率直さ
「って男遊び激しいってマジ?」
扉を開けようとした瞬間、その手が止まった。
な……なんでそういう話になってんの。意味わかんないんだけど。
教室から聞こえるクラスメイトの会話に心のなかで毒づく。
「マジマジ。あいつ、夜に街行くと結構見かけるし。夜まで出歩いてんだよな」
そりゃ、バイトしてるからね。うちの家は貧乏で、寮に入るお金がないから。奨学金とバイト代でやりくりしないと、生活できない。
「この前なんか、小汚ないオヤジと腕くんで歩いてたし」
「うわそれはガチだわ」
それは田舎から会いに来てくれた私の父だ!
小汚ない……小汚ない。工場で働く私の父は一番の自慢だけど、端から見れば小汚ないオヤジなんだろうか。
バカじゃないのあんたたちと怒鳴り込みたいのに、喉が握りつぶされたようになって声がでない。
「ってことは成績いいのもカンニングかなぁ」
「かもしんねぇよなー」
大爆笑。床がグニャリと歪んだような気分だ。クラスメイトたちの言葉は認識できても意味がわからない。
男子の心ない言葉って、女の子のそれとは違う箇所をえぐってくれる。
カンニングとかなんとか、それはどうでもいいけど、父をバカにされたのは許せない。
息を吸って、吐いて。私は毅然として言い返してやるために、教室の扉に手をかけた。
「お前たちには」
お腹に染み渡るような低い声が、笑いを裂いて凛と響いた。思わず、扉を開けようとした手が止まる。
しん…という余韻がその場に残る。クラスメイトの雑談は止まり、沈黙が下りた。
扉の小窓からちらりと教室を覗き込むと、真ん中の席を陣取るクラスメイトたちの背中が見える。窓側の席に座る福富の横顔は、彼らを静かに睨んでいた。
福富は手にもった参考書をパタリと閉じる。
「お前たちには、がそういうふうに見えるのか」
問いかける福富の目には迷いがない。
「俺はクラスメイトでしかないが、がそんないい加減なやつだと思ったことはない」
言葉をひとつひとつねじこむように言って、そこで福富はクラスメイトから視線をはずした。見つめるのは、前方の空席――荒北の席だ。
「は周囲をよく見ている。真面目な女だ」
「べ、別に……単なる冗談だよ。なにムキになってんだよ」
怯んだクラスメイトが、ばつが悪そうにぶつぶつ言う。
居心地悪くなったのか、彼らはガタガタと椅子を鳴らして立ち上がった。
隠れる暇もなく、教室を出る彼らと思いきり鉢合わせする。クラスメイトたちは私と目が合うとぎょっとして、すぐに視線をそらしてそそくさと廊下を歩いていった。
沈黙。
福富のほうをみやると、彼はまた参考書を開いていた。
「あ、あの……教室、入っていい?」
何を言えばわからず訪ねると、彼はまたちらりと私のほうを見て頷いた。
「お前のクラスでもある」
その言い回しに苦笑した。クラス全体と仲がいいと自負しているけれど、福富は口数が少なくてちょっと苦手だ。だからこそ、そんな彼が私をかばってくれたことが意外で、感動してもいるのだけど。
そう、感動だ。彼の言葉は私の心を揺らして、鈴の音を転がしている。
「お前は強い」
突然福富がそう言った。慌てぎみの声は励ましのつもりだろうか。泣くと思ったのだろうか。私が。
今泣きそうになっているのは傷ついたからじゃなくて、感動でだというのに。
フッと笑えてきた。張りつめた気持ちが、少しだけ緩む。
「福富あんがと。なんか、分かって貰えたって感じで嬉しかった」
「お前が悪く言われているのが耐えられなかっただけだ。気にするな」
飾り気のない言葉は、だからこそ率直に胸を打つ。ドキッとしてしまって、思わず顔をそらした。
福富は相変わらずの鉄仮面なのにさ。どうして格好良く見えちゃうんだろ!
目の前のクラスメイトに、私はどうお礼ができるだろう。とりあえず次のレース、応援しにいってやろうと決めたのだった。
2016/11/18:久遠晶