お礼のしかた
地元で開催されていた自転車レースを観に行ったのは、本当に何となくだった。気が向いただけだ。特に興味もないままに眺めていたゴール前、一位でラインを越えた彼が両手をあげて雄叫びをあげる。レースが云々よりも、その事に驚いた。
「福富くん、あんな風に叫んだりするひとだったんだ」
私はそのことがただただ意外だった。
クラスで見かける福富くんは無口で無表情で、取っつきづらい人だ。自転車部の人と話してるところを見かけるけれど、その時でもむっつりしていて、不機嫌かどうか判断に迷う。
鉄面皮と噂される福富くんだったから、目の前で拳を掲げて勝利を喜ぶ福富くんとイメージが重ならない。でも、優勝したんだから喜ぶのは当然だ。
単なる通行人の私だって、胸が熱くなったのだから。
***
「福富くん、優勝おめでとう。私見てたよ」
「……ム」
次の日、朝練を終えて教室に入ってきた福富くんにそう声を掛けた。
福富くんは軽く唸りながら自分の席に座る。私の隣。一か月間の隣人だ。
「福富くんもあんな風に喜ぶんだね。うおーって。レースすごかったねえ」
「……俺をロボットかなにかと勘違いしていないか、は」
福富くんがすこし、呆れたように言った。
普段通りの仏頂面なものだから、私の茶化した言い方がいやだったかなと心配になる。
だけどまあ、いつも通りだから大丈夫かな。と、考える私は楽観的だろうか。
そりゃあ、福富くんだって人間だから、喜ぶこともあれば苛立つこともあるはずだ。
自転車部の次期エースで期待されていて一目おかれているけれど。でも。
「インターハイ出場が決まったんだ。喜びもする」
「……え? 出るの? 今年?」
「ああ」
「二年生なのに? それってすごくない!?」
「めったにないこと。光栄なことだ」
「ええーーっ!! なんでそんなにサラッと言えるの!?」
私は思わず立ち上がる。HRの時間が迫り、がやがやと騒がしい教室を見渡す。
「ちょ、ちょっと! みんな聞いて! 福富くん!! インターハイ出るんだって!! 今年!!」
「えっマジ!?」
「次期主将とは聞いてたけど!?」
クラスメイトがすぐに福富くんに輪を作る。
福富くんは仏頂面を崩さないけど、少し驚いたようだった。
「クラスでも行ってらっしゃいのパーティしないとね! あ、でも自転車部でもやる? 迷惑かな?」
「いや……迷惑、ではないが」
クラスメイトと私の勢いに気圧されているようだった。
私はやっぱり、福富くんも驚くことあるんだなと、意外だった。
驚いているのに表情変えないなんて、面白い。私はぷっと吹き出した。
***
自転車部の広島インターハイを観に行ったのは、色々とタイミングが重なったからだった。
家族で広島に旅行に行った。日程と行先がインターハイと重なっていて、そこにクラスメイトが出るなら見学しない道理はない。
全日、全レースを追いかけることはできないけど、二日目のゴールぐらいは見届けられる。
歓声のなか、真っ先に福富くんがゴールラインを抜けていく。私は高揚するより先に、違和感に首をかしげた。
インターハイという晴れ舞台での一位。優勝。それなのに福富くんは拳を掲げることも叫ぶこともなく、ただ無言でうつむいていた。肩で息をして、よろけそうになりながら自転車から降りる。
まるで負けたときみたいに。
どうしてそんな納得いかない顔をしているのかわからない。
三年生を押し退けて優勝したのに。どうしてそんな顔をするんだろう。
夏休み明け、当然だけど福富くんはみんなから盛大な拍手と共に称賛された。
だけど私は、一位を獲ったときの福富くんの表情が気になって、でも友達ですらないクラスメイトになにかいわれても困るだけかなと思って、おめでとうと言うのもためらった。
***
「」
ある日の放課後、福富くんが図書室にやってきた。
図書委員の私は、声をかけられて顔を上げる。
「こんにちは」
「探したい本があるんだが」
「うん」
なんてタイトルかと聞くと、福富くんは首を振る。
ためらったのちに、
「謝罪のしかたが載ってる本を探している」と、歯切れ悪くそう言った。
「…なにか、謝ることがあるの?」
思わず聞いてしまった。福富くんは「いや」と首を振ったけれど、それは否定ではなく聞かないでくれと言う懇願に思えた。
「んと、ビジネス書コーナーかなあ。探すから待っててね」
「頼む」
福富くんは本棚に向かう私を見送り、読書用の席に座った。
ビジネス書コーナーの棚を探して、よさそうな本をみつくろう。
窓の外で、しとしとと雨が降っている。
雨でも自転車部は部活があるはずだ。
次期主将の福富くんがこんなところで油を売ってていいんだろうか。
図書室のなかには誰もいないから、雨の音がイヤに耳につく。気まずい。
「……インハイ、優勝したんだよね」
「あぁ」
「おめでとう。楽しかった?」
「……あぁ」
返答には間があった。絞り出すような相槌に、私は二日目のゴールを思い出す。
最近の福富くんにはいつもの精細がない。インハイ以降、目の下にくまができてるんだ。誰も気づかないのが不思議だ。
謝罪のしかたの本を探す理由に、あのインハイは関係あるのかな。私に聞けるはずはないし、結局好奇心になってしまうから、私はぼんやりと考えるのに留める。
マナー本をいくつかみつくろってみる。戻ると、福富くんが机に突っ伏して寝ていた。
そりゃ、疲れているよね。いつも部活だし、最近寝不足なんだと思うし。
マナー本を傍らにそっと置いて、私も自分の席へと戻る。
貸し出しカードを整理する仕事に戻った。
福富くんが起きたのは30分後だった。
「…寝ていたのか、俺は」
「ごめんなさい、よく寝ていたようだから」
「いや、構わない。ここのところ疲れていたからな」
福富くんのため息が揺れる。机に置いた本に気が付いた。
「見繕ってくれたのか」
「うん。そういうのでよかった?」
「ああ。礼を言う」
「いいえ」
私はにこりと笑って、首を振った。
***
そんな会話をしたのがもう一年になるのかと思うと感慨深い。地元開催だからとインハイを観に行ったのはなんとなくだ。
二日目のゴールに向かって福富くんが走る。
一位を取って雄叫びをあげる彼をみて、ああ吹っ切れたのかと、なにに囚われていたのかもわからないままぼんやり思った。
ある日の放課後、福富くんが図書室にやってきた。
お互い受験生だ。部活がある時間帯にやってきても、今回は不思議じゃない。
――と思ったのだけど。
「謝礼をしたい」
彼は入ってくるなり、カウンターに座る私にそう言った。
思わず面食らってしまう。
「……あぁ、今度はお礼の本ですか?待っててね」
「いや、本ではない。お前にだ」
「へ?」
「去年世話になったからな。……マナー本を読んで出直せと言うなら、そうする」
いや、言わないけど…。
大真面目な物言いに吹き出すと、「ム」と彼は小さく唸った。
「いったいどうしたの? 去年世話になったって、誰かと間違えてない?」
「いや、お前だ。去年……ここで本を探してもらった」
「ああ、そんなこともあったよね。それで謝礼? なんで? 図書委員だし当たり前だし」
「いや……」
福富くんは歯切れ悪い。
そのときばかっ、とどこからか声がした。
思わず声のしたほうを向くと、机で勉強をしていた新開くんがこちらをちらちらと気にしている。
……なに? いったい。
「……もう部活は引退した。受験勉強に集中するときだとはわかっているが」
「うん。そうだね」
「謝礼がしたい」
「……福富くん、いまいち話が見えないんだけど……」
うそだ。なんとなく察しはついた。それでも、確信をもちたくてわからないふりをしてしまう。
「遊びに誘っているんだが」
やや緊張気味の福富くんの声には、それでも去年のこの時期にはなかった余裕がある。
私は嬉しくなってしまって、何も考えずに頷いてしまっていた。
2016/11/18:久遠晶