか、ほんとに受け入れているのかわからず、反応できない。
「本人が許可くれたで、安心してつこえるなセンパイ」
「え、でも」
「無口センパイ全然しゃべらんけど、嫌なことははっきり言うタイプやで」
「そ、そうなの?」
後輩くんにたずねると、青八木くんはこくりとうなずいた。確かに本気でいやがっているようには思えない。……気がする。表情も一定だから、わかりづらいんだ。仲良くなればわかるんだろうか。
「えーと、む、無口くん?」
「……なに、」
おぉ、返事が来た……!!
なんだか感動してしまう。三年間同じクラスだったのに、はじめて会話した相手だ。それは話をする機会がなかったからだけど、きっかけさえあればこうして話せるものなのか。
マジマジ青八木くんを見つめていると、気恥ずかしかったのか青八木くんは視線をそらしてプイと前を向いてしまった。
タイミングよく予鈴のチャイムが鳴る。やば、と後輩くんが顔色を変え、あわてて教室を出ていく。
ほなさいなら! と言う声は、教室を入ってきた時と同じぐらい早い。
「風みたいな子だなぁ」
「……鳴子はスプリンターだから」
青八木くんが言う。独り言のような穏やかさで言うので、私の呟きへの返答だとわからずに反応に間が空いてしまった。
スプリンター、って短距離走の選手って意味だっけ。質問するのも悪いかなって思って、よくわからないままなるほどぉとうなずく。たくさん話させていいのかなって、遠慮があるのだ。
なるこくん。後輩くんはなるこくんと言うのか。名は体を表すって感じだ。きっと彼のクラスは賑やかなんだろうなぁ。彼が中心となって明るい雰囲気に包まれているクラスを、自然に想像できる男の子だった。ろくに話していないけどそう思う。
このクラスはどちらかと言うとおとなしめの人が集まっているので、騒がしくもなければ賑やかさもない。でも暗い訳じゃないので気に入っているけれど、鳴子くんみたいなタイプがいるクラスはちょっと羨ましいかも。
「おい、青八木ィ! じ、辞書貸してくんね!? 俺家に持ち帰ったの忘れててさ」
「……」
「おう、ありがとよ。すぐ返すから。あ、これ鳴子から? あぁ弟くんの授業参観なのか」
隣のクラスの手嶋くんが授業ギリギリに駆け込んでくるなり、青八木くんに辞書をねだった。
部活の欠席届けを差し出してうなずく青八木くんに、手嶋くんは一人で納得してしゃべっている。青八木くんは一言もしゃべってないのに、完璧に意思疏通できてるのがすごい。
思わず二人を見つめていると、気づいた手嶋くんがよぉ、と手をあげた。手嶋くんとは二年の時同じクラスだったので面識がある。
「青八木と、隣の席になったのか」
「うん。静かそうな席で居眠りがはかどってるよ」
「こらこら。……と、そろそろマジで授業はじまる。じゃ行くわ青八木。も午後寝るなよ~」
青八木くんから辞書を受け取った手嶋くんが、慌てて自分のクラスへと戻っていく。
「手嶋くん、エスパーかなにか? 通じあってるって感じだね」
「オレたちはチームだから……」
「なるほど」
わかったようにうなずきつつ、チームだからってあそこまで意思を交わせるものだろうかと首をかしげる。手嶋くんと青八木くんがことさらすごい気がする。信頼、って言うのが二人の雰囲気からにじむ出てるよね。
チームのみんなとはあんな調子なんだろうか。
青八木くんとはまったく喋ったことがなかったので、性格もなにも知らない。でも、案外面白い人なのかもしれない。
青八木くんと隣の席になったとき、正直ちゃんと会話できるか不安だった。けどまぁ案外、この席は退屈しなさそうだ。
2015/07/29:久遠晶