チョコレート


「ほれ」

 目の前に差し出された黒い箱に、私は首をかしげた。
 とりあえず受け取る。
 なめらかな手触りとシックな色のリボンが高級だ。

「なにこれ?」
「ホワイトデー」

 井尾谷が端的に言う。そう言えば先月チョコあげたっけ。

「一応返さんわけにもいけんじゃろ」

 気を使わせてしまったらしい
 よく見れば箱に印字されたロゴは、ちゃんとしたお菓子屋のものだ。
 お菓子屋にサイクルジャージ姿で並ぶ井尾谷を想像して、ちょっと笑えてしまう。同時に申し訳なくもなる。

「ごめんね、高かったでしょ」
「あのチョコうまかったけえ、当然じゃ」

 井尾谷が言う。バレンタインに渡したチョコのことだ。

「アイツはもったいないことした」

 真面目な目だった。
 慰めもなければ茶化すこともない。ありがたくもあり、申し訳なくなる。
 心にずしんと重みが増す。

「その節はありがと」

 声が震えかけた。
 バレンタイン当日、好きな人にチョコを渡そうとして断られた。フラれた。
 泣きながら帰路についているところに井尾谷が通りかかって、宙ぶらりんになったチョコを押し付けた。
 まだ、あれから一か月しか経っていない。

 ――ごめん、井尾谷、なにも言わずにこれ受け取って。
 ――え、お、おい。……わかった。ありがとな。

 突然、泣いてるクラスメイトにチョコを渡されて、彼も戸惑っただろう。
 それでも黙って受け取ってくれて、そのあとも変わらない態度でいてくれた井尾谷には感謝しかない。

「おかげさまで、もう平気」
「本気でうまかった」

 井尾谷は真剣な顔で、同じことを言う。
 励ましのつもりなのかもしれない。だけど私には辛いだけだ。

「お前ならすぐ彼氏できるって。ワシが保障するけえ、じゃから」
「ありがと井尾谷、でもそれ以上言うと好きになるよ」

 我ながらひどい脅し文句だ。案の定井尾谷が固まる。
 井尾谷の目があからさまに泳ぐ。
 普段クールぶって、部活でも参謀だ司令塔だと活躍しているらしい男の反応とは思えない。佳奈ちゃんを振ったときの待宮を見習え。と思ってから、嫌な女だと自己嫌悪した。

「あ、あー…そりゃ、困るわ」
「井尾谷のそういう素直なとこ好きだよ」
「インハイ前に女と付き合ってられんしのう…」
「インハイ終わったあとならいいの?」
「は?」
「えっ?」

 井尾谷と顔を見合わせてから、じぶんの言葉の意味に気づいた。
 これじゃあ、インハイ終わったあとなら付き合えるのか、と聞いているようなものだ。

「ご、ごめ、他意ない! ほんと! いやほんと、なんも意味ないから、条件反射で、ぜんぜんなんも」
「い、いや、わかっとる! わかっとるから安心せい! いや、確かにワシもインハイ終わった後ならっておもっとるけど!」
「えっ!?」
「いや!? ちゃう! 他意ないけえ安心せい!」
「えっ!? ないの!? 嬉しかったのに!?」
「あってもええんか!?」 「えええっ!? ……ま、待って! ちょっと落ちつこう!」 「お、おう……そうじゃな」
 顔を赤くした井尾谷と共に深く深呼吸。私の顔も同じように赤いだろう。
 微妙な空気が流れる。お互いを妙に意識してしまってなにも話せない。
 気まずい沈黙を破ったのは、井尾谷だった。

「来年、最後のインターハイ」
「ん、うん……」
「必ず勝つけぇ」

 実直で真剣な目が、私を射抜く。
 だから…と、井尾谷は小さくくちびるを動かした。その先の言葉は声にならず、ため息となって井尾谷の口からこぼれていく。

「――じゃけぇ、応援しててくれ」
「…うん!もちろん。当日見に行くからね」
「えっ箱根じゃぞ」
「ふふん、夏休みの家族旅行の予定はばっちりよ」
「まじか」
「じゃあ、当日一番にゴールするミヤの姿をしっかり見とけよ」
「あんたはいつでも待宮のことばっかだねーっ」

 それぐらい信頼してるんだろう。二人で笑いあって、さっきの会話は忘れたふりをした。失恋の痛手は、思ったより早く忘れそうだ。





2016/11/18:久遠晶